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カテゴリ:散歩( 8 )

宇治田原 散歩

私が住む町、宇治に隣接して宇治田原町という人口9,500人ほどの山に囲まれた町があります。宇治田原は「お茶の郷」として茶業が盛んな町で、山間によく手入れされた茶畑が広がります。

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この地は古く、10世紀中期に書かれた「和名抄」に「田原郷」と記載されているそうで、集落には、奈良盆地から山城・近江へと抜ける古道が走ります。

また田原郷の南には、南山城地域の最高峰である「鷲峰山(じょうぶさん)」があり、ここは山岳信仰の霊場として奈良から奈良・平安期に栄えた「鷲峰山寺」現在の「金胎寺(こんたいじ)」があります。そこに通じる信仰の道が、奈良から木津川右岸を走り宇治から京都の山科を経て大津へ抜ける本道の「奈良街道」に対する間道であったと思われます。

その古道の集落の入り口にあたる「郷之口」の街並み。

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古道沿いに建つ「右じょうぶさん道 左しがらぎ道」?と記された道標。

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郷之口には、軍事上需要であったのか織田信長の命により山口甚助秀康が築いた「山口城」がありました。

本能寺の変のおり、堺にいた徳川家康が急いで三河に命からがら逃げ帰ったルート「家康伊賀越えの道」はまさにこの道です。家康は、河内より尊延寺越えに田辺、草内を経て木津川を渡り、田原郷に入り山口城で昼食をとり馬を乗りかえたそうです。

今は城の名残もなく茶畑が広がります。

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郷之口の古道沿いのお茶屋さん。

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「家康伊賀越えの道(信楽街道)」を左に折れ、近江の瀬田へと抜ける783号線沿いに建つ茅葺屋根の「禅定寺」。

宝物殿には藤原時代作で重要文化財である本尊十一面観音立像などが安置されています。

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田園風景の中にぽっんと建つ禅定寺の山門。

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古道を進むと立川という地区がありのどかな田園風景が広がります。

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その風景の中にひっそりたたずむ「信西入道塚」。

藤原信西(しんぜい)は平治元年(1159年)、源頼朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害されました。領民はこの場所に塚を築きその菩提を弔ったと言われています。

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立川を過ぎ峠を越えると「湯屋谷」に入ります。

湯屋谷には、江戸時代中期に茶を研究し、もっとおいしい茶が造れないかと「青製煎茶製法」をあみだし、日本の緑茶開発と普及に貢献した「永谷宗円」の生家があります。宇治田原が日本緑茶発祥の地と言われる所以です。

谷あいに続く湯屋谷集落の街並み。

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永谷宗円の生家跡。

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湯屋谷から峠を越えると宇治田原の西端の集落「奥山田」に出ます。

家康は、ここから信楽の朝宮に入り、伊賀を経由して白子浜に出、伊勢湾を渡り無事三河に逃げ帰りました。

山村風景が広がる奥山田の郷。

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奥山田にある「正壽院」。

ここで「お茶でもどうぞ」とお茶と茶菓子をいただきました。

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境内の梅は今が見ごろでした。

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宇治田原散歩、ここは社寺も多く史跡もあり歴史を十分に感じさせてくれる山里でした。

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by y-tukide | 2017-03-21 13:46 | 散歩

近江散歩 百済寺

琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山麓に位置する「湖東三山」西明寺、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)は天台宗の寺院で紅葉の名所です。

私は、湖東三山の中でも百済寺が好きで、これまでにも何度となく訪れています。普段の時期は参拝者もさほど多くないのですが、紅葉の時期には、観光客が多いこともあり避けていたのですが、早朝なら人も少ないだろうと今回行ってみました。

近江と朝鮮半島とはかかわりが深く多くの渡来人が近江に渡ってきています。百済寺は聖徳太子の願いにより朝鮮半島から渡来した百済(くだら)人のために創建された近江最古級の古刹です。

7時半、さすがに観光客もいない山門。

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私の好きな、百済寺の参道。

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前回、百済寺を訪れたのは2年前の11月初めです。

実はこのとき、今年の2月に亡くなられた私が尊敬する奥村まことさんと3年前に亡くなられた建築家、永田昌民氏の奥さんである永田裕子さんと親しい仲間達とで「近江湖東三山と湖北観音の里巡礼」の一泊二日の旅をしたときに訪れています。

あの時は、まことさんはリュックを背負いこの参道を元気で登っていました。

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本坊の庭園。山を借景とした池泉回遊式庭園です。

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大きなわらじが掛けられた「仁王門」。

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仁王門をくぐり石段を上がりきると檜皮葺きの本堂があらわれます。平安末期から鎌倉、室町に至るころは「湖東の小叡山」と言われるほどの壮大な寺院であった百済寺、織田信長の兵火によりほとんど建物が焼失したのですが、本堂は江戸時代に再建されました

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本堂内に祀られた如意輪観音像。信長の兵火を免れた希少な観音像です。

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境内に桜の花が!

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時間が経つにつれ観光客の数が一気に増えてきたので、紅葉を満喫し逃げるようにして百済寺を後にしました。

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by y-tukide | 2016-11-21 15:40 | 散歩

奈良 吉野散歩

奈良の吉野へは、これまでに仕事では数えきれないほど訪れていますが、仕事以外でゆっくり吉野を散策したことはあまりありません。

この日、ちょっと見たい建物があるので、そのことも兼ね、吉野に向かい散策することにしました。

その見たい建物とは、国が進める地方創生政策の中で吉野町が今年から取り組むことになった、「目指せ! ふるさと吉野地域の復活!―吉野から木のある暮らしの情報発信 木材産業活性化プロジェクト―」の一つの目玉企画として吉野川の河畔で現在、移築工事が行われている「吉野杉の家」です。

この建物は、東京で行われていた「HOUSE VISION」プロジェクトで展示された、建築家の長谷川豪氏の設計の吉野杉がふんだんに使われた建物です。

完成すると1階は、喫茶コーナーがある憩いの場として、2階は、アメリカの「Airbnb

という組織が運営する宿泊施設として使われます。

秋深まる早朝の吉野川。

この日は秋晴れとはいえ肌寒い吉野でした。

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吉野川の河畔の遊歩道沿いで移築工事が行われている「吉野杉の家」。

吉野町のこのプロジェクトには、ツキデ工務店も地方創生応援税制である「企業版ふるさと納税」で応援させていただいています。

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肌寒い中、建物の前の吉野川で犬が水遊びをしていました。

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建物がある付近には、昭和30年頃まで「いかだ場」があったそうです。「いかだ場」では、吉野川の上流から流してきた小さな「いかだ」を下流の和歌山へ向けて流すために、連結して大きな「いかだ」にする作業が行われていたそうです。

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その後「「吉野鉄道(現在の近鉄電車)」が開通すると、「いかだ場」から少し下流の場所に設けられた貯木場(貯水池)に集積して水中乾燥(水につけて木の水分を抜く)作業をして「原木」のまま貨車で大都市へ直接運ぶようになりました。

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その後、貯木場の周辺に製材所ができはじめ、製材された木材も貨車で運ばれました。

そして貯木場(貯水池)が埋め立てられ、そこに多くの製材所が建ち、一大製材団地が形成されました。その製材団地の一帯を「吉野貯木」と呼ばれています。

その製材所も昭和のある時期から、安い外材に押されかなり減ってきています。

建築を知り、好きな者ならよだれが出るようないい素材がこの地には豊富にあります。

それなのにもったいなくも悲しい話です。

日曜日、木の香りが漂う静かな「吉野貯木」。

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ツキデ工務店が、取引させていただいている「吉野中央木材」さんの土場。

弊社が梁材として使っている百数十年生の杉材が、製材され「桟積み乾燥」し自然乾燥されています。

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先週の水曜日に原木市があった「北村林業」さんの土場。

競り落とされた原木が置かれていました。吉野ならではの風景です。

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この建物は、「坂口製材所」さんの敷地内にある「吉野サロン」。

大阪の「Ms建築設計事務所」さんの設計で6年前にツキデ工務店が施工させていただいた建物です。

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吉野は、古くは神話の世界で神武天皇が東征の時、熊野から吉野を通り大和に行くのに三本足の「八咫烏(やたがらす)」が道案内をしたと伝えられています。

今も熊野と大和を結ぶ街道が走るとともに、伊勢に向かう「伊勢本街道」も走り風情ある街並みも一部に残っています。

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この日「吉野貯木」にある神社の境内で「ゆいつぐむ市」というフリーマーケットが行われていました。

「歴史を紡ぎ、地域を結い、作り手と使い手、親から子へ。残して伝えたい大切なものを結びつける」というテーマの市です。

地元の若い人達が実行委員会をつくり行われていました。

大変盛況で、私も好きな奈良漬けとコットンの靴下を買いました。

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午後は、久しぶりに「吉野山」に向かいました。

途中道端に、吉野杉のチエンソーアートの置物が、「ほしい方はここに電話ください!」との張り紙と共に並んでいました。

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山岳修験者の「役行者(えんのぎょうじゃ)」が開いたと伝えられている修験道の本山「金峯山寺(きんぷせんじ)」の国宝の本堂である「蔵王堂」。

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ここでこんな光景に出合いました。

修験者による蔵王堂の前での護摩法要です。念仏を唱え、ほら貝や太鼓が響く中、護摩木が燃やされます。

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そして最後に、「井形」に組まれた檀の丸太を炭火と共に並べられ、その上をはだしで歩く「行」です。

「心頭を滅却すれば火もまた涼しい」とのことわざをありますが、果たしてどうなのか?

気合を集中し、無念無想の境地にたち歩き渡られます。

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この後「奥ノ院」まで行きましたが、桜の葉は結構紅葉していましたが、もみじはちょっと色づきかけたところでした。

秋晴れに恵まれた「吉野散歩」、いろいろ楽しめました。

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by y-tukide | 2016-11-02 04:45 | 散歩

真如堂 散歩

京都の左京区浄土寺に今度計画する敷地を見に行ったのですが、ちょっと時間があったので敷地近くにある「真如堂」に行ってきました。
真如堂は、本堂の名称で正式には「真正極楽寺」という天台宗の寺院です。
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梅雨時期の平日とあってか人ひとりいない正面参道。
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初夏の緑に浮かぶ三重塔。
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本堂の前の菩提樹の実。
菩提樹はお釈迦さまがこの木の下で悟りを開かれたとされる仏教の聖木です。
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紅葉のころはさぞかしにぎやかなことでしょうが、この日は静寂の中、心が洗われます。
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もうそろそろ見ごろを過ぎるアジサイ園。
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真如堂は財閥の三井家の菩提寺でもあります。その三井家の家紋をモチーフにしたのであろう「隨縁の庭」、この庭を作庭したのは「重森三玲」のお孫だそうです。
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真如堂から「くろ谷さん」(金戒光明寺)へと続く道に、幕末京都の治安維持に京都守護職として任じられた会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)率いた一千名の会津藩士の殉難者の墓があります。
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幕末から明治にかけての日本の変革期、純朴な東北人をはじめ、多くの血が流されたことを忘れてはならない。
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by y-tukide | 2014-07-14 16:31 | 散歩

若狭 小浜散歩

我が家の飲み水が底を尽きかけたので、若狭の「瓜割の滝」に水汲みに行ってきました。
早朝まだ雪が残る若狭街道(鯖街道)を走ります。
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水汲みの後、久しぶりに小浜を散歩しました。
若狭の中心の町小浜は、シルクロードの日本の玄関口として交易で栄えた地です。江戸時代には北前船の拠点でもありました。
歴史・文化的にも奈良、京都とのつながりが深く「海のある奈良」「若狭の小京都」とも呼ばれています。
とにかく寺の多い町で人口3万人足らずですが、132の寺があり市の人口比では奈良、京都もとても及ばない多さです。
また市街地の西部に位置する香取地区、別名「三丁町」にはベンガラ格子の家々が軒を連ね情緒豊かな町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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三丁町は江戸時代から続く花街でした。
この建物は明治中期の建物で屋号が「酔月」という元料亭で平成14年に小浜市に寄付され「小浜市町並みと食の館」として活かされています。
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町内には庚申堂(こうじんどう)があり、申(さる)にのっとって魔除け、厄除けとして町内の各家の軒先に「身代わり猿」が吊るされています。
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この出格子のある建物を眺めていると中からご主人が出てこられたので、挨拶し二三質問させていただいたのですが、そうしたらどうぞお入りくださいと建物内を案内してくださいました。
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玄関を入ると坪庭が。
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この建物は明治元年に建てられたもので「逢嶌樓(ほうとうろう)」という屋号で平成のはじめまでご商売をされていたそうです。
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昭和の初めに作られた貴重な写真、今でいうポストカードをいただきました。
写真は5枚のポストカードが入った紙封筒と当時の玄関前と座敷の様子です。
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玄関横にある女将さんの間に置かれた長火鉢、火鉢の中には銅板で造られた湯が沸かせる道具があり、その使い方をご主人が説明してくださいました。
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この日は偶然、貴重なものを見せていただくことができました。
土産は鯖街道の起点である泉町商店街にある「朽木屋」で焼き鯖を買うことにしました。
実は、この店の女将さんは私の中学時代の同級生で、そのよしみで値をまけてくれました。
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by y-tukide | 2014-03-03 16:17 | 散歩

奈良 大宇陀散歩

この日曜日、奈良盆地の東方に位置する山間の地、宇陀(うだ)という所で築60年の古民家改修の依頼があり、調査に行ってきました。
昼過ぎに調査を終え、そのあと久しぶりに大宇陀の松山地区をぶらぶら歩きました。ここにはこれまで何度か訪れています。
大宇陀は、松山城の城下町であるとともに、古代には「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の薬猟の地でもあります。また「万葉集」の歌人「柿本人麻呂」が天皇の薬猟に随行して読んだ歌「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」でも知られる「かぎろひの里」としても有名です。
「かぎろひ」とは厳冬の良く晴れた日の出の1時間程前、東の野のかなた一面があかね色や紫色に染まるなかなか見られない自然現象です。ちなみに毎年陰暦の11月17日の早朝にかぎろひを見る会が行われています。

江戸時代、松山地区には商家が建ち並び、薬の町として最盛期50軒以上の薬問屋があったそうです。現在も往時の様子を伝える江戸時代からの建物が現存し、風情ある町並みを形成し、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

松山地区の町並み
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この建物は江戸時代の建物で元禄15年創業の造り酒屋さんです。
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山邊家住宅、この建物も江戸時中期の建物でこの地区の中で年代が判るものでは最古の町家です。
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唐破風付きの豪勢な造りの看板が上がる旧細川家住宅。現在は宇陀市が管理し大宇陀歴史文化館「薬の館」として公開されています。細川家2代目の次女が生んだ子供は藤沢薬品工業(現アスレラス製薬)の創設者だそうです。
建物は江戸末期のもので館内には当時の興味深いものがいろいろ展示されています。
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藤沢薬品工業の当時の商標だった鐘馗さん。
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当時の薬の看板いろいろ。
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こんな看板も。
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この図面は東京芸術大学建築科教室の学生さん達が、この建物を実測し書き上げた図面集の一枚です。
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薬の町大宇陀にある国史跡「森の旧薬園」は、民間の薬草園としては日本最古のもので、園内には約250種類の薬草が栽培されています。先週降った雪がまだ残る薬草園には、春を告げる花、福寿草が咲いていました。
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by y-tukide | 2014-02-24 17:27 | 散歩

春の若狭路散歩

我が家の飲み水が、底をつきかけてきたので休みをとり、若狭の「瓜割の滝」に水汲みに行ってきました。

三月半ばとはいえ、まだ雪が残る若狭街道(鯖街道)。
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今年もお世話になります「瓜割の滝」。
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ポリタンク10本に湧き水を汲み終えると、後は若狭路をカメラぶら下げぶらぶら散歩。
まずは小浜の鯖街道の起点の地、泉町商店街にある「朽木屋」に今晩の晩飯にと焼きさばを買いに。
実は、この店の女将さんは、私の中学時代の同級生です。数年前にひょんな事から、それがわかりお互いびっくりしたものです。
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この日は小春日和、風もなく鏡のように映る、春の海。
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毎年この時期立ち寄る、三方湖の湖畔の西田梅林。
梅は、満開でした。
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海に面する棚田の何枚かの田には水がはられ、早、田植えの準備。
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今日の散歩の最後は、敦賀の寿司屋の「弥助」さん。
この日も、旬の地魚をいただきました。
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by y-tukide | 2013-03-18 15:03 | 散歩

近江散歩 石塔寺

琵琶湖の東、蒲生の地にある石塔寺(いしどうじ)に行ってきました。
この寺は、司馬遼太郎の「歴史を紀行する」を読んで知り、15年前にも訪れています。

境内の天に向かって一直線に伸びる185段の石段。
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石段を上がり切ると、そこには何とも言えぬ空気と、異国のにおいが漂う風景が広がります。
無数の五輪塔の中に立つ高さ7.5mの三重の石塔は、奈良時代はじめの7世紀ごろ朝鮮半島からの渡来人によって、遠い祖国の地を思い建てられたもの。
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司馬遼は「歴史を紀行する」の中でその時の風景を
「最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては、私は生涯わすれることができないだろう」と綴っています。
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周囲には、何万という数の五輪塔と石仏がならびます。
一時間半ほどいたのですが、人一人もいず、ただただ静寂の中、私一人がいるのみで、石仏たちに見つめられているようで、気味悪さを感じるほどでした。
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あわただしい日々を送っている中、久しぶりに心があらわれる時間を過ごすことが出来ました。
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by y-tukide | 2013-02-12 10:37 | 散歩