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カテゴリ:かいわい( 28 )

御坊かいわい

御坊(ごぼう)市は、和歌山県の海岸線のほぼ中央で、日高川の河口に位置します。

御坊は、1500年代浄土真宗本願寺の「日高御坊」の寺内町として発展した町です。人々がこの寺を「御坊様」と呼んだのが地名の由来で、近郷から門徒宗を中心に集まり町が形成され、日高地方の産業中心となりました。

寺内町の中心となる日高御坊。

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日高御坊の周辺には今も本瓦葺の古い街並みが一部見られます。ただ同じ寺内町でも大阪の南河内の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「富田林(とんだばやし)」 に比べると古い街並みが一部点在して残るもののかなり違います。

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町内の商店街もいずこの地方都市の商店街にもれず見事な「シャッタ―通り」となっています。店の外観も古い建物の道側の外一面をあえて洋風?の店構えに見せた「看板建築」が並びます。

古く歴史ある街並みを生かした店構えの方が、独自性が活かせ集客効果も上がるのではないかと思え残念です。

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御坊の街には、日本一短い「紀州鉄道」が走っています。

JR御坊駅から営業距離2.7kmのローカル私鉄で、終点は寺内町にある西御坊駅です。

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午前中御坊の街を散策し、その後車で数十分の山手にある臨済宗「興国寺」に行くことにしました。

興国寺は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の菩提を弔うために1227年に建立された古刹です。

1585年の羽柴秀吉の紀州攻めで堂塔が失われたのですが、紀州徳川家代々の藩主の加護のもと復興されました。

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静かな境内にノミを打つ音が響くので音に引かれていくと鐘楼(しょうろう)の改修工事が行われていました。

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鐘楼の上で二人の大工さんが仕事をしていたので、無理を言い仕事を見せていただきました。

二人は「擬宝珠(ぎぼし)」を新たに作っていました。

二人の大工さんは宮大工ではないのですが、元の擬宝珠を参考にし図面もなしで作っておられます。たいしたものです。

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ここでこの建物の仕事の話をいろいろ伺い邪魔をした後、紀州の海を見たくなり、近くの由良町の半島の先にある白崎海洋公園へと向かいました。

群青の海に白く輝く海岸。

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白い岩肌は、地球の変動が生んだ太古の石灰岩、太陽の輝きで光る白と海の深い青とのコントラストが素晴らしい。

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園内には、クラブハウスがあり体験シュノーケリング、ダイビングなどのマリンレジャーが楽しめます。

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紀州の海、夏本番です。

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by y-tukide | 2017-07-31 13:29 | かいわい

宇治かいわい 三室戸寺

この日曜日、午前中お施主様との打ち合わせがあったのですが、午後は休み、梅雨空の合間を見て久しぶりに自宅から車で10分ほどにある「三室戸寺」に行ってきました。

三室戸寺は、千二百年前に創建された古刹であり、西国三十三所観音霊場十番札所です。

また「花の寺」として五千坪の大庭園では、5月はツツジ・シャクナゲ、6月アジサイ、7月ハス、そして秋の紅葉と四季を通じ花を楽しむことができます。

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杉木立の中のアジサイ園では、この時期501万株のアジサイが咲き乱れます。夕方からはライトアップもされます。

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雨上がりとあってアジサイの花も一段とさえます。

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この日は、日曜日とあって多くの観光客が訪れていました。

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初めて見る珍しい花もあり、種類の多さにおどろかされます。

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千手観音菩薩が祀られる本堂の前では、ハスの花も見ごろを向かえようとしていました。

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by y-tukide | 2017-06-26 10:50 | かいわい

富田林かいわい

大阪の南河内地域の南東部、金剛山系の裾野に広がる平野部に「富田林(とんだばやし)」の町があります。この町には、16世紀中ごろの戦国時代に形成された「寺内町」が残っています。

「寺内町」とは、寺院を核として周囲を濠や土塁で囲うことで外敵の侵入を防いだ自治都市です。江戸時代には交通の要所として商業の町とし栄え、その繁栄の面影が色濃く残る街並みが今も残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

以前からこの町のことは知っていたのですが、私がここを訪れるのは初めてです。

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富田林寺内町は、500年程前に京都興正寺の証秀上人が「富田の芝」と呼ばれる荒地を銭百貫文で買い受け町を開いたそうです。

その中核となったのが一向宗興正寺別院です。

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奈良の今井町も寺内町ですが、富田林の寺内町は「八人衆」という商人たちが中心になり商業の町として繁栄しました。

街を歩いていると本瓦葺の蔵が多く見られます。

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3階建ての蔵も。

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この建物は、重要文化財の「旧杉山家住宅」です。

杉山家は寺内町創立以来からの旧家で、江戸時代を通じて富田林八人衆の一人として町の経営に携わってきた家です。現在富田林市が改修し一般に公開されています。


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町並みの屋根越しに見える白い塔はPLの塔です。富田林にはPL教団の本部があり高校野球で一世を博したPL学園などもあります。

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町の南側には、「石川」という川が流れています、この日はこいのぼりが泳いでいました。

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はるかに見える山は、右が金剛山で左が葛城山です。

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町歩きのあと、せっかくここまで来たので足を延ばし、金剛山の山麓にある「千早赤坂村」へと向かいました。千早赤阪村は大阪府下で唯一の村で、鎌倉時代後半から南北朝時代に活躍した武将「楠木正成(くすのきまさしげ)」の出生地として知られています。

鎌倉幕府討幕の計画が発覚し後醍醐天皇が京都南山城の笠置山に逃れた時、南朝側についた正成はこの地で挙兵しました。

その時築かれた「下赤坂城」からの棚田の眺め。

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野にはタンポポが、のどかです。

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遠くかすんで見える高層建築は「あべのハルカス」か?

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谷あいの集落。

大都市大阪にもこんな所があるのです。

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by y-tukide | 2017-05-01 11:09 | かいわい

宇治かいわい 黄檗山万福寺

この日、自宅から56kmのところにある、黄檗山万福寺(おうばくさん まんぷくじ)に、天気もいいので歩いて行ってきました。

平等院の南門の前を通り、宇治川の「喜撰橋」を渡り「塔の島」へ。

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朝の宇治川は、すがすがしく、この数日来の朝夕の冷え込みで、木々も色づき始めました。

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「朝霧橋」から望む、平等院「鳳凰堂」。

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「朝霧通り」を歩き、宇治橋を越えたあたりに、現在発掘調査が行われている豊臣秀吉が築いた「太閤堤」の遺跡があります。

太閤堤は、天下統一を果たした豊臣秀吉が四百数十年前に、伏見城を築城した際に伏見の方に宇治川の流れを導くために行った、宇治川の付け替え工事です。

桃山期の治水技術の高さを知る貴重な文化財として、平成21年に国の史跡に指定されました。

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これまでに発掘された400mほどの護岸は、保存のために埋め戻されましたが、護岸に設けられた水流対抗施設「石だし」(水制)や松杭が現地で再生されていて見ることができます。

「水制」は、護岸に石などを積み突出し河川の水の勢いを弱め護岸が削られるのを防いだり、流れの方向を整えるための工作物です。

以前、岐阜県にある「木曽川文庫」に行って、明治の木曽川・長良川・揖斐川の三川分離の難工事を行った、オランダの土木技術者「デ・レーケ」の説明を受けた時に、この「水制」のことを知り、オランダからもたらされた治水技術だと思っていたのですが、日本でも当時用いられていたことは驚きでした。

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太閤堤を後に、奈良街道を万福寺へと向かいました。

黄檗山万福寺は、江戸時代の1654年に明朝時代の中国から渡来した「隠元禅師」が、開山した寺院で、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、黄檗宗の総本山です。

儀式作法や建築様式も中国の明朝様式を取り入れられています。

黄檗山万福寺の「総門」。

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「三門」。

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「天王堂」に続く参道。

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弥勒菩薩の化身といわれる「ほてい和尚」。

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守護神である四天王。

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「開山堂」。

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開山堂では、儀式がとり行われていました。

内陣に飾られている幕に描かれている桃も中国様式のものだそうです。

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この門も中国風。

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「斎堂前」にある「開版(魚板)」は、木魚(もくぎょう)の原型となっているものだそうです。時を報じるものとして使われます。

その木魚(もくぎょう)は、隠元禅師が中国から伝えたものだそうです。

隠元禅師は、その他にもインゲンマメ、孟宗竹、スイカ、レンコンなどももたらしています。

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万福寺の本堂である「大雄宝殿(だいほうほうでん)」。

この建物の柱などに東南アジア産のチーク材が用いられています。どのようにして日本に持ち込んだのでしょうか。

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なでかしら、境内に神輿が!

寺の周辺の町内で秋祭りが行われているようです。

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自宅から歩いての万福寺の参拝。

たまにはこうして宇治の街を散策するのもいいものです。

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by y-tukide | 2016-11-07 10:29 | かいわい

長命寺かいわい

滋賀県の近江八幡市街地の北側、琵琶湖にせまる長命寺山の山頂付近に、西国三十三カ所第三十一番札所の「長命寺」があります。
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山の麓から本堂へは、800段あまりの長い階段が一直線に続きます。
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石段を登り切った境内には、本堂・三重塔・鐘楼などがあります。屋根は瓦ではなくすべて桧皮葺かこけら葺きで、三重塔の屋根は最近葺き替えられたそうです。
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境内からの眼下の眺め。
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長命寺山の東側には、戦前まで琵琶湖最大の内湖である「大中之湖(だいなかのこ)」が広がっていたのですが、戦後干拓され農地となりました。
そして今は、大中之湖干拓地の南側に残る「西の湖」が琵琶湖最大の内湖です。
西の湖の湖畔にはヨシ原が広がり、冬に刈り取られたヨシを干す風景が見られます。
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ヨシの群生地は水鳥や魚の生息場として重要な役割を果たしているだけでなく、琵琶湖の水質浄化にも大いに貢献しています。
そしてヨシの芽吹きを良くするためにこの時期の風物詩「ヨシ焼き」が行われていました。
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そしてここではヨシ原の風景を楽しむ「水郷めぐり」が名物です。
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春本番です。
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by y-tukide | 2016-04-11 11:00 | かいわい

明石かいわい

先日、お客さんとの打合せに朝から兵庫県の明石市に行ってきました。会社から車で1時間半ほどで行けます。
約束の時間よりかなり早く着いたので山陽電鉄の人丸前駅の北側にある明石市立天文科学館に寄ることにしました。
14階の展望台からは明石の街や淡路島、明石海峡大橋が眼下に眺められます。
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明石といえば「子午線のまち」。
日本の標準時間の基準となる東経135度の子午線のまちです。東経135度線上に天文科学館が建ち、その南側にある人丸駅のプラットホームに表示された線が、まさに地球の赤道に直角に交差する北極と南極を結ぶ両極線です。
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打合せの後、お客さんにお寿司を御馳走になり、せっかくなので私はそのあと「魚の棚商店街」に行ってみました。ここでは日本有数の漁場である明石で捕れた魚を取り扱う鮮魚店や海産物を扱う店が軒を列ねます。
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明石といえば蛸、さすがに蛸を扱う店が多いです。
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ただこの季節は、なんといっても瀬戸内の春の訪れを告げる風物詩「イカナゴ」漁。
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淡路島を含むこのあたりの瀬戸内では、各家庭でイカナゴの佃煮である「クギ煮」がつくられ保存食にされます。
私も土産に買いました。
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帰り道、舞子公園からの明石海峡の眺め。
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by y-tukide | 2016-03-28 12:50 | かいわい

石場寺かいわい

ツキデ工務店の事務所の2階に四畳半の和室があります。
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和室には小さな床の間があり、その床に江戸時代に描かれた「三河万歳?」の絵が掛けられています。
この絵は、滋賀県の近江商人発祥の地の一つである東近江市の「五箇荘」で、私が5年ほど前に偶然手に入れたものです。
絵は、江戸時代後期に「湖鱗楚東」と言う僧が五箇荘の近くにある「石場寺(いしばじ)」に住んでいた時に描いたものです。
「湖鱗楚東」という人は「すこぶる文藻に富、資性淡白で酒悦」。老後は、「人の背に負われ、人家を訪れ、酒はあるか、うまいものはあるかと尋ね、あるという答えがあれば、早速その饗応にあずかり、欣然としてまた人の背に負われ帰るという具合であった」。
というちょっとユニークな人だったようです。
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近江商人屋敷が多く残る「五個荘」には何度か行っていますが、「石場寺」は訪れたことが無く、一度行って見たいと常々思っていたのですが、今年の四月の終わりに思い立ち行ってきました。

田植え前の石場寺の集落。
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石場寺は、聖徳太子により建立された古刹ですが、戦国時代に織田信長による兵火にあい衰退しますが、徳川の時代に復興され、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺です。
山門跡から約三百段の自然石の石段を上ります。
石段の両側に、かつての塔頭跡の石垣が残り、当時の寺の規模が想像されます。
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石段脇に並ぶ石仏。
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石段を登りきるとさほど広くない境内は、静寂に包まれ、新緑がまぶしく、すがすがしい空気が漂います。
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自然の岩壁を背景にした禅寺らしい石庭。
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170年ほど前「湖麟楚東」は、ここに住み絵などを描いたのか・・・
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そんなことを思いながら石段を下り、隣の「五箇荘」にある、絵を購入した近江商人屋敷「八年庵」に、また何か面白いものがないか行ってみることにしました。
ところがあいにくこの日は開いていませんでした。

「八年庵」は、豪商「塚本家」の分家で文化人でもあった塚本源三郎の元邸宅で、空き家でしたが地元の工務店の手により改修再生されたものです。(ちなみに女性の肌着メーカー、ワコールの塚本家もこの地の出身です)。
5年前に「八年庵」に訪れた時は、塚本源三郎と交流のあった福沢諭吉や勝海舟などの書状や掛軸など貴重なものを見せて頂きました。
福沢諭吉が塚本源三郎に送った書状。
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天秤棒をかついだ近江商人の旅姿の貴重な写真。
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久しぶりに伝統的建造物群保存地区に指定されている五箇荘の「金堂地区」を散策したのですが、この日は祭が行なわれていました。
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大人も子供も祭の装束は、天秤棒をかついで他国に商いに出かけた近江商人の装束です。
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帰りは、金堂地区から南に30分程歩き、旧中山道に出、近くを走る近江鉄道の「五箇荘駅」から帰ることにしました。
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近江鉄道の終点の「近江八幡駅」で降り、JR東海道線に乗り換えずに途中下車し、「ひさご寿司」という店に寄ったのですが、そこで大変珍しい「鮒ずし」の握りを頂きました。
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by y-tukide | 2015-08-10 09:03 | かいわい

観音正寺かいわい

京都駅から新幹線で東に向かうとき、近江八幡を過ぎたあたりの左手に小高い山が車窓から見えます。
山の名は繖山(きぬがさやま)別名観音寺山、標高433mの山です。山頂付近には、西国三十二番札所である「観音正寺(かんのんしょうじ)」があります。
この山を見ると、懐かしさにかられ一度観音正寺に行ってみたいといつも思います。
というのは私が高校時代、私の友人の家が観音正寺の住職と親戚筋にあたり、当時勉強の合宿と称し、一週間ほど友人と二人でお世話になった思い出でがあるからです。
また観音正寺の本堂が、平成5年に失火で焼失したことを知ってから余計に気になっていたこともあります。
それで今年の4月の終わりごろの休日、思い立ち四十数年ぶりに観音正寺に行ってきました。
当時は歩いてしか登れなかったのですが、今は車で寺の近くまで行けるそうなのですが、この日は山の麓の「安土町石寺」に車を置き、表参道を登ることにしました。

表参道の入り口の石寺の集落。
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表参道に建つ道標。
この近くには近江中山道が走り、和歌などで詠まれた「老蘇の森(おいそのもり)」があります。
この道標は、中山道から観音正寺へと続く表参道と山麓を巡る道の十字路に建てられています。
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観音正寺のある観音寺山には、室町時代以来近江国の南半分を支配した佐々木六角氏の拠点となった山城の観音寺城跡があります。当時石寺あたりは城下町で日本最初の「楽市楽座」があったそうです。
石寺集落の街並み。
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集落内にある廃船の板を再利用した「船板」を腰に張った蔵。
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参道沿いに建つ「日吉神社」。
観音正寺の守護神として近江阪本の「日吉神宮」より勧進されたもので、平安末期の作と考えられる地蔵菩薩が祀られています。
このあたりから登りがきつくなります。
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1300段の自然石の石段。
白洲正子も観音正寺を訪れた時には音を上げたそうです。
寺にお世話になっていた時、友人と私に与えられた寺の仕事は、八日市か能登川だったか町に買い出しに行くことで、今は考えられませんが石段を競争して上り下りしたことが思い出されます。
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50分ほどかけてきつい石段を登りようやく観音正寺に着きました。
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境内からの眺め。
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観音正寺は、聖徳太子よって伽藍が建立されたものですが、太子がこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いによって建立されたと伝えられています。
私がここでお世話になった時、確かに本堂の奥に顔が人間で胴体が魚の、確か30~40㎝程のミイラを御住職に見せてもらいました。そのミイラも火災で焼失しました。
平成5年に焼失し、平成16年に再建された本堂。
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あの時に寝起きさせていただいた庫裏は火災を逃れ当時のままでした。
初めてここに訪れた日の夜に、当時若かった御住職が私たちに、佐々木六角氏が織田信長に攻められ観音寺城が落城し、寺近辺でも多くの武者が惨殺され、自害し成仏できない霊が夜な夜なさまよっているとの怖い話を散々聞かされ、あたりが真っ暗な山寺で一人でトイレにいけず寝付けず、えらい目にあったことが懐かしく思い出されました。
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当時の御住職は、今は八十数歳になられ里に下り隠居され、息子さんが継がれているとのことでした。
現在、寺では聖徳太子が崩御されて1400年を迎えるに当たり記念事業として、本堂横の石積みの下あたりに「六角堂」の建立と平成5年の本堂焼失前の境内復元整備を計画されています。
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そのことを知り当時お世話になったお礼の気持ちも含め寄進させて頂こうと、御住職を訪ねたのですが、あいにく不在で直接お渡しすることはできませんでした。
後日にご丁寧に当時の山寺の暮らしの様子なども記されたお礼の手紙をいただきました。
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帰り道、私も若き日の思いでを懐かしむ歳になったのだなとつくづく思いながら山を下りました。
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by y-tukide | 2015-07-13 10:05 | かいわい

稗田環濠集落

2月最後の日曜日、仕事で朝から奈良に向かったのですが、仕事を終えた帰り道、国道24号線を走っていて、以前から気になっていた郡山の美濃庄町西交差点の標識に記された「稗田環濠集落」の案内板にひかれ立ち寄ってみました。
そこで環濠集落の南東入口に建つ「賣太(めた)神社」の説明書きを読むと、この神社には「稗田阿礼(ひえだのあれ)」が祀られていると記されています。
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稗田阿礼といえば日本最古の歴史書「古事記」。
稗田阿礼が語り太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し編纂した、あの語り部です。
古事記といえば奈良時代の初め、1300年ほど前に編纂されたもの、この環濠集落のある稗田は、朝廷につかえた稗田氏の居住地であったのです。これにはちょっと感動しました。
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説明書きによると古代、大和平野に南北に通じる「下つ道」「中つ道」「上つ道」の三つの道が造成されましたが、稗田集落はその「下つ道」沿いにあり「稗田」の地名は「日本書紀」にも記載されているそうです。
稗田集落の南端で発見された「稗田遺跡」。昭和51年の発掘調査の結果、「下つ道」の幅員は16mで東側に11m、西側に4mの運河が並行して掘られてあり、水陸両用の都の入口羅城門に通じる幹線道路として、政府要人・外国からの使節・人々や荷物が行き交い、にぎわったことがわかったそうです。
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集落を取り囲む堀。
稗田環濠は、環濠としての形を完全に残した全国的にも数少ない大規模なもので、
集落の鬼門の方向に「七曲り」と呼ばれる階段状の屈曲した形状は、中国の漢の時代の「長安故城」を真似て作られたとの説があるそうです。
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集落内に入ると、南北・東西に抜けるメインの二つの通り以外は、狭い路地が入り組み、立派な門構えの重厚な造りの民家が密集して立ち並びます。
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なんともすごい集落です。
奈良という地には、千年の時を超えて残り続けるものが、当たり前のようにあちらこちらにあるのには毎度驚かされます。
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by y-tukide | 2015-03-09 11:12 | かいわい

壬生寺かいわい

京都市中京区壬生で上棟式がありました。
この建物は一階が鉄骨造で2・3階が木造の混構造の建物です。
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上棟式の後、近くにある壬生寺かいわいを歩きました。私は壬生寺を訪れるのは初めてです。
壬生寺は律宗総本山唐招提寺の末寺だそうで平安時代に創建されました。昭和37年に本堂が焼失し、現在の本堂は昭和45年に再建されたものです。
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創建1000年を記念して建てられた千体仏塔。
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壬生といえば新撰組の屯所があったところですが、当時壬生寺境内は新撰組隊士の調練場として使われ、武芸や大砲(おおづつ)の訓練が行われていたそうです。
境内の池の中に壬生塚がありそこに隊士の墓碑や近藤勇の像が立っています。
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そこにひょっこり新撰組の羽織を着た若者が現れちょっとびっくり、
聞くと近くに貸衣装やあるそうです。
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壬生寺に隣接して建つ「八木家住宅」。
江戸時代八木家は壬生村きっての旧家で、壬生郷士の長老を務めていたそうです。
幕末には新撰組の近藤や土方らの宿舎になっていた家です。このお宅は見学することができ、当時組織の長であった芹沢鴨が暗殺された座敷や刀傷が残った鴨居などを見ることができました。
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平安時代、朱雀大路であった千本通り沿いの新撰組グッズを売る店。
ここで新撰組隊士の衣装が借れます。
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壬生寺を南に下がったところに「表屋造り」のとても立派な京町屋「松田家住宅」がありました。
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松田家の路地裏で見つけた、改修された京町屋の長屋。
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壬生寺境内の池の竜のしっぽにアオサギが!
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by y-tukide | 2014-11-25 09:11 | かいわい