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「赤松の丸太梁がある力強い家」完成見学会

3月28・29日の両日、京都府伏見区向島でお施主様のご厚意により、引渡し前の建物完成見学会を開催させていただきました。今回もおかげさまでたくさんのお客様にご来場いただき、スタッフ一同大変感謝しています。
会場を快くご提供いただきましたお施主様、ご来場いただきました皆様、改めてお礼申し上げます。
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この家は、なだらかな斜面に建ち、南に面したリビングから斜面につき出すように広いウッドデッキがあります。
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この建物が建つ敷地と隣接するご実家の畑に、2本の柿の古木があります。
この時期、畑では草花が咲き春本番を告げていました。
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ウッドデッキは、敷地内にある柿の古木を活かすように組みました。
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5畳の広さの玄関土間は、ベンチとテーブルを置いて来客者との会話の場と玄関収納として利用します。
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ご主人は松の丸太がお好きで、家族が集うリビングと和室に島根県産の赤松の丸太を4本使用し、伝統構法で梁と丸太を組合わせ、力強い骨組みとしました。
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この建物がある「向島」は、歴史のある地です。
向島は昭和の初めに行われた干拓事業までは、伏見・宇治・久御山まで広がる京都府内最大の淡水湖の「巨椋(おぐら)池」に浮かぶ島でした。
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今も周辺には古い民家が残っています。
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また近くを流れる宇治川には、昭和3年に完成した奈良電鉄(現在は近鉄)の鉄骨トラス構造の「澱川(よどがわ)橋梁」が現役で頑張っています。
この橋梁は、164.5mワンスパンの単純トラスの構造の橋で、当時は勿論、現在においても日本最大級の鉄道橋です。2001(平成13)年には国の「登録有形文化財」に指定されています。
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見学会初日は、晴天で近くの桜並木の桜が一気に開花し、私達の目を楽しませてくれました。
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by y-tukide | 2015-03-31 15:43 | 見学会・イベント

美濃中山道 赤坂宿

美濃赤坂宿は中山道56番目の宿場で、宿場の東を流れる杭瀬川の渡し場として物資が集まる河港として発展した宿です。また西国三十三番霊場・谷汲山華厳寺へと続く谷汲街道と養老街道が中山道と交差する交通の要所として当時賑わったそうです。
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現在も常夜灯が残り、旧赤坂港が復元され一帯を公園として整備されています。
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赤坂港に建つ「火の見やぐら」
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赤坂宿の町並み。
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この建物は「清水家住宅」。
市民の共有の財産である赤坂宿の景観を後世に伝承するために、大垣市により現在再生工事が行われています。
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赤坂宿の中ほどに建つ「矢橋家住宅」。
江戸末期に建てられた大型町家、平入の「つし二階」で黒漆喰仕上げの壁と格子がきれいな建物です。
国登録文化財に指定されています。
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宿から南に蔵が連なる道を行くと「JR美濃赤坂駅」があります。
駅舎は大正時代のものだそうです。
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美濃赤坂駅は、東海道本線から二駅しかない支線の終着駅です。
この駅には、石灰や大理石を輸送するためのホームが隣接してあります。
宿の北側に石灰岩や大理石を産出する「金生山」という山があり、古くから杭瀬川の水運を利用した石材搬出がこの地に大きな富をもたらしたそうです。現在も山へ貨物路線が通じています。
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珍しいものを見つけました。
廃線になった踏切に建つ踏切番小屋跡、手動で遮断機が上げ下ろしされていたようです。
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宿の南には、徳川家康が織田信長によって造営された岐阜城の御殿を移築させた将軍専用の休宿泊施設跡であった「御茶屋屋敷跡」があります。現在は矢橋家の別邸「牡丹園」として開放されています。
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ここを散策していて、たまたま出会った地元の老人と話をしたのですが、偶然にもその方は50年ほど前に私が生まれ育った、宇治の広野町におられたそうで大変懐かしく、思いで話をされていました。
ここを訪れたのは、3月の初めだったのですが、牡丹園に咲く梅は満開でした。
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by y-tukide | 2015-03-23 13:46 | 街道を行く

美濃中山道 垂井宿

私は、15年程前に湖国「滋賀」の情報発信する出版会社「サンライズ出版」が出版した近江歴史回廊シリーズ冊子の「近江中山道」を片手に、京都三条大橋から草津宿を経て美濃の関ケ原宿まで近江中山道を何日かかけて歩きました。
その時の味が忘れられず、今回中山道を関ケ原宿から美濃路へと行くことにしました。ただ美濃路はおおちゃくして車での中山道行です。
名神高速関ケ原ICを下り、関ケ原宿から東に次の垂井宿へと走ります。
R21号線をそれ旧街道に入ると街道の両脇に松並木がつづきます。
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垂井宿の手前にある「一里塚」。
徳川家康は街道整備のため、主要街道に一里(約4キロ)ごとに距離の目安と旅人の休憩場として街道を挟んで2基の一里塚を設置しました。現在は南側の一基だけが残っていますが現在中山道で2カ所残る一里塚の一つで、交通史上重要な遺跡として国の史跡に指定されています。
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安藤広重が描いた垂井の一里塚周辺の浮世絵。
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行く前に何の下調べもせず来たものですから、垂井駅の前にあった案内所により関ケ原宿から垂井宿、次の赤坂宿への簡単な地図をいただき垂井宿を散策しました。
黒漆喰で仕上げられた「つし二階」の両側に「袖うだつ」が設けられたこの建物は、国登録有形文化財の「小林家住宅」。
幕末ごろに建てられた建物で、昭和初期まで「亀屋」という旅籠(はたご)を営んできた建物です。
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この建物の軒下には、防火用の「濡れむしろ掛け」があり、袖うだつと共に防火対策が施されています。
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街道沿いに建つ本龍寺の太鼓楼。
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こんな食堂が。
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200年ほど続いている亀丸屋旅館、現在も旅館として営業されています。
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「垂井の泉」。
岐阜県の名水50選に選ばれた泉で、泉のほとりの大ケヤキの根本から湧きだし、「垂井」の地名の起こりとされているそうです。
湧水が流れ出す水路で農家の方が野菜を洗われていました。
今も地域の方の生活用水としても使われているようです。
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中山道の美濃国一の宮である南宮大社の参道に建つ巨大な石の鳥居がある交差点から、蔵が建ち並ぶ道を行くと、「美濃国府跡」があります。
国府とは、奈良・平安時代に地方統治のための国ごとに置かれた役所のことです。
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そして垂井宿の東には「美濃国分寺跡」があります。
一千二三百年前はまさに垂井周辺が美濃国(岐阜県)の中心地であったことには驚かされました。
次は「赤坂宿」へ。
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by y-tukide | 2015-03-16 11:15 | 街道を行く

稗田環濠集落

2月最後の日曜日、仕事で朝から奈良に向かったのですが、仕事を終えた帰り道、国道24号線を走っていて、以前から気になっていた郡山の美濃庄町西交差点の標識に記された「稗田環濠集落」の案内板にひかれ立ち寄ってみました。
そこで環濠集落の南東入口に建つ「賣太(めた)神社」の説明書きを読むと、この神社には「稗田阿礼(ひえだのあれ)」が祀られていると記されています。
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稗田阿礼といえば日本最古の歴史書「古事記」。
稗田阿礼が語り太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し編纂した、あの語り部です。
古事記といえば奈良時代の初め、1300年ほど前に編纂されたもの、この環濠集落のある稗田は、朝廷につかえた稗田氏の居住地であったのです。これにはちょっと感動しました。
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説明書きによると古代、大和平野に南北に通じる「下つ道」「中つ道」「上つ道」の三つの道が造成されましたが、稗田集落はその「下つ道」沿いにあり「稗田」の地名は「日本書紀」にも記載されているそうです。
稗田集落の南端で発見された「稗田遺跡」。昭和51年の発掘調査の結果、「下つ道」の幅員は16mで東側に11m、西側に4mの運河が並行して掘られてあり、水陸両用の都の入口羅城門に通じる幹線道路として、政府要人・外国からの使節・人々や荷物が行き交い、にぎわったことがわかったそうです。
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集落を取り囲む堀。
稗田環濠は、環濠としての形を完全に残した全国的にも数少ない大規模なもので、
集落の鬼門の方向に「七曲り」と呼ばれる階段状の屈曲した形状は、中国の漢の時代の「長安故城」を真似て作られたとの説があるそうです。
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集落内に入ると、南北・東西に抜けるメインの二つの通り以外は、狭い路地が入り組み、立派な門構えの重厚な造りの民家が密集して立ち並びます。
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なんともすごい集落です。
奈良という地には、千年の時を超えて残り続けるものが、当たり前のようにあちらこちらにあるのには毎度驚かされます。
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by y-tukide | 2015-03-09 11:12 | かいわい

三州 足助

足助(あすけ)は、尾張・三河と信州を結ぶ伊那街道の道筋にあたり、古くから海と山を結ぶ要所として栄えた宿場町です。今も江戸・明治・大正に建てられた商家が連なる町並みが、地元住民の熱意によって守られ、平成23年に、愛知県初の国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

妻入りと平入りが混在した足助の街並み。
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街道沿いに建つ重要文化財の「旧鈴木家住宅」。
屋根は平屋の切妻の構成にわずかに段差をつけた「錣葺(しころぶき)」で、母屋は江戸時代の建物。現在は市に移管され8年がかりで再生改修工事が計画されています。
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町の中を足助川と巴川が流れ、当時物流運搬は船と馬で行われました。特に重要な交易品の一つは塩で、三河湾でとれた塩が信州の飯田を経て塩尻へと運ばれ「塩の道」とも呼ばれていました。
川岸に高く築いた石積みの上に蔵や離れが建ち並びます。
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足助では、2月上旬から3月上旬に町並みの中で各家々に、さまざまな年代・表情のおひなさんが飾られます。
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そしてこの日は、街道筋の区民館で家々から集められた「三河土人形」が展示され、三河土人形を継承するただ一人の職人さんの「絵付け」作業を見ることができました。
「三河土人形」は江戸時代、良質な粘土が産出する三州瓦の産地で作られた人形で、京都との間を行き来する飛脚が、京都の「伏見人形」を持ち帰って模造したのが始まりだそうです。
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この後昼食をとり、巴川の風光明媚な「香嵐渓」というところにある「三州足助屋敷」に行ってみました。
ここがまた面白いところで、35年前に足助町が開設した施設で(現在は豊田市と合併し、豊田市が大株主の民間会社)、消えゆく昔の日本の暮らしや風景を提供すると共に、さまざまな伝統技術の伝承を行うことが目的としています。
茅葺の母屋をはじめとする各建物は、伝統構法で作られ、その中でわらじ細工・機織り・桶屋・傘屋・紙漉き・紺屋・炭焼き・鍛冶屋・篭屋・木地屋が入り実践しています。
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私は、足助に初めて訪れたのですが、小さな町ですが町がたどってきた歴史を大事にし、その物や技術を現在に生かすために地域ぐるみで頑張っている町です。
3月中旬には、香嵐渓の飯盛山の斜面にカタクリの花が群生して咲き、8月の「足助の夏祭り」では、まちかどで演奏会があり、秋は紅葉で香嵐渓が赤く染まり、
もう一度訪れたいと思う歴史と自然に恵まれた魅力的な町でした。
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by y-tukide | 2015-03-03 09:17 | 街道を行く