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建物完成見学会「愛猫と暮らす小さな家」

7月18日・19日・20日の三連休、今回もお客様のご厚意により、引き渡し前の完成建物見学会を実施させて頂きました。
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台風11号が去った後の暑い三日間でしたが、多く皆さんにお越しいただき、スタッフ一同大変感謝しています。
ただ私は所用のため見学会には参加出来ませんでしたが、後日完成写真を撮らせていただきましたのでここで紹介させて頂きます。

このお宅は、永年住み慣れた土地に建て替えをした、大人4人(夫婦と子供2人)と猫3匹のコンパクトな広さの住まいです。
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玄関アプローチ。
限られた敷地の中で2台の駐車スペース確保し、狭いながらもアプローチにちょっとした植栽スペースを設けました。
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畳2畳分の広さの玄関ですが、可能な限りの収納をとっています。
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家族4人と猫3匹が集うリビング・ダイニング。
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リビング・ダイニングは、西側の2間の広さの開口部からウッドデッキにつながります。
デッキには、ちょっと高めの目隠し兼用の杉板の手すりを設けています。
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リビングの横に隣接して4畳半の「畳の間」があります。
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畳の間の窓には木製格子を設けることにより、道路からの視線を遮ることが出来ます。
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北側に洗面・脱衣・トイレ・浴室と水回りをまとめ、無駄のない家事動線にするとともに、家族全員の衣類を納める収納を確保しました。
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またそこからは、ウッドデッキにもつながり、直接洗濯物を干すことが出来ます。
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キッチン周りも作り付け家具で十分な収納を確保しました。
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玄関ホールから居間に入ると開放的な階段室があり、その横にピアノが置かれます。
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階段室の梁に設けたキャットウォーク、猫たちはこういう所がお好きなようです。
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ロフトがあるご夫婦の寝室に隣接して、お二人の書斎があります。
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二人の子供さんの小さな部屋にも本棚や収納を充分確保しました。
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コンパクトな広さの家ですが、十分な収納もあり、暮らしやすそうな家に仕上がったと思います。
これから家族と共に、この家の新しい歴史が始まります。
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by y-tukide | 2015-07-27 11:01 | 見学会・イベント

塩津街道(海道)を行く

塩津は琵琶湖の北端の湊、海津・大浦の湊の中で最も北に位置する湊です。古来より塩津は湖上交通の要所として、畿内と北陸・蝦夷地を往来する旅人や物資輸送の集積地として栄えた地です。
6月初めの休日、塩津から沓掛→深坂古道→追分→疋田(ひきた)→敦賀へと縦断する古道「塩津街道」を妻と歩くことにしました。

琵琶湖最北端の塩津浜。
往時は、物資を運ぶ多くの「丸子船」が行き来し活躍したことでしょう。隣の大浦にある「北淡海(きたおうみ)・丸子船の館」には、現物の丸子船が保存展示されています。
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塩津の街並み。
切妻で重厚な構えの元造り酒屋であった「沢屋」。2階の二つの出格子が特徴的です。
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最盛期には、何軒の旅籠があったのか、今も明らかに当時は旅籠であったであろう建物が何軒か残っています。
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街道沿いに建つ常夜灯。
「知りぬらむ ゆききならす塩津山 よりふる道は からきものぞと」
平安時代、紫式部も父が越前の国司になって越前に向かうとき、父と共にこの道を通り、歌を残しています。
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塩津の集落を過ぎ、のどかな田園風景が広がる「祝山」という集落にひときわ目立つ茅葺屋根が見えます。
土地の人に聞くと「辻家住宅」という江戸時代の豪農の建物で、国の重要文化財に指定されているそうです。
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JR塩津駅を越え、国道8号線を歩き途中右に旧道を入ると、「沓掛」集落が川沿いに伸びています。
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沓掛集落を過ぎ、また国道8号線を歩き沓掛スノーステーションの手前から、左に折れ深坂古道に入ります。入口には「深坂地蔵」1.7kmの標識がありました。
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途中、湿地や小川には板橋が架けられ、歩けるように整備されていますが、多くのハイカーが歩いた形跡があまりない山道です。途中ただ一人出会った方は、クマよけの鈴を携帯し蝶取りの網を持った男性のみでした。
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道が消えかかったように思えた所に巨大な自然石を積み上げた屋敷跡が現れました。これは「問屋」跡です。森の中で突然古代の遺跡が現れたような光景です。
当時は、敦賀から運ばれた荷物がここで別の業者の馬に積み替えられ、塩津の湊まで運ばれたそうで、さぞかし人や馬で賑わったでしょうが、今は想像もつかないほど森の木々に埋もれ静まりかえっています。
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問屋跡を後に、杉木立の山道を進むと「深坂地蔵堂」に着きます。
平安末期、平清盛は息子の重盛に琵琶湖と敦賀間の運河開削を命じました。その際に大岩を割ろうとしたところ激しい腹痛に襲われ工事は中断、大岩を掘り起こすとお地蔵様であったと言われています。このお地蔵様が現在の深坂地蔵と伝えられ、別名「堀留め地蔵」と呼ばれています。また旅人が道中の安全を祈願して塩をお供えしたことから「塩かけ地蔵」の別名もあります。
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御堂の周辺には、赤い前掛けを付けた自然石がいくつも祀られていました。
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そこから草道を登ると標高370mの「深坂峠」に着きます。
ここが近江国(滋賀県)と越前国(福井県)の国境です。峠の周辺は緑が濃い広葉樹の鬱蒼とした森で、木漏れ日がこぼれすがすがしい気分にしてくれます。木々は雪が多いせいか変化にとんだ樹形で「森の精」が潜んでいるようです。ここでしばし休憩し、すがすがしい空気にひたりました。
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ここからは下り、気持ちのいい道が続きます。
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山道を下りきると「深津」集落に出、「追分」集落へと続きます。
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さらに進むとここは「疋田(ひきだ)」集落。ここには「敦賀運河(引田船川)」跡があります。
平安時代の平清盛以降、琵琶湖と敦賀を結ぶ壮大な運河計画が時代ごとに度々あったようで、開通には至りませんでしたが、引田まで部分開通した遺構が残りそれが保存整備されています。
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ここ引田から敦賀の市街地まではまだ7km程あります。
旧道を探しながら行くのですが、途中、道を見失い交通量の多い国道8号線を疲れた足を引きずり歩き、ようやく敦賀の市街地に入りました。
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そして敦賀での目的地、私の気に入りの店「弥助」に到着。
琵琶湖北端の塩津から日本海の敦賀縦断約24km、寿司を食べに「塩津街道を行く」ちょっと「粋な旅」でした。
店について早速飲んだ生ビールのうまかったこと!

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by y-tukide | 2015-07-21 08:51 | 街道を行く

観音正寺かいわい

京都駅から新幹線で東に向かうとき、近江八幡を過ぎたあたりの左手に小高い山が車窓から見えます。
山の名は繖山(きぬがさやま)別名観音寺山、標高433mの山です。山頂付近には、西国三十二番札所である「観音正寺(かんのんしょうじ)」があります。
この山を見ると、懐かしさにかられ一度観音正寺に行ってみたいといつも思います。
というのは私が高校時代、私の友人の家が観音正寺の住職と親戚筋にあたり、当時勉強の合宿と称し、一週間ほど友人と二人でお世話になった思い出でがあるからです。
また観音正寺の本堂が、平成5年に失火で焼失したことを知ってから余計に気になっていたこともあります。
それで今年の4月の終わりごろの休日、思い立ち四十数年ぶりに観音正寺に行ってきました。
当時は歩いてしか登れなかったのですが、今は車で寺の近くまで行けるそうなのですが、この日は山の麓の「安土町石寺」に車を置き、表参道を登ることにしました。

表参道の入り口の石寺の集落。
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表参道に建つ道標。
この近くには近江中山道が走り、和歌などで詠まれた「老蘇の森(おいそのもり)」があります。
この道標は、中山道から観音正寺へと続く表参道と山麓を巡る道の十字路に建てられています。
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観音正寺のある観音寺山には、室町時代以来近江国の南半分を支配した佐々木六角氏の拠点となった山城の観音寺城跡があります。当時石寺あたりは城下町で日本最初の「楽市楽座」があったそうです。
石寺集落の街並み。
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集落内にある廃船の板を再利用した「船板」を腰に張った蔵。
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参道沿いに建つ「日吉神社」。
観音正寺の守護神として近江阪本の「日吉神宮」より勧進されたもので、平安末期の作と考えられる地蔵菩薩が祀られています。
このあたりから登りがきつくなります。
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1300段の自然石の石段。
白洲正子も観音正寺を訪れた時には音を上げたそうです。
寺にお世話になっていた時、友人と私に与えられた寺の仕事は、八日市か能登川だったか町に買い出しに行くことで、今は考えられませんが石段を競争して上り下りしたことが思い出されます。
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50分ほどかけてきつい石段を登りようやく観音正寺に着きました。
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境内からの眺め。
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観音正寺は、聖徳太子よって伽藍が建立されたものですが、太子がこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いによって建立されたと伝えられています。
私がここでお世話になった時、確かに本堂の奥に顔が人間で胴体が魚の、確か30~40㎝程のミイラを御住職に見せてもらいました。そのミイラも火災で焼失しました。
平成5年に焼失し、平成16年に再建された本堂。
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あの時に寝起きさせていただいた庫裏は火災を逃れ当時のままでした。
初めてここに訪れた日の夜に、当時若かった御住職が私たちに、佐々木六角氏が織田信長に攻められ観音寺城が落城し、寺近辺でも多くの武者が惨殺され、自害し成仏できない霊が夜な夜なさまよっているとの怖い話を散々聞かされ、あたりが真っ暗な山寺で一人でトイレにいけず寝付けず、えらい目にあったことが懐かしく思い出されました。
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当時の御住職は、今は八十数歳になられ里に下り隠居され、息子さんが継がれているとのことでした。
現在、寺では聖徳太子が崩御されて1400年を迎えるに当たり記念事業として、本堂横の石積みの下あたりに「六角堂」の建立と平成5年の本堂焼失前の境内復元整備を計画されています。
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そのことを知り当時お世話になったお礼の気持ちも含め寄進させて頂こうと、御住職を訪ねたのですが、あいにく不在で直接お渡しすることはできませんでした。
後日にご丁寧に当時の山寺の暮らしの様子なども記されたお礼の手紙をいただきました。
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帰り道、私も若き日の思いでを懐かしむ歳になったのだなとつくづく思いながら山を下りました。
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by y-tukide | 2015-07-13 10:05 | かいわい

中山道木曽路 宮ノ越宿から本山宿を行く

今回は、前回行った「木曽義仲の里」である「宮ノ越宿」から中山道木曽路を歩きます。
これまでの「中山道を行く」は、5月の連休に妻と初めて一緒に行った「大湫宿(おおくて)」から「妻籠宿」までの二泊三日の旅以外は、家を早朝に出発しての日帰りでの一人旅でした。ところがここまで来ると日帰りでは、往復の時間と交通費がかかり過ぎてもう限界です。
それでこの日は何とか休みをとり、一泊二日で「宮ノ越宿」→「藪原宿」→「奈良井宿」→「贄川宿」→「本山宿」と中山道木曽路を行き切ることにしました。
中山道木曽路の最後とあって今回は妻も参加しました。ところが初日は、妻と行った初めての中山道歩きと同様にあいにくの雨。どうも妻は雨女のようです。
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次の「藪原宿」までは、昔の中山道は消え国道19号線を結構歩かなければなりません。
そしてトンネルを歩く時の怖いこと。
歩道はあるものの大型トラックが通る時の轟音はスゴイです。
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トンネルを抜けると「木祖村」に入ります。木祖村は「木曽川 源流の里」。
さすがにこのあたりまで来ると木曽川も川幅が狭くなり自然できれいです。
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雨の中、最初の宿「藪原宿」に着きました。
藪原宿は、江戸時代「お六櫛(おろくぐし)」の生産で栄えました。お六櫛はもともと妻籠宿の「お六」という娘さんが考案したとかで、妻籠宿の名産品でした。
それを藪原宿の藤原某が虚無僧姿で妻籠宿に産業スパイとして潜入し、苦心の末のその技術を盗みだし、藪原に持ち帰ったそうです。
現在でも藪原には、お六櫛を製造販売する店が数軒あります。ちなみに妻もお六櫛を愛用しています。
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藪原宿でちょっと早めに弁当を食べ、力をつけ、標高1197mの鳥居峠へと向かいます。
深い山道を分け入る古道は、中山道屈指の難所、ましてこの日は雨、初夏の深まりゆく緑を楽しむ余裕もなく、クマよけの鈴を鳴らしながらひたすら山道を上りました。
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一時間近く歩いてようやく鳥居峠の頂上に着きました。ここが太平洋に流れる木曽川と日本海に流れる信濃川上流の奈良井川の分水嶺です。
峠頂上には小さな平地があり、当時は3軒の茶屋があったそうです。
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ここからは下り、トチの大木が生い茂る山道を抜けると視界が開け、昔の茶屋跡に水場もあるログの休憩所があり、やっとここで休憩することが出来ました。
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休憩所からの眺め。
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休憩後はようやく雨も上がり、気持ちよく山道を下り、鳥居峠の江戸からの登り口にある「奈良井宿」に着くことが出来ました。

奈良井宿は、天保年間には旅籠・茶屋など合わせて39軒にも及び、その数は木曽十一宿中最大で、「奈良井千軒」とよばれるほど賑わいを見せたそうです。この日は日曜日とあって観光客も多く訪れていました。

建物の大部分は長い軒先をつき出した中二階の出梁造り(だしばりづくり)で、くぐり戸、蔀戸(しとみど)、うだつ、千本格子のある家並みは実にきれいで変化のある町並みを形成しています。
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奈良井宿を散策し、軽く蕎麦をいただき、この日は奈良井で宿をとりました。

翌日は早めに出、隣の「木曽平沢」に向かいます。
早朝の奈良井宿は、観光客もいず、じっくり町並みを楽しむことが出来ました。
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「木曽平沢」は漆器の町、道の両側に木曽漆器の店や工房が並びます。
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朝早かったこともあり、ほとんどの店は開いていませんでしたが、ただ一軒開いていた店に入り、何重にも漆を塗り重ねた「堆朱塗り(ついしゅぬり)」の箸を購入しました。
ここで人のよさそうな年配のご主人から、木曽漆器についての話を聞かせていただきました。
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平沢の街道沿いの建物は、道路と並行に建つ建物もありますが、角度を何度か振った、のこぎりの歯のように並ぶ建物が多くみられます。これは奈良井宿でも見られました、和歌山の漆器の町「黒江」でも見かけました。一説には荷物を運ぶ第八車などの駐車スペースであったとか?
角度を付け振ることにより軒先が一直線に並ぶ単純な街並みにはない、変化にとんだ町並みを形成しています。
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平沢に結構な時間いたので予定が狂い、急ぎ次の「贄川宿(にえかわしゅく)」へと向かいました。

贄川宿は、幾度かの火災のためにかつての中山道を偲ばせる建物はほとんど残っていません。ただ一軒国の重要文化財に指定されている「澤井家住宅」が街道沿いにありました。
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宿場の北の端に石置き屋根の「贄川番所」が復元されています。
江戸時代は「木曽路北門の関」として、婦女の通行と桧の搬出を特に厳しく取り締まったそうです。
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贄川番所で休憩した後、「本山宿(もとやましゅく)」へと向かいます。
途中「桜沢」というところで国道19号線沿いに、明治天皇が行幸された際に休憩されたという、蔵もある立派な門構えの大きな民家がありました。
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そしてその先に「是より南 木曽路」に石碑がありました。
ここからが江戸側からの中山道木曽路の入口です。
ようやく「中山道木曽路」を歩き切りました。妻もよく歩きました。
これより先は「中山道信濃路」です。
続いて「中山道信濃路」を行くかどうか思案どころです!
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by y-tukide | 2015-07-06 09:57 | 街道を行く