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<   2015年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

「山の辺の道」を行く

シルバーウイークに妻と一泊二日でどこかに行こうと思ったのですが、計画したのがそもそも遅く、宿泊施設はどこも満室。それで目先を変え近場の古道を日帰りで歩くことにしました。
妻は今年の5月の連休に初めて中山道木曽路を私と歩いてから、街道歩きの面白さにはまっています。
一日目は奈良の「山の辺の道(やまのべのみち)」、翌日はこれも奈良の「葛城の道」歩きました。
山の辺の道は、奈良盆地の東南にある桜井の三輪山から奈良の春日山の麓まで北へ連なる山裾を縫うように伸びる万葉のロマンが息づく古(いにしえ)の道です。
この日は桜井から天理の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」までのコースを歩きました。私は何十年か前に訪れていますが妻は初めてです。
朝一番、電車を乗り継ぎ近鉄桜井駅に到着。南出口から本町通りを東へと進みます。この通りは榛原を経て伊勢へと通じる「旧伊勢街道」で街道沿いには「大和格子」の町家など旧街道の面影が今も感じられる道です。
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街道を途中から左に折れ北上すると大和川にあたります。このあたり一帯は「海柘榴市(つばいち)」という日本最古の市があったところで交通の要所でした。
中国の隋の国に派遣され、隋の使者と共に帰国した遣隋使の小野妹子(おののいもこ)も浪花(大阪)から船で大和川をのぼりここで上陸したそうです。また朝鮮の百済から釈迦仏や経典を天皇に献上し仏教を伝えた地として「仏教伝来之地碑」が建てられています。
そしてここが「山辺の道」の南の起点です。
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この後「金谷の石仏」「平等寺」を経て「大神神社(おおみわじんじゃ)」(三輪明神)へ。
背後の三輪山を御神体とする日本の最古の神社の一つといわれています。
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このあたりは「三輪そうめん」で有名で、そうめんを売る店が多くあります。
そうめんは仏教伝来と共に小麦栽培・製粉技術が伝えられたとされています。
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大神神社からすぐの展望台からは、万葉集で歌われた「大和三山(耳成山・畝傍山・香久山)」をはじめ金剛山・葛城山・二上山・信貴山・生駒山の山々と奈良盆地が一望できます。
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柿もたわわに実り、早くも稲刈りされた田んぼもあり山の辺道は秋一色です。
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平安時代、玄賓僧都(げんぴんそうず)が隠棲したと伝えられる庵「玄賓庵」。
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まだ青い実の蜜柑畑の里の風景。
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さわやかな秋空のもと、稲穂が黄色く色づきかけた田のあぜ道に咲く彼岸花の赤が際立ちます。
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妻が朝早くに作ってくれたおにぎり弁当をおいしく頂いた後「長岳寺」へと向かいました。
長岳寺は弘法大師が開いた古刹で、全盛期には四十八の坊があり衆徒300名をかぞえた大寺院であったそうです。栄枯盛衰を重ね今はひっそりとしたたたずまいの寺で境内には多くの石仏があります。ただ境内が整備されたせいか昔訪れた時とはちょっと違う感がしました。
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長岳寺を後に田園風景を楽しみながら歩きます。そして「竹之内の環濠集落」へ。
環濠集落は、大和の戦国乱世の時代に形成された自衛の集落で、集落の周囲に濠が掘られています。奈良盆地にはこのような環濠集落が多くあります。
竹之内集落には当時の濠の一部が残っています。
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重い足を引きずりながらようやく終点地の「石上神宮」に着きました。
石上神宮は、大和政権の武器庫としての役割を果たしてきた神社です。ここには百済から送られてきた両刃の剣の左右に三つの剣が突き出た国宝の「七支刀(しちしとう)」があります。
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時刻は夕方5時、朝からよく歩きました。
妻は久しぶりの歩きでかなりバテタようです。
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by y-tukide | 2015-09-28 09:00 | 街道を行く

北国海道 阪本から堅田を行く

この日は、JR湖西線の比叡山阪本駅から北国海道に戻り北上する予定だったのですが、駅に着いたらさっそく予定を変更し寄り道して阪本かいわいを散策することにしました。
阪本は比叡山の麓の町、最盛期には三千坊といわれる権勢をふるった比叡山延暦寺の台所を預かる商業地として栄えた町です。
また阪本は、比叡山で修業を積んだ僧侶が天台座主の許しを得て下山し隠居所として住む「里坊」の町でもあります。五十余りある里坊は「穴太(あのう)衆積み」と呼ばれる、自然石を巧みに積み上げた石垣や土塀で構成された美しい街並みで、国の重要伝統的建築物群保全地域に指定されています。
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その「穴太衆」は、朝鮮半島から渡来した高い技術を持った土木技術者集団で、比叡山の土木営繕的な御用や信長の安土城をはじめ各地の城郭や寺院の石垣を手がけた石工(いしく)衆として名を知られています。
そして阪本の数キロ南に行ったところには、その渡来人が移り住んだ穴太の集落があります。
そこには2年前にその穴太集落のちかくで新築工事をさせていただいた時に訪れています。
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石積みの街並みを西へとゆるい坂道を上って行くと正面に「日吉大社」があります。
私は、阪本には何度か訪れていますが日吉大社にはまだ一度も参拝したことがありません。
日吉大社は、全国3800余りある日吉神社の総本宮です。
広大な境内には木々が鬱蒼と茂り、その中に祀られた「西本宮」「東本宮」の本殿は国宝に指定されています。
早朝の西本宮楼門と本殿。
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阪本かいわいを散策していると見どころがつきないので切り上げ、急ぎ北国海道に戻り北へと進むことにしました。
国道161号線と旧道が交差するあたりに建つ常夜灯。
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このあたりは「苗鹿(のうか)」という集落です。この地名の語源は何なのか気になります。
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さらに進むと「雄琴(おごと)」の集落に入ります。
この日は「おごと温泉・琵琶湖パノラマウォーク」というイベントがあり、ウォーキングを楽しむ人達と出合いました。彼らは私と違って寄り道なしでもくもくと歩いています
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雄琴を過ぎ交通量が多い国道161号線を歩くのですが、ちゃんとした歩道が無いので結構危険です。
「衣川」という集落に入ったのですが、ここは昔宿場だったそうなのですが、まったくその面影は残っていません。
衣川を過ぎると「堅田」の町に入り、ここで昼食。

堅田は、琵琶湖で対岸との距離が最も狭いところの西岸に位置する「湖族(こぞく)の郷」です。
堅田は交通・商業の要所として、中世には湖上の通行や漁業などの権益を背景に「湖族」と呼ばれる「堅田衆」が中心となり、泉州堺と並ぶ自治都市として発展しました。
戦国時代には信長を筆頭に、天下を狙う武将たちが軍事・物流の最重要拠点とし、加えて強大な経済力と堅田湖族の団結力を頼りにしました。
その堅田の歴史とロマンを紹介する「湖族の郷資料館」。
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繁栄する堅田には、早くから神仏思想が流入し多くの寺社が建立され南北約2キロの狭い湖畔地域に六社十ヶ寺が現存しています。
その一つ近江八景「堅田落雁(かたたのらくがん)」で知られる満月寺浮見堂。
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対岸の三上山が湖上に映えます。
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自由都市千年の歴史とロマンがひそやかにいきづく堅田の町並み。
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堅田漁港。
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漁港の近くに「出島の灯台」があるのですが、そこで地元のアマチュアカメラマンの方と知り合いカメラ談義に花が咲き、みている間に一時間がたち時刻は16時半。
「北国海道を行く」遅々として前にすすみません、それでも今日も寄り道しながら25キロ程歩きました。
この日はこれまで、JR堅田駅から帰路につきました。

近江八景「堅田落雁」。
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by y-tukide | 2015-09-21 09:00 | 街道を行く

「北国海道を行く」 三井寺かいわい

「近江国」滋賀県は、古来より畿内と北国や東国を結ぶ交通の要衝として、幾多の街道が走るまさに「街道の国」です。
それぞれの時代によって呼び名が変わりますが、東海道・中山道・北国街道・若狭街道・塩津街道・北国脇往還・朝鮮人街道・八風街道・杣街道・御代参街道そして北国海道です。
「北国海道」は、比良山系の山々と琵琶湖に挟まれた湖の西岸を大津の「札の辻」から「越前敦賀」へと通じる「湖西湖辺(うみのべ)の道」です。
私は、十五年程前からこの街道を車で何度か訪れていますが、今回は歩いて「北国海道」を行くことにしました。
初日は、大津の「札の辻」からの「街道を行く」です。

札の辻は東海道と北国海道の分岐点で、京都から来て右が東海道、左が北国海道へと続きます。
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札の辻から続くこの通りは街道から名をとり、「北国通り」と呼ばれています。
この店は琵琶湖名産の「鮒ずし」などの琵琶湖の幸を売る老舗です。
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街道沿いには以前は、ベンガラ格子の町家がけっこう残り風情があったのですが、現在道の拡幅工事が行われていて今風の建物に建替えられ様変わりしていました。
ただ街道から路地に入るとこんな風景も残っています。
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街道から左にそれると正面に「長等(ながら)神社」があります。
長等神社は、天智天皇が飛鳥の地から都を移された「大津宮」鎮護のために祀られたのがはじまりです。
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長等神社の参道沿いには「大津絵」の店が2軒あります。
大津絵は江戸時代、東海道の大津宿の名物として旅人に人気のあった絵で、神仏や人物・動物がユーモラスに描かれた風刺画です。
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街道に戻り進むと「北国橋」を渡ります。この下を流れるのは「琵琶湖疏水」です。
琵琶湖疏水は、明治二十三年に船運・発電・上水道・灌漑を目的に琵琶湖から京都に掘られた疏水で、明治の近代土木技術を今に伝える貴重な文化財として国の史跡に指定されています。
これは舟が通る際、水位を調整するための「閘門(こうもん)」。
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北国橋を渡り進むと三井寺(園城寺)の仁王門に通じる大門通りに出ます。
大門通りを仁王門に向かって行くと右手にツキデ工務店が、滋賀県で仕事をする際にお世話になっている水道業者さんの事務所をたまたま見つけました。声をかけると社長は不在でしたが、事務員さんが地元の名物菓子を道中で食べてと差し入れてくれました。

三井寺の仁王門。
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三井寺には思い出があります。私が尊敬しお世話になった亡き奥村先生と奥さんのまことさんと6年前に訪れた時のことです。
きっかけは奥村先生の恩師である建築家吉村順三先生が1954年にニューヨーク近代美術館に展示した日本建築「松風荘」のモデルが、三井寺の光浄院と勧学院であるとのことで、一度現物を見てみたいとの事からです。
あの時感激したのは観学院の障壁画、照明を消し自然光で見ると絵が浮き上がって見えた驚きと、当時奥村先生81歳まことさん79歳、このお歳で向学心がなお旺盛なのには感服したものです。
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当時のことを思い出しながら三井寺を散策しました。
西国三十三所観音霊場の第十四番札所観音堂からは大津の町が一望できます。
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この後大津市歴史博物館など三井寺かいわいをぶらぶらしているともう昼。
「北国海道を行く」なかなか先には進みません。ただただ歩くことが目的ではないのでこれでいいのですが、この調子だと北国海道を歩き切るには何日かかることやら?

とりあえず近くで昼食をとり街道に戻り先を行きました。
「尾花川」集落の街道沿いには、軒と道が並行で軒先側が玄関である「平入り」で、ベンガラ塗りの町家が所々に残っています。江戸時代は民家の裏が琵琶湖でこのあたりは漁師町だったそうです。
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街道は交通量の多い国道161号線を走り、昔海水浴場があった「柳ヶ崎」を越え唐崎へ。
唐崎は万葉集にも詠われた景勝地と知られ、近江国の優れた風景「近江八景」の「唐崎の夜雨(やう)」でも知られています。
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―広重の唐崎の松―

その唐崎の松、15年前に訪れた時に撮った写真を見ると松の周りは、竹垣で囲われていましたが、現在は朱塗りの鉄製の柵で囲われ、ちょっと興ざめしました。
15年前の唐崎の松。
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街道は国道161号線から別れ、「下阪本」の集落に入ります。
ここもベンガラ格子の「平入」の民家が結構残っていて、落ち着いた街並み形成しています。
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下阪本に建つ「阪本城跡」の石碑。
織田信長は、比叡山延暦寺の焼き討ちの後、明智光秀に滋賀郡支配を命じると共に、このあたりの浜に水城を築かせ、彦根の佐和山城と共に信長の本拠地である美濃と京都とのルートの確保と水運の重要な拠点としました。
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15年前に街道沿いに建っていた鎧張りと漆喰で仕上げた和洋折衷の元郵便教の建物は、もうありませんでした。
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下阪本の集落を抜けるとまた国道161号線と交わりますがその国道沿いに天台宗の「聖衆来迎寺(しょうじゅうらいこうじ)」があります。
自然石で積み上げた「穴太衆(あのうしゅう)積」の石垣と漆喰塗りの土塀が両側に建つアプローチがとてもきれいです。
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時刻は夕方の4時を過ぎ、この日はこれまで。
JR比叡山阪本駅まで行き、一駅手前の唐崎にある知り合いの店に立ち寄ることにしました。
店で飲んだ生ビールのうまかったこと!
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―大津絵―
by y-tukide | 2015-09-14 09:45 | 街道を行く

2015年 孫達と夏休みの遠足

私には3人の孫がいます。小学校5年と3年の男の子と4歳になる女の子です。
孫達の夏休み、例年妻と一泊二日ほどで海や琵琶湖に海水浴に連れて行っていたのですが、上の二人の男の子が大きくなり、運動量が半端でなくなってきたので、守りをするのが大変になってきました。
そんなこともあり、今年から体力を必要とする運動系は親達にまかせ、我々は親達があまり連れて行かない文化系の社会勉強になるようなところへ遠足をすることにしました。
そして今年の夏休み、岐阜県にある「明治村」・「犬山城」・「リトルワールド」への一泊二日の遠足に行ってきました。
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明治村は、明治の貴重な建物が移築された明治の建物博物館です。
重要文化財の「三重県庁舎」。
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群馬県の「前橋監獄雑居房」で記念撮影。
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フランク・ロイド・ライトの名建築「帝国ホテル中央玄関」。
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静岡県沼津にあった「小泉八雲避暑の家」では、懐かしい駄菓子屋さんが店を開いていました。
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これも重要文化財の大阪府池田市にあった芝居小屋の「呉羽座(くれはざ)」。
実はこの建物があった池田市の西本町には妻の実家があり、妻が小学生のころは現役で活躍していたそうで、妻にとっては大変懐かしい建物です。
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暑い一日でしたが初日は明治村を堪能し、その日は犬山城のそばにあるホテルに泊まりました。
翌日の早朝、木曽川の河畔にそびえる犬山城の背後から登る朝日を拝むことが出来ました。
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国内にある城で国宝に指定されている天守閣は五つあります。
兵庫の姫路城、滋賀の彦根城、長野の松山城、島根の松江城、そして岐阜の犬山城です。その中で犬山城天守は一番小さいですが、最も古いと言われています。
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犬山城を後に、次は世界の野外民族博物館であるリトルワールドへ。
イタリアの世界遺産の町アルベロベッロのとんがり帽子の白い壁の家。
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ミクロネシア・ポリネシアエリアでは、南国の風景と味覚が味わえます。
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アフリカのエリアでは、ワニのから揚げを食べたのですが、鶏肉のようなあっさりした味でした。
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猛暑の二日間でしたが、楽しい遠足となりました。

2015年の夏も終わりです。
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by y-tukide | 2015-09-07 09:15 | 夏休み

住まい手さんお宅見学会 「大きな蜜柑の樹のある家」・「伊勢田の家 平屋のリノベーション」

8月29日(土)・30日(日)の両日、お客様のご厚意により2軒の「住まい手さんお宅」見学会を開催させていただきました。両日とも大変多くの皆様方にご参加いただき、スタッフ一同感謝しています。
その時の様子と完成写真の一部を紹介させていただきます。

初日は、お住まいになって8ヶ月になる「大きな蜜柑の樹のある家」です。
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この建物は、築100年を超える「母屋」がある敷地に建つ蔵を解体し、その跡地に建て替えた若夫婦と3人のお子様が住む「離れ」で、以前にも完成写真を弊社のHPで掲載させていただきました。
この離れが完成した後、引き続き母屋の一部を伝統構法で改修させていただいたのですが、見学会当日、その母屋の改修した居間も見学させていただきました。

母屋の居間は、煤で焼けた赤松の丸太を「あらわし」にすることにより、力強く豪快で100年の歴史が感じさせる空間となりました。
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離れの玄関前の庭も、以前からある土塀と植栽がうまく融和しいい感じに仕上がりました。
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2日目は、築43年になるセキスイハウスの軽量鉄骨の平屋をリノベーションした建物で、ご夫婦と小さな二人のお子様がお住まいになるお宅です。
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この建物は単純な矩形の形状で、外壁にのみに柱と耐力壁があるだけで、内部には柱・耐力壁が無く、3.5間の間口を軽量鉄骨のトラスで飛ばす構造でした。
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床面積が21坪とさほど広くないのですが、間仕切るのに構造的な制約のない21坪のワンフロアーを可動可能な作り付けの家具で仕切ることにより、年齢や家族構成の変化に柔軟に間仕切りを変更することが可能です。
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家具のみで仕切られた21坪のワンフロアー、今年の暑い夏も一台のエアコンで過ごせたそうです。
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屋根と外壁は以前に手を加えられていたので既存のままとし、主要な窓は断熱性能の高い窓に交換し、玄関ドアは木製ドアに交換するなど、内部を中心としたリノベーションでリーズナブルな価格で納めることが出来ました。
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雨上がり、庭先の濡れ縁でボクちゃんが夏休み最後の日を楽しんでいました。
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by y-tukide | 2015-09-01 09:21 | 見学会・イベント