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建物探訪「デ・レーケを学び、明治村・如庵を見る」

ツキデ工務店の社員有志による建物探訪、今年2回目は、まずは濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐川の「木曽三川」の輪中(わじゅう)の中にある「木曽川文庫」に行き、デ・レーケのこと、明治の治水技術のことを学ぶ。
次に明治の建物の博物館である「明治村」と犬山にある織田信長の実弟である茶人織田有楽斎が建てた国宝の茶室如庵(じょあん)を見る企画です。今回は私を含め8名が参加しました。
実はこの企画内容は、昨年の5月に奥村まことさん達と行ったコースでもあります。そのまことさんが今年の2月に逝去され、それが私との最後の旅となりました。

まずは、木曽川文庫のある船頭平(せんどうひら)河川公園にある重要文化財に指定されている「船頭平閘門(こうもん)」の見学。
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閘門とは、水面の高さが違う川・海を進むときに水門で水を調整し、水面の高さを一定にたもつ水門です。船頭平閘門は木曽川と長良川をつなぐ水門で今も現役で働いています。
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その後、デ・レーケの像の前で木曽川下流河川事務所の方に説明を受けました。
デ・レーケは、オランダの土木技術者で、明治政府に招かれ明治6年に来日し30年間滞在し、数多くの治山治水・港湾事業の現場指導をし、日本の土木技術と土木事業に多大な貢献をした方です。
とりわけ明治20年から24年間かけて行われた木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の下流改修事業は、慢性的な水害の減少、流域での農耕地の増加、全国の河川改修の促進の契機となり、「木曽三川治水の恩人」と慕われています。
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木曽川文庫内の貴重な資料を前に、現在にも通じる明治の治水技術の興味深い説明を受けました。
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一時間半ほど見学し説明を受けた後、次に向かったのは明治の貴重な建築が保存されている「明治村」です。
ここでの皆のお目当ては、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル中央玄関です。
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この建物の取り壊しが告げられた当時、奥村まことさん達は建物を守る運動に参加し、建物の実測をされたそうです。
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この建物は、大阪の池田にあった芝居小屋の「呉羽座(くれはざ)」、重要文化財に指定されています。この建物は私の妻の実家の近くにあったもので、妻もよく覚えています。
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若い社員達は知らない、漫才師の横山エンタツ・花菱アチャコなど、なつかしい芸人さんの写真が飾られていました。
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2時間ほどの明治村見学、私以外は初めて訪れたスタッフ達にとっては、ちょっと時間不足でした。
そして次に、明治村から20~30分程のところにある如庵がある有楽苑(うらくえん)へと向かいました。
有楽苑内には、国宝の如庵をはじめ三つの茶室と如庵に隣接して有楽斎の隠居所として建てられた重要文化財の旧正伝院書院などがあります。
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有楽苑の隣には、日本の五つの国宝の城の一つである「犬山城」とその城下町があり、そしてそばを流れる木曽川の対岸には美濃中山道の「鵜沼宿」など、皆を案内したいところがあるのですが残念ながら時間的にとても無理。
それでも今回も盛りだくさんの内容でした。さて次回はどんな企画になるのやら!
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by y-tukide | 2016-05-30 11:31 | 建物探訪

因幡街道(智頭往還)を行く 志戸坂峠を越え智頭宿へ

因幡街道を行く二日間の街道歩き、初日は「平福宿」から「大原宿」を歩きました。そしてその日は、大原宿の先の「あわくら温泉」にある国民宿舎あわくら荘に泊まり、温泉で疲れた足を癒しました。
そして翌日は「志戸坂(しとさか)峠」を越え「智頭(ちず)宿」へと向かいました。
峠越えの麓にある坂根集落では、田植えに向けての農作業が行われていました。そこで作業をされている年配の方に道を聞くと、丁寧に教えていたのですが、最後に一言「熊に気を付けてよ !」
準備万端、熊よけの鈴を忘れず持ってきています。
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志坂峠は、大原宿と智頭宿の間のちょうど国境(現在の岡山県と鳥取県の境)であり、江戸時代には、参勤交代の要道であり非常によく利用された道です。
「三十三曲り」と呼ばれた難所もあり、冬は雪が深く、牛馬も通わなかったようです。
今の峠道は比較的よく整備されていて、これまでに歩いた峠道に比べ幅も広く、昔の石垣もよく残っていて「日本の道百選」にも指定されています。
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途中、峠道の真ん中で真っ黒な蛇が日向ぼっこ。
今年初めて見る蛇です。
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標高584mの志戸坂峠、熊にも遭遇することなく超えることができました。
峠を越えると「駒帰(こまがえり)」集落に入ります。名前から察することが出来るように志戸坂峠は当時、険しくて馬も引き返す難所だそうです。
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駒帰集落から清流が流れる千代川沿いの道を下って行くと、左手に落差50mの「副ヶ瀧」が現れます。
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さらに川沿いを行くと「魚の棚」という景勝地があります。
約280年前の江戸時代に書かれた文献に「絶景アリ」と紹介された風景は、今も変わりません。
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新緑の中、清流を眺めながら街道歩きは、疲れを感じさせません。
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道をさらに行くとのどかな風景が広がる集落に入ります。
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街道は、集落を抜け進むと旧国道R373号と合流します。
旧国道は、無料の鳥取自動車道が山間部を並行して走っているので、通過交通が無く地元の車だけなのでまったく走る車を見かけません。
そして373号線沿いに木造の小学校が現れ「山郷(やまさと)小学校にようこそ」と英語で書かれた文字が目を引きます。
この校舎は閉校後も地域の憩いの場として活用されているようです。
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街道は、大内という集落に入ります。その集落の山側を走る智頭急行の「恋山形駅」というなんとも周囲の風景と似つかない色の駅がありました。
なんでも日本には四つの「恋の駅」があるそうです。
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街道沿いに建つ六地蔵。
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ようやく「智頭宿」に入ります。
智頭と言えば「智頭杉」が有名です。私は10年前にも車でここを訪れています。
智頭宿の街並み。
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智頭宿の中で威容を誇る「石谷家住宅」。
敷地面積3000坪、広大な日本庭園を中心に四十の部屋と七棟の蔵をもつ大規模木造建築です。国の重要文化財に指定されています。
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母屋の入口をくぐると、高さ14mの吹き抜けがあり、松の巨木の梁組が豪壮な雰囲気を醸し出しています。
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智頭宿は因幡街道(智頭往還)と岡山に向かう備前街道が交わり、人・物が流通する拠点です。
その備前街道沿いには、以前歩いた木曽中山道で見かけた、旅人の乾いたのどをいやしてくれる「水舟」がここにもありました。
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by y-tukide | 2016-05-23 09:00 | 街道を行く

完成建物見学会 物見台のある「茨木の家」

5月14日(土)・15日(日)の両日、今回もお施主様のご厚意により、完成建物見学会を大阪府の茨木市で開催させていただきました。
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ご家族4人が暮らす延床面積が24坪の小さな家で、東京の「徳田英和設計事務所」の設計・監理のもとツキデ工務店が施工させていただき、この度めでたく完成したものです。
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この建物は、旧集落の中にあり、周辺には重厚な構えの建物や蔵が残っています。
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この建物は、半地下・一階・中2階・2階と半階ずつ高さを違えたスキップフロアが特徴です。
1階の西側には、玄関とご主人のご趣味の一つである自転車とバイク置き場があります。
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その自転車置き場には、玄関の中からも行き来できます。
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1階にある水回り。
浴室の壁の一部と天井は、水に強い赤身の桧板張り、洗面トイレは赤身の杉板張りです。
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半地下の寝室へ降りる階段と中2階のLDKと2階に上がる階段。
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半地下の寝室。
小さな木製の窓からは、前の庭の木々が茂り、緑を楽しむことが出来ることでしょう。
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中二階のLDKは、半階分上がっていることで外の道路からの視線を遮り、中からは見晴らしがいいです。またリビングから片引き込みの木製建具を介して広々としたデッキに繋がっています。
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中2階のLDKと将来子供部屋となる2階は、空間的につながっていてLDKが広く感じられます。
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そしてこの建物のもう一つの特徴は、屋根の上に設けられた物見台です。
天気の良い日には、アベノハルカスが見えます。
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その物見台でご主人がパフォーマンス。
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天候に恵また夏日の二日間でした。
参加くださった皆さん、お施主様、まことにありがとうございました。
改めてお礼申し上げます。
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by y-tukide | 2016-05-16 11:26 | 見学会・イベント

因幡街道を行く 平福宿から大原宿へ

因幡(いなば)街道は、播磨国(はりまのくに)姫路(兵庫県姫路)と因幡国(いなばのくに)鳥取(鳥取県鳥取市)を結ぶ街道で、江戸時代には鳥取藩などが参勤交代で通った道です。
古くは鎌倉時代、源頼朝によって隠岐に流された後鳥羽上皇やその後も後醍醐天皇が無念の思いを抱き通った道でもあります。
この日は近鉄大久保駅を6:14に乗り、京都から新幹線で姫路へ、ここでJR山陽本線に乗り換え上郡へ、ここから智頭急行のワンマンカーに乗り平福駅に9:05に到着。
ここ「平福宿」から「釜坂峠」を越え因幡街道を「大原宿」に向かって歩きました。
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平福は、戦国のころ利神(りかん)山に「利神城」という山城が築かれ、その城下町として整備されたのが始まりです。
当時は東西300m、南北500mにも及ぶ広大な山城で、山頂に三層の天守があり別名「雲突(くもつき)城」と呼ばれていたそうです。
今は朽ち石垣も崩れ、つわものどもの夢の跡となっています。
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その後平福は、因幡街道の宿場町として発展しました。
宿場の街並みは道に面した家並みが普通ですが、平福は道側だけではなく、背後の作用川に沿って並ぶ石垣や土蔵、川座敷(川を眺める座敷)がある建物が川面に浮かぶ川端風景が特徴です。
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私は、10年前にも平福を訪れています。その後平成21年の豪雨をもたらした台風9号で作用川が氾濫し、多くの犠牲者と甚大な災害が引き起こされたことをニュースで見て大変心配をしていたのですが、元の美しい風景の街に復旧されていました。
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格子や連子窓が並ぶ街道の街並み。
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平福宿の南の入口付近には、江戸時代、平福藩の刑場がありました。この六地蔵は、刑場跡に供養のために建てられたものです。
またこの地は「宮本武蔵決闘の地」でもあります。武蔵が13歳の時、有馬喜兵衛という剣豪に初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したと言われています。
そしてその武蔵の出生の地と言われている「宮本村」が、因幡街道の「釜坂峠」を越えたところにあります。
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平福宿を後に、街道は緩やかな坂道が続きます。
周辺にはのどかな風景が広がり、振り返れば遠くに利神城跡と平福宿が見えます。
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野には花々が咲き、山は新緑に萌え、風もさわやかで気持ちのいい街道歩きです。
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2時間ほど歩き、途中弁当を食べ「釜坂峠」へと山道を行きます。
さほどきつくない山道を上って行くと峠の手前に朽ちた家屋がありました。
当時このあたりに、峠茶屋があったのであろうと思いめぐらせ峠を越えました。
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釜坂峠を越え、宮本武蔵の出生の地「宮本村」へと下って行くと「一貫(いっかん)清水」という湧水の水場があります。その名は、旅人が立ちより「ほんに一貫文(一両の1/4)の値打ちがある」と言ったところからついた名だそうです。
武蔵もふる里を後に、峠に向かう時この水を飲んだことでしょう。
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峠道を下りた村の入口に「武蔵神社」があります。神社の祠には小説「宮本武蔵」の著者「吉川英治」の名が記された絵馬が奉納されていました。
また境内には武蔵と両親の墓もあります。
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宮本村で小休止し、次に「大原宿」へと向かいます。
吉野川沿いを歩き1時間ほどで「大原宿」に入ります。
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大原宿は、播磨・因幡・美作(みまさか)と三国を結ぶ交通の要所として、古から宿場として栄えました。そしてここには参勤交代で藩主らか宿泊する本陣・脇本陣をはじめ十数軒の旅籠があったそうで、今もその面影を色濃く残しています。
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鳥取藩三十二万石池田侯が参勤交代で宿泊した「大原本陣 有元家」。
有元家は、二百年前の本陣の遺構を今日まで残しておられます。
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街道の両側の側溝の上に花が飾られ、街行く人の目を楽しませてくれます。
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この日はこれまで。この季節の天気に恵まれた街道歩きは最高です。
宮本村では、青空に鯉のぼりが泳いでいました。
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by y-tukide | 2016-05-09 09:00 | 街道を行く

備中松山城

日本三大山城と呼ばれる城があります。一つは「大和高取城」もう一つは「美濃岩村城」そして「備中松山城」です。
そのうちの大和高取城と美濃岩村城は、以前に訪れています。
大和高取城(城)は、奈良県高取町の標高584mの高取山の山頂にあり、大和郡山城の詰め城として築かれた城で、明治に廃城になって石垣のみが残りで木々が茂り、訪れる人も少なく「つわものどもの夢の跡」の雰囲気が漂っています。
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次に美濃岩村城は、岐阜県恵那市にあり標高721mと最も高い所に建ち、天嶮の地形を利用した要害堅固な山城です。昨年妻と二人明智鉄道(鉄道ブラ旅)に乗り行ってきました。
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そして今回三つ目の備中松山城を訪れました。
備中松山城は岡山県高梁市(たかはしし)にあり、標高430mに天守が現存する山城としては随一の高さを誇っています。
JR伯備線の備中高梁駅からバスに乗り「ふいご峠(8合目)」まで行きそこから20分程きつい石段を登ります。
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息をきらしてようやく石段を登りきると天空の城塞が現れます。
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天然の岩盤の上に石垣が積まれ、山城の特徴が現れています。
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小ぶりの天守ですが、漆喰の白が空の青と新緑の緑に映え、美しい姿を現しています。
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眼下に高梁の街が広がります。
その高梁の街に、石段を下り山道を歩き街へと向かいました。
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山城は、敵が来襲すると山上の城に立て籠もる主に防御を目的とした城です。平時には城主は不便な山城には住まず麓に住民と共に住みます。そのために山城の麓には、城下町が形成されます。
高梁の街も城下町として面影を色濃く残し、町もそれを誇りとして保存整備を行っています。
武家屋敷と土塀が残り保存整備されている石火矢町。このあたりには上級武士が住んでいたようです。
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武家屋敷の旧折井家。
当時の生活の様子がうかがえるように整えられ、資料も展示されています。
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土塀の道を進んでいくと「頼久寺(らいきゅうじ)」があります。
頼久寺の庭園は江戸時代、備中国奉行として赴任していた小堀遠州が作庭した蓬莱(ほうらい)式枯山水の庭で国指定の名勝です。
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街中でうだつが上がり連子格子の商家の家々の表には、竹筒に花が活けられ、通りを歩く人の目を楽しませてくれます。
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もう少し街歩きをしたかったのですが列車の時間がせまり残念しました。何せ日帰りなので仕方ありません。
備中高梁、城も街もそして人もなかなかいいです!
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by y-tukide | 2016-05-02 10:00 |