日記


by y-tukide

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
街道を行く
かくれ里を行く
かいわい
散歩
早朝散歩

鉄道ブラ旅

水汲み
お知らせ
建物探訪
見学会・イベント
仕事色々
お寺の山門再生工事
伝統工法町屋改修技術を学ぶ
奥村先生とまことさん
雑誌掲載
我が社の年賀状
研修
お茶会
宇治川花火大会
天満天神繁昌亭
大相撲宇治場所
社員旅行
引っ越し
夏休み
お正月
我が家のツバメ
季節の花色々
未分類

以前の記事

2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月

フォロー中のブログ

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

(1)

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
近畿

画像一覧

<   2017年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

出雲・石州の旅

5月の連休、妻と二人で出雲・石州(石見)を旅しました。

早朝、JR宇治駅から京都駅へ、そこから新幹線で岡山まで行き、ここでまた乗り換え伯備線の「特急やくも」に乗り島根県の松江駅と向かう約5時間の列車の旅です。

e0164563_11425105.jpg

岡山から倉敷を経て次の停車駅である備中高梁へと走る車窓からは、まぶしい新緑と線路と平行して流れる高梁川の眺めを楽しめます。

e0164563_11425193.jpg

昼前に松江駅につき昼食を済ませ国宝の「松山城」へ。

築城以来400年の歴史を誇る松山城天守閣。入母屋破風の美しい三角屋根は、千鳥が羽を広げた姿のように見えることから「千鳥城」の異名をもちます。全国に現存する12天守の中で、平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目だそうです。

e0164563_11425192.jpg

天守からの眺め。右手にはシジミで有名な宍道湖(しんじこ)が見えます。宍道湖は淡水中に海水が浸入する汽水湖です。

e0164563_11425142.jpg

城内では市民ボランティアの「松山城武者応援隊」の方々によるパフォーマンスが行われ観光客をもてなしてくれます。

e0164563_11424962.jpg

戦に疲れて木陰で気持ちよさそうにうたた寝をする槍を持った若武者。

e0164563_11574476.jpg

その日は辛うじてとれた玉造温泉の宿で一泊し、翌日は松江でレンタカーを借り島根県の西部、石州の「石見銀山」へと向かいました。

五月晴れの石州の青い海。

e0164563_11424952.jpg

2007年に世界遺産に指定された400年の歴史の「石見銀山」は、銀鉱山遺構が点在する自然豊かな「銀山地区」と江戸時代の武家屋敷と商家が軒を並べ伝統的建築物群保存地区に指定されている「大森地区」から成ります。

その大森地区の入り口に建つ「大森代官所跡」、現在「石見銀山資料館」として石見銀山に伝わる歴史資料、鉱山資料などが展示されています。

e0164563_11425091.jpg

銀山地区へと向かう谷あいの緩やかな坂道に町家が軒を並べる大森地区の街並み。

e0164563_11425001.jpg
e0164563_11430388.jpg
e0164563_11430530.jpg

屋根に葺かれた赤い瓦は「石州瓦」です。石州瓦は島根県の石州、石見地方で生産される粘土瓦で、淡路瓦、三州瓦と並ぶ三大瓦の一つです。関西に住む我々にとって馴染みが薄いですが山陰地方や日本海沿いの寒くて積雪の多い地方で多く葺かれ、水を通さず冬害に強い瓦です。

e0164563_11430552.jpg

街道沿いの家々の軒下に花が飾られ、道行く人の目を楽しましてくれます。

e0164563_11425046.jpg

商家や町家が軒を並べる街並みが途切れ、銀山地区に入ったところに黒い石州瓦葺の木造建ての小学校がありました。

e0164563_11430354.jpg

のどかな風景が続きます。銀採掘の全盛期にはこの辺りにも鉱山関係者の建物が多くあったと思われます。

e0164563_11430381.jpg

途中、古い民家を利用した小さな店で食事をし、銀山地区にある見学可能な坑道跡である「龍源寺間歩」に着きました。「間歩(まぶ)」とは銀を掘り出すために作られた坑道のことです。

鉱夫たちは、間歩を掘り進め、鉱脈にぶつかったところから左右に沿って人一人が通れるかどうか程の「ひおし抗」を掘り進みます。一日に30センチほどしか掘れないそうです。坑道の壁にはノミの跡が残ります。

e0164563_11430481.jpg

帰りの道で見かけた供養塔かと思われる苔むした小さな石塔。

当時、鉱夫達は10歳からの子供を含め30人ほどで組みをつくり、ノミなどの道具を使い手作業で危険できつい作業をしていました。若くして亡くなった人たちが祀られているのかもしれません。

e0164563_11430445.jpg

栄枯盛衰、今は繁栄と苦難の歴史が自然の中に包み込まれた山あいの遺構、

人々に住み継がれ、生きた遺構として永く後世に残ることを願います。

e0164563_11430482.jpg


by y-tukide | 2017-05-29 11:59 |

「枚方京町家」 花会

京阪電鉄の枚方公園駅近くでツキデ工務店が、昨年2月から13か月をかけて手がけた、100年程前にこの地に移築された大型の京町家の再生工事が今年の5月に竣工しました。

そしてその「枚方京町家」514日・15日の両日、「花と出会って 人と出会って」のタイトルの元、「第9回中西千里甫社中 花会」が開催され、小学生を含む多くの方の作品が参加者の目を楽しましてくれました。

e0164563_09114438.jpg
e0164563_09115344.jpg

花会の会場となったこの建物は、淀川左岸を京都から淀を経て大阪の京橋へと続く「京街道」の「枚方宿」の外れに建ちます。その枚方宿でお施主様のご先祖が商いをされていたのですが、ある時期京都、京阪三条駅近くの新柳馬場通りに移り米屋を営まれ、その後明治37年に、京都の町家を移築し家ごとこの地に戻ってこられたという歴史のある建物です。

昨年の2月から第1期の主屋の工事、蔵・納屋など第2期工事、そして第3期の離れ・庭の工事が今年の5月初めに無事竣工し、この度こけら落としとして花会が模様されました。

外構工事も含め完成した「枚方京町家」。

e0164563_09113531.jpg

3期工事で門の屋根、建具を修理しガレージも整備しました。

門の前に大きな桜の木があります。

e0164563_09113677.jpg

門からのアプローチも整備し、庭は私の娘婿が営む「庭づくり三宅」が石や植栽などできるだけ今あるものを利用し作庭し、いい感じに仕上がりました。

e0164563_09113798.jpg

アプローチには、お施主さんのご希望で庭の池につながる小川を設け、雨水が流れるようにしています。

e0164563_09114642.jpg

主屋と蔵、納屋に囲まれた中庭も建物と溶け合い、周辺にマンションが立ち並ぶ市中にあって別世界の様相です。

e0164563_09260134.jpg
e0164563_09113668.jpg

私は花の流派などその世界は無知ですが、今回の花会は「嵯峨御流」の花会で両日とも関係者をはじめ地元の方や多方面の方々など、大変多くの皆さんが参加され大盛況でした。なんでも二日間で600名ほど参加されたそうです。

e0164563_09114544.jpg

主屋をはじめ蔵、納屋などいたる所に花が活けられています。

e0164563_09113546.jpg
e0164563_09113786.jpg
e0164563_09272842.jpg

脇床の違い棚の上にも。

e0164563_09114444.jpg

虫籠窓のある小屋裏にも。

e0164563_09114561.jpg

蔵の中にも。

e0164563_09114683.jpg

蔵の中から出てきた、江戸か明治時代の雛祭りの道具が脇役を果たします。

e0164563_09114600.jpg

花会では、抹茶と和菓子がふるまわれ、台所の間では忙しくその仕度がされていました。

e0164563_09115391.jpg

建物が花を活かし、花が建物を活かし、それぞれを引きたててくれます。

お施主さんも大変喜んでくださり、この建物を再生させていただいた者にとっては、冥利に尽きます。

今後この建物が、いろんな人に活用され、どのように生かされていくのか大変楽しみです。

e0164563_09115310.jpg


by y-tukide | 2017-05-22 10:21

住まい手さん宅見学会「庭を望む 花園の家」

513日・14日の両日、この度もお施主様のご厚意により引っ越しされて3か月目のお宅の見学会を開催させていただきました。

初日は雨の天気でしたが、今回も多くの皆様にご参加いただきスタッフ一同感謝しています。

e0164563_12242971.jpg

この家は京都市右京区の妙心寺にほど近く、町家が建ち並ぶ一角の細長い敷地に建ちます。元は、ご主人のお祖母さんが住んでおられた家を建て替えたもので、若夫婦が暮らす延床27坪の小さな家です。

「への字」の大きな屋根で、2階には二つの小屋裏部屋があります。

e0164563_12242132.jpg
e0164563_12242376.jpg

ご主人は庭師でアプローチの庭は、この日に間に合うように作庭していただきました。

正面の駐車場の横には、庭仕事用の道具小屋があります。

e0164563_12242273.jpg

玄関の下駄箱と居間に入る建具には、知人の唐紙作家の手による「京唐紙」が使われています。

e0164563_12242269.jpg

玄関土間から古建具の「目板格子戸」を介して、居間とつながる土間があります。

e0164563_12242241.jpg

そしてそこにはペレットストーブが据えられています。

土間から外につながる庭は、今後ご主人が暇を見て作庭される予定です。



e0164563_12243041.jpg


玄関を入ると、上り天井の吹き抜けが広がります。

e0164563_12241324.jpg
e0164563_12241563.jpg

居間には、ご趣味の1970年代のLPレコードやレコードプレーヤー、アンプなどがあり懐かしい音楽を楽しんでおられる様子が伺えます。

e0164563_12241364.jpg

e0164563_12243048.jpg

勾配天井の小屋裏には、サーフボードが!

e0164563_12242410.jpg

オープンな棚を設けたキッチン。

e0164563_12242949.jpg

キッチンンの横にあるダイニング。

テーブルの天板は、ご主人のお爺さんが絵を描くときに使われていたヒバの板を再利用したものです。

e0164563_12242966.jpg

2階のフリースペースは、将来は子供部屋になる予定です。

床は、杉のJパネルの一発仕上げ、勾配天井はラワンベニヤで仕上げています。

e0164563_12241460.jpg

ロフトもあり、小さい家ながらも空間を有効に使っています。

e0164563_12241489.jpg

ご主人の書斎を兼ねた寝室。

e0164563_12241567.jpg

ご夫婦お二人が、趣味と生活を楽しみ住んでおられる様子がひしひしと感じられるお宅でした。

e0164563_12242380.jpg


by y-tukide | 2017-05-15 12:43 | 見学会・イベント

大和街道 月ヶ瀬から伊賀上野を行く

大和街道は、江戸時代には加太越奈良道と呼ばれ、三重県を走る東海道の「関宿」の西の追分から分岐し、加太峠を越えて「柘植(つげ)」「伊賀上野」「島ヶ原」を通り奈良へと続く街道です。この日、私と妻と娘そしてもうすぐ6歳になる孫の4人で関西本線の月ヶ瀬から伊賀上野へと大和街道を歩きました。このメンバーで街道歩きをするのは初めてです。

自宅を朝6時過ぎに出、IR宇治駅から電車を乗り継ぎ、関西本線の月ヶ瀬駅を降りたのは、8時前、さぁ~ここから出発です。

e0164563_10481581.jpg
e0164563_10481595.jpg

しばらく歩くと「二本杭跡」があります。二本杭は俗称で大和街道の藤堂藩「伊賀の国」と柳生藩「山城の国」の境として幕府検視の指示により、それぞれの杭を合わせて設置されたそうです。これはそれを石柱で再現されたものです。

e0164563_10481621.jpg

民家が点在するのどかな山里を歩きます。

e0164563_10481602.jpg

ここは藤堂藩が設けた関所の跡です。

e0164563_10481681.jpg

孫は、きれいな花や虫を見つければ立ち止まり、珍しいものを見ては質問し、なかなか前に進みません。

e0164563_10481730.jpg

1時間半ほど歩いて「行者堂」につきここで休憩。

行者堂は、自然石の岩屋の中に役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られています。

この辺りには、阿弥陀磨崖仏、大師堂、不動明王像などが祀られ信仰の霊地です。阿弥陀磨崖仏は、南北朝から室町時代のものと推定されているそうです。

e0164563_10481465.jpg

木津川と小さな小山川が合流するこの辺りは、岩谷峡と呼ばれ景勝地です。小山川沿いでは夏場たくさんのホタルが飛び交うそうです。

e0164563_10481519.jpg

休憩後、先を進むと島ヶ原の集落に入ります。

e0164563_10482976.jpg
e0164563_10482948.jpg

島ヶ原は大和街道の要衝にあって藤堂藩の時代、街道の宿場町として賑わいました。この建物は旧本陣で多くの大名が宿泊や休憩をしました。

e0164563_10482988.jpg

街道をそれ関西本線に島ヶ原駅でトイレ休憩。

この島ヶ原に鉄道が開通したのは、明治30年です。当時、関西鉄道株式会社だったのですが、その後、関西鉄道は国に買収され、明治40年に日本国有鉄道となり関西本線と改称されたそうです。今も残る駅の建物は、当時の関西鉄道のものであり、昔日の面影を残しています。

e0164563_10483044.jpg

島ヶ原宿を後に、木津川に架かる鉄橋を渡り伊賀上野へと向かいます。

e0164563_10482725.jpg

そして今回の最大の難所である急坂の「与右衛門坂」を行きます。

「笠置峠か与右衛門坂か、江戸の箱根はなけりゃよい」とうたわれたそうです。

e0164563_11030675.jpg

街道沿いの山田では、田植が行われていました。

e0164563_10482812.jpg

山の中のため池「三本松池」

e0164563_10482851.jpg

ここからずっと山道が続きます。

e0164563_10483800.jpg
e0164563_10483893.jpg

その山道で小さなカエルを発見。

e0164563_11045112.jpg

ようやく山道を抜け里に出ました。

e0164563_10483871.jpg

里に出て街道を進むと国道163号線にあたります。ここからは歩道が無い車が行きかう道を孫の手を引き歩きます。

国道横を流れる川に「勧請縄(かんじょうなわ)」が張られていました。

勧請縄は、疫病などの悪霊が村に入ってこないようにするために、村の入り口に張られた結界です。この辺りには今もその風習が残っているようです。

e0164563_10483700.jpg

ここでついに5歳の孫はギブアップし疲れて眠ってしまいました。目的地の伊賀上野へはまだ3キロほどあります。急きょタクシーを呼び助けてもらうことに。

何とか無事に伊賀上野につき、遅めの昼飯を取りました。

孫は大好きなハンバーグをペロリとたいらげました。よほど腹が減っていたのでしょう。何せ朝から10キロは歩いたのですから。

e0164563_10483725.jpg

伊賀上野は忍者の町、あちこちに忍者が出没していました。

e0164563_10483741.jpg


by y-tukide | 2017-05-08 11:08 | 街道を行く

富田林かいわい

大阪の南河内地域の南東部、金剛山系の裾野に広がる平野部に「富田林(とんだばやし)」の町があります。この町には、16世紀中ごろの戦国時代に形成された「寺内町」が残っています。

「寺内町」とは、寺院を核として周囲を濠や土塁で囲うことで外敵の侵入を防いだ自治都市です。江戸時代には交通の要所として商業の町とし栄え、その繁栄の面影が色濃く残る街並みが今も残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

以前からこの町のことは知っていたのですが、私がここを訪れるのは初めてです。

e0164563_10252425.jpg

e0164563_10254632.jpg
e0164563_10255907.jpg

富田林寺内町は、500年程前に京都興正寺の証秀上人が「富田の芝」と呼ばれる荒地を銭百貫文で買い受け町を開いたそうです。

その中核となったのが一向宗興正寺別院です。

e0164563_10261372.jpg

奈良の今井町も寺内町ですが、富田林の寺内町は「八人衆」という商人たちが中心になり商業の町として繁栄しました。

街を歩いていると本瓦葺の蔵が多く見られます。

e0164563_10262959.jpg

3階建ての蔵も。

e0164563_10292481.jpg

この建物は、重要文化財の「旧杉山家住宅」です。

杉山家は寺内町創立以来からの旧家で、江戸時代を通じて富田林八人衆の一人として町の経営に携わってきた家です。現在富田林市が改修し一般に公開されています。


e0164563_10295032.jpg
e0164563_10335295.jpg

町並みの屋根越しに見える白い塔はPLの塔です。富田林にはPL教団の本部があり高校野球で一世を博したPL学園などもあります。

e0164563_10343639.jpg

町の南側には、「石川」という川が流れています、この日はこいのぼりが泳いでいました。

e0164563_10350542.jpg

はるかに見える山は、右が金剛山で左が葛城山です。

e0164563_10352135.jpg

町歩きのあと、せっかくここまで来たので足を延ばし、金剛山の山麓にある「千早赤坂村」へと向かいました。千早赤阪村は大阪府下で唯一の村で、鎌倉時代後半から南北朝時代に活躍した武将「楠木正成(くすのきまさしげ)」の出生地として知られています。

鎌倉幕府討幕の計画が発覚し後醍醐天皇が京都南山城の笠置山に逃れた時、南朝側についた正成はこの地で挙兵しました。

その時築かれた「下赤坂城」からの棚田の眺め。

e0164563_10353933.jpg

野にはタンポポが、のどかです。

e0164563_10355527.jpg

遠くかすんで見える高層建築は「あべのハルカス」か?

e0164563_10361468.jpg

谷あいの集落。

大都市大阪にもこんな所があるのです。

e0164563_10363014.jpg
e0164563_10363863.jpg


by y-tukide | 2017-05-01 11:09 | かいわい