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呉 散歩

呉市(くれし)は、広島県の南西部に位置する瀬戸内海に面した人口20万ほどの港町。
地形的に天然の良港に恵まれ、戦国時代は「村上水軍」らが支配し、江戸時代は「北前船」の寄港地として栄えた。
明治時代になると富国強兵政策の元、全国に置かれた帝国海軍の根拠地(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)である「海軍鎮守府(ちんじゅふ)」の一つが呉に置かれ東洋一の軍港となった。
また呉は、艦艇や各種兵器などを開発・製造する日本一の「海軍工廠(こうしょう)」が置かれ、戦艦「大和」をはじめ艦艇建造を手掛けた街でもある。
そして現在、呉にはその戦艦「大和」の1/10の模型が展示されている「大和ミュージアム」がある。
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その「大和」の模型は、細部にわたり非常に精巧に作られている。
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1945年4月6日、「大和」は巡洋艦・駆逐艦を含め計10隻で沖縄に向け、帰還を前提としない片道の燃料だけのあまりにも無謀な「水上特攻」作戦に出撃。そして翌日の7日に多数の米軍艦載機による攻撃を受け、わずか2時間の戦闘で鹿児島県の坊岬沖で撃沈された。
「大和」の乗員3332人のうち、生き残ったのは1割にも満たない276人、艦隊全体では4千人以上の若い尊い命が失われた。館内にはその方々の遺影が並ぶ。
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そしてここには、非人道を極める特攻兵器「回天」が展示されていた。
「回天」は、人間が魚雷を操縦しながら目標とする艦艇に体当たりする「人間魚雷」と呼ばれる特攻兵器である。この兵器による戦没者は100名以上にのぼり、その多くが20歳前後の若者だった。
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世界的に悲劇を生んだ先の戦争が終わりまだ80年程。その歴史の教訓が生かされず今も世界の各地で戦争が行われている。
戦争放棄をうたった平和憲法があるこの日本でも、現在、防衛費が年々増額されている。
ミュージアムの展示では、戦争によって育まれた数々の工業技術が紹介されているが、戦争の悲惨さを実体験した「語り部」が減っていく中、ここが後世に「負の遺産」をもつと伝えていく場であっていいのではと思った。
そんな思いをもって「大和ミュージアム」を出た。

その後、街中でレンタサイクルを借り、そんな歴史をかかえる呉の街を散策。

最初に向かったのは、「歴史の見える丘」。さほど距離はないのだが長々と坂道が続く。
呉は坂道が多いと聞いていたので電動アシスト付きの自転車を借り正解。
丘からは、眼下に「大和」を建造したドック跡が見え、巨大なクレーンが設置され、今は民間の造船所として船が建造されていた。
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そして「歴史の見える丘」からさらに進むと「カレイからすこじま」という海沿いの公園がある。
この辺りは昔の帝国海軍の本拠地だったところだが、現在は海上自衛隊の基地になっていて、いかりを下ろした護衛艦や潜水艦が間近に見える。
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「からこじま」は、大正時代に魚雷発射訓練場として埋め立てという小島の名称で、石積みのふ頭には、旧魚雷上げ下ろしクレーンが残されていた。
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ふ頭の反対側の道沿いには、レンガの倉庫が並ぶ。
もともと明治時代に建てられたレンガ倉庫が、昭和20年(1945年)の空襲で破壊された部分を取り去り、昭和30年(1955年)に整備されたものらしい。
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ここから市内中心部に戻り、立ち寄ったのは「入舟山記念館」。
ここには、旧呉鎮守府長官官舎(国重要文化財)を中心に、郷土館・歴史民俗資料館等があり呉の歴史をたどれる。
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旧呉鎮守府長官官舎は、呉鎮守府司令長官とその家族が公邸として利用した建物。
明治38年(1905年)にヨーロッパを遊学した「櫻井小太郎」という人が設計した木造の平屋建て。公的な利用をする洋館部と私的な利用する和館部が結合した建物である。
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資料館で見た終戦間際の空襲で焼け野原となった呉の市街地の写真。
7月1日から2日にかけてマリアナ諸島からやってきた150機のB-29の無差別爆撃により、2000人を超す市民が犠牲になった。それ以外の空襲での犠牲者を含めると3700人を上回ったそうだ。
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小高い位置にある「入舟山記念館」から見る現在の呉の街。
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市街地の中心部から北東の丘陵地付近に、国の重要文化財である「旧澤原家住宅」がある。「澤原家」は、江戸時代後期から庄屋を務めた旧家。家の前を呉と広島を結ぶ「長ノ木街道」が走る。
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その街道を挟さんだ反対側には、「三ツ蔵」と呼ばれている蔵が3棟建つ。
ここがアニメ映画『この世界の片隅で』の一場面に登場する場所、いわゆる「聖地巡礼」の地であることをここに来て知った。
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この後、入舟山記念館から遠くに望む山の斜面に張り付くように建っている住宅群が気になり「両城」という地区に向かった。

明治22年(1890年)、呉鎮守府の開庁と共に急増した人口は、今の人口の倍の40万人を超えたそうで、当時、呉の平地部は軍の土地になっていたため、新しく来た住民の居場所は、急傾斜地が中心となり、両城地区には、その地形を巧みに利用した住宅が階段状に作られ「階段住宅」と呼ばれている。
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そしてこの地区には、「百段階段」「二百段階段」と呼ばれる、見るだけで引いてしまう急な階段が天に向かって伸びる。
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この日は呉に宿をとり、夜、市街地の中央を流れる川沿いに並ぶ「屋台村」をのぞいた。
元々、呉に行こうと思ったきっかけは、NHK・BSの番組「小さな旅―黄昏(たそがれ)に歩みは続く~広島県呉市~」を見て。番組の中でこの屋台村が紹介されていた。
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屋台で飲む酒はまた独特、テントに囲まれた狭い空間で「屋台飲み族」という仲間意識からか、自然と隣の見知らぬ人とも話が弾む。
私も隣に座っていたお客さんからコップ酒を一杯ご馳走になった。
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この日、たった1日の呉の散策あったが、呉という街の歴史と魅力の一端を垣間見た日となった。
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# by y-tukide | 2024-03-18 09:00 | 散歩

畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」

2022年5月頃から始めた我が家の小さな畑、2年目の冬を越し、春を迎えようとしている。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10445671.jpg

昨年の9月中頃に20株の苗を植え付けたキャベツ、ヨトウムシに悩ませながらもなんとか成長してくれ、11月中頃には結球しはじめ、ここまで成長してくれた。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10450114.jpg

その後、家で食べる分だけ一株ずつ収穫していき、今は3株を残すのみとなった。
ただその内の写真奥の一株は生育不良で今後しっかり結球するかは怪しい。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10450573.jpg

11月初めに植え付けたスナックエンドウ。
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暖冬の影響か冬にも関わらずすくすく育ち、すでに花も咲いてきていて、収穫は昨年より早くなるかもしれない。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10451321.jpg
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10451686.jpg

イチゴもこれも暖冬の影響か、この時期に花を付けている。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10452118.jpg

早生(わせ)のタマネギは今回、妻の要望もありプランターの分も含め前回の倍の100株植えたのだが、これも今のところ順調に育っている。
畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10452484.jpg
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12月にプランターに植え付け、ビニール袋をかぶせ温室栽培したサニーレタスは、冬でも育ち料理に応じ必要なだけ葉をちぎって食べている。
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畑はじめました―その10「2月終わりごろの畑」_e0164563_10453607.jpg

そしてこれはスティックブロッコリー、昨年の8月に鉢に2株植え、これも虫と格闘しながら育ててきたが、冬に入ると成長が止まっていたのに、2月終わりころ暖かい日が数日続くと小さかった花蕾(からい)が一気に大きくなった。
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それを待ちかねたように、野菜好きの4歳の孫が小さなハサミで収穫。
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次に収穫できる野菜は早生のタマネギ、4月上旬かと思われるが楽しみである。
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残り3株のキャベツを収穫したら、少し畑を休ませ、次の夏野菜の植え付けに向け土造りを始めたいと思う。
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# by y-tukide | 2024-03-11 09:00 | 畑はじめました

円空―旅して、彫って、祈って―

円空は、全国の霊場を旅して修行を続けた修験者である。
現在、大阪のあべのハルカス美術館で「円空」展が開催されている。
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『―生涯12万体の仏像を彫ると誓ったといわれる江戸時代の修験僧・円空(えんくう、1632年―1695年)。円空は各地の霊場を旅し、神仏を彫り、祈りを捧げました。円空が彫った神仏は、あるものは優しい微笑みをたたえ、あるものは迫力のある怒りの相を表し、多くの現在人の心を惹きつけてやみません。
本展では、「円空仏」とよばれ親しまれている彫刻はもちろん、絵画や文章など円空の人柄に触れることのできる貴重な資料により、その生涯と活動を紹介します。』
―円空展のパンフレットより―

今回の展覧会では、円空の修業の道をたどる「五つの章」にて、約160体の円空仏が展示されている。
1章―旅の始まり
2章―修業の旅
3章―神の声を聴きながら
4章―祈りの森
5章―旅の終わり
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<その内撮影が可能なのは、入り口と奥の第4章の展示物のみ>

金剛力士(仁王)立像―1685年頃 岐阜県・千光寺―
『近世騎人伝』作品29に「袈裟山に立ちながら枯れ木をもって作れる仁王あり」と、挿図付きで記された像。ー説明書きより―
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両面宿儺(すくな)座像―1685年頃 岐阜県・千光寺―
円空は通常の両面宿儺の姿と異なり、背中合わせではなく、正面を向いた武人の背後に、もう一人の武人が負ぶさるように表現している。―説明書きより―
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観音三十三応現身立像―1685年頃 岐阜県・千光寺
近隣の村人が病気のときには、借り出して平癒を祈ったという。単純化されているが、自ずと1体ずつ個性が現れている。―説明書きより―
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円空―旅して、彫って、祈って―_e0164563_11263354.jpg

不動明王及び二童子立像―1685年頃 岐阜県・千光寺―
1材を半分に割り、木の表面側から不動明王立像を作り、残りの材をさらに半分に割ってそれぞれ木の芯側から二童子立像を作る。ー説明書きより―
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狛犬―1685年頃 岐阜県・千光寺―
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宇賀神像―1685年頃 岐阜県・千光寺―
頭部は三角形を呈しているが、最小限のノミ遣いで表情を表し、その下にとぐろを巻いた胴体とガラガラ蛇のように立ち上げた尾がある。―説明書きよりー
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賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)座像―1685年頃 岐阜県・千光寺―
円空が自身の姿を彫ったとも伝えるが、表面には永年撫でられた艶があり、「撫で仏」賓頭盧尊者の像であろう。―説明書きより―
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円空が彫る素朴で荒々しさの中の豊かな表情の「仏」に、昨年に青森の「宗像志功(むなかたしこう)資料館」で見た、同じ仏教徒であった宗像志功の「板画」と共通するものを感じた。
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木の中に「仏」が宿り、その「仏」を感じ、手が自然に動き、余計なものを取り除きその「仏」の姿をあらわす。ということなのか!
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―円空展のパンフレットより―

円空の「仏」の世界から一歩外に出るとそこは俗界。
私のような俗人には、とてもまねできない境地の世界だった。
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# by y-tukide | 2024-03-04 09:00 | お知らせ

冬の勝山 家族旅

娘家族と福井県の白山山系の麓の町「勝山」へ一泊二日の小旅行。
初日、早朝自宅を車で出発し向かったのは、勝山市にあるスキー場「スキージャム勝山」。
12歳と4歳の孫達にとつては、この冬初めて見る雪景色。
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4歳の孫は、昨年に続き生まれて2回目のスキー場なのだが、今回行くのにあたり、スキーをしたいと言い出し、幼児用のスキー板をわざわざ買ったのだが、スキー板を装着し試みたものの早々にギブアップ。
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そしてソリに乗り換え。
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12歳の孫娘にとっては、久しぶりのスノーボード。
慣れるまではぎこちなかったが、すぐに感覚を思い出したのか父親と楽しげに滑っていた。
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午後からは妻と私は、別行動して「平泉寺白山神社」に向かうことに。
私が「平泉寺白山神社」を最初に訪れたのは、22年前の2002年の10月。
きっかけは、司馬遼(司馬遼太郎)の紀行記「街道を行く」シリーズの「越前の諸道」を読んで知り訪れている。

「平泉寺白山神社」は、717年に越前の僧「泰澄(たいちょう)」によって開かれたとされている。
日本三名山の一つ「白山」は、古来より「白き神々の座」として崇めてきた。
その白山信仰の禅定道(ぜんじょうどう)は、美濃側、加賀側、越前側の三つの道があり、その越前側の拠点としてここ「平泉寺白山神社」に山伏が集まり、平安時代後半には天台宗比叡山延暦寺の傘下に入り一大宗教勢力となった。
戦国時代には、四十八社、三十六坊と六千の坊院が建ち並ぶ宗教都市として広大な寺領を持ち、僧兵は八千を数えたと伝えられている。
その宗教都市は、1574年に一向一揆の攻撃を受け全山が焼失してしまった。

この写真は、2016年10月に妻と訪れた時のもの。
禅定道の入り口から続く参道は、老杉がうっそうとした森を形成している。
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 拝殿前の苔がむす老杉林のこの風景、静寂の中、栄枯盛衰の歴史を物語っているようでいい。
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そして今回は雪の中、足もとも悪く歩きづらく、平日でもあり会う人は二組のみ。
やはりここは、苔が見える時期がいいようだ。
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翌日朝から娘家族と合流し、4歳の孫がこの頃恐竜にはまっていることもあり、昨年の夏にリニュアルされた「恐竜博物館」へと向かった。
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林の中から顔をのぞかせる恐竜の卵をイメージしたユニークな形状の建物は、建築家の「黒川紀章」氏の設計によるもの。
今回のリニュアルで増築され、もう一つ卵が増えていた。
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受付を過ぎると長いエスカレーターが階下の展示コーナーに向かって一直線に降り、タイムスリップして神秘の世界に導くように演出されている。
卵型建屋の大空間上部の巨大なトップライトから降り注ぐ自然光は、効果的でドラマチックな演出である。
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入館するなり孫たちはまず、恐竜のキャンドル作りに挑戦。
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キャンドル作りを満喫し、いよいよエスカレーターで降り「恐竜の世界」ゾーンへ。
ゾーンに入るとまず目に飛び込んでくるのが、肉食恐竜「ティラノサウルス」。
動き、吠えるその迫力はまるで本物のよう。大きさは実物の2/3のスケールで全長7.2m。
4歳の孫は、怖がって後ずさりし近づこうとせず、孫娘も幼いころこれを見たとき、怖がり泣いてしまったことを思い出す。
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このフロアーには、44体もの恐竜の全身骨格をはじめ、数多くの標本が展示されている。
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そしてこれは、増築されたゾーンに作られた大迫力の3面ダイノシアター。
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この日の天気は雨、勝山の街中で昼食をとり早めに帰路につくことに。
私は、福井名物おろしそばとソースカツどんセットを注文。
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私が恐竜核物館に今回も訪れ、今や二十歳になる孫をはじめこれまで他の孫たちと一緒に5回来たことになる。
まだ幼い孫もいることだし、元気なうちはまた訪れることになるだろうと思う。
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# by y-tukide | 2024-02-26 09:00 |

立春の候 宇治市立植物公園

自宅近くにある「宇治市立植物公園」、一般入園料は大人600円であるが宇治市在住の70歳以上は無料であることもあり、散歩を兼ねて時々行くようになった。
立春の候、春を告げる花々の様子をうかがいにカメラをぶら下げ行ってみた。

植物公園がある10haの敷地は、私が子供の頃によく遊んだ里山を活用し整備されている。
この雑木林も以前にあった林であったと思われる。
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その林の落ち葉の中から春を告げる「フクジュソウ」が開花し始めていた。
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カンザキアヤメ。
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ナンテン。
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園内にある湿地。
この湿地に繋がる今は宅地化された山手には、私が子供の頃、谷がありきれいな湧き水が流れ「アカハライモリ」などもいた。そしてその周辺の湿地には、食虫植物である「モウセンゴケ」が自生し、この辺りは子供らにとって珍しいものが観察できる貴重な場所であり恰好の遊び場だった。
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ナノハナ。
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スイセン。
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ロウバイ。
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ウメ。
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サザンカ。
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タンポポ。
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観賞温室内の熱帯地域の花、カリアンドラ。
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暖冬だった今年の冬、早くも春は来ているようだ。
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# by y-tukide | 2024-02-19 09:00 | 季節の花色々