人気ブログランキング | 話題のタグを見る


日記


by y-tukide

カテゴリ

全体
街道を行く
かくれ里を行く
かいわい
散歩
早朝散歩

鉄道ブラ旅

水汲み
お知らせ
建物探訪
去り行く年の思い出フォトブログ
見学会・イベント
仕事色々
お寺の山門再生工事
伝統工法町屋改修技術を学ぶ
奥村先生とまことさん
雑誌掲載
我が社の年賀状
研修
お茶会
宇治川花火大会
天満天神繁昌亭
大相撲宇治場所
社員旅行
引っ越し
夏休み
お正月
我が家のツバメ
季節の花色々
思い出
古寺巡礼
住まい手さん宅訪問
竪穴式住居
畑はじめました
未分類

以前の記事

2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月

フォロー中のブログ

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

(197)

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
近畿

画像一覧

能登半島地震に思う

家族や友人と新年を祝い過ごしていたお正月、「なんで元旦に」と言いたくなる今回の大地震。被災された方々、並びに関係される皆様に心よりお見舞い申し上げます。

私にとって能登半島は、50年ほど前の学生時代の思い出の地。
当時、バイト代をためて買った初めての一眼レフカメラ「ペンタックスSP F1.4」を肩にかけ、能登半島への超貧乏旅行。
初めて見る能登の風景を白黒フイルムで撮り、旅先での出会いやな経験など様々な思い出に残る旅だった。
能登半島地震に思う_e0164563_11330888.jpg

そしてこの歳になり、当時の懐かしさにかられ、2020年9月と11月に2度能登半島を訪れた。
連日、テレビや新聞で報道される被災地の悲惨な状況を見る時、4年前に訪れた能登の風景、とりわけ能登地方ならではの民家や街並みが思い出される。
今回、そんな思いで4年前撮った能登ならではの風景を改めて振り返ってみた。

輪島市の西南に位置し、海岸線沿いの高台に細長く形成された「黒島」の集落。
江戸時代は幕府直轄領(天領)で本来、漁村として発展した村だったが、経済力を蓄えると海運業を営む船主が多数登場し、江戸時代中期から明治時代中期にかけて大いに活躍し栄えた集落。2009年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
能登半島地震に思う_e0164563_11333210.jpg

その船主の一人である「角海(かどみ)家」は、幕末の全盛期には7隻の北前船を所有する黒島でも屈指の廻船問屋。広大な敷地内の主屋など5棟は国の重要文化財に指定されている。
この写真は、ツキデ工務店の「2021年の年賀状」に使わせて頂いた。
能登半島地震に思う_e0164563_11345134.jpg

真っ黒な釉薬(ゆうやく)瓦葺の屋根、壁が石川県の県木でもある「アテ(能登ヒバ)」の「下見板張り」、素朴で統一感のある街並みに魅了された。
能登半島地震に思う_e0164563_11355788.jpg

能登半島地震に思う_e0164563_11361704.jpg


黒島の近く輪島市の西部の海岸沿いにある、能登ならではの景観である「間垣の里」。
「間垣」というのは、高さ5m程のマダケを隙間なく並べた垣根のことで、冬の日本海から吹き付ける季節風から家屋を守るためのもの。
能登半島地震に思う_e0164563_11363773.jpg

能登半島地震に思う_e0164563_11461024.jpg

輪島の「朝市」。
輪島の「市」は、おそくとも室町時代には存在していたそうで、ある時期までは、農民や漁民がそれぞれ物を持ち寄ってのぶつぶつ交換の場として、また住民の台所としての性格がつよかった市だったが、近年その性格が薄れ観光客相手の露店が増えた。
その観光名所の「朝市」地区の200棟ほどが焼失したとの報道に心が痛む。
能登半島地震に思う_e0164563_11375021.jpg

能登半島地震に思う_e0164563_11375508.jpg

輪島の中心部から「河原川」を越えた輪島漁港周辺は、背後に山がせまり、海沿いに家々が密集して建っている。
能登半島地震に思う_e0164563_11385294.jpg

街に踏み入ると他地域の平地が少ない漁村同様、路地が迷路のようにつながる。
路地で見かけたおばちゃん達の乗り物は、荷台付きの三輪自転車。
能登半島地震に思う_e0164563_11391283.jpg

輪島市白米町にある棚田、「白米(しらよね)千枚田」。
平地が少ないがため日本海に面した急斜面を、荒波が打ち寄せる波打ち際まで切り開いた1000枚もの小さな棚田が幾何学模様に連なる。
まさに日本の原風景。
能登半島地震に思う_e0164563_11392358.jpg

重要文化財の「時國家住宅」。
築300年といわれる主屋は、茅葺入母屋造りで間口13間(約25m)、奥行きは8間(約16m)、面積は108坪(約356㎡)と広大な建物。
時國家の初代は、源平の合戦に敗れ1185年に能登に配流された平家の平大納言時忠で、2代目から当地で農耕を営み、時国村を成したとのこと。
能登半島地震に思う_e0164563_11394337.jpg


松の丸太で組まれた梁の数も、関西地方の民家に比べ雪国らしく荷重に耐えるように数多く使われている。
ケヤキの大黒柱は、1.5尺(約45cm)と太く、この地方らしい漆塗り。
能登半島地震に思う_e0164563_11395597.jpg

炎天下、海水を汲み上げ塩田へ散布し製法される「輪島塩」。
能登半島の製塩は、古墳時代の土器製塩がはじまりだそう。
江戸時代、加賀藩は財源確保のため、いち早く塩の専売制をとり入れ、能登の沿岸部農民に米を前貸しして、生産された塩で返納させていたとのこと。
能登半島地震に思う_e0164563_11400931.jpg

能登半島の北端の町「狼煙(のろし)」。
岬の眼下の建物は、「ランプの宿」。
能登半島地震に思う_e0164563_11402284.jpg

珠洲市(すずし)の「蛸島(たこじま)」という集落。
旧街道沿いには、「切妻・妻入り」の民家が連続して並び、屋根はこれまで見てきた能登の民家同様「黒の釉薬瓦葺」、壁はこれも同様に「下見板張り」で一部漆喰仕上げ、統一感のある街並みである。
能登半島地震に思う_e0164563_11404473.jpg

蛸島の街道沿いの民家は敷地が広く大型で、また蔵を有する家が多く見られ、街の豊かさが想像された。
能登半島地震に思う_e0164563_11405803.jpg

木造とりわけ伝統工法の建物に対してダメージが大きいといわれている「長周期地震動」の今回の大地震、被災者の皆さんの生命・救援がまずは第一だが、建築に関わる人間として、能登の風土を象徴する建物が一棟でも多く持ちこたえ、街並みも残り続けることを祈るばかりである。

珠洲の内浦に浮かぶ「見附(ミツケ)島」。
能登半島地震に思う_e0164563_11411093.jpg




# by y-tukide | 2024-01-05 12:00

2024年 我社の年賀状

皆様あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

そして今年最初のブログは、2024年のツキデ工務店の年賀状です。
昨年の10月に妻と行った東北の旅で、青森市三内丸山で発掘された縄文時代の暮らしを今に伝える「三内丸山遺跡」を訪れ、敷地内にある展示スペース「縄文時遊館」内の高さ6mの巨大な壁に発掘された縄文土器のかけらがちりばめられた「縄文ビックウォール」の一部を撮ったものです。

北のまほろば「三内丸山遺跡」にて 2023年10月 築出恭伸 撮影
2024年 我社の年賀状_e0164563_15553192.jpg


青森県の陸奥湾をのぞむ段丘上に立地する縄文時代の日本最大級の集落跡「三内丸山遺跡」。その遺跡では、おびただしい数の土器や建物跡が出土し、栗なども栽培されていた定住社会で大規模集落が形成されていた。当時この北の大地は、青い海と青い森に支えられた豊かな地であり、縄文文化が花開いたまさに「北のまほろば」であった。
写真は、巨大な壁に縄文土器のかけらがちりばめられた「縄文ビックウォール」。


# by y-tukide | 2024-01-01 09:00 | 我が社の年賀状

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2

2023年7月17日 ジブリパーク
ジブリパークは、愛知県長久手市にある「愛・地球博記念公園」の広大な敷地(約194ha)
内に、2022年11月に開設された「スタジオジブリ」の世界を表現した公園。
娘や孫たちは、スタジオジブリの作品のファンで、ジブリパークに行って見たいと早くから計画し、そして今回実現した。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412990.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412628.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412714.jpg


「赤目四十八滝」は、三重県名張市赤目町に流れる「滝川」の渓谷に連なる数々の滝の総称で、室生赤目青山国定公園内にあり、古来より山岳信仰の聖地であった。
私は、ここには幾度となく訪れているが、猛暑の今年、5年ぶりに涼を求め、渓谷沿いの3kmほどのトレッキングコースをカメラをぶら下げ歩いた。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412810.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412839.jpg

讃岐国(香川県)の三泊4日の一人旅。
一人旅といっても今回、新しい相棒と一緒。
その新しい相棒とは、折りたたみ式の電動アシスト自転車。
近ごろ初代相棒と出掛ける際、比較的長い距離を走る場合や登り坂がかなりきつくなり、悲しいかな、寄る年波には勝てないものかと感じる様になった。
そこで初代相棒と同様に小さく折り畳めて車載や輪行が容易な、軽量の電動アシスト自転車がないものかと探し「ベルモ ペガサス」という「e-バイク」を見つけ購入した。
重さが14.8kgと電動アシスト自転車としては比較的軽量だが、初代相棒の8kgに比べると電車やバスに輪行の際はちょっと難がある。
そのあたりはうまく使い分けし、2台の相棒と今後お付き合い願いたいと思っている。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412834.jpg

さて讃岐国に入り最初に向かったのは、香川県の東端に位置する「東かがわ市」の古くて小さな町「引田(ひけた)」。
引田は、古くから鳴門海峡を渡るときの潮待ちや風待ちの湊として栄えた港町。
また、江戸時代の終わりころには商家が100軒ほどあり、廻船業や漁業だけでなく商業も発展し、今もその面影が町並みに残っている。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412829.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412892.jpg

讃岐国(香川県)を三泊四日の一人旅、その二日目。
この日は、朝から雨。
予定ではこの日、現在アートの島「直島」に相棒と渡る予定だったが、雨の中相棒と走ることもままならず、予定を変更して丸亀から船で「本島」に渡ることにした。
「本島」は、戦国時代には「塩飽(しわく)水軍」が活躍し、信長・秀吉・家康に重用され自治も許され、江戸時代には海運も栄えた。
その塩飽水軍の拠点となったのが本島の「笠島地区」。
ここには、江戸から明治に建てられた古民家群が残り「重要伝統的建物群保存地区」に選定されている。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412987.jpg

こんなちっぽけな島の漁村に、これほどの質の高い建物が群がっている光景は、あまりにも意外で驚かされる。
この高く緻密な建築技術は、塩飽水軍からの船大工として培われてきた技術が、社寺や民家建築の技術として転身したものだとか。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14412985.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414109.jpg

私は2001年の春に、「東海道」を京都三条大橋から「草津宿」を経て「石部宿」、そして鈴鹿山脈のふもとにある「土山宿」まで何日かかけ歩いた。
22年ぶりにもう一度と、今回は相棒と「草津宿」から「石部宿」へと行った。
22年ぶりに見る草津宿の「草津本陣」。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414140.jpg

「目川」というところの街道沿いに「目川ひょうたん」を展示販売するこんな民家が!
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414191.jpg


「石部宿」は、「東海道五十三次」の五十一番目の宿場。
「京立ち石部泊まり」と言われ、京都から石部間は九里(約36km)、当時京都を朝出発した旅人が一日の行程を歩き夕刻到着するのが、ここ「石部宿」であったそうだ。
今の私の体力ではとても無理。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414101.jpg

琵琶湖の湖北を通る街道で「北国街道」は、「中山道」の米原付近から長浜の市街地を通り、木之本をぬけ、北陸へと通じる道。
それに対し「北国脇往還」は、「中山道」の関ケ原から伊吹山の麓を通って、斜めにショートカットして木之本に北上する道で、現在の365号線にほぼ沿っている古道。
関ケ原の「中山道」と「北国脇往還」の分岐点から、北西に進むと右手に「天下分け目の合戦(関ケ原の合戦)」の決戦地ののぼりが目に入る。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414247.jpg

「春照宿(すいじょうしゅく)」を出ると田園地帯広がる、この辺りは「伊吹蕎麦」の生産地。
そして見つけた小さな白い花をつけた蕎麦畑。
思わず「伊吹山」を背景にシャッタを切った。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414021.jpg

10月上旬、妻と二人で東北地方を6泊7日の旅をした。
その旅の3日目の午後、青森駅に到着。
青森駅近くの青森港ベイエリアには、8月に青森の夏を飾る「ねぶた祭」の大型ねぶたの常設展示場である「ねぶたの家 ワ・ラッセ」がある。
初めて見るねぶたの実物、その大きさと鮮やかな色使い、そして迫力ある表現に圧倒された。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414052.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414048.jpg

早朝の青森港ベイエリア。
桟橋に接岸している船は、青函(せいかん)連絡船の青森側からの最終運航船であった「八甲田丸」、今も歴史的遺産として残されている。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414189.jpg

妻と二人の東北の旅4日目、青森県の「三内丸山遺跡」を訪れた。
今回の旅のきっかけの一つとなったのも、私が好きな作家である「司馬遼太郎(司馬遼)」の紀行文集『街道を行く』シリーズの「北のまほろば」を以前に読み青森県に強い関心を持っていたことである。
そして、司馬遼が「北のまほろば」の思いを深めた、縄文時代の貴重な発見「三内円山遺跡」をぜひ見たいと思っていた。
広大な遺跡の入り口に建つ「縄文時遊館」から遺跡へとつながる「時遊トンネル」を抜けるとタイムスリップしたかのように眼前に再現された縄文時代の大集落が広がる。
この日、空に浮かぶ雲の形までが縄のように見えた。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14414179.jpg

発掘された数百もの建物跡の中、ここにはそのいくつかの建物が復元されている。
その中でもすごいのは、「大型竪穴建物」。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415784.jpg

そしてその近くで紀元前2,600年のものと考えられている、直径2mの六つの柱穴が発掘された「大型掘立柱建物跡」。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415565.jpg

縄文時代この北の大地は、青い海と青い森に支えられた豊かな地であり、大集落が成りたち、縄文文化が花開いたまさに「北のまほろば」であった。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415571.jpg

2023年11月27日 畑はじめました―その9「晩秋の畑」
晩秋の我が家の小さな畑、いろいろ模索の繰り返しながらも何とか野菜も育ってくれている。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415697.jpg

今年初めて挑戦したダイコン、9月中旬に種まきし、発芽した苗を多分ダンゴムシだと思うが茎を食べられて一部ダメになったが、何とか収穫できた。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415694.jpg

畑を始めて2年目、今年は昨年より虫が多かったように思う。
したたかな虫たちには、根気負けしてしまいそうな年だった。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415618.jpg

2023年12月4日 晩秋の湖東三山
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山麓に位置する「湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺(ひゃくさいじ))は天台宗の古刹、そして紅葉の名所でもある。
今年もこの時期訪れて、晩秋の湖東三山の秋色を撮った。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415693.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415685.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415629.jpg
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_14415609.jpg

長々となりましたが、2023年最後のブログとなりました。
この1年、私のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
15年間続けてきた私の週1回のブログ、よくも続けられたと我ながら感心しています。
いつまで続けられるかわかりませんが、来年もお付き合いのほどよろしくお願いします。
それでは皆様、良い年をお迎えください。

2023年10月福島県会津若松にて―戊辰戦争で約1か月の籠城に耐え抜き、後に再建された名城「鶴ヶ城」。
2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその2_e0164563_15040806.jpg





# by y-tukide | 2023-12-25 09:00 | 去り行く年の思い出フォトブログ

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-

今年も残りわずかとなりました。

この一年を振り返り、月々の思い出に残る出来事や気に入りの写真を改めて掲載したいと思います。


202316日 お正月休み―その1 

元旦の朝、3歳の孫と二人で近くの「神明神社」に初詣。

「二礼二拍手一礼」の拝礼のやり方を孫に教えたのですが、神前に向かい私より深々と礼をし、手を合わせる姿に並んでいた後ろの方から「うまくできました!」と誉め言葉を頂きました。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15245395.jpg

翌日の2日からは、妻と私だけでの二泊三日の「那智勝浦」への南紀の旅。

車に私と妻の相棒である自転車を積み、今回は、大阪周りで阪和自動車道から紀勢自動車道を走り、「串本」経由で「那智勝浦」に向かいました。

串本の海岸線に約850mの列をなして大小の岩柱がそそり立つ「橋杭岩(はしくいいわ)」。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15245828.jpg

2023116日 お正月休み-その2

202313707 那智勝浦「お蛇浦海岸」にて。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15250269.jpg

那智勝浦での宿は、私が南紀方面に来ると必ず泊まるお気に入りの宿「一の滝」。

この宿の売りは、100%源泉かけ流しの温泉。塩素剤などを一切使用せず濾過・循環もしていません。

朝夕の食事なしの完全素泊りの宿で、部屋のアメニティーも歯ブラシとタオル・バスタオルのみで過剰なサービスは一切なし。

宿泊代もリーズナブルで正月料金でも税込み一人7,000円。

全室海に面し、部屋からの眺めも素晴らしい。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15250558.jpg

202326日 大和街道 柘植宿から関宿を行く

「大和街道」は、江戸時代には加太越(かぶとごえ)奈良道と呼ばれ、三重県を走る東海道の「関宿」の「西の追分」から分岐し「加太宿」へ、そこから加太峠を越えて「柘植(つげ)」「伊賀上野」「島ヶ原」を通り「大和(奈良)」へと続く街道。

この日の出発点である和瓦葺き木造平屋建てのレトロなJR関西線の「柘植駅」。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15251066.jpg

関西線と大和街道が交差する位置に、明治23年(1890年)に完成した長さ4.5m・幅15.1mのレンガ造りの「架道橋」。

アーチの環と内部の腰部は石積み、上部はイギリス積みレンガ、技術的にも意匠的にも優れた現役の架道橋です。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15251484.jpg

2023327日 丹後天橋立から伊根を行く―その3

季節も良くなり、この日はサイクリング日和ということもあり、久しぶりに相棒と丹後半島の付け根にある日本三景の一つである「天橋立」から、舟屋で有名な集落「伊根」へと相棒と一走り。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15252364.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15251924.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15253352.jpg

20234月3日 春らんまん

自宅の近くに「宇治市植物公園」や「京都府山城総合運動公園(太陽が丘)」があり、

晴天のこの日、身近な春を撮影。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15253649.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15253967.jpg

2023424日 伊勢別街道を行く」―その2

「伊勢別街道」は、三重県を走る「東海道」の「関宿」の「東追分」で分岐し、南下し現在の津市芸濃町を通って津の「江戸橋」で「伊勢街道」と合流する街道。

この日の出発点である早朝の関宿。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15254296.jpg

三重県の松阪のA級グルメと言えば松阪牛、その松坂のB級グルメはと言えば味噌だれの焼き鳥肉。

私は、自分でもあきれるぐらい味噌だれの焼き鳥肉が好きです。

この日、たまたまグーグルの地図で見つけた「とりいち大里店」という焼き鳥肉店で好物を昼飯に。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15254650.jpg

2023515日 越中富山の旅

5月の連休、娘と小6の孫娘・3歳の孫・妻そして私の5名で富山を二泊三日で旅をしました。

きっかけは3歳の孫が乗り物好きなことから、妻が黒部渓谷トロッコ電車に乗り行こうと提案したことからです。

最初に向かったのは「新湊」、かつては北前船で栄えた海沿いの港町。新湊の市街地を流れる全長3kmの「内川」には漁船が停泊し、いくつもの異なった橋が架かり、河畔には古い家屋が並ぶ風景は「日本のベニス」とも呼ばれている。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15255113.jpg

黒部渓谷トロッコ電車は、宇奈月駅~欅平駅間の約20kmを結び、電源開発工事用に敷かれた軌道が前身で、戦後、観光鉄道として整備されたもの。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15255544.jpg

そして宿は、「越中八尾(えっちゅうやつお)」にある公共の温泉宿。

越中八尾は、三味線や胡弓の調べにのって各町内を躍り手が踊りながら町を流す「おわら風の盆」で有名なところ。

その越中八尾の「諏訪町本通り」、無電柱化された道路には石畳みが敷かれ、この地方特有の造りの民家が軒を連ねる情緒ある街並みで、「日本の道100選」にも選ばれています。

早朝の諏訪町本通り。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15444835.jpg

2023626 近江高島かいわい

久しぶりに近江の高島かいわいを相棒と散策。

車で国道161号線を走り高島市の「鵜川(うかわ)」に入り最初に訪れたのは、湖中に朱塗りの鳥居が浮かぶ「白髭(しらひげ)神社」、近江最古の大社です。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15260683.jpg

この街は、「発酵食」の街でもあります。

滋賀県で唯一の酢の醸造所造り酒屋、麹屋、味噌屋、鮒寿司屋があり、昔は造り酒屋が7軒もあったそうです。

街道沿いにある「萩乃露」の名で知られた、造り酒屋の「福井弥平商店」。

私は萩乃露が好きで、いっとき、冷やして晩酌でいただいていました。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15260959.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15261125.jpg

2023612日 三室戸寺のアジサイ

自宅から車で十数分の所にある宇治の「三室戸寺」は、平安時代創建の古刹で西国三十三所観音霊場十番札所。

山裾に広がる5千坪の境内には、この時期、501万本のアジサイが咲き誇ります。

私は例年訪れ、そして今年もカメラにおさめました。

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15261472.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15261795.jpg

2023年 去り行く年の思いでフォトブログーその1-_e0164563_15451923.jpg





# by y-tukide | 2023-12-18 09:00 | 去り行く年の思い出フォトブログ

古の官道「上ツ道」を行く



古代の奈良盆地には、藤原京と平城京を結ぶ「上ツ道」・「中ツ道」・「下ツ道」と呼ばれる日本最古の官道(国道)がほぼ等間隔で南北に縦断していた。

私はその内の「下ツ道」を昨年の7月に相棒と行っている。

そして今回、最も東側に位置する「上ツ道」を行くことにした。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_11123916.jpg

「上ツ道」は、中世以降には「上街道」と呼ばれ幹線道として発達し、近世には大和(奈良)、山城(京都)方面からの伊勢詣での参宮道「伊勢街道」としてもにぎわった。

この日、奈良公園の「猿沢池」から相棒と今回の目的地である桜井の「大神神社(おおみわじんじゃ)」へと向かった。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10485032.jpg

奈良公園の猿沢池の前を流れる「率川(いそがわ)」に架かる石橋から「率川地蔵尊」を横目に、久しぶりの「奈良町」の風情を楽しみながら南へと走った。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10485721.jpg

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10490174.jpg

道沿いのこの建物は、18世紀後半の町家「藤岡家住宅」。重要文化財にも指定されている。

だいぶ以前に内部を見学させていただいたが、右手奥のくぐり戸付きの「丸太格子」の塀の内側は坪庭で、その奥に床の間を構えた座敷がある粋な造りの町家。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10490396.jpg

奈良町を抜け、「出屋敷町」というところの道沿いで見かけた超大型の町家。

1階正面は竹の格子で覆われているが、その中には、立派な出格子がある。

奈良の中心部から離れたこの場所でどんな商いをされていたのか?

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10490698.jpg

さらに進むと田園風景が広がる。

田んぼの中を走るのは、古代奈良を思わせる名のJR「万葉まほろば線」。

この路線は、桜井まで上ツ道と並行して走っている。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10490805.jpg

さらに進むと右手に「帯解寺(おびときでら)」に現れる。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10491147.jpg

「帯解寺」は華厳宗の古寺で、平安前期、文徳天皇の皇后が子に恵まれず悩んでいた折、この寺の本尊に祈願したところ、間もなく懐妊し安産されたことから「帯解寺」の名が付いたと伝えられ、今も全国から多くの人が安産祈願に訪れている。

御祈祷の受付所では、現代風「腹帯(はらおび)」が販売されていた。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10491401.jpg

道沿いには、奈良らしい太い格子がはまった町家がいくつも見られ、非常に趣がある道である

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10491653.jpg

この町家の玄関戸は、腰板付きの「障子」張り。

今回、上ツ道を走っていて古い町家のこのような玄関の「障子戸」はいくつか見た。

さすが古いものを尊ぶ「奈良」ならではの風景。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10491966.jpg

道は天理市の「櫟本(いちのもと)」にはいり、「上ツ道(上街道)」と大和高原(福住方面)から来る「高瀬街道」と交差する。

この辺りは、古くから「市場」が開かれ、商売が活発でにぎわったところ。

その「馬田(うまだし)」というところで見かけた、荷を運ぶ馬をつないだ「馬つなぎ」の遺構。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10492194.jpg


その周辺の趣のある街並み。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493796.jpg

天理市の中心部を抜けると、稲刈りを終えたのどかな風景が広がる。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493780.jpg

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493721.jpg

「柳本」あたりで左に折れ上ツ道を離れ、奈良盆地の東の山沿いを走る日本最古の道「山辺の道(やまのべのみち)」沿いの古刹「長岳寺」に寄り道することに。

私は若いころ、この寺が好きで何度か訪れている。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493788.jpg

「長岳寺」は平安時代初期、淳和天皇の勅願により弘法大師が創建した寺で、盛時には僧兵300、宿坊48、境内9,400坪の壮大な寺院であったが、歴史の中の栄枯盛衰を経、今は里山にひっそりたたずむ寺である。

約千年前に建立された、重要文化財の日本最古の「鐘楼門(しょうろうもん)」。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493852.jpg

この寺の境内には、石仏が多くある。私が若い時訪れたころは、その石仏の拓本をとるために塗られた墨が石仏に残っていたが、今は石仏にそんな形跡は無かった。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10493847.jpg

長岳寺は「花の寺」でもあり、四季折々の花を楽しめる。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_09590760.jpg

久しぶりに訪れた長岳寺を後に、上ツ道に戻り先に進むとJR「巻向駅(まきむくえき)」が右手にあり、駅の西側に史跡「纏向(まきむく)遺跡」がある。

この「纏向遺跡」は、ヤマト政権発祥の地として、「邪馬台国(やまたいこく)」の西の九州説に対する東の候補地として全国的にも有名な遺跡。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10503452.jpg

また、この辺りには大小多くの古墳が分布し、その中で纏向遺跡の南側には、ヤマト政権の女王である「卑弥呼(ひみこ)」の墓ではないかと話題を呼んだ「箸墓古墳(はしはかこふん)」がある。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10503940.jpg

古代の遺跡をたどりながら、ようやく「大神神社(おおみわじんじゃ)」に到着。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10504176.jpg

今回の「古(いにしえ)の官道『上ツ道』を行く」、一千数百年にわたる悠久の歴史を感じさせる、大和(奈良)ならではの「街道を行く」であった。

長岳寺の近くの「黒塚古墳」で大量に出土した、ヤマト政権成立を究明する貴重な資料の「三角縁神獣鏡」―黒塚古墳展示館にて。

古の官道「上ツ道」を行く_e0164563_10510000.jpg




# by y-tukide | 2023-12-11 09:00 | 街道を行く