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東北の旅―青森港ベイエリアかいわい

先週に引き続き妻と二人の「東北の旅」。
二日目は、仙台の駅前のホテルに泊まり、翌日、私は「もくよう連」の企画による山形県の金山町見学に向かい、妻は仙台に残りここでもう一泊。

私が向かった金山町は、人口5千人に満たない小さな町。この町では、以前から住民・行政・建築家が協力し、常に100年先を見据えたこの地方の特徴を生かした街づくりが行われている。
この日、町の役場で説明を受け、その後街を散策したのだが、11年前に訪れた時よりもこの町ならではの特徴ある町づくりが進んでいた。ほんとうにこの町は、何度来ても良い町である。
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その日の夜は、久しぶりに会えた懐かしい人たちとグラスを交わし大いに盛り上がった。
翌日、私は皆さんとは別れ金山町を朝一番にたち、妻が待つ仙台へと帰りホテルで合流。
そして仙台を後に東北新幹線で青森駅へと向かった。

青森市内では、津軽半島と斧の形をした下北半島に囲われた陸奥湾(むつわん)の奥にある「青森港ベイエリア」かいわいを散策。
ベイエリアは、「青い海公園」という公園が整備され、青森タウンを象徴するエリアとなっている。
そのエリアで目を引く三角形のこの建物は、青森県観光物産館アスパム。
東北の旅―青森港ベイエリアかいわい_e0164563_11453635.jpg

その建物の前に海を見つめて立つ、赤い絲のモニュメント「ふたり」。
これは、青森を代表する小説家「太宰治(だざいおさむ)」の小説「思い出」の中のエピソードで、「太宰治が旧制青森中学校在学中、弟とともに青森港の桟橋へ出かけ、青函連絡船を眺めながら男女を結ぶ『赤い絲』の物語について語り合っている様子」を表現したもの。
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その青函連絡船の青森側からの最終運航船であった「八甲田丸」が、今も歴史的遺産として桟橋に接岸し残されている。
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青森駅は、本州を縦断して走ってきた鉄道の北の終着駅。
ここに立つと、北の果てまで来たんだなという感慨がわく。
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その鉄道は、1908年(明治41年)の「青函鉄道連絡船」の運航により、列車が連絡船に乗り北海道の函館へと運ばれ、本州と北海道を結ぶ大動脈として、1988年(昭和63年)の「青函トンネル」の開通までの80年間の役割を担った。
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今や、新青森駅から北海道新幹線が本州と北海道を繋いでいる。
早朝の朝焼けに照らされた「八甲田丸」。
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公園内の海に張り出たデッキや歩道専用橋は、板張りで温もりもあり歩きやすい。
この板は多分、青森県の県木である水にも強い「青森ヒバ」だと思う?
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板張りの歩道専用橋の左上に架かる橋は「青森ベイブリッジ」。橋の塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を支える「斜張橋」である。
デザイン的に優れ、これもベイエリアを象徴する橋である。
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連棟の倉庫に見立てた建物は、若者に好まれそうな店舗が入る「エーファクトリー」。
手前は、リンゴのベンチ。
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何せここは「リンゴ県」、駅の壁に張られた「りんごウーマン」のポスター。
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そして駅前に植えられていたピンポン玉より少し大きめの実を付けたリンゴの木。
ここでは、リンゴの木も街路樹なのか。
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青森と言えばリンゴ、それとなんといっても毎年8月に青森の夏を飾る「ねぶた祭」。
ベイエリアにある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に、実際に祭りで運行した大型ねぶたが常設展示されている。
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ワ・ラッセの有料ゾーンから、ねぶたの由来・歴史・製作工程が紹介された「ねぶたタイムトンネル」を通り「ねぶたホール」へと進む。
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そして「ねぶたホール」には、ねぶた祭りに出陣し賞をとった大型ねぶたが展示されている。
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初めて見る実物、その大きさと鮮やかな色使い、そして迫力ある表現に圧倒される。
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現在活躍しているねぶた製作者が手掛けた「ねぶた面」。
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今回の旅で青森には、ベイエリアに近いホテルに三泊し、毎朝ベイエリアに早朝散歩に出かけ、日々刻刻と変わる青森港の空と海の模様に思わずシャッターを切った。
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# by y-tukide | 2023-10-30 09:00 |

東北の旅―福島県会津かいわい

10月上旬、妻と二人で東北地方を6泊7日の旅をした。
旅のきっかけは、妻がこれまでに訪れたことが一度も無い東北に行きたいと以前から言っていたこと。そして私は、好きな作家である「司馬遼太郎」の紀行文集『街道を行く』シリーズの「北のまほろば」を読み青森県に強い関心を持っていたこと。
そんなことで東北に旅をするタイミングを図っていた。そんな折、ツキデ工務店が所属する全国の工務店仲間の集まりである「もくよう連」主催で、山形県の「金山町」を見学する企画に誘われた。
ちょうどいい機会だと、山形に行くついでに妻との今回の「東北の旅」が実現した。

旅のはじまりは京都駅、ここから東海道新幹線に乗りまずは東京駅へと。
車窓から見る久しぶりの「富士山」。
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東京駅からは、東北新幹線に乗り換え、福島県の郡山駅へと向かうのだが、東北新幹線の仙台行の「やまびこ」と山形新幹線の新庄行の「つばさ」が、連結し途中の郡山駅まで走る。
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そしてこの日は、郡山駅前のホテルに宿泊。
これは、その夜にホテル近くの居酒屋でいただいた「馬刺し」。
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翌朝、レンタカーを借り最初に向かったのは、会津若松の南部の深い山間にある小さな集落「大内宿」。
「大内宿」は、江戸時代に会津若松城下と日光、そして江戸へとつながる街道の宿場町として栄え、参勤交代の大名もこの街道を通り、宿場内には本陣跡の建物も残る。
今も往時の面影が色濃く残り、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
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これほどの数の茅葺の民家が連続して建つ街並みは、他では見られない貴重な風景である。
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街道に面する主屋の裏に建つ、これも茅葺のきれいな蔵。
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これらの茅葺の建物は、観光客用の食事処やみやげもの屋・民宿として活用されている。
そしてその観光客、山間のこんな小さな集落に外国人が多いのにはちょっとびっくり!
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ここは、時代劇に出てくるような日本の原風景であった。
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大内宿を後に次に向かったのは、会津若松市内の会津のシンボルである「鶴ヶ城」。
城に行く前に城を取り囲む堀の北側にあった「蕎房かみしろや」という蕎麦屋さんで腹ごしらえ。
私は、ざる蕎麦とミニ天丼セットを注文、その蕎麦はのど越しもよく絶品。
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食後、鶴ヶ城公園の東口にある駐車場で車を降り城へと向かい、城の入り口の手前に据えられた自然石の「司馬遼太郎文学碑」。
碑には、「会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。『歴史を紀行する』1968年より」ときざまれていた。
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その碑の近くにもう一つ、銃を手にした「新島 八重(やえ)」の像。
「八重」は、会津藩砲術師範「山本家」に生まれ、戊辰戦争では銃を手に「鶴ヶ城」に籠もり奮戦した女性。
彼女は、明治に入り京都に移住し、同志社の創立者となる「新島襄(にいじまじょう)」と結婚。後に日本赤十字社社員となり、日清・日露戦争では傷病兵を看護した会津が生んだ偉人の一人。
その人生を描いた2013年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」を思い出された。
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戊辰戦争では、約1か月の猛攻に耐え抜いた名城の「鶴ヶ城」。
現在の城は、1965年に再建されたもので、五層の天守の赤瓦と白壁が青空に映える。
実に美しい城である。
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次に向かったのは、これも戊辰戦争の攻防戦で最大の悲劇の舞台となった、城を西から望む
「飯盛山」。
「飯森山」に登るのに階段があるのだが、その横に「動く坂道(スロープコンベア)」が設置されていて、二百円ほど払えば楽々登れる。
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「動く坂道」の終点で降りると、会津藩士の16~17歳の子供らで結成された「白虎隊」が、炎上する鶴ヶ城を見てもう駄目だと覚悟し、武士の本分を貫くために全員が自刀した悲劇の場所がある。
その近くには慰霊碑などが建つ。
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また近くには、非常に珍しい螺旋回廊がある六角三層の仏堂「さざえ堂」がある。
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「さざえ堂」は、正面から螺旋状に右回りで上がり、頂上の太鼓橋を越えると左周りの下りスロープになって背面出口に通じるという構造で奇妙な錯覚に陥る。
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飯盛山を降り、山の麓の駐車場に戻ってきたのが午後3時前。
そこで今宵の宿がある、宮城県の仙台に向かう16時57分発の東北新幹線に間に合うために郡山駅に戻ることに。
途中、高速道路のサービスエリアから見た、会津民謡で歌われた「宝の山」、「会津磐梯山(ばんだいさん)」。
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# by y-tukide | 2023-10-23 09:00 |

北国脇往還 春照から木之本を行く

琵琶湖の湖北を通る街道で「北国街道」は、中山道の米原付近から長浜の市街地を通り、木之本を抜け、北陸へと通じる道です。それに対し「北国脇往還」は、中山道の関ケ原から伊吹山の麓を通って、斜めにショートカットして木之本に北上する道、現在の365号線にほぼ沿っている古道です。
戦国時代、羽柴秀吉が柴田勝家との「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」で、美濃の大垣から木之本への13里(52km)を5時間で駆け抜けた「秀吉の大返し」でも有名な道です。

先週のブログでは、「北国脇往還 関ケ原から春照を行く」を掲載したのですが、今週は先週に引き続き「北国脇往還 春照から木之本」を行きました。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15381550.jpg

「春照(すいじょう)宿」から田園地帯を抜けると「姉川」にあたります。
その姉川左岸の堤防の下に「井之口分水」というのがあります。
「井之口分水」は、灌漑用水を下流に「より公平な水の分配」を考えて作られた円形の灌漑設備で、円形の中央部から水が湧き出し、二方向の水路に水が均等に流れていく見事な構造です。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15382798.jpg

姉川を渡った田園地帯の秋も深まりつつある風景。
この日も秋晴れ、絶好の「街道を行く」日和です。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15383657.jpg

そして街道は「相樸庭(すまいにわ)」という集落に入ります。
今回、北国脇往還を行ってみて「春照(すいじょう)」にしろ「相樸庭(すまいにわ)」にしろ、先の「馬上(まけ)」など、よそ者には読めない集落名が多いことに悩ませられます。
その「相樸庭(すまいにわ)」の街並み。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15384548.jpg

集落のはずれの街道沿いに祀られたお地蔵さん。
前には、季節の花が供えられていました。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15385747.jpg

街道は、「今荘」という集落を抜け、次に「佐野」という集落に入ります。
集落内の「七尾まちづくりセンター」に隣接するなんと読むのか「轟神社」の境内のベンチで休憩。
神社の裏に廃墟となり、つたに覆われた体育館。
ここには以前、学校があったと思われます。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15390464.jpg

集落を出た交差点で見かけた赤い前掛けをしたお地蔵さん群。
とにかく街道沿いには、いくつものお地蔵さんが祀られ、住人の信仰心の熱さが伺えます。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15395160.jpg

その交差点を左に折れ進むと「野村」という集落に入ります。
野村集落は「姉川」の右岸の集落、集落のはずれの姉川に架かる橋のたもとに立つ「姉川古戦場」の碑と説明書き。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15395775.jpg

姉川左岸には、攻める織田徳川連合軍29,000の兵、右岸には迎える浅井朝倉連合軍18,000の兵、ここで壮烈な戦いが行われ織田徳川の勝利で終わり、小谷城にたてこもった浅井家は3年後に滅亡します。
多くの血が流された姉川、今は両岸に草木が生い茂る、つわものどもの夢のあと。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15400565.jpg

集落の中の水路沿いを走る街道に建つ、大名の休憩所であった白壁に門を構えた立派な民家。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15402094.jpg

野村集落を出ると国道365号線と交わり、ここからは365号線をひたすら走ります。
そして向かったのは、「伊部」という集落。
ここも北国脇往還の宿場で「伊部宿本陣」が残っています。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15412309.jpg
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15413397.jpg

伊部宿を後に街道は北に向かい、国道365号線を越えると正面に浅井家の小谷城があった「小谷山」がひかえます。
山裾に設けられた杭の柵の奥に「小谷城戦国歴史資料館」が。
北国脇往還 春照から木之本を行く_e0164563_15474031.jpg

ここから街道は、小谷山の麓にある「郡上宿」に入ります。
宿場の入り口に立つ、手作りの案内板。
9年前ここに来たときは、小川に水車があったのですが、朽ちたのか無くなっていました。
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街道筋の民家の庭に見かけた、うるおいを与えてくれる水場。
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宿場の曲がり角に建つ歴史を感じる建物の角に「高札場跡」の碑が立っていました。
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「郡上宿」を出て国道365号線の交差点を越え進むと「丁野」という集落に入ります。
グーグルの地図には、「小谷城主浅井家発祥の地」と記されています。
「浅井」という字、地元の人は「あざい」とよびます。
その集落入り口の田園地帯で見つけた、白い小さな花が満開の蕎麦畑。
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集落内の歴史を感じる「長屋門」、元は武家屋敷だったのか?
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集落の抜けた田園の中に浮かぶ「小谷山」。
ここで大戦があったのです。
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時刻は昼、近くには食事ができる所が無いので、JR北陸本線の「高槻駅」近くまでひた走りし、「おばなし」というお好み焼き屋さんで、野菜たっぷりの広島焼をいただきました。
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広島焼で英気を養い、街道に戻り向かった先は「馬上(まけ)」集落。
集落内には、水量が豊かな水路が流れ、昔の旅人も疲れをいやされたことでしょう。
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街道は、集落を抜けると「高時川」を渡り、川の土手の道を走ります。
道は桜の並木のトンネル、春はさぞかし見ごたえがありそう。
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桜並木の土手道を気持ちよく走り、土手を下ると「雨森(あめのもり)」の集落に入ります。ここは「雨森芳洲(ほうしゅう)の里」。
「雨森芳洲」は江戸時代の儒学者で、22歳で対馬藩に仕え当時の朝鮮との外交に尽力した人物、ここがその芳洲さんの出生の地です。
集落の東端には、芳洲さんの偉業をたたえ、彼の意を継承するための公共施設の「東アジア交流ハウス 雨森芳洲庵」があります。
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この集落は、芳洲さんの出生の地としての誇りからか、村人の手により整えられたとてもきれいな集落です。
集落内を縦横に清流が流れ、その水路には鯉が泳ぎ、水車が回り、水路沿いには花が飾られています。
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気持がなごむ雨森の集落を後にし、街道はようやく「木之本宿」に入ります。
北国脇往還と北国街道とが合流する交差点は道路工事が行われていて、以前あった交差点角の店は無くなっていました。
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久しぶりに見る木之本宿の中央部にある「木之本宿本陣 本陣薬局」の看板。
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この日もさわやかな秋晴れの中、北国脇往還を走り、街道沿いの豊かな歴史と湖北ならではの風景を満喫することができました。
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# by y-tukide | 2023-10-16 09:00

北国脇往還 関ケ原から春照を行く

琵琶湖の湖北を通る街道で「北国街道」は、中山道の米原付近から長浜の市街地を通り、木之本をぬけ、北陸へと通じる道です。それに対し「北国脇往還」は、中山道の関ケ原から伊吹山の麓を通って、斜めにショートカットして木之本に北上する道で、現在の365号線にほぼ沿っている古道です。
戦国時代、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍との戦いでも織田・徳川の連合軍がこの道を通り北へ攻め入り「姉川の合戦」が行われました。その後も羽柴秀吉が柴田勝家との「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」で美濃の大垣から木之本への13里(52km)を5時間で駆け抜けた「秀吉の大返し」でも有名な道です。
私は、9年前にもこの道を行っていますが、秋のこの時期、改めていくことにしました。
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中山道の関ケ原の「十六銀行」が建つ角が、中山道と北国脇往還の分岐点。
ここから街道を進むと、ほどなくJR東海道線の高架橋を渡ります。すると右手に「岐阜関ケ原古戦場記念館」と「関ケ原古戦場 徳川家康最後陣地」の碑が現れます。
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さらに進むと右手に「天下分け目の合戦」の決戦地ののぼりが目に入ります。
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その西側の前面には、石田光成の陣があった笹尾山があり、その山裾には、杭の柵が再現されています。
石田光成が率いる西軍の総兵力は、徳川家康が率いる東軍を上回っていると共に、地形的にも西軍が高みに陣取っているので、常識的には西軍有利のはずなのに、内通による寝返りにより、国内最大級の戦いは、わずか半日程度で東軍勝利のもと幕を閉じます。
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古戦場を後に先を進むと「玉」という石垣がきれいな集落に入ります。
山の斜面に細く伸びる小さな集落で、江戸時代、美濃と北国間の荷物の収益が宿の財政を支えていたそうですが、今は宿場の面影は余りありません。
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国道365線をしばらく進み、右斜めに入る坂道を上ると「藤川」という集落に入ります。
ここも元宿場で、集落に入るとすぐ右手に元本陣であった立派な民家が現れます
江戸時代、参勤交代の北国方面の諸国大名もこの道を通り、加賀藩前田家の殿様もここに来たことが、この家に残る古文書に記されているそうです。
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集落内の街道沿いに建つ、どっしりとした構えの美しい白壁の土蔵。
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藤川宿のはずれに藤川分校跡があり、そこに昭和50年11月に建てられた「百周年記念碑」が草むらに寂しげに立ちます。
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ここから街道は木立の中を走り、次に「寺林」という小さな集落に入ります。
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集落のはずれに立つ朽ちかけの木の道標。
以前ここを訪れた時、この道標の案内書きには「北国街道」と記されていました。
北国脇往還という呼び名は、明治以降に呼ばれた名称で、それまでは「北国海道」と呼ばれていたそうで、まさに北陸の海に通ずる道だったのです。
今やその古道も忘れさられようとしています。
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寺林の集落を後に、次の「春照(すいじょう)宿」に向かう途中、寄り道して「大清水」の集落に立ち寄ることに。
集落内の「泉神社」の石の鳥居の前の山肌から、伊吹山の伏流水が滾々と湧き出ています。日本名水百選にも選定されている「泉神社湧水」です。
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神社の前には、この湧き水を汲めるところがあり、それを目当てに途切れることなく、水を汲む人が訪れていました。
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この名水でのどを潤し「春照宿」へと向かいました。


「春照宿」は、街道筋の中でも比較的大きな集落で、集落内には「伊吹薬草の里文化センター」や「伊吹山文化資料館」などがあります。
以前訪れた時「伊吹山文化資料館」に珍しいものが展示されていました。
伊吹山は薬草、ヨモギが原料の灸(やいと・きゅう)が昔から「伊吹もぐさ」として有名ですが、そのヨモギを使うサウナ風呂です。
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「春照宿」の街並み。
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宿場内で見かけた目珍しいレンガ造りの蔵。
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街道沿いに建つ「伊吹山麓 多目的古民家」と書かれたプレートが張られた、再生された古民家。どのように活用されているのでしょうか?
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宿場のはずれの八幡神社の角に立つ「左ながはま 右きのもと えちぜん」と彫られた
石の道標。
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秋晴れの中にどっしりと構えた伊吹山が目に入ります。
採掘で削られた山肌が痛々しいです。
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春照宿を出ると田園地帯が広がります。この辺りは「伊吹蕎麦」の生産地。
そして見つけた小さな白い花をつけた蕎麦畑。
思わず伊吹山を背景にシャッタをパシャリ。
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姉川沿いのこの辺りは、日本の蕎麦の発祥の地と言われ、その後ここから今日の蕎麦の名産地とされる信濃などに伝わったとか。
この時期、その蕎麦の収穫期を迎えていました。
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昼飯は、近くの店で伊吹蕎麦の「おろし蕎麦」大盛をいただきました。
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この日は秋晴れ、空気もさわやかで、絶好の「街道を行く」日和でした。
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# by y-tukide | 2023-10-09 09:00 | 街道を行く

近江東海道 石部宿から土山宿を行く

22年ぶりに改めて行く近江東海道、3週間前のブログで紹介した「近江東海道 草津宿から石部宿を行く」に引き続き、今回は、近江東海道の「石部宿から土山宿」を相棒と行きました。
JR石部駅近くの駐車場に車を置き、相棒を車から下ろし出発です。
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東海道を少し行ったところで寄り道し、国指定天然記念物の「うつくし松自生地」へと向かうことに。
「うつくし松」は、美松山の斜面にだけ群生する変種の松で、根元からいくつにも分かれた幹が伸び、葉先が平らになっている珍しい松です。
22年前もここを訪れているのですが、自生地は地元の人たちの手でよく整備されていました。
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濃い緑がまぶしいい群生林を後に、街道に戻り先を進みます。
すると右手に杉玉が架かる「北島酒造」の立派な造りの建物が現れます。
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日本酒一筋、創業から約二百余年、近江の地酒を造り続けている老舗です。
「御代栄(みよざかえ)」というお酒が定番ブランド。
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さらに進むと「由良谷川隧道(ずいどう)」が現れます。
明治19年に造られたもので、街道は川底をくぐっています。
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隧道を抜けたあたりは、「夏見の里」と言われるところ。
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当時、何軒かの茶店があり、「立て場」の役割を果たし、名物トコロテンや酒が茶碗酒として計り売りされ賑わっていたとか。
またここには、一里(約4km)ごとに旅人の目印として土が盛られた塚「夏見一里塚」が当時あったところです。
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さらに進むと、また隧道が現れます。
天井川である「大沙川」の抜いたトンネルです。
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隧道の右手の堤の上には、幹の周囲が4.5m、樹齢約750年と言われる大杉がそびえています。
この杉は「弘法杉」と言われ、弘法大師がここを通りがかった時、ここで昼食をとり、その時使った杉箸を堤にさしたところ、箸は朽ちず、これが成長して大杉になったと言い伝えられています。
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街道は、JR「三雲駅」を過ぎ「野洲川」に架かる橋を渡るのですが、その橋の手前、右側の山の麓に「天保義民の碑」が立ちます。
これは、天保十三年(1842年)の幕府の不正な検地に抗議して、農民1万人がこの河原に集まり、多くの犠牲者を出しながらも検地の日延べを勝ち取ったとのこと。
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そして橋を渡ったあたりが「東海道十三渡し」の一つに数えられた「横田の渡し」。
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この「横田の渡し」は、当時、毎年10月から12月は仮の「土橋」が架けられ、3月から9月は、船による渡船往来だったそうです。
その渡し跡に立つ、高さ5m近くある常夜灯。
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渡し跡から見下ろした野洲川には水鳥が!
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街道は、小さな集落を貫きながら「水口宿」へと走ります。
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集落と集落との間には、稲刈りを終えたのどかな田園風景が広がります。
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「水口宿」を入る手前で昼食をとることに。
グーグルの地図で食事処を探していると「とりいち水口店」が目に入りました。
「とりいち」は、本店が松阪市にある、私が好きな味噌だれの焼き鳥肉の店です。
これはラッキーと急ぎ向かい、久しぶりに焼き鳥肉をいただきました。
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お腹はいっぱい、英気を養い街道に戻り「水口(みなぐち)宿」に入ります。
水口宿は、東西約2kmわたる長い街並みの宿場です。また町の西部には水口城があり、水口藩の城下町でもありました。
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街道沿いで見かけた、明治時代の宣教師でもあり建築家のヴォーリス設計の教会。
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街道は、「石橋」というところで三本に分かれる「三筋の辻」。
その交点には、からくり人形時計が設置されています。
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この辺りの東海道の街並み。
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「三筋の辻」がまた一本に合流した地点に「高札場跡」があり、その先には水口宿の東の入り口である「水口宿東見附跡」があります。
東見附跡を過ぎると、風景は一変し街道沿いに茶畑が広がります。
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ここは「土山茶」の産地。
この民家の玄関には、大きな茶壷が飾られていました。
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街道は、のどかな田園風景の中を走り、ようやく「土山宿」に入ります。
土山宿は、東海道五十三次の第四十九番目の宿場町、難所の鈴鹿峠を控える宿場として
発達しました。
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写真の手前のこの建物は、「土山家本陣跡」。
本陣は、当時の大名・旗本・公家等が休泊した所です。
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今回の「近江東海道 石部宿から土山宿を行く」。
帰り車を置いている石部宿には、相棒を輪行袋に収め、バスと電車を乗り継いで帰るつもりだったのですが、輪行袋を持ってくるのを忘れてしまい、結果、元来た道を相棒と引き返すことになりました。
覚悟を決めて、カメラをリュックに納め石部宿へと再出発したのが午後4時前。
ひたすら走り、石部宿に近づいたころには、陽は沈んでいました。
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# by y-tukide | 2023-10-02 09:00 | 街道を行く