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by y-tukide
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2015年盆休み 阿波おどり
今年の盆休みの12・13日の二日間、妻と娘、4歳の孫そして妻の妹、姪と私の計6名で徳島へ阿波おどりを見に行ってきました。
昨年の夏、NHKで阿波おどりの特集を妻が見て、えらく感動したのがきっかけで、今年の初めに宿を予約し計画したものです。
朝6時に車で自宅を出、箕面市に住む義妹と姪をひろい、盆休みで朝から渋滞する道を走り、明石大橋を越えたのは9時過ぎ、ここで遅めの朝食をとりました。
そして淡路島を走り、鳴門海峡大橋を渡り徳島県に入り、市内中心部にある宿に着いたのはちょうど昼、ここで荷物をおろし、ちょっと市内を散策し、昼食に名物「徳島ラーメン」をいただきました。
阿波おどり本番は、夕方の6時からなのですが「アスティおどりひろば」という所で、阿波おどりの実演とレッスンや阿波おどり衣装の貸し出しなどがあることを知り行くことにしました。
おどりのグループである「連」は300程あるのだそうですが、その中にハイレベルな踊りとパフォーマンスで知られる「有名連」があります。ここでは「天保連」と「無双連」が、踊りとパフォーマンスを見せてくれました。
義妹・姪っ子と孫は、衣装を借りて無双連の方と記念撮影。
レッスンを受けて老若男女、皆で踊ります。
太鼓・三味線・笛・鉦の鳴り物と二拍子の軽快なリズムに合わせ「ヤットサァー ヤットサァー ヤットヤット」「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆ならおどらにゃソンソン・・・」のはやし唄に合わせて踊ります。
私はもっぱら「見る阿呆」と「撮る阿呆」に徹しました。
そして夕方6時からの本番が始まります。
どこからともなく人があふれ出し、あちこちの演舞場へと向かいます。
私達は「藍場浜演舞場」を早くから予約しておいたのですが、幸運にも最前列で見ることが出来ました。
一番目は有名連の一つ「阿呆連」です。阿呆蓮のシンボルは、肩に染め抜かれた破れ傘。男たちは手ぬぐいをかぶり、提灯を片手に乱舞。女踊りは躍動的で、女踊りとしては唯一の奴踊りを演じます。
企業蓮の中の「サンスター連」の子供達、とてもかわいくてかっこいいです。
「蜂須賀連」のしとやかで優雅な女踊りと色っぽい女ハッピ踊り。
鮮やかな扇を使った可憐な踊りの「阿波扇」の子供達。
「藝茶樂」の黒龍奴のパフォーマンス。
第1部の終わりがけから小雨が降りだしたのですが、雨もなんのその熱気は冷めません。
そして第1部の終わりは「悠久連」の提灯さばきの鮮やかで若さあふれる男踊りと情熱的でキレのある女踊りで締めとなりました。
12日からの4日間、町のあちこちの演舞場で踊りが演じられ、にわか参加の人達も交え
徳島の街は祭り一色です。
昨年の夏、NHKで阿波おどりの特集を妻が見て、えらく感動したのがきっかけで、今年の初めに宿を予約し計画したものです。
朝6時に車で自宅を出、箕面市に住む義妹と姪をひろい、盆休みで朝から渋滞する道を走り、明石大橋を越えたのは9時過ぎ、ここで遅めの朝食をとりました。
そして淡路島を走り、鳴門海峡大橋を渡り徳島県に入り、市内中心部にある宿に着いたのはちょうど昼、ここで荷物をおろし、ちょっと市内を散策し、昼食に名物「徳島ラーメン」をいただきました。
阿波おどり本番は、夕方の6時からなのですが「アスティおどりひろば」という所で、阿波おどりの実演とレッスンや阿波おどり衣装の貸し出しなどがあることを知り行くことにしました。
おどりのグループである「連」は300程あるのだそうですが、その中にハイレベルな踊りとパフォーマンスで知られる「有名連」があります。ここでは「天保連」と「無双連」が、踊りとパフォーマンスを見せてくれました。
義妹・姪っ子と孫は、衣装を借りて無双連の方と記念撮影。
レッスンを受けて老若男女、皆で踊ります。
太鼓・三味線・笛・鉦の鳴り物と二拍子の軽快なリズムに合わせ「ヤットサァー ヤットサァー ヤットヤット」「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆ならおどらにゃソンソン・・・」のはやし唄に合わせて踊ります。
私はもっぱら「見る阿呆」と「撮る阿呆」に徹しました。
そして夕方6時からの本番が始まります。
どこからともなく人があふれ出し、あちこちの演舞場へと向かいます。
私達は「藍場浜演舞場」を早くから予約しておいたのですが、幸運にも最前列で見ることが出来ました。
一番目は有名連の一つ「阿呆連」です。阿呆蓮のシンボルは、肩に染め抜かれた破れ傘。男たちは手ぬぐいをかぶり、提灯を片手に乱舞。女踊りは躍動的で、女踊りとしては唯一の奴踊りを演じます。
企業蓮の中の「サンスター連」の子供達、とてもかわいくてかっこいいです。
「蜂須賀連」のしとやかで優雅な女踊りと色っぽい女ハッピ踊り。
鮮やかな扇を使った可憐な踊りの「阿波扇」の子供達。
「藝茶樂」の黒龍奴のパフォーマンス。
第1部の終わりがけから小雨が降りだしたのですが、雨もなんのその熱気は冷めません。
そして第1部の終わりは「悠久連」の提灯さばきの鮮やかで若さあふれる男踊りと情熱的でキレのある女踊りで締めとなりました。
12日からの4日間、町のあちこちの演舞場で踊りが演じられ、にわか参加の人達も交え
徳島の街は祭り一色です。
#
by y-tukide
| 2015-08-17 09:56
| 夏休み
石場寺かいわい
ツキデ工務店の事務所の2階に四畳半の和室があります。
和室には小さな床の間があり、その床に江戸時代に描かれた「三河万歳?」の絵が掛けられています。
この絵は、滋賀県の近江商人発祥の地の一つである東近江市の「五箇荘」で、私が5年ほど前に偶然手に入れたものです。
絵は、江戸時代後期に「湖鱗楚東」と言う僧が五箇荘の近くにある「石場寺(いしばじ)」に住んでいた時に描いたものです。
「湖鱗楚東」という人は「すこぶる文藻に富、資性淡白で酒悦」。老後は、「人の背に負われ、人家を訪れ、酒はあるか、うまいものはあるかと尋ね、あるという答えがあれば、早速その饗応にあずかり、欣然としてまた人の背に負われ帰るという具合であった」。
というちょっとユニークな人だったようです。
近江商人屋敷が多く残る「五個荘」には何度か行っていますが、「石場寺」は訪れたことが無く、一度行って見たいと常々思っていたのですが、今年の四月の終わりに思い立ち行ってきました。
田植え前の石場寺の集落。
石場寺は、聖徳太子により建立された古刹ですが、戦国時代に織田信長による兵火にあい衰退しますが、徳川の時代に復興され、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺です。
山門跡から約三百段の自然石の石段を上ります。
石段の両側に、かつての塔頭跡の石垣が残り、当時の寺の規模が想像されます。
石段脇に並ぶ石仏。
石段を登りきるとさほど広くない境内は、静寂に包まれ、新緑がまぶしく、すがすがしい空気が漂います。
自然の岩壁を背景にした禅寺らしい石庭。
170年ほど前「湖麟楚東」は、ここに住み絵などを描いたのか・・・
そんなことを思いながら石段を下り、隣の「五箇荘」にある、絵を購入した近江商人屋敷「八年庵」に、また何か面白いものがないか行ってみることにしました。
ところがあいにくこの日は開いていませんでした。
「八年庵」は、豪商「塚本家」の分家で文化人でもあった塚本源三郎の元邸宅で、空き家でしたが地元の工務店の手により改修再生されたものです。(ちなみに女性の肌着メーカー、ワコールの塚本家もこの地の出身です)。
5年前に「八年庵」に訪れた時は、塚本源三郎と交流のあった福沢諭吉や勝海舟などの書状や掛軸など貴重なものを見せて頂きました。
福沢諭吉が塚本源三郎に送った書状。
天秤棒をかついだ近江商人の旅姿の貴重な写真。
久しぶりに伝統的建造物群保存地区に指定されている五箇荘の「金堂地区」を散策したのですが、この日は祭が行なわれていました。
大人も子供も祭の装束は、天秤棒をかついで他国に商いに出かけた近江商人の装束です。
帰りは、金堂地区から南に30分程歩き、旧中山道に出、近くを走る近江鉄道の「五箇荘駅」から帰ることにしました。
近江鉄道の終点の「近江八幡駅」で降り、JR東海道線に乗り換えずに途中下車し、「ひさご寿司」という店に寄ったのですが、そこで大変珍しい「鮒ずし」の握りを頂きました。
和室には小さな床の間があり、その床に江戸時代に描かれた「三河万歳?」の絵が掛けられています。
この絵は、滋賀県の近江商人発祥の地の一つである東近江市の「五箇荘」で、私が5年ほど前に偶然手に入れたものです。
絵は、江戸時代後期に「湖鱗楚東」と言う僧が五箇荘の近くにある「石場寺(いしばじ)」に住んでいた時に描いたものです。
「湖鱗楚東」という人は「すこぶる文藻に富、資性淡白で酒悦」。老後は、「人の背に負われ、人家を訪れ、酒はあるか、うまいものはあるかと尋ね、あるという答えがあれば、早速その饗応にあずかり、欣然としてまた人の背に負われ帰るという具合であった」。
というちょっとユニークな人だったようです。
近江商人屋敷が多く残る「五個荘」には何度か行っていますが、「石場寺」は訪れたことが無く、一度行って見たいと常々思っていたのですが、今年の四月の終わりに思い立ち行ってきました。
田植え前の石場寺の集落。
石場寺は、聖徳太子により建立された古刹ですが、戦国時代に織田信長による兵火にあい衰退しますが、徳川の時代に復興され、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺です。
山門跡から約三百段の自然石の石段を上ります。
石段の両側に、かつての塔頭跡の石垣が残り、当時の寺の規模が想像されます。
石段脇に並ぶ石仏。
石段を登りきるとさほど広くない境内は、静寂に包まれ、新緑がまぶしく、すがすがしい空気が漂います。
自然の岩壁を背景にした禅寺らしい石庭。
170年ほど前「湖麟楚東」は、ここに住み絵などを描いたのか・・・
そんなことを思いながら石段を下り、隣の「五箇荘」にある、絵を購入した近江商人屋敷「八年庵」に、また何か面白いものがないか行ってみることにしました。
ところがあいにくこの日は開いていませんでした。
「八年庵」は、豪商「塚本家」の分家で文化人でもあった塚本源三郎の元邸宅で、空き家でしたが地元の工務店の手により改修再生されたものです。(ちなみに女性の肌着メーカー、ワコールの塚本家もこの地の出身です)。
5年前に「八年庵」に訪れた時は、塚本源三郎と交流のあった福沢諭吉や勝海舟などの書状や掛軸など貴重なものを見せて頂きました。
福沢諭吉が塚本源三郎に送った書状。
天秤棒をかついだ近江商人の旅姿の貴重な写真。
久しぶりに伝統的建造物群保存地区に指定されている五箇荘の「金堂地区」を散策したのですが、この日は祭が行なわれていました。
大人も子供も祭の装束は、天秤棒をかついで他国に商いに出かけた近江商人の装束です。
帰りは、金堂地区から南に30分程歩き、旧中山道に出、近くを走る近江鉄道の「五箇荘駅」から帰ることにしました。
近江鉄道の終点の「近江八幡駅」で降り、JR東海道線に乗り換えずに途中下車し、「ひさご寿司」という店に寄ったのですが、そこで大変珍しい「鮒ずし」の握りを頂きました。
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by y-tukide
| 2015-08-10 09:03
| かいわい
第6回 大工さんとつくる夏の工作
8月の第一週の日曜日、恒例となった「大工さんとつくる夏の工作」を当社の作業場で開催しました。
ツキデ工務店は、天然乾燥の奈良の吉野材を使い、プレカット(機械加工)ではなく大工の手加工で、まさに1棟ずつ手作りの家づくりをしています。
その吉野杉を使って、皆様の手で工作していただき、ものづくりの面白さや難しさを大人も子供の楽しく体験していただこうという企画で、今年で6回目となります。
毎年好評で、今年も44組140名のご参加をいただきました。
今年は、できるだけ多くの方々に参加していただこうと、昨年より作業テーブルを増やしたのですが、それでも申込者多数で定員オーバーとなり抽選でお断りさせていただいた方々にはまことに申し訳なく思っています。
まずは恒例の参加者全員の記念撮影。
これも恒例、作業を始めるにあたり、大工道具の使い方を大工が説明をさせていただきました。
次にのこぎりの使い方を大工が実演。
この日は、大工9名、現場監督7名、設計3名、総務企画5名と大工育成塾塾生1名とインターンシップの学生1名、そして私の計26名でお手伝いさせていただきました。
さぁー作業が始まります。
作業が始まると、用意された図面とサンプルをもとに大人も子供も真剣そのもの。
大工と現場監督・設計スタッフがみなさんのお手伝いをします。
今年も、箸づくりコーナーが人気でした。
暑さ対策に扇風機とミストファンを計12代台を用意しました。
ミストファンは水蒸気を噴出し気化熱で温度を下げる優れものです。
今回も氷を用意しました。
キッズコーナーは担当者が数名付き、まるで保育園です。
みんなかしこく仲良く遊んでくれました。
お昼ご飯は恒例のおむすび弁当、デザートはかき氷を用意しました。
毎年参加者の方が、さまざまな物を差し入れていただき、イベントを盛り上げてくださいます。
今回も、手作りのストラップ60個、クワガタ・カブトムシ20匹、手作りパン、野菜、御菓子をいただき、皆様にお分けし共にいただきました。
ありがたいことです。改めてお礼申し上げます。
さあー完成です。最後に労作と記念撮影。
酷暑の一日でしたが、参加者の皆様方のご協力のもと事故もなく無事終了することが出来ました。
皆様お疲れ様でした。
ツキデ工務店は、天然乾燥の奈良の吉野材を使い、プレカット(機械加工)ではなく大工の手加工で、まさに1棟ずつ手作りの家づくりをしています。
その吉野杉を使って、皆様の手で工作していただき、ものづくりの面白さや難しさを大人も子供の楽しく体験していただこうという企画で、今年で6回目となります。
毎年好評で、今年も44組140名のご参加をいただきました。
今年は、できるだけ多くの方々に参加していただこうと、昨年より作業テーブルを増やしたのですが、それでも申込者多数で定員オーバーとなり抽選でお断りさせていただいた方々にはまことに申し訳なく思っています。
まずは恒例の参加者全員の記念撮影。
これも恒例、作業を始めるにあたり、大工道具の使い方を大工が説明をさせていただきました。
次にのこぎりの使い方を大工が実演。
この日は、大工9名、現場監督7名、設計3名、総務企画5名と大工育成塾塾生1名とインターンシップの学生1名、そして私の計26名でお手伝いさせていただきました。
さぁー作業が始まります。
作業が始まると、用意された図面とサンプルをもとに大人も子供も真剣そのもの。
大工と現場監督・設計スタッフがみなさんのお手伝いをします。
今年も、箸づくりコーナーが人気でした。
暑さ対策に扇風機とミストファンを計12代台を用意しました。
ミストファンは水蒸気を噴出し気化熱で温度を下げる優れものです。
今回も氷を用意しました。
キッズコーナーは担当者が数名付き、まるで保育園です。
みんなかしこく仲良く遊んでくれました。
お昼ご飯は恒例のおむすび弁当、デザートはかき氷を用意しました。
毎年参加者の方が、さまざまな物を差し入れていただき、イベントを盛り上げてくださいます。
今回も、手作りのストラップ60個、クワガタ・カブトムシ20匹、手作りパン、野菜、御菓子をいただき、皆様にお分けし共にいただきました。
ありがたいことです。改めてお礼申し上げます。
さあー完成です。最後に労作と記念撮影。
酷暑の一日でしたが、参加者の皆様方のご協力のもと事故もなく無事終了することが出来ました。
皆様お疲れ様でした。
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by y-tukide
| 2015-08-03 10:41
| 見学会・イベント
建物完成見学会「愛猫と暮らす小さな家」
7月18日・19日・20日の三連休、今回もお客様のご厚意により、引き渡し前の完成建物見学会を実施させて頂きました。
台風11号が去った後の暑い三日間でしたが、多く皆さんにお越しいただき、スタッフ一同大変感謝しています。
ただ私は所用のため見学会には参加出来ませんでしたが、後日完成写真を撮らせていただきましたのでここで紹介させて頂きます。
このお宅は、永年住み慣れた土地に建て替えをした、大人4人(夫婦と子供2人)と猫3匹のコンパクトな広さの住まいです。
玄関アプローチ。
限られた敷地の中で2台の駐車スペース確保し、狭いながらもアプローチにちょっとした植栽スペースを設けました。
畳2畳分の広さの玄関ですが、可能な限りの収納をとっています。
家族4人と猫3匹が集うリビング・ダイニング。
リビング・ダイニングは、西側の2間の広さの開口部からウッドデッキにつながります。
デッキには、ちょっと高めの目隠し兼用の杉板の手すりを設けています。
リビングの横に隣接して4畳半の「畳の間」があります。
畳の間の窓には木製格子を設けることにより、道路からの視線を遮ることが出来ます。
北側に洗面・脱衣・トイレ・浴室と水回りをまとめ、無駄のない家事動線にするとともに、家族全員の衣類を納める収納を確保しました。
またそこからは、ウッドデッキにもつながり、直接洗濯物を干すことが出来ます。
キッチン周りも作り付け家具で十分な収納を確保しました。
玄関ホールから居間に入ると開放的な階段室があり、その横にピアノが置かれます。
階段室の梁に設けたキャットウォーク、猫たちはこういう所がお好きなようです。
ロフトがあるご夫婦の寝室に隣接して、お二人の書斎があります。
二人の子供さんの小さな部屋にも本棚や収納を充分確保しました。
コンパクトな広さの家ですが、十分な収納もあり、暮らしやすそうな家に仕上がったと思います。
これから家族と共に、この家の新しい歴史が始まります。
台風11号が去った後の暑い三日間でしたが、多く皆さんにお越しいただき、スタッフ一同大変感謝しています。
ただ私は所用のため見学会には参加出来ませんでしたが、後日完成写真を撮らせていただきましたのでここで紹介させて頂きます。
このお宅は、永年住み慣れた土地に建て替えをした、大人4人(夫婦と子供2人)と猫3匹のコンパクトな広さの住まいです。
玄関アプローチ。
限られた敷地の中で2台の駐車スペース確保し、狭いながらもアプローチにちょっとした植栽スペースを設けました。
畳2畳分の広さの玄関ですが、可能な限りの収納をとっています。
家族4人と猫3匹が集うリビング・ダイニング。
リビング・ダイニングは、西側の2間の広さの開口部からウッドデッキにつながります。
デッキには、ちょっと高めの目隠し兼用の杉板の手すりを設けています。
リビングの横に隣接して4畳半の「畳の間」があります。
畳の間の窓には木製格子を設けることにより、道路からの視線を遮ることが出来ます。
北側に洗面・脱衣・トイレ・浴室と水回りをまとめ、無駄のない家事動線にするとともに、家族全員の衣類を納める収納を確保しました。
またそこからは、ウッドデッキにもつながり、直接洗濯物を干すことが出来ます。
キッチン周りも作り付け家具で十分な収納を確保しました。
玄関ホールから居間に入ると開放的な階段室があり、その横にピアノが置かれます。
階段室の梁に設けたキャットウォーク、猫たちはこういう所がお好きなようです。
ロフトがあるご夫婦の寝室に隣接して、お二人の書斎があります。
二人の子供さんの小さな部屋にも本棚や収納を充分確保しました。
コンパクトな広さの家ですが、十分な収納もあり、暮らしやすそうな家に仕上がったと思います。
これから家族と共に、この家の新しい歴史が始まります。
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by y-tukide
| 2015-07-27 11:01
| 見学会・イベント
塩津街道(海道)を行く
塩津は琵琶湖の北端の湊、海津・大浦の湊の中で最も北に位置する湊です。古来より塩津は湖上交通の要所として、畿内と北陸・蝦夷地を往来する旅人や物資輸送の集積地として栄えた地です。
6月初めの休日、塩津から沓掛→深坂古道→追分→疋田(ひきた)→敦賀へと縦断する古道「塩津街道」を妻と歩くことにしました。
6月初めの休日、塩津から沓掛→深坂古道→追分→疋田(ひきた)→敦賀へと縦断する古道「塩津街道」を妻と歩くことにしました。
琵琶湖最北端の塩津浜。
切妻で重厚な構えの元造り酒屋であった「沢屋」。2階の二つの出格子が特徴的です。
最盛期には、何軒の旅籠があったのか、今も明らかに当時は旅籠であったであろう建物が何軒か残っています。
街道沿いに建つ常夜灯。
最盛期には、何軒の旅籠があったのか、今も明らかに当時は旅籠であったであろう建物が何軒か残っています。
街道沿いに建つ常夜灯。
「知りぬらむ ゆききならす塩津山 よりふる道は からきものぞと」
土地の人に聞くと「辻家住宅」という江戸時代の豪農の建物で、国の重要文化財に指定されているそうです。
JR塩津駅を越え、国道8号線を歩き途中右に旧道を入ると、「沓掛」集落が川沿いに伸びています。
沓掛集落を過ぎ、また国道8号線を歩き沓掛スノーステーションの手前から、左に折れ深坂古道に入ります。入口には「深坂地蔵」1.7kmの標識がありました。
途中、湿地や小川には板橋が架けられ、歩けるように整備されていますが、多くのハイカーが歩いた形跡があまりない山道です。途中ただ一人出会った方は、クマよけの鈴を携帯し蝶取りの網を持った男性のみでした。
道が消えかかったように思えた所に巨大な自然石を積み上げた屋敷跡が現れました。これは「問屋」跡です。森の中で突然古代の遺跡が現れたような光景です。
JR塩津駅を越え、国道8号線を歩き途中右に旧道を入ると、「沓掛」集落が川沿いに伸びています。
沓掛集落を過ぎ、また国道8号線を歩き沓掛スノーステーションの手前から、左に折れ深坂古道に入ります。入口には「深坂地蔵」1.7kmの標識がありました。
途中、湿地や小川には板橋が架けられ、歩けるように整備されていますが、多くのハイカーが歩いた形跡があまりない山道です。途中ただ一人出会った方は、クマよけの鈴を携帯し蝶取りの網を持った男性のみでした。
道が消えかかったように思えた所に巨大な自然石を積み上げた屋敷跡が現れました。これは「問屋」跡です。森の中で突然古代の遺跡が現れたような光景です。
当時は、敦賀から運ばれた荷物がここで別の業者の馬に積み替えられ、塩津の湊まで運ばれたそうで、さぞかし人や馬で賑わったでしょうが、今は想像もつかないほど森の木々に埋もれ静まりかえっています。
問屋跡を後に、杉木立の山道を進むと「深坂地蔵堂」に着きます。
平安末期、平清盛は息子の重盛に琵琶湖と敦賀間の運河開削を命じました。その際に大岩を割ろうとしたところ激しい腹痛に襲われ工事は中断、大岩を掘り起こすとお地蔵様であったと言われています。このお地蔵様が現在の深坂地蔵と伝えられ、別名「堀留め地蔵」と呼ばれています。また旅人が道中の安全を祈願して塩をお供えしたことから「塩かけ地蔵」の別名もあります。
御堂の周辺には、赤い前掛けを付けた自然石がいくつも祀られていました。
そこから草道を登ると標高370mの「深坂峠」に着きます。
ここが近江国(滋賀県)と越前国(福井県)の国境です。峠の周辺は緑が濃い広葉樹の鬱蒼とした森で、木漏れ日がこぼれすがすがしい気分にしてくれます。木々は雪が多いせいか変化にとんだ樹形で「森の精」が潜んでいるようです。ここでしばし休憩し、すがすがしい空気にひたりました。
ここからは下り、気持ちのいい道が続きます。
山道を下りきると「深津」集落に出、「追分」集落へと続きます。
さらに進むとここは「疋田(ひきだ)」集落。ここには「敦賀運河(引田船川)」跡があります。
平安時代の平清盛以降、琵琶湖と敦賀を結ぶ壮大な運河計画が時代ごとに度々あったようで、開通には至りませんでしたが、引田まで部分開通した遺構が残りそれが保存整備されています。
ここ引田から敦賀の市街地まではまだ7km程あります。
旧道を探しながら行くのですが、途中、道を見失い交通量の多い国道8号線を疲れた足を引きずり歩き、ようやく敦賀の市街地に入りました。
そして敦賀での目的地、私の気に入りの店「弥助」に到着。
問屋跡を後に、杉木立の山道を進むと「深坂地蔵堂」に着きます。
平安末期、平清盛は息子の重盛に琵琶湖と敦賀間の運河開削を命じました。その際に大岩を割ろうとしたところ激しい腹痛に襲われ工事は中断、大岩を掘り起こすとお地蔵様であったと言われています。このお地蔵様が現在の深坂地蔵と伝えられ、別名「堀留め地蔵」と呼ばれています。また旅人が道中の安全を祈願して塩をお供えしたことから「塩かけ地蔵」の別名もあります。
御堂の周辺には、赤い前掛けを付けた自然石がいくつも祀られていました。
そこから草道を登ると標高370mの「深坂峠」に着きます。
ここが近江国(滋賀県)と越前国(福井県)の国境です。峠の周辺は緑が濃い広葉樹の鬱蒼とした森で、木漏れ日がこぼれすがすがしい気分にしてくれます。木々は雪が多いせいか変化にとんだ樹形で「森の精」が潜んでいるようです。ここでしばし休憩し、すがすがしい空気にひたりました。
ここからは下り、気持ちのいい道が続きます。
山道を下りきると「深津」集落に出、「追分」集落へと続きます。
さらに進むとここは「疋田(ひきだ)」集落。ここには「敦賀運河(引田船川)」跡があります。
平安時代の平清盛以降、琵琶湖と敦賀を結ぶ壮大な運河計画が時代ごとに度々あったようで、開通には至りませんでしたが、引田まで部分開通した遺構が残りそれが保存整備されています。
ここ引田から敦賀の市街地まではまだ7km程あります。
旧道を探しながら行くのですが、途中、道を見失い交通量の多い国道8号線を疲れた足を引きずり歩き、ようやく敦賀の市街地に入りました。
そして敦賀での目的地、私の気に入りの店「弥助」に到着。
琵琶湖北端の塩津から日本海の敦賀縦断約24km、寿司を食べに「塩津街道を行く」ちょっと「粋な旅」でした。
店について早速飲んだ生ビールのうまかったこと!
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by y-tukide
| 2015-07-21 08:51
| 街道を行く