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伊賀街道を行く

伊賀街道は、伊賀国と伊勢国にまたがり、三重県の伊賀上野から長野峠を越え津に至る全長約12里(約50km)の街道で、現在の国道163号線に沿うように走ります。

現在も残る伊賀街道は、江戸時代に藤堂高虎が伊勢・伊賀の二国の大名として取立てられた時、津の本城と伊賀上野の支城としたため、この二つの拠点を結ぶために整備された街道で、今も街道のあちこちにかつての面影が残っています。

これまでに私は車で伊賀街道を走っていますが、この日は相棒のチャリと街道を行くことにしました。


「左ならみち 右いせみち」の道標。

伊賀街道は、伊勢詣での道でもありました。

ここから出発です。

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ここは、大和・山城と伊賀を結ぶ大和街道が伊賀上野城下にはいる入口「鍵屋の辻」。

この地は日本三大仇討の一つ、寛永11年に荒木又右衛門が義弟渡辺数馬を助け、仇敵河合又五郎を打ち本懐を遂げた「伊賀越鍵屋の辻の決闘」の地です。

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伊賀上野の街中を走る街道。

この辺りが東海道の「関宿」へと向かう大和街道と伊賀街道の分岐点です。

伊賀上野は、藤堂高虎が城を築いた城下町であると共に、俳人松尾芭蕉が生まれた地でもあります。

ここから大和街道を少し行くと松尾芭蕉の生家があります。

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市街地の外れに「荒木又衛門生誕の地」の石碑。

説明書きによると荒木又衛門は、剣術をここからさほど遠くない大和の柳生で柳生十兵衛に学んだそうです。

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街道は、のどかな田園風景の中を走り「上荒木」という集落に入ります。

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この集落で奇妙な形をした建物を発見。

古老に聞くとこの建物は、昔タバコの葉を乾燥させる小屋だったそうです。

集落内で2棟見かけましたが、以前はタバコ作りが盛んで多くの小屋があったそうです。

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集落を抜けると街道は、服部川沿いの山道を走ります。

ここでパンクをしては大変とチャリを降り押しながら街道を行きます。

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すると道端に自然石に彫られた磨崖仏が次々と現れます。

昼間とはいえ人一人いない薄暗い杉林の中、仏とはいえじっと見つめられているようで神秘というより薄気味悪さを感じます。

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磨崖仏に見つめられながら相棒を押し山道を行きます。すると視界が開け数件の民家が並ぶ小さな集落に出ます。

ここで民家の前の湧水をいただき喉を潤しました。

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集落を過ぎると稲刈りが終わったのどかな田園風景の中を走ります。

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街道と並行して流れる服部川。

一羽のサギが!

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伊賀街道には、四つの宿場があるのですがその一つである「平田宿」に入ります。

この建物は登録有形文化財に指定されている旅籠。

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宿場内には連子格子のある民家が多く残っています。

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当時の平田宿の様子を描いた絵。

寛永年間(17481751年)のころの宿場の規模は、戸数176棟、人口729、馬8頭、牛25頭と「宗国史」に記されているそうです。

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国道163号線に出、ようやく見つけた食堂で昼食をとり、腹を満たし道を進むと大きな製材所が!

ちょっと覗いてみると赤松の「芯差り」の立派な梁が並んでいます。

これはすごいとここの社長に声をかけ見せていただき、事務所でお茶までいただき社長と建築談義。

あっという間に1時間が過ぎました。

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これはやばいと街道にもどりひたすら走ります。

今日の目的地は次の「平松宿」。

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そしてようやく「平松宿」に到着。

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宿場周辺をぶらぶらし、平松宿からちょっともどった「大橋」というバス停で相棒をたたみ輪行することに。

午後336分発のバスを逃すと次は1時間以上先という貴重なバスに乗り、車を置いている伊賀上野市駅に向かいます。

バスが伊賀上野市街地に入るまでは乗客は私一人の貸切状態、何か申し訳なく思いながら帰路につきました。

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# by y-tukide | 2018-11-12 15:15 | 街道を行く

第9回 大工さんとつくる秋の工作

113日の文化の日、ツキデ工務店恒例の「大工さんとつくる秋の工作」を弊社の作業場で開催させていただきました。

この企画は、毎年8月の第1週の日曜日に開催していたのですが、今年の夏は異常な暑さに見舞われ、危険と判断し中止としました。

ただ、この企画は皆様に大変好評で、毎年楽しみにしている方も多いこともあり、改めて秋に開催することにしたものです。今年で9回目となります。

また今回は「建ててみよう木組の家」と題しまして、伝統構法の技を用いて原寸の四畳半(方丈)の家を組み建てる新企画もさせていただきました。

日本の伝統構法は世界に誇れる建築技術で、ツキデ工務店はその伝統構法の技を活かした家づくりをしていますが、今回は皆様に直に体験していただこうという試みです。

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私の始めの挨拶のあと注意事項の説明を行い、参加者全員で記念撮影。

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その後、作業を始めるにあたり木のこと道具の使い方等を大工の仲西君から説明をさせていただきました。

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この日は、大工8名、現場監督7名、設計4名、総務企画3名、そして専務と私の計22名でお手伝いさせていただきました。

さぁー作業が始まります。

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作業が始まれば、大人も子供も真剣そのものです。

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新企画の吉野の桧を使った「建ててみよう木組の家」のコーナーでも、専務の説明の後「建て方」が始まりました。

かわいい大工さんたちが、弊社の大工と専務の指導のもと吉野桧の厚板を並べ、まずは床をつくります。

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次に柱を立て、柱に「渡り欠き」という仕口加工をし、貫(ぬき)穴に「貫」を差します。

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そして次に溝をついた柱の間に桧の板を落とし込んで壁をつくっていきます。

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板壁ができると桁と梁を架け、大工手作りの「かきや」という大型の木槌を打ってしっかり組みます。

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次に柱と桁・梁とを締め固めるために硬いカシの木で作った「込栓(こみせん)」を打ち込みます。

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また柱の貫穴の隙間には両側から「くさび」を打ち込み固めます。

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そして梁に「束」を立てそれに「棟木」を乗せ、めでたく上棟!

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最後は屋根です。

屋根面のそれぞれに3本の「登り梁」を架け、その登り梁の間に桧の板を流し込んでいきます。

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そしてついに完成!

皆さん真剣に協力しながら頑張りました。

ここで記念撮影。

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完成に鏡開きで祝いました。

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中身はお酒ではなく、小さな「差し金」・巻尺・鉛筆・クロッキー帳そしてお菓子の入った袋。

今回参加してくれた子供達の中から、日本の伝統構法を継承してくれる大工さん志望者があらわれることを期待します。

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# by y-tukide | 2018-11-05 10:49 | 見学会・イベント

美作国 勝山散歩

美作国(みまさかのくに)勝山は、岡山県北部の真庭市にある山間の町です。

古くは、勝山城の城下町として、また播磨国姫路と出雲国松江を結ぶ「出雲街道」の要衝の地として繁栄しました。

以前から一度行ってみたいと思っていたのですが10月のはじめ訪れることができました。

出雲街道沿いには、白壁と出格子のある商家や民家が軒を連ねます。

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なまこ壁の蔵も多く当時の繁栄ぶりが伺えます。

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龍が描かれた見事な「鏝(こて)絵」。

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街道筋には蔵や町家を活用し、雑貨店やカフェ、ギャラリー、工房などの店が営業されています。

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この地方特有の黒と茶色の石州瓦の家並み。

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この建物は、現役の造り酒屋さん。

このあたりで「男はつらいよ」の寅さん最終作(第48作)のロケが行われたところです。

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街道と並行して流れる旭川。

この川を利用して舟で勝山より岡山まで地方の産物を積み、帰りは塩・日用雑貨品を積んで運んだそうです。

川に面する家々には、川に下りる階段が設けられ川の水を利用されています。

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勝山は、暖簾の町でもあります。

町の商家や民家の軒先に個性豊かな暖簾が揺れ、街並みにいろどりを添えています。

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10月というのにこの日は、汗ばむほどの陽気の勝山散歩でした。

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# by y-tukide | 2018-10-29 12:17 | 散歩

「精華町下狛の家」建物完成見学会

1020日(土)・21日(日)の両日、お施主様のご厚意により引き渡し前の建物見学会を開催させていただきました。両日とも天候にも恵まれ、多くの皆様にご来場いただきスタッフ一同大変感謝しています。改めて皆様にお礼申し上げます。

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この建物は、周辺に田園風景が広がるのどかな住宅地に建つ、家族4人が暮らす延床33坪の2階建ての家です。

見学会の翌日、完成写真を撮らせていただきましたので一部紹介させていただきます。

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玄関ポーチの吉野杉を張り上げた大きな屋根は、雨の日も濡れずにガレージに行き来ができます。

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桧の柾板でつくった玄関ドアを開けると正面に窓があり庭の木々が目に入ります。

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玄関の天井と玄関ポーチの吉野杉の軒天は、台形の欄間ガラスを介してつながり、狭い玄関が広く感じられます。

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20畳の広さのLDK

キッチンは対面式、台所仕事をしながらリビング・キッチン・庭を望むことができます。リビングの隅に置かれたペレットストーブで全館暖房が可能です。

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リビングの1間半の掃出し窓からウッドデッキが続きます。

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リビングに隣接して半間の床の間を設けた六畳の和室。
天井に檜の丸太を掛け、吉野杉の梁を表しにし、素朴な仕上げにしました。

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外部からの視線を遮るために掃出し窓の障子は、「雪見障子」です。

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対面式のキッチン、収納部も多くとりました。

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キッチンから横に一直線に洗面、洗濯脱衣場、勝手口と続き効率の良い家事動線としました。

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吉野杉をふんだんに使った2階のプライベートルーム。

広いベランダを設け布団も干しやすくしました。

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設計から1年余りをかけてめでたく出来上がったこの家、

これから住まい手によって歴史が刻まれていきます。

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# by y-tukide | 2018-10-23 11:08 | 見学会・イベント

(旧)枚方宿の町家再生工事

今月から、大型の町家の再生工事が始まります。着工前に記録として残しておくために現況写真を撮らせていただきましたので一部紹介させていただきます。

この建物は、大阪府枚方市を走る「京街道」の(旧)枚方宿に建ちます。

「京街道」は、江戸時代、京都の伏見と大阪の高麗橋へとつながる淀川左岸を走る街道で、京都と江戸を結ぶ東海道五十三次から「伏見宿」・「淀宿」・「枚方宿」・「守口」と続く古道です。

その京街道と並行して流れる淀川には「三十石舟」が往来し、京都と大阪の中間にあたる「枚方宿」は、特に旅籠や船宿が多く大層賑わったそうです。

その旧枚方宿には、今も当時の面影が残る建物が多くはないですが点在しています。

今回再生工事をさせていただく町家は枚方宿の中でも蔵を含むと間口が10間半(約20m)と最も大きく、「表屋造り」と言われる建物形式の町家です。

京街道沿いに建つ今回工事をさせていただく「表屋造り」の町家。

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この建物は、明治の中期から後期に建てられたと推測され、三つの「出格子」と「虫籠窓(むしこまど)」が連なるファサードは当時のままの形状と思われます。

「表屋造り」とは、通りに面して「ミセ棟」がありその裏手に「居住棟」がある大型の町家です。

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ミセ棟の玄関横に掲げられた当家の説明書きによると、

≪木南喜衛門家 屋号「田葉粉屋」 

木南家は楠木一族の後裔と考えられ、江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ねていた。幕末期には農業経営を発展させ金融業も営んでいた。また「くらわん舟」の茶舟鑑札を所持し、宿駅と村の運営に大きな影響を行使した≫と記されています。

楠木正成が「湊川の戦い」で九州から東上してきた足利尊氏の軍を迎え撃ち敗れたのは南北朝の時代、682年前の話です。その子孫が「楠木」の名を世に忍び「木」と「南」に分け「木南(きなみ)」と名乗り現在まで続いてきたとはすごい話です。

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ミセ棟の玄関を入ると「ミセニワ」があり、その奥の居住棟との間に「中庭」があります。

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ミセニワに飾られた江戸時代の「籠(かご)」と「龍吐水(りゅうどすい)」。

龍吐水は、江戸から明治時代に使われた消火器具、手押しポンプです。安政二年(1855年)と記されています。

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ミセ棟は、ミセニワから「ミセ」「奥ミセ」と続きます。

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ミセ棟と居住棟の間にある「中庭」。

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中庭には、貴人用の「ゲンカン」が設けられています。

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ゲンカンから「ナカノマ」「ブツマ」と続きます。

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ブツマの続きにある「ザシキ」。

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時代を感じさせる見事な襖絵があるのですが、これをどのような形で残すか悩みどころです。

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梁表しの「大和天井」の家人が食事をする場所であった「ダイドコ」。

ここに置かれている「水屋」も再利用します。

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30畳以上あるカマドのある広い「ニワ」。

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天井は吹き抜けていて棟方向に「地棟」が架かり、その下に梁背が2尺(約60cm)の梁で受けた「煙返し」が見事です。

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広大な敷地の北側には二つの蔵があるのですが、今年の618日に発生した震度6弱の大阪北部地震と94日に近畿に襲来した台風21号の影響で壁の一部が落ち無残な姿になりました。修復は可能なのですが当然多額の費用も発生することもあり、お施主様にとっては悩ましいことです。

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この蔵は現在、十分に活用されていません。

また今回の改修工事は、住み継ぐための居住棟が中心の改修で、改修後ミセ棟と蔵が有効に活用されることをお施主様も願っておられます。実はミセ棟の「ミセの間」は依然、児童図書室として地域の子供たちに開放されていました。

「建物」は活用されて初めて値打ちが出ます。

改修し建物が生き返り、快適な居住空間としてまたこの建物ならではの味を活かし活用され、永く地域の風景として残り続けることを願い再生工事を行いたいと思います。

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# by y-tukide | 2018-10-15 12:00 | 仕事色々