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(旧)枚方宿の町家再生工事

今月から、大型の町家の再生工事が始まります。着工前に記録として残しておくために現況写真を撮らせていただきましたので一部紹介させていただきます。

この建物は、大阪府枚方市を走る「京街道」の(旧)枚方宿に建ちます。

「京街道」は、江戸時代、京都の伏見と大阪の高麗橋へとつながる淀川左岸を走る街道で、京都と江戸を結ぶ東海道五十三次から「伏見宿」・「淀宿」・「枚方宿」・「守口」と続く古道です。

その京街道と並行して流れる淀川には「三十石舟」が往来し、京都と大阪の中間にあたる「枚方宿」は、特に旅籠や船宿が多く大層賑わったそうです。

その旧枚方宿には、今も当時の面影が残る建物が多くはないですが点在しています。

今回再生工事をさせていただく町家は枚方宿の中でも蔵を含むと間口が10間半(約20m)と最も大きく、「表屋造り」と言われる建物形式の町家です。

京街道沿いに建つ今回工事をさせていただく「表屋造り」の町家。

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この建物は、明治の中期から後期に建てられたと推測され、三つの「出格子」と「虫籠窓(むしこまど)」が連なるファサードは当時のままの形状と思われます。

「表屋造り」とは、通りに面して「ミセ棟」がありその裏手に「居住棟」がある大型の町家です。

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ミセ棟の玄関横に掲げられた当家の説明書きによると、

≪木南喜衛門家 屋号「田葉粉屋」 

木南家は楠木一族の後裔と考えられ、江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ねていた。幕末期には農業経営を発展させ金融業も営んでいた。また「くらわん舟」の茶舟鑑札を所持し、宿駅と村の運営に大きな影響を行使した≫と記されています。

楠木正成が「湊川の戦い」で九州から東上してきた足利尊氏の軍を迎え撃ち敗れたのは南北朝の時代、682年前の話です。その子孫が「楠木」の名を世に忍び「木」と「南」に分け「木南(きなみ)」と名乗り現在まで続いてきたとはすごい話です。

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ミセ棟の玄関を入ると「ミセニワ」があり、その奥の居住棟との間に「中庭」があります。

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ミセニワに飾られた江戸時代の「籠(かご)」と「龍吐水(りゅうどすい)」。

龍吐水は、江戸から明治時代に使われた消火器具、手押しポンプです。安政二年(1855年)と記されています。

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ミセ棟は、ミセニワから「ミセ」「奥ミセ」と続きます。

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ミセ棟と居住棟の間にある「中庭」。

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中庭には、貴人用の「ゲンカン」が設けられています。

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ゲンカンから「ナカノマ」「ブツマ」と続きます。

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ブツマの続きにある「ザシキ」。

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時代を感じさせる見事な襖絵があるのですが、これをどのような形で残すか悩みどころです。

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梁表しの「大和天井」の家人が食事をする場所であった「ダイドコ」。

ここに置かれている「水屋」も再利用します。

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30畳以上あるカマドのある広い「ニワ」。

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天井は吹き抜けていて棟方向に「地棟」が架かり、その下に梁背が2尺(約60cm)の梁で受けた「煙返し」が見事です。

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広大な敷地の北側には二つの蔵があるのですが、今年の618日に発生した震度6弱の大阪北部地震と94日に近畿に襲来した台風21号の影響で壁の一部が落ち無残な姿になりました。修復は可能なのですが当然多額の費用も発生することもあり、お施主様にとっては悩ましいことです。

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この蔵は現在、十分に活用されていません。

また今回の改修工事は、住み継ぐための居住棟が中心の改修で、改修後ミセ棟と蔵が有効に活用されることをお施主様も願っておられます。実はミセ棟の「ミセの間」は依然、児童図書室として地域の子供たちに開放されていました。

「建物」は活用されて初めて値打ちが出ます。

改修し建物が生き返り、快適な居住空間としてまたこの建物ならではの味を活かし活用され、永く地域の風景として残り続けることを願い再生工事を行いたいと思います。

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# by y-tukide | 2018-10-15 12:00 | 仕事色々

御手洗 散歩

大崎上島から望む瀬戸内の朝焼け。

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大崎上島の「明石」という港から、小さなフェリーに乗り大崎下島に渡り「御手洗(みたらい)」の港町へ。

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大崎下島にある御手洗(広島県呉市)は江戸時代、天然の「風待ち潮待ち」の良港として北前船や多くの公益船が寄港し栄えた港町です。

江戸から昭和初期に建てられた建物が今も集合し残り、平成6年に国の重要伝統的建物群保存地区として指定され、貴重で味わいのある街並みが大切に守られています。

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この建物は「若胡子屋跡」。

御手洗は、ここに寄港する船乗り達目当てに多くの遊女を抱えた花街で、その中で若胡子屋は最大の茶屋だったそうです。

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この建物は、昭和初期に建てられたモダンな劇場。

昭和30年頃までは映画館として使われていました。

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昭和の玩具や駄菓子の店「御手洗昭和館」。

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今でも時計の販売・修理を行っておられる時計屋さんの看板。

この町を歩いているとまるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚え、何とも言えないのんびりした時が流れます。

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通りに面する何軒もの町家の格子に生き生きしたきれいな花が活けられ、この町を愛し誇りに思っている人たちの思いが感じられます。

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のどかな海の景色と潮風の香り、古い建物が醸し出す情緒豊かな町を歩いていると時を忘れてしまいます。

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偶然見かけたギャラリー。

愛知県からここに移住し、御手洗と瀬戸内の魅力を絵にしておられる田中佐知男さん。

孫娘に、今度来るときは絵道具を持っておいで、一緒に絵を描こうと誘ってくださいました。

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古い街道の宿場町も良いですが、「海道」の港町も私は好きです。

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# by y-tukide | 2018-10-09 11:40 | 散歩

(仮称)みんなのき三室戸こども園茶室

宇治橋の東づめに建つ元米屋さんの店舗内に、六畳広間と四畳半小間の茶室がこの度完成しました。
完成写真を撮らせていただきましたので掲載させていただきます。

この茶室は、社会福祉法人「宇治福祉園」様から依頼された工事です。宇治福祉園の「みんなのき三室戸こども園」では、和紙作り・稲作り・草木染・お茶会など子供たちに「本物」の体験を通じて豊かな感性と本物の魅力を知るといった教育をされています。

今回の茶室も、ちゃんとした茶室で子供や父兄が気兼ねなくお茶を楽しめるように、また茶の町宇治でいろんな人達がお茶を楽しめるようにと企画されたものです。

宇治川に架かる宇治橋。

茶室はこの橋を渡ったところにあります。

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工事前の米屋さんの現場発泡の断熱材で包まれた冷蔵庫。

この中に茶室をつくりました。

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今回の工事は、私とツキデ工務店で最も古いベテラン大工が中心に、本間物の良質な材料と伝統的な技で、建具・表具・左官屋など様ざまな職人達と仕上げた仕事です。

そしてあの冷蔵庫がこんなに変わりました。

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六畳間の「床の間」は、前に袖壁をつけた「ふくろ床」。

床柱は皮付きの赤松、地板と床脇の前板や地袋の天板は、松の赤身の「肥松(こえまつ)」、袖壁の方立は「スス竹」、これらは古材を再利用しています。

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袖壁の「下地窓」は、在庫があった「女竹(めだけ)」を使い大工がつるで編んでくれました。

床の地板の「蹴込み」には「ゴマ竹」を用いています。

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六畳間の続きの2尺ほど(約600mm)の部分は吉野桧の板張りとし、その上に垂れ壁を設け格子を付けその中にエアコンを仕込みました。垂れ壁の壁止まりは桧の「さび丸太」、天井は「柿渋紙」を「袋張り」し、廻り縁にはここでも「女竹(めだけ)」使用しています。

また壁の真ん中に「ゴマ竹」を立てました。

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この面の壁には実は窓がないのですが窓に見せかけ障子を入れました。障子の戸当たりに「スス竹」を用いています。

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四畳半の茶室の床柱は「北山杉」の丸太、床框はカシュウ塗で「畳床」としました。

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「茶道口」は幅2尺1寸(636mm)、高さは5尺2寸(1575mm)。

その他の建具は5尺8寸(1760mm)です。


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赤杉を使った腰付障子の「竪桟(たてざん)」の「見つけ」は7分(21mm)、「見込み」は9分(30mm)、「組子」の「見つけ」は2分(6mm)と細く繊細な「京建具」です。

障子紙は手漉きの「美濃和紙」を使用しています。

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襖は、京都の綾部の黒谷で漉かれた地元の「黒谷和紙」で仕上げました。

「地袋」の襖は「京唐紙」です。

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4畳半の茶室の隣接する踏込に「柿渋紙」張りの襖を吊った「水屋」を設けました。

ただ給排水設備がとれず茶道具入れとして使っていただけるかも。

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杉の「面皮柱」と「床柱」は京都の北山杉、造作で使った「赤杉」は吉野杉。

良材を産する京都北山や奈良吉野の山は、建築を志す者にとって宝の山、その山が近くにあることは本当にありがたいことです。

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この茶室がどのように活用されていくのかこれから楽しみです。

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# by y-tukide | 2018-09-30 09:53 | 仕事色々

初秋の茅葺の里「美山」

この日、2か月ぶりに私の飲み水である若狭の「瓜割の滝」の湧水を汲みに行ってきました。

通常、若狭へのルートは自宅から滋賀県の「朽木」を経由する、いわゆる「鯖街道」を走るのですが、この日は久しぶりに「西の鯖街道」が通る、茅葺の里「美山」に立ち寄り行くことにしました。

早朝、霧にけむる茅葺の里。

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ソバ畑は一面に白い小さな花をつけていました。

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彼岸花も今が見ごろ。

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日本の原風景ここにあり。

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柿も色づき始めたか!

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茅葺にコスモスはよく似合う。

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いいタイミングで蝶が!

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一瞬青空。

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キビも実っていました。

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ソバの花。

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よく見ると何とも可憐。

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アリが受粉の手助け!

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# by y-tukide | 2018-09-25 12:24

鞆の浦 散歩

鞆の浦(とものうら)は、広島県のJR福山駅から南へバスで30分、沼隅半島の先端にある小さな港町です。

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鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで潮の流れが変わることから古来、内海を航行する船はこの潮に乗っての航法であったので、潮待ち風待ちの港として栄えました。

町内には、当時の繁栄がうかがえる昔ながらの情緒ある街並みが残っています。

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平地の少ない各地の港町同様、この港町も路地が網の目のようにつながり生活感、わくわく感が愉しめます。

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風待ちの港として航行上重要な港町であった鞆の浦には、歴史上有名な人物が訪れています。その一人が坂本竜馬です。幕末、坂本竜馬の率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」に衝突され、その談判が鞆の浦で行われています。

その談判所となった「旧魚屋萬蔵宅」

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江戸時代、朝鮮通信使もここに滞在しています。

その通信使が絶賛した福禅寺の「對潮楼(たいちょうろう)」からの眺め。

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鞆の浦は、映画やドラマのロケ地として、また宮崎駿が映画「崖の上のポニョ」の構想のために長期滞在したことなどから全国的に関心を集めました。

街を歩いているとこんなものが!

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鞆の浦は寺が多い町です。

江戸時代には28ヶ寺あったそうで、現在も19ヶ寺あります。

その一つ「医王寺」の山の上に建つ「大師堂」からの眺めがすばらしいと地元の方に進められ登ったのですが、急坂の登り切った所に寺があり、そこから石段が延々と続きます。

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大汗かいて登った石段の段数は583段。

ところが天気は下り坂、期待した景色は望めませんでした。

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この日、町では祭りが行われていました。

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# by y-tukide | 2018-09-18 09:53 | 散歩