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和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く


今回も引き続き、前回の「和歌山街道を行く」の終着地であったJR和歌山線の「高野口駅」から「紀伊長田駅」に向かって「和歌山街道(伊勢街道・大和街道)」を行きました。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14290198.jpg

前回にも紹介した「前田家住宅」の前を西へと向かって走る「和歌山街道」。
この日は晴天で、絶好の「街道を行く日和」。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14290953.jpg

前田家を過ぎ少し走り、街道を左にそれ「高野口小学校」に寄り道。
校舎は、昭和12年に建てられた木造校舎。私も小学3年まで木造校舎に通っていたこともあり郷愁を覚えます。
ドラマなどのロケにも使われ、NHKの連続ドラマ「芋たこなんきん」にも登場したそうです。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14291700.jpg

この辺りは柿の産地、前回和歌山街道を走った時よりも柿は色づいていました。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14292533.jpg

街道に沿って、「小田井用水」がとうとうと流れます。
現在、紀ノ川の北側一帯には、水田が広がり県内有数の田園地帯となっていますが、かつては、度々干ばつに襲われる水の便が悪い土地だったそうです。そこで江戸時代に現在の橋本市から岩出市まで、紀ノ川の水を運ぶ大土木工事が行われ、農地を潤す大動脈「小井田用水」が開発されました。

街道を進んでいくと途中で用水路は、紀ノ川に流れ込む「中谷川」で途切れ、川を渡ったところでまた用水路があらわれ、そこに水が勢いよく湧き上がっているのです。
用水は、深く切り下がった川の下のトンネルを流れ、サイホンの原理でふたたび湧き上がっているのです。
そのことを近くで農作業をしていた老人から聞き、当時の土木技術力に驚かされました。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14293677.jpg
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14293944.jpg


集落内を流れる用水、用水路沿いには木々が茂ります。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14295032.jpg

その街道沿いに建つ初桜酒造。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14295779.jpg

街道を走っていて見かけた、用水路をまたいで家々が普通に建っている光景にはちょっと驚かされます。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14300400.jpg

街道をさらに進むと「穴伏川」を用水路が渡るレンガと石造りのアーチ型の「龍乃渡井(水路橋)が。
大正8年に改修されたもので国の登録有形文化財に指定されています。
以前は木製の「掛樋(かけひ)」だったそうです。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14302582.jpg

そして街道は、「名手」宿に入ります。
宿に入って間なしに「旧名手本陣妹背家」があり、無料で見学することが出来ました。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14303620.jpg

「旧妹背家住宅」は、江戸時代の大庄屋の邸宅で、約1000坪に及ぶ敷地内には、国指定重要文化財に指定される母屋をはじめ南蔵・北蔵が並びます。
当時、紀州藩主の参勤交代の宿舎であったことから「本陣」と呼ばれ、母屋内には藩主が使用した書院造りの「上段の間」が。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14421051.jpg

ここで街道を離れ山手へ坂道を上っていくと、世界で初めて全身麻酔薬による乳ガン摘出手術を行った医師「華岡青洲」の自宅兼病院兼医塾であった「春林軒」があり、見学することに。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14421678.jpg

「華岡青洲」は、母と妻の献身的な協力のもと、薬草マンダラゲを主成分とする麻酔薬を完成させ、江戸時代の1804年世界初の全身麻酔による乳ガン摘出手術に成功した人物です。
父も医者だった青洲は、京都で医学を学んだ後、何とか患者が苦しむ痛みをなくしてケガの治療ができないかと考え、故郷に帰り薬草を集め麻酔薬の研究を重ね、薬草を調合しては動物実験を繰り返し、苦労の末にようやく麻酔の効果を確認することが出来たのです。

ただ人の身体にどのように用いればいいかの人体実験の必要性に窮したのですが、それを察した母と妻が申し出、何回も飲み実験を重ね、ついに麻酔薬の創製に成功しました。
そのせいでか人体実験となった妻は、失明することになるのです。
その妻をあんじる青洲と母の様子を屋敷内でリアルに再現されています。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14422460.jpg

その後全国から、医者を目指す若者や患者が青洲のもとに集まるようになり、多くの患者が救われ、春林軒塾で医術を惜しまず若者に教えました。
春林軒から送り出した門下生の数は、門人録によると1,861人に及んだそうです。
その門人たちが学んだ春竹軒の「内塾」も再現されています。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14423003.jpg

そのような青洲を紀州藩主は、侍医になるように求めたのですが、青洲は「私は一般庶民の難病を治すことを使命にしています、どうぞお許しください。」と断ったそうです。
その他にも青洲は、干ばつで苦しむ農民のために、私財を投じて貯水池を掘り農民の窮状を救いました。
春林軒の近くに「垣内(かいと)池」と名付けた貯水池。池のほとりには、青洲自作直筆の碑が建っています。

和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14423672.jpg

今回の「和歌山街道を行く」、江戸時代に小田井用水を開発した当時の人達の土木技術の高さを知り、華岡青洲の偉業と人となりに触れ、大変感銘を受けた一日となりました。

春林軒や青洲資料館で結構な時間を過ごした後、ふたたび街道に戻り、本日の目的地であるJR伊勢長田駅へと急ぎ走り、相棒と車を置いてある高野口駅へと列車で帰路につきました。
和歌山街道 高野口から紀伊長田を行く_e0164563_14424288.jpg





# by y-tukide | 2021-09-20 09:00

和歌山街道 隅田から高野口を行く

「和歌山街道」は、江戸時代のはじめに紀伊徳川藩が成立すると、江戸への参勤交代や三重県の松阪周辺の紀伊藩領への道として需要な街道となりました。和歌山城下京橋北詰を基点に紀ノ川に沿って東に進み、橋本、五条を経て高見山を越えて伊勢の松阪に至る街道です。
伊勢・大和・紀伊の三国を経ることから地域によって呼び名はいろいろで、「紀州街道」「伊勢街道」「大和街道」などとも呼ばれていました。
私は、昨年の4月に松阪の日野町交差点から高見峠まで「和歌山街道」を行きました。その様子は、ブログ でも紹介しています。
今回は、久しぶりに相棒と紀ノ川沿いの橋本市「真土(まつち))から「高野口」へ「和歌山街道(伊勢街道・大和街道)」を行くことに。

奈良県と和歌山件の県境に位置する「真土」集落の街並み。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12134979.jpg
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12135866.jpg

集落の周辺には、のどかな田園風景が広がります。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12140730.jpg

集落の最寄りの駅であるJR和歌山線の「隅田駅」にちょっと寄り道。
隅田駅の活性化を図ろうとの企画で、地元の隅田中学校美術部の生徒と卒業生により駅舎がペイントされていました。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12141778.jpg

街道は真土集落から西に走り、JR橋本駅あたりで国道24号線に合流します。
国道24号線沿いに今も残る「旧橋本本陣跡」。
主屋は、宝暦2年(1752年)建てられたもので、国登録有形文化財に指定されています。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12143084.jpg

この辺りは、「和歌山街道」と京・大阪から高野山に詣でる「高野街道」が合流し宿場として賑わったところです。
路地に入ると以前、旅籠であったと思われる建物や町家が点在して残り、往時の面影を忍ばせています。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12150283.jpg
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12151372.jpg

かなり古そうなある町家の塀には、「舟板」が再利用されていました。
この辺りには当時、街道が交わる要衝であると共に、紀ノ川の「渡し場」があり紀ノ川の舟運の要衝地でもあったのです。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12152054.jpg

和歌山街道と高野街道が交わる辻に建つ道標、「左いせ 右わか山」と彫られています。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12153336.jpg

道標を後に先を進み、街道沿いで見かけた本瓦葺の「長屋門」。
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さらに進み見かけた重厚な造りの家々や蔵が並ぶ街並み。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12155653.jpg

橋本駅前の観光案内所でいただいた大まかな地図と勘を頼りに街道を行ったのですが、
要所で見かける真新しい道標に助けられました。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12164389.jpg

橋本市は、柿の産地で街道を走っていると柿畑をよく見かけます。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12163347.jpg

そして高野山の玄関口であるJR高野口駅に到着。
駅舎は、明治に建てられたレトロな和洋折衷の建物で今も現役です。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12173174.jpg

そして駅舎の前には、瓦葺「入母屋造り」の木造3階建の旅館「葛城館」が悠然と建ちます。
この建物も明治期のもの、道路に面する外壁部は、戸袋以外は総ガラス障子、何らかの構造的工夫があるのか、百数十年間この状態でよくぞ持ちこたえてきたなと感心させられます。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12174140.jpg

街道沿いに建つ「前田家住宅」。
この町家は、江戸時代にさかのぼる町家で、薬種商を営んでいたそうで庄屋も勤めた旧家。
和歌山街道 隅田から高野口を行く_e0164563_12175753.jpg

今回の街道を行く「和歌山街道」、短い距離でしたが今も残る古建築や街並みと接し往時を偲ぶことが出来ました。
そして高野口で偶然見かけたこの建物、何でしょう?
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# by y-tukide | 2021-09-13 09:00 | 街道を行く

南紀 太地かいわい

和歌山県東牟婁(むろ)郡太地(たいじ)町は、紀伊半島の最南端の町「串本」の北西、熊野灘に突き出た二股状の岬に位置する小さな漁村です。
昔から捕鯨で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地と言われています。
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太地の集落の中心部は、二股状の岬に囲まれた太地湾の最奥部のさほど広くない平たん地にあります。
集落内は他地域の漁村同様、家々が密集して建ち、路地が幾筋も伸び迷路のように続きます。
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集落内の建物は、「平入」で平屋・中二階・本二階の建物が混在して並びます。
それらの家々の特徴は、多くの家が大正から昭和期に建てられたと思われ町家なのですが、外壁や格子・手すりにペンキが塗られていることです。
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中には数は少ないですが、素地仕上げの町家も見かけるのですが大半はペンキ塗りです。
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なんでもペンキ塗りの文化は、太地から出た北米移民や捕鯨船の乗員が海外から持ち帰ったともいわれ、和洋折衷の独自の景観を生み出しています。
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この建物は、1階は格子がある和風の造り、2階窓は現状アルミサッシがはまっていますが、以前は洋風の両開きの木製建具であったと思われます。また2階外壁も洋風な下見板張りです。
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湾の奥にある太地漁港。
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実は私がここを訪れたのは、初めてではありません。
3年前のお盆休みに隣町の那智勝浦に泊まった際、太地で花火大会があることを知り見に来ています。その日は、盆踊りなどもあり地元はもとより近郷の人たちでにぎわっていました。
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漁港の前にある「漁協スーパー」、のぞいてみると太地港で水揚げされた新鮮な魚が販売されていました。
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集落を離れ岬の方に向かうと岬の先端には、古式捕鯨でクジラがやって来るのを見張っていた支度部屋跡やクジラを発見するとそれを知らせる狼煙(のろし)場跡があります。
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これは、再現された燈明崎の鯨油を用いた行燈式の燈明灯台。
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どんよりした空もと、灰色に染まる雄大な熊野灘とリアス式海岸。
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燈明灯台に代わって明治32年に竣工し点灯した梶取崎灯台。
この日は一日中、8月なのに梅雨のようなうっとうしい空模様でした。
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# by y-tukide | 2021-09-06 00:00 | かいわい

竪穴式住居

小学4年生の孫娘が、夏休みの自由研究で「竪穴(たてあな)式住居」と「高床式建物」の模型を作りたいと突然言い出し、思わず「え~」。
学校でも歴史はまだ習っていないはずなのに、いつ何でそんな名称を知ったのかと驚かされました。
本人は本気でやるつもりなので、何はともあれ現物を見るのが大事と、孫娘と今回の模型作りを手伝うことになるだろう親たちとで滋賀県野洲市にある「弥生の森歴史公園」に行くことにしました。
ここには、野洲で発見された「銅鐸(どうたく)」を中心に展示した「歴史博物館」と、同じく野洲で発掘された弥生時代の住居跡を参考に「竪穴式住居」と「高床式建物」が公園内に復元され自由に見学することが出来ます。
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私は、これまでに復元された竪穴式住居を見たことはありますが、漠然と見ていたくらいです。
いざ模型を作るとなると構造と組み方を知る必要があるので、そのつもりで観察すると共に実測することにしました。
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そして主な寸法を孫娘と実測し、家に帰りフリーハンドで1/50のスケールで模型作りに必要な簡単な図面を作成しました。
建物は、円型で直径が約7m、高さが土間の床から約7.2mで、短い「棟」があるヨシと茅(かや)で葺かれた円錐形の建物です。
図面を書いていると2000年前の建物構造とはいえ、柱・梁・棟木・母屋・垂木など基本的な組み方は現在と同じで、まさに木造建築の原点であることがわかりました。
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模型の材料は孫娘と母親が考え、スチレンボード・竹ひご・ひも・紙粘土・紙・杉皮そして茅葺の材料は手帚(ほうき)に使われている棕櫚(しゅろ)を使うことに。
いよいよ弥生人になったつもりで模型作りが始まります。
竪穴式住居_e0164563_10273266.jpg

まずはスチレンボードで敷地を作ります。建物内の「土間」は、敷地から約40cm掘り下げられていたのでボードを2枚重ねに作ります。
次に掘り下げた円形の土間の中央に3m四方に柱を4本建て、それに4本の梁をひもでくくります。
竪穴式住居_e0164563_10273923.jpg

そして4方の角に「垂木」にあたる丸太を八の字に組み、そこに「棟木」をくくり付けます。
次にその「棟木」に対面の2方から「垂木」をかけて行きます。
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残る2方に流す「垂木」は、角の「垂木」に「棟木」から5~60cm下がったあたりに「棟木」と直行するように「垂木掛け」を取り付け、それに「垂木」を掛けていきます。
「棟木」と「垂木掛け」の間に出来る三角形の空いた部分は、土間で焚く囲炉裏の「煙抜き」になります。
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そして難しい作業は親たちに助けられ、奮戦しながらようやく骨組みが完成。
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次は、その骨組みに「茅(かや)」に模した「棕櫚(しゅろ)」を束ねて葺く作業です。
屋根の先端と出入り口の屋根には、本物の杉皮を葺きます。
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そして丸一日かけてついに完成。
素晴らしい出来です。
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敷地の建物の横に植えた木は、父親が用意した本物の栗の木の枝です。
それは集落内に食用となる「栗」・「柿」、そして古くから食物を盛るのに使われていた大きな葉をつける「ホオの木」が植えられていたからです。
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「円形」の竪穴式住居は、弥生時代の中頃まで主流で、後半は「棟」を長くした「方形」のものが多くなったとのこと。おそらく米の生産量が増え豊かになり、家族数も増え、大型化する必要からそうなったと推測します。そして現在もその構造の茅葺屋根の民家が各地に残っているのです。
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今回の孫娘と親たちによる竪穴式住居の模型作り、孫娘にとって良い勉強になったことでしょう。
また私自身も丸太による竪穴式住居の構造をじっくり観察し、組み建て方を考えることで、木造建築の原点を改めて認識した良い経験となりました。

歴史公園内の池に咲く「大賀のハス」。
千葉県見川遺跡の地下7mで発見された2000年以上の長い間、地中に眠り続けた3粒のハス種子、そのうちの一粒が見事に蘇生、発芽したものを栽培した古代のハスです。
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# by y-tukide | 2021-08-30 09:00 | 竪穴式住居

築25年のリノベーション 「 受け継がれる2世代の家」

この建物は、京都南部の城陽市の古くからの集落内に建ちます。
450㎡の広い敷地内には、築25年の延床45坪の2階建て、築34年の平屋の離れ、そして築70年ほど平屋の離れの3棟が中庭を囲うように建ちます。
そして今回、それらの建物を二世帯住宅としてリノベーションさせていただきました。

450㎡の広い敷地内には、3棟が中庭を囲うように建ちます。
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子世代が住む築25年の45坪2階建ての建物。
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改築前の外壁は、サイディング張りだったのですが、集落内の古民家の街並みに馴染むように1階の外壁は焼き板張り、2階は漆喰風吹き付けとしました。
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以前は、ダイニングキッチンとリビングが玄関ホールよって分断されていたのですが、構造補強することで不要な壁を取り払い、25帖の開放的なLDKとしました。
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25帖のLDKは、床を国産材の栗、リビングの床は一部畳敷き、壁は調湿性能がある自然素材のシラス壁と吉野杉、リビングの天井も吉野杉仕上げです。
また、暖房はペレットストーブを採用しました。
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キッチンは造り付けで、家族や友人が集まって料理や作業ができるように収納を兼ねた大きな作業台を設けました。
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キッチンと隣接する洗面所からは、2枚の引違い戸を介して右側は脱衣場と浴室へ、左側はクローゼットに繋がります。
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家族が集える広いウッドデッキは、親世帯が住む離れとも繋がります。
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それぞれの世帯が生活スタイルに合わせて暮らせるように、親世帯にも玄関・キッチン・トイレ・洗面脱衣・風呂を設けました。
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杉板張りの6帖のリビングは、畳敷きの小上がりの寝室と隣接します。
小上がりの段差を利用し、キャスター付きの収納用引き出しを3杯仕込みました。
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中庭、デッキを介しての親世帯の居間からの眺め。
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3棟目の築70年ほどの離れには、広い土間があります。
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歴史を感じるこの離れ、多目的な用途として活用される予定ですが、どのように生かされるか楽しみです。
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# by y-tukide | 2021-08-23 09:00 | 仕事色々