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第41回 「削ろう会」全国大会-大阪交野大会
2025年4月12日(土)・13日(日)の両日、「削ろう会」全国大会が大阪府交野市にある「いきいきランド交野」で行われた。
ツキデ工務店からも中堅・若手大工4名が参加していることもあり、妻と娘家族で応援に行くことにした。
「削ろう会」は、カンナ削りをはじめ手道具や伝統技術の可能性を追求するユニークな会で、大工をはじめ木造・木工関係の職人のほか、その道具を作る鍛冶、そして手道具や職人に興味のあるマニアが集まって競い・楽しみながら技術交流している会である。
今大会には、海外も含め全国から400名近くの方が参加されていようで、その多さに驚かされた。
会場には、参加者の各ブースに畳1畳ほどの作業台が設置され、ここで競技が行われる。
作業台には、削る材と参加者それぞれの自慢のカンナやカンナの台を調整する道具などが置かれている。
この競技では、材をカンナでいかに薄く削れるかが試される、1mmの1/1000のミクロンの世界の勝負である。
大会では、削った1mほどのカンナくずの両端と中心の3カ所を計測し、55mmの幅での各計測点の厚み、そして3点の厚みの合計が小さな数値を競うルールである。
これぞと思うカンナくずを提出し審査員が計測する。
午前中の予選で2ミクロンの薄さが出たそうで、その人は外国人の方であったとのこと。
ちなみに若手の川口君と谷井君の予選1回目は、7.0―7.5―7.5=22.0 11.0-10.5-11.5=33.0であった。
切れ味がいいカンナの刃にするために、刃を砥石でひたすら研ぐ根気がいる作業が必要である。
会場では、「台カンナ」以外にも伝統的な工具を使った実演や体験ができる。
これは、「大鋸(おが)」と呼ばれる木材の縦引き専用の大きなノコギリ。
そしてこれは、「台カンナ」がでる以前に使われていた「槍カンナ」、法隆寺の柱の仕上げにも使われていたそうである。
その刃を研ぐには高度の技術が必要とか。
斧(おの)で丸太を削る人。
手斧(ちょんな)をうまく使える少年もいた。
競技エリアのメインアリーナに隣接するサブアリーナの2階には、子供を含む一般の人たちが楽しめる「体験・ものづくりゾーン」がある。
この日一緒に来た5歳になる孫も、杉材の柱・貫(ぬき)・楔(くさび)で組まれたジャングルジムに登り、木づちで楔を打ち込んでいた。
木の積み木も子供たちに人気で、孫も父親と夢中になっていた。
会場は、熱気にあふれ、競い合いという緊張感の中ではあるが、皆さん和気あいあいと楽しんでいるようであった。
ところが皮肉にもこの日、13日(日)の朝日新聞朝刊に『40年で1/3 足りぬ大工』の見出しで、『大工の数が20年間で半減している。この40年間で3分の1になった』との記事が掲載されていた。
この日のこの会場の参加者の多さと盛り上がりの雰囲気からは、記事がうそのように思えた。
社会全体でみると、悲しいかなそれが現実であろうが、世界に誇る日本の素晴らしい伝統的技術と木の文化を絶やしてはならない。
#
by y-tukide
| 2025-04-21 09:00
| 見学会・イベント
近江中山道 武佐宿から高宮宿を行く
私は25年ほど前に「淡海文化を育てる会」発行の『近江歴史回廊 近江中山道』を読み、その本を片手に「東海道」と「中山道」が合流する滋賀県草津市の「草津宿」から中山道を岐阜県の「関ケ原宿」まで数日をかけ歩いた。
そして中山道の魅力にはまり、その後も何回か「近江中山道」の宿場巡りをしている。
季節も良くなったので今回、14年ぶりに「武佐(むさ)宿」から「高宮宿」まで相棒と近江中山道を行った。
近江鉄道の「武佐駅」の近くに車を置き、相棒を降ろしいざ出発。
「武佐宿」は、中山道67番目の宿場である。
武佐宿の入口の古い民家の土塀の左手に、広大な敷地の名家「伊庭貞剛(いばていごう)邸」跡がある。敷地内には、楠の巨木のみが残り往時を偲ばせる。
この建物は、登録有形文化財に指定されている明治19年(1886年)に建築された「旧八幡警察署 武佐分署庁舎」。
大屋根の軒を支える「持ち送り」が特徴的である。
旧奥村家であった「武佐宿脇本陣跡」、現在は武佐町会館として活用されている。
武佐宿を過ぎた街道沿いで珍しい作業を目にした。
神社の参道の椋の巨木の伐採作業、クレーン車で木を吊るし作業員の方が木に登りロープをかけ、チェーンソーで切る、アクロバティックな作業である。
その先の街道沿いに趣がある茅葺の民家がある。家の前に建てられた説明書きによると、このお宅
には、江戸末期に「勝元宗益」という庭師によって作庭された「緑苔園」という回遊式の枯山水庭園があるとか。
この辺りは、「老蘇(おいそ)」というところ。ここには、万葉の時代から世の移り変わりとともに、数々の和歌や詩などに詠まれた「老蘇森(おいそのもり)」がある。往時は現在の数倍の面積を持つ大森林であったと言われている。
その森の中に「奥石神社」が鎮座する。
「老蘇森」を過ぎると街道は、国道8号線を越える。すると正面に西国観音巡礼第32番の「観音正寺」が鎮座する「観音寺山」が見える。
「観音正寺」は、私の中・高校生時代の友人の親戚の寺で、高校の夏休みにここで数日、友人と共にお世話になった懐かしい思い出がある寺である。
「観音正寺」に向かう参道の山の麓の集落。
この集落内で見かけた蔵の壁には、廃船になった船の板である「船板(ふないた)」が再利用されていた。
集落の道を東に進むと左手の山裾に紅葉で有名で小堀遠州の作庭の庭園がある「教林坊」がひっそりと佇む。
ここから先をさらに進むと街道は、再び国道8号線を越え「五箇荘」に入る。
ここは、近江商人の発祥地の一つであり、街道沿いには「天秤棒(てんびんぼう)」を担いだ近江商人像が乗った石柱が立つ。
そしてその先を進むと、また趣がある茅葺の民家が目に入る。この民家は「片山半兵衛家」。
片山家は、「武佐宿」と次の「愛知川宿」の中間に位置し、休憩所として大名家などに利用されていたそうである。
時刻は昼、ここでたまたま見つけた私の好物である「焼き鳥肉」店で昼食をとった。
昼食の後、中山道に戻ると14年前の記憶に残る建物が目にはいった。
この建物は明治初めの建物で江戸時代から京都、大阪で活躍した呉服商の本宅。
25年ほど前に来た時この建物は、空き家で外壁も荒れていたが、14年前に来た時はきれいに改修されていた。
その時、近所の人に聞くとこの建物は、一時不動産屋の手に渡ったのだが、建物を残すために北町屋町が不動産屋を説得し買い戻し改修され、町の歴史的財産となったとの事であった。
この町は、地域の歴史や街並みを誇りとし大事にされている町なのである。
さらに進み、この辺りで一つ気になる建物を探した。
その建物は、玄関先に釣鐘をおいていた幕末から続いている鋳物師の西澤家である。当時敷地内には作業場があった。
しかし今回再訪したが釣鐘は、玄関先には無かった。
これは、14年前の2011年5月に撮ったもの。
さらに進み、もう一軒気になる建物を探した。それは「小幡」の集落にあった「小幡人形(小幡でこ)」の継承者である9代目細居源悟氏の家である。
「小幡人形」は、京都の「伏見人形」の製法を習得し、いつしか小幡人形として独自に発展した土人形である。
嬉しいことにそのお宅は、当時のままあった。
たまたまそのお宅の玄関前の植木鉢に水をやっている女性に聞くと9代目は健在で今も頑張っておられるとのことであった。
「小幡」を過ぎると「愛知川(えちがわ)」の堤に出る。
江戸時代、幕府の戦略上の目的で愛知川には橋がなかったが、「愛知川宿」の町衆が彦根藩に願い出て、資金を出し合い、渡るのにお金がいらない「無賃橋」を架けたとのこと。
広重が描いた「木曾海道六拾九次」では、板橋が描かれている。
「愛知川宿」に入ると当時を偲ぶ建物を多く見ることが出来る。そのひとつが江戸時代から続く老舗料理旅館の「竹平楼」である。明治天皇の北国巡幸のときここで小休止されている。
25年ほど前ここを通った時、中を覗き込んでいると女将さんが出てこられ、私が『建築の仕事している』というと、明治天皇が休憩された当時の部屋をわざわざ見せてくださり説明していただいたことを思い出す。
さらに進み「宇曽川」を越え「豊郷(とよさと)」に入る。
「江州音頭発祥地」の石碑を左手に見ながら進むと、大手商社の丸紅・伊藤忠商事の創始者である「伊藤忠兵衛」さんの本家がある。
初めてここを訪れたころは、火・木・土しか開放されていなかったが、今は「伊藤忠兵記念館」として、月曜日以外開放され見学できる。
玄関を入った「店の間」には、近江商人の象徴である「天秤棒」と「わらじ」が展示されていた。
座敷の床の間には、初代伊藤忠兵衛さんと奥さんの写真、そして2代目伊藤忠兵衛さん直筆の掛け軸が飾られていた。
さらに進むと、右手に「豊郷小学校旧校舎」が現れる。
「豊郷小学校」は、豊郷町の先人である「古川鉄治郎」が、近江商人の「売り手よし 買い手よし 世間よし(社会貢献)」の「三方よし」の経営哲学のもと、私財の三分の二に相当する金額を寄付し、米国人建築家である「ヴォーリス」設計により昭和12年(1937年)に建設された建物である。
一時期、建て替えか保存かで物議を呼んだが、耐震改修し保存され、町の活動拠点として活用されている。
階段の手すりには、イソップ物語のウサギとカメの真鍮製の像が歴史を語る。
TBSのテレビアニメ「けいおん」という番組の中で主人公達が通う高校のモデルとなったことから、14年前にここを訪れた時は、ファンが押しかけ元教室では、バンド演奏も行われていた。
街道道は「犬上川」を渡り「高宮宿」に入る。
ここでも今も変わらず提灯を飾る店に再開出来た。
実は、2007年5月にここを訪れた時撮った写真を2008年のツキデ工務店の年賀状に使わせていただいた。
飾られている提灯は変わっていたが、18年前に見た光景は変わらず、懐かしい再会となった。
#
by y-tukide
| 2025-04-14 09:00
| 街道を行く
佐原かいわい
東京方面に行く機会があり、折角なので足を延ばし千葉県香取市にある「佐原(さわら)」の町に妻と行くことにした。
利根川流域の町である「佐原」は、舟運・商業で繁栄し「北総の小江戸」と呼ばれ、町を流れる小野川沿いや香取街道沿いには、江戸情緒あふれる街並みが残る。
またこの地は、日本全国を測量して歩き、我が国最初の実測日本地図を作り上げた人物である「伊能忠敬(いのうただたか)」を輩出した町でもある。
前日は、成田駅前のホテルに泊まったので、翌日早起きしホテルから歩いて十数分ほどの所にある関東地方屈指の参詣者数を誇る寺「成田山新勝寺」に初めて参ることにした。
早朝の表参道、正面に成田山の三重塔が朝霧の中かすんで見える。
真言宗智山派の大本山である「成田山新勝寺」は、1000年以上の歴史を持ち、源頼朝や水戸光圀など多くの歴史上の人物から信仰されてきた寺院である。
朝6時に時を告げる鐘が鳴ると同時に何人もの僧侶が朝のお勤めに本堂に向かわれていた。
その後ホテルに戻り朝食をとり、8時40分発のJR成田線の電車に乗り佐原駅へと向かった。
瓦葺きの屋根に外装に格子が多用された趣のある和風造りの佐原駅舎。
駅前広場には、佐原が生んだ偉人「伊能忠敬」の像が立つ。
駅前にある観光案内所でレンタサイクルを借り、最初に向かったのは「伊能忠敬 記念館」。
ここには「稲生忠敬関係資料」が2345点所蔵されていて、それらは国宝に指定されている。
ここでの撮影は禁止。
記念館の川向には、伊能忠敬旧宅が今も残る。
伊能忠敬は、50歳を過ぎてから日本全国を測量して歩いたのだが、それまではここで酒造業等を営んでいたそうである。
利根川とつながる小野川沿いには、土蔵造りの重厚な商家や蔵が並び、当時の繁栄ぶりが伺える。
観光船で舟めぐりができ、水上から「小江戸」の風景が楽しめる。
香取街道沿いの土蔵造りの商家群、ここは水陸交通の要所として栄えた町である。
これは「与倉屋大土蔵」。
この歴史的景観の街並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
小野川沿いの道を下っていくと利根川との境に水門がある。
日本一長い利根川の雄大な水郷の眺め。
この水郷の一角に「川の駅 水の郷さわら」があり、その施設中に全長7m程のバカでかい麦ワラで仕上げられた鯉が飾られていた。
説明書きによるとこの鯉は、「佐原の大祭夏祭り」で山車に飾られるそうである。
この水の駅で千葉県の特産品である落花生が売られていた。
「おおまさり」という名の落花生は、よく見かける落花生の倍ほどの大きさで、思わず土産に購入した。
この後、南東に4kmほどの所にある「香取神社」に向かうことにした。
のどかな田園風景の中にある生け垣が大変きれいな集落内を抜け走った。
「香取神社」は「下総国(しもふさのくに)」、現在の千葉県北部の一宮で全国約400社の香取神社の総本山。この社も関東を代表する神社である。
門前には土産屋が並び、朱色の鳥居を抜け鬱蒼とした木々に包まれた玉砂利の参道を行く。
この日は天気もよく、土曜日とあって多くの参拝者が訪れていた。
時刻は昼、佐原駅近くに戻り昼食をとることにした。
この辺りは、利根川があることからか鰻屋が多い。そこで駅の近くの鰻専門店で鰻重をいただいた。
鰻を満喫した後、佐原駅前から高速バスに乗り、車窓から利根川を眺めながら東京駅に向かい帰路についた。
#
by y-tukide
| 2025-04-07 09:00
| かいわい
淡路島 散歩
この日、相棒を車に積み久しぶりに淡路島に向かった。
最初に訪れたのは、淡路島の西海岸に面する「江井(えい)」という人口が1100人ほどの小さな港町。
朝、霧に包まれた江井漁港。
漁港に返ってきた特殊な構造をした漁船に積まれている黒いどろっとした塊は養殖の海苔。
ここで水揚げされ、港の加工場で洗浄され乾燥し四角い海苔に仕上がるそうである。
町を散策していると30年前の阪神淡路大震災後、建替えられた新しい家屋がある中、さすが瓦の大産地である淡路島、瓦葺きの立派な古民家が震災をくぐり抜けて建っているのがうれしい。
こんな趣のある路地もあった。
その路地を照らすレトロな街灯。
街を散策していると「お香」の香りがほんのり漂う。
ここ江井地区は線香づくりに町。全国の約70%のシェアを締め、線香づくりに携わる作業場や店が建ち並ぶ。
次に江井の町から西に4kmほどのところにある淡路国の一宮である「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」に向かった。ここを訪れたのは2度目。
伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀にも登場する歴史ある神社。
イザナギ命(のみこと)とイザナミ命の男女の神が夫婦となり、淡路島を初めに日本の国土を生み出したという「国生み伝承」の神が祀られている。
その後、車で20分ほど走り「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」に向かった。
「五斗長垣内遺跡」は、弥生時代後期(1~2世紀頃)の鉄器づくりのムラで、23棟発見された竪穴建物跡の内、12棟が鍛冶工房建物であったそうだ。
復元された鍛冶工房の中央の地面には、高い熱を受けて赤く変色している「鍛冶炉(かじろ)」跡がある。
鍛冶作業のイメージ図。
ここで鉄製の「矢じり」などが生産されていた。
これらの鉄器の原料は砂鉄ではなく、約2mm厚の板状鉄製品を炭火で赤く焼き柔らかくし、石で叩いて必要な鉄器に加工していたようである。
その板状鉄製品が朝鮮半島から海を渡り輸入されていたことには驚かされた。
これは複製された板状鉄製品。
帰り道、淡路島の北端の町「岩屋」にある「道の駅あわじ」に立ち寄り、淡路島特産の玉ねぎを土産にした。
自宅の菜園の玉ねぎは、まだ小さく収穫はまだ先なのだが、ここには早くも「極早生(ごくわせ)」の新玉ねぎが売られていた。
久しぶりの淡路島散歩であった。
#
by y-tukide
| 2025-03-31 09:00
| 散歩
2025年春 月ヶ瀬梅渓
奈良市の西部、京都府と三重県境の山間の村「月ヶ瀬」は、梅で有名である。
この時期、村を流れる名張川のダム湖の湖岸から山腹かけて赤や白の約1万本の梅の花が咲き誇る。
自宅近くの公園の梅も見ごろをむかえているので、月ヶ瀬の梅も見ごろかと期待し、彼岸入りの翌日に2年ぶりに向かった。
最初に着いた川沿いの「梅の資料館」あたりの梅は、五分から七分咲きだった。
ところが山の上の梅は、場所や木にもよるが三分から五分咲きぐらいで見ごろには早かったが、あたりはほのかに甘い香りが満ちていた。
今年もこの辺り一帯で「梅まつり」が、2月9日から3月23日まで行われていた。
民家の庭先や散策道沿いの店で地元の産物や草餅などが売られている。
散策道沿いには、急な斜面に張り出して床が設けられ、そこで梅の花を見ながら食事ができる。
「梅林公園」には、赤・白・黄やしだれ梅と色んな品種の梅が植えられている。
昼飯は、美晴荘別館という古風な食事処で「ぼたん鍋定食」をいただいた。
この日、日本の伝統芸である「猿まわし」が行われていた。
『暑さ寒さも彼岸まで』と言われているが、今年の冬は長く厳しかったこともあり、月ヶ瀬梅渓の梅の開花も例年より2~3週間遅れていた。
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by y-tukide
| 2025-03-24 00:00
| 季節の花色々