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北国脇往還を行く

湖北を通る街道で「北国街道」は、中山道の米原付近から長浜の市街地を通り、木之本をぬけ北陸へと通じる道です。それに対し「北国脇往還」は、中山道の関ケ原から伊吹山の麓を通って斜めに木之本に北上する道で、現在の365号線にあたる古道です。
戦国時代、織田徳川連合軍と浅井朝倉連合軍との戦いでも織田徳川の連合軍がこの道を通り北へ攻め入り「姉川の合戦」が行われました。その後も羽柴秀吉が柴田勝家との「賤ヶ岳の合戦」で美濃の大垣から木之本への13里(52km)を5時間で駆け抜けた「秀吉の大返し」でも有名な道です。
私は13年前にも「北国脇往還」であったあろうと思われる道をあくまで推測と勘でうろうろしています。
今回も特に街道の道筋を示す詳細な地図もなく出かけました。
北陸自動車道の長浜ICで降り東へと走ります。途中「石田」という地名のところに寄りました。
ここは石田光成の出生の地で屋敷跡もあります。

屋敷跡に建つ光成の像。
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近くの八幡神社の裏には石田光成一族の供養塔が建てられ、毎年11月には法要が町の人達の手で行われているそうです。供養塔には花が活けられ、きれいに管理されていました。
今でも石田光成は、町の人々に慕われているようです。
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ここから「北国脇往還」に向かったのですが、どうも道がよくわかりません。
これでは時間の無駄と「浅井歴史民俗資料館」に行けば参考になる何かがあるだろうと行ったのですがここでも大まかな地図しかありませんでした。
ところがたまたま資料館に来られたボランティアのガイドの方が「み~な」という湖北の地域情報誌の104号の特集で「北国脇往還をゆく」に詳細な地図が掲載されているということを聞き、さっそく隣接する図書館でその号を探しコピーしてもらいました。
良く調べられた詳細地図で明治20年代に陸軍参謀本部陸地測量部作成の地図を基本資料に、実際に関ケ原―木之本間を歩いて作られた地図です。
それぞれの時代によって街道の経路はたえず変わるので江戸時代、その以前の道筋とはかわっているでしょうがこれで十分です。
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この地図片手に再出発、地図には詳しい経路と目印、解説も書かれていて街道歩きを倍楽しめます。
さっそく街道を行き「野村」という集落に。
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四つ角に江戸時代の道標。
「右江戸谷汲」「左北國道」と記されています。「谷汲」は西国巡礼札納めの谷汲山華厳寺のことで当時巡礼めぐりの参拝者も往来していたようです。
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野村の集落の南側には姉川が流れます。ここが「姉川の合戦」があったところ。
攻める織田徳川連合軍29000の兵、迎える浅井朝倉連合軍は18000の兵、ここで壮烈な戦いが行われ織田徳川の勝利で終わり、小谷城にたてこもった浅井家は3年後に滅亡します。

今は夏草がおい茂る姉川。
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街道を行き今日の最後についた集落は「雨森(あめのもり)」。
ここは江戸時代の儒学者で、22歳で対馬藩に仕え当時の朝鮮との外交に尽力した「雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)」の出生の地です。
集落の東端には、芳洲さんの偉業をたたえ彼の意を継承するための公共施設の「東アジア交流ハウス 雨森芳洲庵」があります。
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芳洲さんの像と江戸時代の朝鮮通信使の人形。
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この集落は、芳洲さんの出生の地としての誇りからか村人の手により大変きれに整備され、集落内を歩いていてもゴミ一つ落ちていません。
集落を縦横に清流が流れる水路には鯉が泳ぎ、水車が回り、水路沿いには花が飾られています。
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今回、北国脇往還に行こうと思った目的の一つは、13年前に訪れた時の雨森の風景が気になったからです。
13年前来た時と全く変わらない雨森の集落の風景には感動しました。
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自分たちの村に誇りを持ち、村の風景を大事にする村人の心意気を改めて感じました。
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by y-tukide | 2014-08-11 09:36 | 街道を行く