日記


by y-tukide

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
街道を行く
かくれ里を行く
かいわい
散歩
早朝散歩

鉄道ブラ旅

水汲み
お知らせ
建物探訪
見学会・イベント
仕事色々
お寺の山門再生工事
伝統工法町屋改修技術を学ぶ
奥村先生とまことさん
雑誌掲載
我が社の年賀状
研修
お茶会
宇治川花火大会
天満天神繁昌亭
大相撲宇治場所
社員旅行
引っ越し
夏休み
お正月
我が家のツバメ
季節の花色々
未分類

以前の記事

2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月

フォロー中のブログ

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

(3)

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
近畿

画像一覧

中山道木曽路 福島宿から宮ノ越宿を行く

この日は、前回に続き「福島宿」から「宮ノ越宿」へと中山道木曽路を歩きました。
前回と同様JR宇治駅を5:24の電車に乗り、京都駅から新幹線で名古屋へ、名古屋から中央本線の特急「しなの」に乗り換え、木曽福島駅に着いたのは8:29。
ここから福島宿へと向かいました。
駅から坂道を下り、中八沢橋を渡ると福島宿に入ります。宿場内には、防衛のために道が鍵の手に曲がる「桝形(ますがた)」が何カ所あり、石置き屋根の家、うだつを上げた町家などが並び、今も宿場の雰囲気を色濃く感じさせます。
e0164563_9153067.jpg

e0164563_9154513.jpg


宿場のはずれの「高札場跡」を過ぎ、木曽福島の市街地が途切れたあたりに「福島関所跡」があります。
福島関所は、江戸幕府が東海道をはじめとする五街道の各所に設けた50箇所の関所の中でも、東海道の箱根関と新居関、中山道の碓氷関と並ぶ「四大関所」の一つとして重要視されました。現在ここには福島関所資料館と史跡公園が整備されています。
e0164563_9155744.jpg


木曽川の断崖の険しく狭い場所に設けられた当時の福島関所のジオラマ。
特に「入り鉄砲に出女」は、江戸幕府が諸大名の謀反を警戒して厳重に取り締まりました。
e0164563_916988.jpg


福島関所資料館を見学し先を進むと街道は国道19号線と交差しながら続きます。
「上田」という集落に入ると木曽義仲が手習いに通ったという「手習天神」がありました。
このあたりから宮ノ越宿かけて、木曽義仲の生い立ちの里として数々の史跡があります。
e0164563_9162227.jpg


次の集落の「栗本」には、義仲を育てた武将である「中原兼遠(かねとう)」の屋敷跡がありました。兼遠は、義仲の愛人であり女武者であった「巴御前(ともえごぜん)」の父親です。
集落を抜けると街道は、気持ちいい草道を進みます。
e0164563_9163232.jpg


中山道六十九次の京都・江戸双方からの中間地点に着きました。
京都三条大橋から三十六宿、六十七里二十八町(約266キロ)の地点です。
今に思えば17年前に「近江中山道をいく」ことを思い立ち、京都三条大橋から近江路を関ケ原宿まで休みごとに何日もかけて歩きました。そして今年の春先、中山道美濃路に興味を持ち、美濃中山道十七宿を訪ねました。勢いついて次に続く木曽中山道の魅力にはまり、ついに中間地点まで来てしまいました。自分でもよくここまで来たものだと思います。
e0164563_9164470.jpg


中間地点を過ぎ、さらに進むとここは「原野」という集落、街道沿いに「出梁造り(だしばりつくり)」の立派な民家が並ぶ街並みです。
時刻は11時、気温17℃、快晴、最高の街道歩き日和です。
e0164563_9165443.jpg


ようやく「宮ノ越宿」に着きました。
街道沿いに建つ出格子と障子戸がきれいな「田中邸」。田中家は江戸時代旅籠(はたご)だったのですが、明治十六年に宿場の九十軒を焼失する大火で焼失したそうで、現在の建物は隣村から移築された江戸時代末期のものだそうです。
今は休憩所として利用でき、自由に見学できます。
e0164563_917884.jpg

e0164563_9172066.jpg


田中家に展示されていた昔の宮ノ越宿の街並み。
e0164563_9173176.jpg


宮ノ越は「木曽義仲の里」です。
義仲は、武蔵国(埼玉県)で清和源氏の一流である河内源氏の一門の源義賢(よしたか)の二男として生まれ、幼名は「駒王丸」と呼ばれていました。
ところが2歳の時に父義賢は攻め滅ぼされ、駒王丸は木曽に逃れます。
そして中原兼遠に養育され、十三歳にして元服し「木曽次郎源義仲」と名乗ります。
義仲は1180年、後白河法皇の第二皇子の以仁王(もちひとおう)より平家追討の命を受け旗揚げし、北陸に進軍し京へとのぼります。
義仲は入京して平家追討の功績により征夷大将軍に任じられますが、荒れ果てた京の都の治安を維持できず、貴族社会にも受け入れられず、最後には鎌倉の義経らの源頼朝軍に敗れ、大津の粟津ヶ原で討死します。義仲31歳の短い生涯でした。
その後歴史は、貴族社会が終焉にむかい武家社会の幕開けとなります。

宮ノ越周辺には、義仲にまつわる建物や旧跡が多く存在します。その一つに「木曽義仲館」(資料館)があり、資料館入口正面には義仲と鎧姿の巴御前の像が建てられています。
e0164563_9174433.jpg


資料館に展示されていた「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」の日本画。
北陸の倶利伽羅峠の合戦で義仲軍が、牛の角に松明をくくりつけ平家の大軍に追い入れ、倶利伽羅谷に追い落とし大勝利を得た有名な話です。
e0164563_918049.jpg


資料館の近くの義仲の菩提寺である「徳音寺」には、義仲と巴御前の墓があります。
e0164563_918137.jpg


義仲が、一千余騎を従え平家追討の旗揚げをした「旗揚八幡宮」。
境内には、その旗揚げの様子を見ていたであろう樹齢1000年の大ケヤキがあります。
e0164563_9182538.jpg


今回は、木曽義仲を肌で感じとることが出来た「街道を行く」でした。
栄枯盛衰の人の世に、変わらぬ姿の山間からのぞく「木曽駒ヶ岳」。
e0164563_9183411.jpg

by y-tukide | 2015-06-22 09:24 | 街道を行く