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(旧)枚方宿の町家再生工事―2

ツキデ工務店は、現在5棟の古民家再生工事を行っています。
その内の一つが、以前私のブログで紹介させていただいた(旧)枚方宿の町家再生工事です。
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昨年の10月から解体工事をはじめ、これまでに足元の基礎工事、躯体の「揚舞(あげまい)」と柱の「根継」、躯体の「建ち直し」、耐力壁の増設と補修工事が終わり、今は大工が造作工事を行っています。

これまでの工事の様子を一部紹介させていただきます。

まずは基礎工事。
この建物は、江戸時代淀川を往来する船が立ち寄る港の一つであった「枚方港」の近くに建っています。地盤調査の結果、地下水位が浅い位置にあり地盤があまりよくありません。
そのためにか建物の柱が下がり、最大で80mm下がっていました。
それで今回は、柱がのる礎石周り1m四方に150mm厚のコンクリートを打ち、これ以上下がらないようにすることにしました。
まず、柱の「礎石」の周りと建物の外周部の柱がのる「カズラ石」周りを掘り、整地し、礎石とカズラ石に穴をあけ、アンカーに差した13mmの鉄筋を打ち込みます。

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次に湿気が上がってこないように防湿フイルムを一面に敷き、礎石とカズラ石に打ち込んだ鉄筋の周りに一体となるように鉄筋を組みます。そしてそれ以外の部分には、5mmのワイヤーメッシュを敷きます。
そして礎石・カズラ石周りは150mm厚、その他の部分は70mm厚でコンクリートを打設しました。

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コンクリート地盤をつくった後の次の仕事は、下がっている柱を上げる「揚げ舞」と朽ちている柱の足元を切り取り「根継」する作業です。
再生工事に長けた大工と見習い大工の二人だけでこの作業をこなしてくれました。

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建物の外回りに半間ごとに入っている「側柱」は、溝形鋼で両側からはさみ、両側に25トンの昇降能力のジャーナルジャッキ4台で上げます。
このジャーナルジャッキは優れもので、アルミ製で軽く、鍛造歯車を使っているので強力かつ噛み合い優れていて、かけっぱなしにしていても下がる心配がなく安心です。

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上げた後は柱の「根継」の仕事です。
これは「金輪継(かなわつぎ)」という伝統的な「継手」です。ツキデ工務店の倉庫にあった堅木のケヤキやクリ、ヒノキの切れっぱしをうまく無駄なく使ってくれました。

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そして次は「足固め」の仕事です。
伝統工法の「石場建」の建物は、石の上に柱がのっているだけなので、地震などの時、それぞれの柱が勝手に移動すると具わいが悪いので、各柱の足元を横架材で繋ぎ固めます。
これは改修前の「足固め」の状態、「長ほぞ」に打ち込まれた「込み栓」が中で折れたのか柱と足固め材が開いていました。

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これらの「足固め」をすべて新しくやり替えます。
この作業は古民家再生工事では、大変大事な仕事です。
仕口を固めるのにいくつかの方法があるのですが、今回はボルトを使うことにしました。

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足固めの次は、傾いている柱を正常な状態に戻す「建ち直し」の作業です。
2トンの性能のチェーンブロックをかけて引っ張り「建ち直し」をします。

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「建ち」を直しても、長年傾いた状態だったので「仕口」と壁に「くせ」が付いていて、チェーンブロックを緩めると元に戻ってしまいます。そのために「仮筋交い」で止めたり、チェーンブロックをかけっぱなしにします。
次に「建ち」が戻らいためにと耐震補強のために新たな壁を設ける作業を行います。
当初の計画では、昔ながらに「通し貫」に「竹小舞」を編む予定だったのですが工期の関係で、「木小舞」に土と紙を塗り乾燥させた「荒壁パネル」に変更しました。

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ただ既存の壁の補修部分は、「小舞竹」を編み土をつけています。

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以上簡単な説明ですが、現時点でのこれまでの仕事です。

今回の再生改修工事では、2階は一部のみ改修するのですが、その箇所の「竿縁天井」をめくると「地棟(ぢむね)」に張り付けた「棟札(むなふだ)」が出てきました。

「棟札」は、この建物が「棟上げ」されたときの記録として棟などにつけて残す札で、施主名、大工棟梁名と日付が記されています。
それをよく見ると「天保三壬辰九月吉祥日」と書かれていました。
天保三年というと江戸時代で西暦1832年、187年前です。

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私は、明治期の建物とばかり思っていたので、驚きでした。
その部屋の壁は「真壁」に和紙張りで、下張りの紙には文字が書かれているのですが残念ながら私には読めません。
勝手な想像ですが必要がなくなった江戸時代の帳簿・帳面類ではないかと?

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# by y-tukide | 2019-03-18 13:00 | 仕事色々

光雲寺「閑雲庵」

「閑雲庵」は、南禅寺の境外塔頭である「光雲寺」の境内に建つ建物で、以前から滞在型の宿泊施設として活用されていたのですが、今回全面的に改修させていただき、新たな滞在型の宿「閑雲庵」として生まれ変わりました。
設計は、日建設計で京都迎賓館やザ・リッツカールトン京都を手掛けられたKUU・KAN設計室の建築家佐藤義信氏によるものです。
そして運営は、京都らしいこだわりの宿を多数展開されている「(株)葵ホテル&リゾート」さんで、2年前に同じ光雲寺内で手掛けさせていただきました数寄屋造りの離れの「看月亭」再生工事に続く仕事です。

今回、完成写真の一部を紹介させていただきます。

光雲寺の境内に建つ「閑雲庵」

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建物の東側には、琵琶湖疎水と哲学の道が走り、南側には東山を借景にした枯山水の庭。

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閑雲庵は平屋建てで床面積が182.5㎡(55.3坪)の広さがあり、上り天井のゆったにした広さのLDK3室のベッドルームがあり、その3室にはそれぞれ化粧室・浴室・トイレがあります。

床はタモのフローリング、壁は貝灰漆喰とポーターズペイント、天井は杉の正目板の突板張りで仕上げました。

枯山水の庭が楽しめるゆったりしたリビング。

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照明デザインは、灯デザインの早川氏が担当され、居間の照明はDayNightGardenSleepとシーンごとに切り替えることができます。

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居間の一部に三畳の和室の小上がりがあります。

襖は、「京唐紙」です。

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床の間の地板は、一枚の石、壁はポーターズペイント塗とモダンな床の間です。

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居間と格子戸で仕切ることができるダイニングキッチン。

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33㎡とゆったりとした広さのベッドルーム、ここからも庭を楽しむことができます。

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夜の遮光は、ちょっと贅沢な京唐紙張りの襖です。

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三つあるベットルームのワードローブには、「組子欄間」の技術を生かした富山のタニハタの組子を建具に組み込みました。そしてその横には下に冷蔵庫を収めたバーカウンターがあります。

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化粧室、床は竹タイル張りです。

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この部屋の浴室の浴槽は「高野まき」、床は濡れると青色になる「十和田石」、壁・天井は水に強い「青森ヒバ」とかなりリッチです。

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「閑雲庵」この春からオープンします。6名様まで宿泊可能です。

京都にお越しのおりは、「閑雲庵」「看月亭」に是非一度お泊りになってください。

ご満足いただけるここと思います。

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# by y-tukide | 2019-03-11 14:22 | 仕事色々

伊勢別街道を行く

「伊勢別街道」は、三重県を走る「東海道」の「関宿」の「東追分」で分岐し、南下し津の「江戸橋」で「伊勢街道」と合流する街道です。
伊勢別街道の名は、四日市の東海道「日永追分」から伊勢に至る伊勢街道の支道の意味で、街道の総距離は約四里二六町(約17km)で、途中に「楠原宿」「椋本宿」「窪田宿」の宿場が設けられ、江戸時代には京都方面から伊勢詣でする参宮客でにぎわいました

この日JR関西本線の関駅前に車を置き、そこから相棒を下ろし伊勢別街道を走りました。

早朝の関宿。

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ここが関宿の東追分。
「伊勢神宮一の鳥居」は、旅人がここからはるか伊勢神宮を拝むためのもの。
ここから伊勢別街道は、津の江戸橋へと続きます。

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街道は県道10号線を走り、鈴鹿山脈から流れ出る「鈴鹿川」を渡り、20分ほど走ると
関宿から最初の宿場である「楠原宿」に入ります。
街道沿いには、「つし2階」「平入」の民家や蔵が連続して残り、情緒ある街並みを形成しています。
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楠原宿は、次の「椋本宿」の補助的な宿場としての役割を果たし、江戸時代には近江・京都・大阪・丹波など西日本各地より、伊勢への参宮客でにぎわい、旅籠や問屋場、高札場が置かれたそうです。

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街道は、楠原宿を抜け県道10号線から分岐して旧道を走ります。
すると左手に明治と大正の様式のデザインの「旧明村役場庁舎」が現れます。この建物は大正五年に建てられたもので国の登録有形文化財に措定された建物です。

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このあたりも情緒豊かな街並みです。

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街道は、ため池やのどかな田園風景が広がる中を走り、「椋本宿」に入ります。

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椋本宿の由来となった高さ18m、周囲8m、樹齢1500年といわれる椋の巨木。
椋の木の前にたてられた説明書きによると、「嵯峨天皇(809~822年)」の頃、征夷大将軍の坂上田村麿呂の家来が伊勢路を流浪し、この地に逃れた時、巨大な椋の木を見つけ、その下に草庵をつくって住んだのが「椋本」の発祥だそうです。

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椋本宿の街並み。
ここでも連子格子の民家が多く残っています。

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正面の建物は椋本宿の中ほど、街道が鍵の手に曲がる角地に建つ旅籠の「角谷(かどや)」旅館。

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軒下には、多くの「伊勢参宮講札」が掲げられています。
伊勢参りの賑わいが偲ばれます。

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街道は椋本宿を過ぎ、次の「窪田宿」へと続きます。
途中、腹が減ってきたので街道を外れ、県道10号線に出て食事処を探しているとこの行列!
「うなふじ」というウナギ専門店に並ぶ人たちです。

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ついつい誘われ30分ほど並び、ウナギ丼をいただくことに。
並1300円、上1730円、特2160円とリーズナブルな価格。
津市内にはウナギ専門店が20軒ほどあるそうでウナギ激戦区。
なんでもこの地方ではウナギ養殖がおこなわれていたそうで、それが起因しているのでは?

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ウナギを満喫し街道に戻り「窪田宿」に入ります。
ここは「一身田(いっしんでん)」、浄土真宗高田派の本山「専修寺」の門前町でもあり、環濠が街を取り巻く自衛都市。

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境内の780畳敷の国宝御影堂も立派ですが、隣に建つこれも国宝如来堂の「組物」も見事でした。

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窪田宿の街並み。

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街道は、窪田宿を後に伊勢街道と合流点「江戸橋」へと走ります。
そしてようやく伊勢別街道と伊勢街道との「札ノ辻」に到着。
そこには江戸時代に建立された常夜灯と道標が。

見どころが多相棒との「伊勢別街道を行く」でした。

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# by y-tukide | 2019-03-04 14:05 | 街道を行く

備前 「下津井」散歩

岡山県の倉敷市南部に小高い山々を連ねてのびる児島半島の南端に位置する「下津井」は、江戸時代中期から北前船が来港するようになり大変栄えた町です。

明治の中頃以降は、交通機関の近代化により北前船がなくなり、今は漁業の町として静かに時を刻んでいる港町です。

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この町も各地の多くの古い港町同様に狭い平地に民家が密集して建ちます。

さほど広くない道沿いには、屋根は「本瓦葺」、壁は「漆喰」「ナマコ壁」、「虫籠(むしこ)窓」「連子格子」を備えた町家や蔵の街並みが残り、当時の繁栄ぶりを伝え、岡山県の町並み保存地区に指定されています

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街を歩いていると富の象徴である立派な蔵が多いのに気づきます。

下津井の背後地の干拓地では塩分が多いので米が育たないために、水と肥料があれば育つ綿花栽培が盛んで、その肥料となるニシン粕・干しイワシが北前船によって北海道からもたらされ、それを蓄えるための「ニシン蔵」が競って建てられました。

その商家の筆頭が「萩野屋」で海辺に多くの蔵をもっていたそうです。

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その旧西萩野屋の建物は、「むかし下津井回船問屋」という名で資料館や食事処として活用されています。

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そして主要な道から私の好きな路地が伸びます。

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その路地のたまりに共同井戸が、他の路地にも数カ所あります。

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街の山腹には、街を見下ろすように「風の道」という遊歩道が走っています。

この道は、歩行者・自転車専用道で児島から下津井まで整備されたものです。

この日私は、JR児島駅の観光案内所でレンタサイクルを借り、この道を通り下津井にやってきました。

実はこの道は、「旧下津井電鉄」の軌道敷地跡なのです。

下津井電鉄は、大正時代に児島・下津井間で開通した鉄道で平成2年に地元住民に惜しまれながら廃線となりました。ただ今も下津井駅跡には当時の電車が大事に保管されています。

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下津井の沖合で水揚げされるタコは、「下津井ダコ」と呼ばれ有名なのだそうです。

そのタコ料理専門の「保之家」という店が街中にあり、昼飯はそこでタコ料理をいただくことに。

一人で食べきれるか不安に思いながら、タコのフルコース料理を注文すると店の大将がいけすから生きたタコを一匹取り出し、目の前でさばいてくれます。

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タコは、頭を切り落とされても足をくねらせ生きています。

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手早くさばかれ、これはタコの卵巣、初めて見ました。

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その卵巣のしんじょうが最初に出され、

そしてその卵巣と白子の酢の物、これも初めてです。

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次は刺身、足の皮をむき食べやすく包丁が入れられています。

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次にから揚げと続き、締めはタコめしとタコ団子の入った味噌汁。

最初の不安をよそに完食。

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ただ話好きの大将曰く、近年漁獲量が減っている上に、昨年は台風の影響で海に土砂が流れ込み、タコは不漁でタコを仕入れることができず何日も店を閉めたそうです。

この日は幸い、下津の街並みと下津タコを堪能することができました。

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# by y-tukide | 2019-02-25 13:44 | 散歩

小さな家で豊かに暮らす「山科の家」建物見学会

216日(土)・17日(日)の両日、お施主様のご厚意により、引き渡し前の建物完成見学会を開催させていただきました。

今回も大変多くの皆様にご参加いただきスタッフ一同感謝しています。

改めて快く建物をご提供していただきましたお施主様にお礼申しあげます。

この家は、家族4人が暮らす2階建て21坪の小さな家ですが、小さいながら実用的で豊かに暮らせるように様々な工夫をしています。

外観は、焼杉板張りと漆喰で仕上げました。

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2畳もない広さの玄関なのですが、暖簾を架けた「土間収納」を含め3カ所収納を設けました。

壁の出角の柱は「コブシ」の木です。

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12.5畳の広さのLDKの一部は、4.5畳の畳敷きで、「雪見障子」を介して南側の庭に続きます。

1階の床は40mmの杉の厚板の一発張りで、2階の床は一部を格子状の床とし、隙間から2階の窓からの採光を得ることができます。

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階段下はソファーを置くスペースとし、狭い空間を有効に利用しました。

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その対面には、将来ご夫婦の寝室にもできる小上がりの畳部屋があります。

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小上がりの畳部屋に隣接して設けた家族の衣類などが収納できる納戸。

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その納戸の一部は室内干しができるスペースで、そこからトイレ、洗面、浴室につながっています。

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キッチン。

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隙間からは採光を得ることができる、2階の格子状の床。

ほこりなどが下に落ちないようにポリカボネートを張りました。

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2階は広いひとつの空間とし、移動できる収納家具で部屋を仕切ることが出来ます。

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その収納家具の一つには、カウンターがあり戸を外せば書斎コーナーに変身します。

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21坪と小さいながら実用的で豊かに暮らせるように工夫したこの家、住まい手によってどのように使いこなされるか楽しみです。

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追伸、この建物の南側を走る旧三条通りは「旧東海道」で街道沿いには、「毘沙門堂」をはじめ寺社仏閣も多く、今も当時の面影を残す町家も何軒か残っています。

また北側には、明治に造られた「びわ湖疏水」が流れる歴史豊かな地域です。

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# by y-tukide | 2019-02-18 17:08 | 見学会・イベント