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カテゴリ:旅( 24 )

越中富山の旅―その2―

ゴールデンウィークの越中富山方面、二泊三日の気ままな旅二日目。

朝、食事の前にホテルの近くにある富山城址を散歩。

富山城は、加賀藩第2代藩主の前田利長が隠居所として築いた城です。

現在の建物は、昭和2082日の空襲で壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業のために、昭和29年に開催された富山産業大博覧会を機に建設されたものだそうで、富山市郷土博物館として活用され、中心市街地のランドマークとして市民に親しまれています。

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朝食後レンタカーを借り、世界遺産に指定されている「五箇山」の「相倉合掌造り集落」へと向かいました。

途中見かけた砺波平野の「散居村(さんきょそん)」の風景。

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散居村は、広大な耕地に防風林に囲まれた農家が散らばって点在する集落形態です。

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そして1時間ほどで相倉集落に到着。

残雪を抱いた山々を背景にどこか懐かしい日本の原風景に引き込まれます。

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何年か前の冬に岐阜県の同じ合掌造りの集落である白川郷を訪れた時は、観光客と土産物屋などのあまりの多さにげんなりし、早々に立ち去った思い出があります。

今回はどうかと心配していたのですが、連休とあって観光客も多いとは言えさほどでもなく、新緑の山間ののどかな風景を楽しめました。

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この茅葺の建物は、旧岩本家住宅。

屋根だけの合掌造りで、合掌造り家屋の原型と言われる建物です。昭和の初年まで岩本姓のお婆さんが一人暮らしていたそうです。

このような家屋は、江戸時代の五箇山農家住居として各所に見られたそうですが、現在では五箇山で現存する唯一の原始合掌造りの建物です。

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相倉集落を後に次に向かったのは、南砺市にある「城端(じょうはな)」という町です。

城端は、浄土真宗の古刹である城端別院善徳寺の門前町として、また絹織物の生産で栄えた町でもあります。

その繁栄を象徴する土蔵群。

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この日はたまたま、ユネスコ無形文化遺産で国重要無形民俗文化財に指定されている「城端曳山祭」の宵山でした。

翌日の本祭りには、神さんを乗せた各町内の6台の曳山が、朝から夜10時まで各町中を巡行するそうです。

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その神さんは、その家の当主の代に一生一度だけ家に祀られるそうで、偶然にも貴重なものを見ることができました。

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城端の街で昼食をとり、次に向かったのは湊町の「射水市(いみずし)」。

富山湾に突き出た海王丸パークからの絶景。

左側に浮か船は、「海の貴婦人」といわれる帆船「海王丸」。

右側の橋は「新湊大橋」、塔からケーブルで橋桁を吊った斜張橋(しゃちょうきょう)、日本海側最大だそうです。

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新湊大橋の上に浮かぶ雄大な立山連峰をかすんでいましたが見ることができました。

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「日本のベニス」とも言われる「内川」は、遊覧船が巡り、多くの漁船も停泊し湊町の風情が楽しめます。

また射水のベイエリアには映画やドラマのロケで使われた場所が多数あるそうです。

ベイエリアをもう少し散策したかったのですがいい時間になり、富山のホテルに戻ることに。

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最終日は、富山駅から第三セクター方式で運営されている「あいの風とやま鉄道」で高岡駅へと向かい、そこからJR氷見線に乗り換え「雨晴(あまはらし)駅」へと向かいました。

雨晴駅の前は富山湾、駅は国定公園内にあります。

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駅構内に観光案内所がありここで自転車が借りられます。

その自転車を借り、五月晴れの中、爽快に海岸沿いを走りました。

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海の向こうに見える陸地は、能登半島。

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そして冬の日本海を代表する味覚の「ひみ寒ブリ」で有名な「氷見」に到着。

ここで昼食をとり、氷見駅で自転車を返し帰路につくことに。

越中富山二泊三日の旅、駆け足ではありましたが越中富山の魅力の一端を満喫することができました。

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by y-tukide | 2019-05-20 09:00 |

越中富山の旅―その1―

ゴールデンウィークの後半、越中富山方面を二泊三日で気ままに旅しました。

早朝、京都駅の0番ホームから特急サンダーバードに乗り富山駅に向かったのですが、加賀温泉駅で途中下車して「加賀橋立」を散策することに。

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加賀橋立は、かつては北前船の船主が多く住んでいた歴史ある街です。

北前船は、江戸後期から明治にかけ、大阪から瀬戸内をぬけ日本海を通って蝦夷(北海道)を往復し、寄港地で積荷を売買しながら各地を廻った商船です。1航海で1千石稼ぐという意味から千石船とも呼ばれました。現在の価値に換算すると1億円ほどの利益があったそうです。

当時、栄華を誇った街を散策していると富の象徴である蔵が多くみられます。

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盛り土した敷地の石垣や塀には、大谷石のような福井県産の「笏谷(しゃくたに)石」が使われています。

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家々の屋根は、寒さや雪に強い赤茶色のたぶん「石州瓦」と思われる瓦屋根で、棟瓦に「笏谷石」が積まれた家もあります。

また家や蔵の壁は、日本海から吹き付ける潮風から家を守る縦板張りで、古い家では北前船の「船板」が再利用されていました。

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人通りもまばらな街を散策し一軒の古民家を見入っていると中からこの家の奥さんが出てこられ、家の中も見ていいよと案内されました。

明治の初めに建てられたというこの建物の内部は、力強い丸太梁表しのいかにも骨太の海の男家らしい造りです。

構造材・造作材・建具すべての木部に塗られた塗料は「ベンガラ」と思いきや「漆」塗りでした。すごい!

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「日本一の富豪村」と言われ栄華を誇った北前船のこの集落、笏谷石の石垣が積まれた広大な屋敷跡など今はひなびたたたずまいが漂っていました。

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集落を出、海岸通りに出ると船溜まりがあります。今やこの街は漁師町。

ただ近年は魚が昔に比べると捕れなくなり、今年のズワイガニ漁も不漁だったと、先ほどの奥さんが嘆いておられました。

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とはいえ昼めしは近海で取れた魚。海岸通りの水産会社が経営する店で店先の魚を料理してもらい新鮮な魚料理をいただきました。

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食事の後、ちょっと足を延ばしたところにある「加佐岬」の絶景。

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加賀橋立を後に加賀温泉駅に戻り、今宵の宿がある富山駅と向かいました。

ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置き、夕食は「海の幸の宝庫」といわれる富山湾の幸をいただきに「鮨人」という店へ。

この店は江戸前の寿司屋で、大将がえらくこだわりの人でひと手間ふた手間かけた寿司懐石と富山の地酒をいただきました。

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これは、雄のノドグロの串焼きとズワイガニのにぎり。

メスのノドグロは蒸しでいただきました。

この店で使われている酢は、大将こだわりの赤酢です。

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食事の後、ホテルの最上階のバーへ。

そこからの富山市内の夜景。

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by y-tukide | 2019-05-13 09:00 |

孫たちと南紀熊野の旅

ゴールデンウィーク、今年の春中学に入学した孫と中学3年になった孫と3人で南紀熊野を23日で旅をしました。当初、妻も行く予定で楽しみにしていたのですが急きょ行けなくなり大変残念がっていました。

初日は、朝5時半ごろ自宅を車で出発し、孫たちを迎えに行き彼らを乗せ南紀の「古座」へと向かいました。ここでの目的はカヤックでの清流古座川下りです。

10時ごろにJR古座駅に付き、駅構内にある古座観光協会でカヤックをレンタルし、いざ出発。

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彼らにとって今回の古座川下りは2回目の挑戦です。

初回は2年前の春休み、妻と3人の孫と一緒に携帯用の雨合羽に身を包み、にわか仕立ての妙な格好で初体験をしています。

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彼らにとってあの時の面白さが忘れられず、中学生になって部活や塾で忙しく時間が取れない中、何とか実現した再挑戦です。

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2回目とあってちょっと余裕があったのか、中1の孫がふざけ過ぎて川の浅瀬でこの始末。

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途中、上陸し「ぼたん荘」という宿泊施設のレストランでの昼食時間をはさみ、4時間ほどの古座川下りを堪能しました。

そして今宵の宿は、那智勝浦にある私お気に入りの「海のホテル 一の滝」

この宿は、以前にもブログで紹介しましたが、名物は循環・濾過をしない100%源泉かけ流しの温泉で、地元の人も多く利用しています。

2槽ある湯船の1槽の源泉は、体温に近いぬるい湯で私好み。

塩素剤などを一切使用せず加温・加水もしていません。

そしてこの宿は、朝夕の食事なしの素泊まりの宿などで、好きなものを食べに出かけられます。

また部屋のアメニティーも歯ブラシとタオル・バスタオル・浴衣は用意されていますが、過剰なサービスは一切なし。当然宿泊代もリーズナブル。

そして週1回の定休日があるという観光地の宿にしてはちょっと変わり種の宿です。

もう一つの名物は、建物が海の際に建ちすべての部屋から熊野灘が望めることです。

早朝の部屋からの熊野灘の眺め。

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翌日は、熊野古道を行くことに。

昨日の古座川下りで腕が筋肉痛で痛いこともあり、中辺路の「発心門王子」から「熊野本宮大社」までの約7キロの短いコースを行くことにしました。

7時、親しくなった宿の大将紹介の喫茶店で朝食をとり、車で新宮に行きそこから熊野川沿いを走り熊野本宮大社を目指しました。

その途中に見かけた熊野の雄大な自然の風景。

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熊野本宮大社の駐車場に車を置き、そこからタクシーで出発地点である発心門王子に向かいました。

その出発地点の発心門王子。ここに建てられた案内板によると「発心門(ほっしんもん)」の由来は、当時「悟りの心を開く口」とされる大鳥居があったことからだそうです。

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古道を進むとのどかな山村風景が現れます。

この日は、曇っていましたが風もなく暑からず寒からずの絶好のウォーキング日和。

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木彫りの八咫烏(やたがらす)の案内板。

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道は、本宮の神域とされる発心門王子から熊野本宮大社を目指す人気の熊野古道コースとあって整備が行き届いています。

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連休ということからウォーキングする家族連れなど人が多く、案内人付の団体さんも、まさに「蟻の熊野詣」の様相。

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そして「伏拝王子(ふしおがみおうじ)」に到着。

ここからは、山並みの間にかすかに本宮大社旧社地の「大斎原(おおゆのはら)」、那智の滝方面を見ることができます。

昔、熊野参詣の人々は長い旅の末、ここで初めて聖地を目にし、感動のあまり「伏し拝んだ」のが「伏拝王子」の由来だそうです。

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そしてようやく熊野本宮大社に到着。

すると境内は人だらけ。

社殿の前は、参道の階段から続く参拝者の長い行列。

ゴールデンウイークでもあり平成最後の参拝ということなのかよくわかりませんが、とにかく人が多い。

私はここには何度か訪れていますが、こんなに多くの参詣者を見たのは初めてです。

私たちは、離れたところから社殿に向かって参拝することに。

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そして大社前の食堂で昼食をとり、駐車場に置いていた車に乗り次に向かったのは、ひと山越えた所にある「湯の峰温泉」。

この温泉は開湯1800年といわれ、熊野古道の参詣者は、聖地に詣でる前にここで、みそぎと旅の疲れを癒したそうです。

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川沿いには「筒湯」があり、ボコボコと湧き出る90℃の熱湯で卵や野菜をゆでることができます。私たちも近くの土産物屋で卵を買い、湯につけ12分ほどで温泉卵が出来上がり。

そしてそれを土産に宿に戻ることに。

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最終日は、朝から雨。

ゆっくりと宿で朝湯を楽しみチックアウトして、「勝浦シーハウス熊野灘」という温泉宿の地元の人も良く利用する喫茶・食堂で遅めの朝食をとりました。私はここでいただくのは3回目。

この店の朝の和・洋定食は、安くてボリュームがあります。

マグロの刺身、焼き魚をはじめ8品付でなんと630円。

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朝から満腹状態。

そして途中、土産物屋や熊野古道伊勢路にある「花の窟(いわや」」などに寄り道しながら帰路に。

雨が上がった熊野灘に鯉が泳いでいました。

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by y-tukide | 2019-05-07 11:54 |

南紀熊野の旅

5月の連休、妻と二人で熊野方面に行く予定をしていたのですが連休前半小学6年生の孫を預かることになり急きょ三人で熊野・勝浦を23日で旅しました。

自宅から新名神高速道路経由で伊勢自動車道、紀勢自動車道と走り、尾鷲(おわせ)からは一般道を海岸線沿いに走ります。

そして吉野熊野国立公園の景勝地の一つである「鬼ヶ城」の遊歩道を散策。

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何回かの地殻の隆起により階段状をなした崖に設けられた遊歩道は、ちょっと危険な個所もありますが打ち寄せる波の音も心地よく爽快です。

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鬼ヶ城を後に国道42号線熊野街道を走ります。途中で昼食をとり次に向かったのは新宮市にある熊野三山の一社である「熊野速玉大社」。

私は、ここには今年の2月にも訪れています。というのは新宮の東を流れる熊野川の対岸の「鵜殿(うどの)」という所に建つ築100年程の古民家を移築するために何度か仕事で訪れ、その合間に新宮の街を散策し熊野速玉大社も参拝しています。

今回の旅もその仕事の関係でこの辺りのことが詳しくなりおいしい食べ物も含め妻を案内しようと企画したものです。

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この日は夏日、大社の近くにある仲氷店でかき氷をいただきました。ここの氷は紀伊半島の最南端を流れる古座川上流の水をこだわりの手法で製氷した透明・無味・無臭の純氷で人気があります。

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この日の宿は、勝浦にある私お気に入りの「海のホテル 一の滝」

私は、鵜殿に仕事に来たときはこのホテルに泊まっていました。このホテルの売りは100%源泉かけ流しの温泉です。2槽ある湯船の1槽は源泉そのままの体温ほどのぬるい湯で塩素剤などを一切使用せず濾過・循環もしていません。

ただこのホテルは朝夕の食事はなし、部屋のアメニティーも歯ブラシとタオル・バスタオルのみで過剰なサービスは一切なし当然宿泊代もリーズナブル、そして周1回の定休日があるという観光地の宿にしてはちょっと変わり種のホテルです。

逆にそれが人気で連休中も20室ある部屋の内16室がリピーターで私もその一人です。

全室海に面し、写真は2階の部屋からの眺め。

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翌朝、部屋から日の出を拝めました。

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朝食は、漁港の市場前にあるめし屋。安くて一人前で二人分のボリュームたっぷりのマグロ刺身定食をいただき満腹。

食後は新宮にもどり熊野川をさかのぼりました。

妻と孫に新緑が水面に映る熊野川を見せたかったのですが、この日川は上流のダムが放流している関係で残念にも濁っていました。


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熊野川沿いを走り、途中右折し支流である北山川沿いを走ります。

目的地は、日本の棚田百選である「丸山千枚田」です。

丸山千枚田は、標高736mの白倉山の南西斜面に1340枚の棚田広がります。いつの時代からあるのか日本の原風景がここには残っています。

一時は後継者不足等のために530枚まで減少したそうですが、オーナー制度が実施され維持保存されています。

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それぞれの田んぼには水がはられ田植の準備がされていました。よく見ると水中にはおたまじゃくしが泳ぎ巻貝もいました。これも久しぶりに見る風景です。さぞかしここのコメはうまいだろうと思います。

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次に向かったのは「瀞峡(どろきょう)めぐり」。

瀞峡は、熊川の支流北山川の三重県・奈良県・和歌山県の境で陸地からは寄り付けない山間の秘境。その瀞峡を孫が喜ぶだろうと小さな和船でめぐることにしました。

その「はるやの和船」は老夫婦で営まれているようで、船頭さんは5代目とか。

昔は山間の村と川下の新宮を結ぶ道がなかったので船で山の幸や炭を新宮に運び、帰りに生活に必要な物を船に積んでのぼったそうです。当然行きはよいよいですが帰りは櫓をこぎさかのぼるのは大変で、3人の船頭で3日かかったとか。今のような船外機は、昭和40年ごろに設置されたそうです。

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和船から様々な名前が付いた奇岩や巨岩を間直に見ながら瀞峡の絶景を楽しめます。

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五月晴れのこの日、青い空、新緑もゆる山、そしてそれらを映し出す川の深い緑、爽快です。

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和船からの眺めを満喫し、次は今宵の宿である「川湯温泉」へと向かいました。

川湯温泉は熊野川の支流、大塔川の川底からお湯がわき出る温泉地で、川原を掘れば自作の露天風呂が楽しめます。

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そして最終日は、今回の熊野の旅の目的の一つであった「熊野古道」を歩きました。

ホテルから「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」まで送迎してもらい、そこから「熊野本宮大社」までを歩きます。

道は山里、山中を縫うように熊野本宮へと続くのですが、世界遺産に登録された関係かよく整備され要所にはトイレもあり標識も設置され迷うここなく歩くことができます。

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途中でこんな木彫り像が迎えてくれました。

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そして3時間程で熊野本宮大社に到着。

平安時代、上皇や貴族たちは京の都から12日間かけて詣でたそうです。

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ここから十津川村経由で帰路につきました。

天気にも恵まれ、熊野の海・川・山の自然とめぐみを楽しめた旅でした。

帰り道、「谷瀬のつり橋」にちょっと寄り道。

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by y-tukide | 2018-05-07 09:28 |

因幡国 鳥取の旅

この春小学1年生になる孫娘が、運賃や宿泊費が子供料金になる前にと、妻と3人一泊二日で因幡国(いなばのくに)鳥取へ「卒園旅行」に行ってきました。

京都駅706発「特急はくと1号」に乗り、終点「倉吉駅」まで3時間半ほどの列車の旅。

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「特急はくと」は、京都駅と鳥取の倉吉駅を結ぶディーゼル機関車、京都駅から東海道本線→山陽本線→智頭急行智頭線→因美線→山陰本線を経由し京阪神と山陰を結びます。

ディーゼルエンジンの腹に響く力強いエンジン音は、ローカル地方への旅の旅情をそそります。

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終点の倉吉に着いたのが1044分。駅のコインロッカーに荷物を預け、身軽な格好で路線バスに乗り「倉吉白壁土蔵群」へ。

倉吉市役所近くの玉川沿いには、江戸時代に商人たちが建てた土蔵が立ち並びます。

外壁は、腰回りが杉の焼き板、上部が漆喰壁で、屋根は赤褐色の石州瓦でこの地方特有の街並みを形成しています。

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表通りの「本町通り」に面して商家の「主家」が建ち、続いて「中庭」や「離れ」があり「土蔵」は細長い敷地の裏側に建ちます。

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土蔵の横の戸口から玉川に、この地方で産する石材であろうか、ゆるやかな反りの一枚石が架けられ独特の景観を醸し出しています。

現在、土蔵はワイン蔵や手作り工房などの店として活用されています。

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この広々とした建物は、大正時代に建てられた醤油の仕込み蔵を改装したもの。

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「小屋梁」と「束」を格子状に組み合わせた五重構造の連続した小屋組みは見事です。

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街では「名探偵コナン」の名や看板をよく見かけます。

というのも「名探偵コナン」の作者である青山剛昌氏は鳥取県出身なのです。

そういえば鳥取空港も今は「鳥取砂丘コナン空港」と呼ばれています。

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白壁土蔵群から東に20分ほど歩くと、鳥取を代表する果物「梨」の魅力を体験できる鳥取二十世紀梨記念館「なしっこ館」があります。

ここは「梨」をテーマにした日本で唯一のミュージアムで、玄関を入ると正面に枝の広がりが20mもある二十世紀梨の巨木が展示されています。

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「梨と世界の人々」のコーナーでは世界の梨、日本の梨を展示し、梨の世界地図や鳥取二十世紀梨の輸出の歴史などを紹介しています。

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ここで中国が世界最大の梨の生産国であることを知りました。

中国で生産されているのはアジアナシで、中国はアジアナシ全体の約8割を生産し、これに日本、韓国が続くそうです。

中国の「梨売りと仙人」という物語が紹介されていました。

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「梨の不思議ガーデン」では、巨大な梨の木や土の中に入って不思議な体験ができます。

これがなかなか面白く、孫もはまっていました。

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この日の宿は、三朝温泉(みささおんせん)の登録有形文化財に指定されている老舗の温泉宿。

三朝温泉は初めてなのですが、ラジウム含有量が世界一だそうでこの宿の名物の自噴泉で体をいやすことができました。

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翌日、宿から倉吉駅に送迎してもらい電車に乗り鳥取駅へ。

ここからバスで「鳥取砂丘」へ向かうつもりが駅でもたもたしていて予定のバスに乗り遅れ、仕方なくタクシーで砂丘へと。妻と孫娘は、鳥取砂丘は初めてです。

数日前に降り積もった雪がまだ残っていました。

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「馬の背」とよばれる第2砂丘列の上に登ると一面に日本海の雄大な光景が広がります。

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そして鳥取砂丘を縦断して砂丘に隣接する「こどもの国」に向かったのですが、砂丘の砂に足をとられながら、足が残雪に埋もれながら約3kmの「行軍」に孫娘は、グズグズも言わずよく歩きました。

さすがピカピカの1年生、たくましくなったものです。

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by y-tukide | 2018-02-26 09:00 |

出雲・石州の旅

5月の連休、妻と二人で出雲・石州(石見)を旅しました。

早朝、JR宇治駅から京都駅へ、そこから新幹線で岡山まで行き、ここでまた乗り換え伯備線の「特急やくも」に乗り島根県の松江駅と向かう約5時間の列車の旅です。

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岡山から倉敷を経て次の停車駅である備中高梁へと走る車窓からは、まぶしい新緑と線路と平行して流れる高梁川の眺めを楽しめます。

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昼前に松江駅につき昼食を済ませ国宝の「松山城」へ。

築城以来400年の歴史を誇る松山城天守閣。入母屋破風の美しい三角屋根は、千鳥が羽を広げた姿のように見えることから「千鳥城」の異名をもちます。全国に現存する12天守の中で、平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目だそうです。

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天守からの眺め。右手にはシジミで有名な宍道湖(しんじこ)が見えます。宍道湖は淡水中に海水が浸入する汽水湖です。

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城内では市民ボランティアの「松山城武者応援隊」の方々によるパフォーマンスが行われ観光客をもてなしてくれます。

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戦に疲れて木陰で気持ちよさそうにうたた寝をする槍を持った若武者。

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その日は辛うじてとれた玉造温泉の宿で一泊し、翌日は松江でレンタカーを借り島根県の西部、石州の「石見銀山」へと向かいました。

五月晴れの石州の青い海。

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2007年に世界遺産に指定された400年の歴史の「石見銀山」は、銀鉱山遺構が点在する自然豊かな「銀山地区」と江戸時代の武家屋敷と商家が軒を並べ伝統的建築物群保存地区に指定されている「大森地区」から成ります。

その大森地区の入り口に建つ「大森代官所跡」、現在「石見銀山資料館」として石見銀山に伝わる歴史資料、鉱山資料などが展示されています。

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銀山地区へと向かう谷あいの緩やかな坂道に町家が軒を並べる大森地区の街並み。

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屋根に葺かれた赤い瓦は「石州瓦」です。石州瓦は島根県の石州、石見地方で生産される粘土瓦で、淡路瓦、三州瓦と並ぶ三大瓦の一つです。関西に住む我々にとって馴染みが薄いですが山陰地方や日本海沿いの寒くて積雪の多い地方で多く葺かれ、水を通さず冬害に強い瓦です。

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街道沿いの家々の軒下に花が飾られ、道行く人の目を楽しましてくれます。

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商家や町家が軒を並べる街並みが途切れ、銀山地区に入ったところに黒い石州瓦葺の木造建ての小学校がありました。

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のどかな風景が続きます。銀採掘の全盛期にはこの辺りにも鉱山関係者の建物が多くあったと思われます。

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途中、古い民家を利用した小さな店で食事をし、銀山地区にある見学可能な坑道跡である「龍源寺間歩」に着きました。「間歩(まぶ)」とは銀を掘り出すために作られた坑道のことです。

鉱夫たちは、間歩を掘り進め、鉱脈にぶつかったところから左右に沿って人一人が通れるかどうか程の「ひおし抗」を掘り進みます。一日に30センチほどしか掘れないそうです。坑道の壁にはノミの跡が残ります。

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帰りの道で見かけた供養塔かと思われる苔むした小さな石塔。

当時、鉱夫達は10歳からの子供を含め30人ほどで組みをつくり、ノミなどの道具を使い手作業で危険できつい作業をしていました。若くして亡くなった人たちが祀られているのかもしれません。

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栄枯盛衰、今は繁栄と苦難の歴史が自然の中に包み込まれた山あいの遺構、

人々に住み継がれ、生きた遺構として永く後世に残ることを願います。

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by y-tukide | 2017-05-29 11:59 |

秋山先生と行く伊勢の旅

私が所属する「協同組合もくよう連」の企画で、先日、お世話になっている建築家の秋山東一さんと仲間たちと一泊二日で伊勢を旅しました。

秋山先生は、伊勢には行ったことが無く、以前から機会があれば行ってみたいといっておられたのですが、今回、先生から設計術を学んでいる「もくよう連」の若手の仲間たちが中心に是非にと企画したものです。

13時に近鉄の宇治山田駅に集合し、まずは伊勢神宮外宮に参拝。

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手水所(ちょうずどころ)で手や口を清めます。

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いくつもある社殿は神明造り、掘立柱に切妻の茅葺屋根、角のような千木(ちぎ)が屋根から伸びます。社殿は大切な米を保存する蔵をモチーフにしているといわれています。

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そして次に向かったのは、外宮と内宮を結ぶ参宮街道沿いにある「古市」に向かいました。

古市は、元遊里があった場所で伊勢神宮を詣でた後の「精進おとし」の場として遊郭などがありました。

そこにある麻吉旅館は、もとは「花月楼 麻吉」という茶屋で、明治時代は県下でも珍しい三層楼の建物で、芸者も常時30人ほど抱える県下第一級の大料理店であったそうです。

現在は旅館ですが、古市で当時の面影を残す唯一の楼閣建築として登録有形文化財に指定されています。

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中心となる建物が斜面に5棟建ち、下の道から最上層まで6層に及んでいます。

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当時の華やかな写真。

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次に向かったには、問屋町の景観が残る「河崎」へ。

河崎は、伊勢湾に流れ込む勢田川の水運を利用し、問屋街として発展し、かつては「伊勢の台所」と言われました。通りには伊勢地方特有の切妻妻入りの商家や土蔵が建ち並びます。

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この街並みを保全し、再生活用しようとNPO法人「伊勢河崎まちづくり衆」が活動されています。その拠点となるのが「伊勢河崎商人館」で、保全を願う方々の粘り強い活動の中、元酒問屋を市が購入し整備されたものです。

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建物内には、京都の裏千家今日庵の茶室を写した八畳広間の茶室があります。

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初日はこれまでとし、今宵の宿へと向かいました。

翌日、ホテルの窓から望む早朝の伊勢湾。

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二日目まずは、伊勢神宮内宮へ。

五十鈴川に架かる宇治橋の前で記念撮影。

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時刻は9時半、日中は参拝者で大賑わいですがさすがにこの時間帯はさほどではありませんでした。

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土産物屋などが建ち並ぶ「おはらい町通り」には、切妻造りの妻入りで外壁にこの地方独特の「張り出し南張り囲い」を呼ばれる板張りの水切りを設けた建物が、江戸時代から続く街並みを形成しています。

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昼食は、鳥羽のカキ養殖の町「浦村」というところにあるカキ小屋で、焼カキ・蒸しカキ食べ放題、カキみそ煮・カキフライ・カキ汁・カキ飯のフルコース3,000円をいただき、カキ料理を堪能しました。

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昼食の後近くにある、建築家「内藤廣」氏の設計で建築学会賞を取られた「海の博物館」を見学しました。私はこの建物を見るのは2回目です。


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そして最後は二見ケ浦にちょっと寄った後、伊勢市にあるCLTを使った住宅を見学させていただきました。

CLTとは、ひき板を並べた層を板の方向が層ごとに直行するように重ねて接着した大判のパネルです。1995年頃からオーストリアを中心に発展してきた新しい木質構造用材料です。

駆け足でしたが「秋山先生と行く伊勢の旅」、皆満足して帰路につきました。

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by y-tukide | 2017-01-23 11:55 |

豊後国 大分の旅

9月のシルバーウィーク、妻と二人で豊後国、大分に行ってきました。

初日は、大分空港でレンタカーを借り臼杵(うすき)にある「臼杵石仏」へと向かいました。

というのも4445年前に私が高校の修学旅行で九州を訪れた時に立ち寄ったのですが、強く印象に残っていて、もう一度見てみたいと思ったのです。

臼杵石仏は、凝灰岩の岸壁に刻まれた60余体の磨崖仏群です。平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりしたことがわかっておらず、今なお多くの謎に包まれています。

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阿弥陀三尊像。

見事な彫刻技術で彫られています。平安後期の作だそうです。

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これらの磨崖仏は、昭和55年から14年かけて保存修復工事が行われ、平成7年に磨崖仏では全国初の国宝に指定されました。

私が高校生時代に訪れた時、人里離れた里山の岩肌に掘られた仏群は、一種異様で神秘的な印象を受けたものです。現在これらの磨崖仏は、立派な建屋の中に納められていました。

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古園石仏(ふるそのせきぶつ)。

以前は、落ちた仏頭が下の台座の上に安置されていたのですが、修復され元の姿が見られました。平安後期の作です。

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臼杵市深田という里山ののどかな風景。

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この後、臼杵の町に向かいました。

臼杵は、かつては城下町として栄え、今も武家屋敷や味噌・醤油・酒の醸造の町らしく蔵が残る歴史ある町です。

臼杵城跡。

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重厚感あふれる門構えの武家屋敷跡や寺院が石畳の道沿いに軒を連ね、城下町の面影を残しています。

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漆喰が美しい蔵の町並み。

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八町大路の商店街。安土桃山時代から現在まで続く歴史ある商店街だそうです。

妻曰く「この商店街のこと朝日新聞の記事で見た!」とのこと。

聞くと、シャッターを閉めた店が増える中、町並み再生工事の試みで、かかっていたアーケイドや電柱を撤去し、路面を石畳みにしたところ往時の落ち着きのある町並みを取戻し、買い物客は減ったが観光客が増え、商店街も元気になったとのこと。

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初日は、臼杵の町を散策して終わり、今宵の宿がある湯布院に向かいました。

泊まる宿は山のホテル「夢想園(むそうえん)」です。

夢想園は、私の仕事仲間の親戚にあたる宿で、これまでに家族や身内で何度もお世話になり、何年か前には社員旅行でもお世話になりました。

私がこれまでに泊まった宿で、最も好きな宿の一つです。

由布岳の山裾まで見渡せる素晴らしいロケーションの大露天風呂にのんびりとつかり、料理も相変わらず絶品で妻ともども堪能しました。

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早朝の湯布院の町と雲間に浮かぶ由布岳。

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二日目は、お天気はすぐれませんでしたが、江戸時代天領として栄えた風情を色濃く残す日田(ひた)の豆田町と湯布院の町を散策しました。

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そして三日目は、朝から国東半島(くにさき)に向かいました。

私は、大分には何度か訪れていますが、国東半島を行くのは初めてです。

周防灘に丸く突き出た国東半島。古来からの山岳信仰に、宇佐神宮の八幡信仰と天台系修験道が習合し独自の仏教文化が開花した地です。

最初に行ったのは「両子寺(ふたごじ)」。標高721mの両子山の中腹にある天台宗の山岳信仰の道場です。

深い緑の中、山門の手前に石造の仁王が立ち神秘的空気が漂います。

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ただただ静寂の中、秋雨に濡れる参道。

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神仏習合。

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ここにも仁王が、寺と神社を守ります。

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この後「文殊仙寺」や「磨崖仏」を巡ろうと思っていたのですが、事前にルートを調べていなかったこともあり道に迷い時間をかなりロスし、台風16号の接近と飛行機の運航状況が気になり結局回れずじまいとなりました。

残念ながら今回は、国東半島の魅力の一端しか知ることができませんでしたが、面白そうな地です。

機会があれば次回は時間をじっくりとり国東半島を巡りたいと思います。

参道で見た沢カニ。

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by y-tukide | 2016-09-27 09:10 |

中村好文さんと巡る韓国の旅 ―後編―

私が所属する「協同組合もくよう連」の企画で、建築家の中村好文さんと20数名の仲間たちとの韓国3泊4日の旅。
3日目は朝一番ホテルから歩いて「宗廟」を見学しました。
宗廟は、500年続く朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌(いはい)34位が祀られています。
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その後バスに乗り込み、今回の目玉の一つである安東(あんどん)にある河回村(ハフェマウル)へと向かいました。
河回村(ハフェマウル)は、洛東江(ナットンカン)という川が村を取り囲み、S字状に流れてまた戻る地形から河回(ハフェ)と名付けられ、マウルは村です。
そしてこの村は両班(ヤンバン)の村です。
ヤンバンは王朝時代の支配層、儒学者、士族階級です。500年続いた李氏朝鮮王朝は儒学を通じて民を支配しました。
司馬遼太郎はヤンバンのこと曰く、「李朝のころ朝鮮人民を儒教で飼いならしてしまうための儒教神父のような役割をもっていたということができるのではないか」―「韓のくに紀行」より。
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現在も120戸余り、約290人が実際に居住し生活し、野外博物館の民俗村とは違った生きた村です。
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日本の原風景を思い出させる藁葺屋根の民家と土塀に囲まれた瓦葺の館の風景は、なんとも懐かしくほっこりとした気持ちにしてくれます。
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そしてなんといってもいいのは「道」です。一直線に続くような道が無く、ゆるやかにカーブしたり折れ曲がったり、道のそれぞれに個性がありとてもいいです。
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村を散策しているとあっという間に時間がたち時刻は夕方の6時前、名残惜しさ感じながら宿舎に向かったのですがその前に夕食。
安東(アンドン)の名物料理の一つは、安東韓牛(アンドンハヌ)の焼肉です。ここで炭火焼きのカルビとユッケビビンバをいただきました。
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そしてこの日泊まった宿は、ダムの建設で水没する村から移築した伝統建築です。
この建物は、建築時期が1800年代と推定される文化財の建物で、昔のままのオンドル部屋に泊まりました。
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そして夜、この建物の大庁マル(広縁)で、朝鮮の古典民族楽器の演奏を聴く貴重な経験をさせていただきました。
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早朝散歩しダム湖へ。
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最終日は、朝から河回村(ハフェマウル)の対岸の崖の上に登り上から村を眺めました。
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この村にはもう一度時間に余裕をもって訪れて見たいと思いました。
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そして帰路につくのに釜山(プサン)空港へと向かいました。
途中、大邱(テグ)の町に寄ったのですが、車窓から眺めていると様々な金物を売る店が軒を列ねる面白そうな町です。そしてここでチマチョゴリを着た日本語が上手なおばさんの店で韓国での最後の昼食をいただきました。韓国の家庭料理です。
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初めての韓国の旅、楽しかったし有意義な旅となりました。
今回案内していただいたチェさんは、細やかな気配りをしていただきで大変お世話になりました。そして各地でうまい店に案内していただきました。
また韓国通の中村好文さんには、大変忙しい中お付合いただき大変感謝しています。
改めて御両人にはお礼申し上げます。
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by y-tukide | 2016-07-25 09:47 |

中村好文さんと巡る韓国の旅 ―前編―

私が所属する「協同組合もくよう連」の企画で、建築家の中村好文さんと20数名の仲間たちとで韓国3泊4日の旅に行ってきました。韓国は日本に一番近い国であり歴史的にも最もつながりが深い国ですが、私は訪れるのが初めてです。昔に司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの中の「韓国(から)のくに紀行」を読んで行ってみたいと思っていたのですが、ようやく実現しました。

関空を9時半に出発、ソウルの仁川(インチョン)空港に着いたのが11時20分ごろ、ソウル中心部のホテルに16時の集合時間まで時間があるので「東大門」あたりを散策しました。

16時に各地から仲間の集合し、今回の旅の現地での案内人であるチェ・ジウンさんの案内でまずは歩いて「国立民族博物館」に向かいました。

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先史時代から現在に至る韓民族の歴史と文化、韓国の村の四季の営みや村の生活。 

儒教理念に基づく、男子中心の家系継承された決まり事や行事などの様子が展示されています。

日本と同じく朝鮮民族も稲作文化、使う道具や村の形体は日本と共通することが多く親近感が感じられます。

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その後、チェさんの知り合いのレストランに向かい、韓国のコース料理をいただきました。

これは「梨の水キムチ」

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竹の筒に入れ蒸しあげられた松の実などが入ったもち米の赤飯。

珍しい料理をいただき大満足。

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翌朝はいつものように早起きし早朝散歩。

小雨の中「南大門」あたりを散策しました。早朝とはいえ「南大門市場」は活動し始めていました。

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この日は中村さんおすすめの「韓国民族村」へと向かいました。ソウルからチャターされたバスで1時間ほど水原(スオン)というところにあります。

日本の明治村のような野外博物館で敷地面積30万坪、李朝後期の伝統的民家約26棟が

移築復元されています。

皆さんの日ごろの行いがいいのか幸い雨も上がっていました。

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李朝時代の民家は、基本的にはアンパン(居間)・ウィッパン(奥の間)・マル(板の間)・トバン(土間)からなる単純な構成で成り立っています。ここには朝鮮半島の南部・中部・北部の民家が移築されています。

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手前が土間の台所でここには釜を兼ねたオンドルがあり、奥の居間を暖めます。

敷地内での建物配置は、I型・カギ型・ロの字型などがあり、23世帯であろうかと思われる家もあります。

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オンドルの部屋。床は韓紙の油紙張り、壁は韓紙張り、天井は松の丸太垂木と垂木間は土を塗り上げています。単純で素朴な造りです。

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これは済州島の民家。済州島は、気温は温かく雨が多く風もよく吹く火山地帯です。この

民家の屋根は、荒っぽい「こけら葺き」。外壁は丸太のログ組で丸太の間に土が詰められて

います。そしてその外側に藁が架けられた2重構造になっています。その他に外壁を火山岩

を積み上げその上に土を塗り固めた家など地域特性が現れています。

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敷地内の広場で朝鮮半島に古くから伝わる伝統的芸能である農楽(ノリ)行われました。

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そこで皿回しのパフォーマンスを演じられたのですが、その演技者と目があったかと思いきや、すたすたとこちらに向かってきて手を引かれ、皿回しの演技を手伝わされる羽目になりました。旅のいい思い出となりました。

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民俗村で食事を済ませた次に向かったのは、若手の木工作家のヤン・ピョンヨンさんの工房。ヤンさんは、韓国伝統の膳やお盆、椀などを製作されています。

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ここで韓国の中村好文さんのファンがお越しになりサイン会が開かれました。中村さんは韓国で翻訳本を出されていたのです。

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その次に訪れたのは、8代続く韓方薬と針治療の老舗「春園堂」。ここには韓方薬や針治療に関わる道具の博物館があります。

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そして2日目の夕食は牛と豚の焼肉を堪能しました。


そして仕上げはマッコリバーへ。

マッコリは朝鮮半島の伝統的な酒、日本のどぶろくです。ヤカンに入ったマッコリをアルミの器で飲みます。

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ムクゲの花が咲いていました。ムクゲは韓国の「国花」です。

散っては咲き、また散っては咲く生命力の強さを、韓国人の歴史と性格に例えたそうです。

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by y-tukide | 2016-07-19 13:52 |