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カテゴリ:散歩( 20 )

備中「吹矢」散歩

岡山県西部の山間の街「吹矢(ふきや)」は、江戸時代から明治にかけて鉱山の町として栄えた町です。特に江戸時代末期からは、ベンガラの国内随一の産地として名を馳せました。

赤胴色の石州瓦とベンガラ色の外観の連続した家々は、他の地域では見られない独特の街並みを形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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この建物は「旧片山家住宅」。

1759年の創業以来200年余り渡って吹矢ベンガラの製造・販売を手掛けた老舗です。

保存修理が行われ平成22年から一般公開されています。

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通りに面した1階が繊細な「出格子」、2階が「なまこ壁」の主屋とともに、裏にはベンガラ製造にかかわる付属屋が立ち並び国の需要文化財に指定されています。

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酸化鉄顔料であるベンガラは、日本では江戸時代にインドのベンガル地方産のものを輸入したために「ベンガラ」と名付けられました。耐水性・耐熱性・耐光性などに優れていることから建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として使われてきました。

吹矢を繁栄させたベンガラ産業も、昭和47年の銅山閉鎖に続いて昭和49年にその製造を終えましたが、今は街の土産物屋で観光客に、ベンガラ染めや焼き物などが売られています。私はベンガラで染めた手漉きの和紙を購入しました。

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実は、私がこの街を訪れるのは二度目です。

前回は8年前の20115月に、私が尊敬する今は亡き奥村昭雄先生・奥村まことさんと親しい仲間達とでここを訪れました。

この写真はその時の懐かしい記念写真です。

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街を散策した後、近くにある「ベンガラ館」に向かいました。

ベンガラ館は、明治のころのベンガラ工場を当時の姿に復元したものです。

往時は、このあたりにベンガラ工場が4か所あったそうです。

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ここではベンガラの製造工程が紹介されています。

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次に向かったのが「笹畝(ささうね)坑道」。

ここでは黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出されたそうです。

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坑道内には江戸時代の手掘り作業の様子が。

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そして最後に訪れたのは「旧広兼家住宅」。

広兼家もベンガラの原料である「ローハ」製造を営み巨大な富を得ました。その屋敷の石垣は、まさに「武者返し」を備えた城の石垣です。

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ここは横溝正史の推理小説「八つ墓村」の映画のロケ地となった屋敷です。

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自宅を朝5時ごろに出発し、休憩をはさみ約4時間近くかけて訪れた「吹矢」。

ちょっときつかった道のりでしたが、備中の山間ののどかな田園風景を眺めながら帰路につきました。

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by y-tukide | 2019-04-15 08:21 | 散歩

備前 「下津井」散歩

岡山県の倉敷市南部に小高い山々を連ねてのびる児島半島の南端に位置する「下津井」は、江戸時代中期から北前船が来港するようになり大変栄えた町です。

明治の中頃以降は、交通機関の近代化により北前船がなくなり、今は漁業の町として静かに時を刻んでいる港町です。

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この町も各地の多くの古い港町同様に狭い平地に民家が密集して建ちます。

さほど広くない道沿いには、屋根は「本瓦葺」、壁は「漆喰」「ナマコ壁」、「虫籠(むしこ)窓」「連子格子」を備えた町家や蔵の街並みが残り、当時の繁栄ぶりを伝え、岡山県の町並み保存地区に指定されています

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街を歩いていると富の象徴である立派な蔵が多いのに気づきます。

下津井の背後地の干拓地では塩分が多いので米が育たないために、水と肥料があれば育つ綿花栽培が盛んで、その肥料となるニシン粕・干しイワシが北前船によって北海道からもたらされ、それを蓄えるための「ニシン蔵」が競って建てられました。

その商家の筆頭が「萩野屋」で海辺に多くの蔵をもっていたそうです。

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その旧西萩野屋の建物は、「むかし下津井回船問屋」という名で資料館や食事処として活用されています。

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そして主要な道から私の好きな路地が伸びます。

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その路地のたまりに共同井戸が、他の路地にも数カ所あります。

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街の山腹には、街を見下ろすように「風の道」という遊歩道が走っています。

この道は、歩行者・自転車専用道で児島から下津井まで整備されたものです。

この日私は、JR児島駅の観光案内所でレンタサイクルを借り、この道を通り下津井にやってきました。

実はこの道は、「旧下津井電鉄」の軌道敷地跡なのです。

下津井電鉄は、大正時代に児島・下津井間で開通した鉄道で平成2年に地元住民に惜しまれながら廃線となりました。ただ今も下津井駅跡には当時の電車が大事に保管されています。

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下津井の沖合で水揚げされるタコは、「下津井ダコ」と呼ばれ有名なのだそうです。

そのタコ料理専門の「保之家」という店が街中にあり、昼飯はそこでタコ料理をいただくことに。

一人で食べきれるか不安に思いながら、タコのフルコース料理を注文すると店の大将がいけすから生きたタコを一匹取り出し、目の前でさばいてくれます。

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タコは、頭を切り落とされても足をくねらせ生きています。

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手早くさばかれ、これはタコの卵巣、初めて見ました。

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その卵巣のしんじょうが最初に出され、

そしてその卵巣と白子の酢の物、これも初めてです。

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次は刺身、足の皮をむき食べやすく包丁が入れられています。

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次にから揚げと続き、締めはタコめしとタコ団子の入った味噌汁。

最初の不安をよそに完食。

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ただ話好きの大将曰く、近年漁獲量が減っている上に、昨年は台風の影響で海に土砂が流れ込み、タコは不漁でタコを仕入れることができず何日も店を閉めたそうです。

この日は幸い、下津の街並みと下津タコを堪能することができました。

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by y-tukide | 2019-02-25 13:44 | 散歩

東紀州 紀北町散歩

「紀北町」は紀伊半島の東部、東紀州の玄関口に位置し、平成17年に旧海山(うやま)町と旧伊勢長島町が合併し誕生した人口2万人程の小さな町です。

町の東側は、黒潮が流れる熊野灘に面し、西側の背後には日本一の降雨量で知られる大台ケ原山系に囲まれ、そして町中を熊野古道「伊勢路」が走る、豊かな自然と共に歴史がある町でもあります。

以前から紀勢自動車道を走り南紀の那智勝浦などに行くとき、通り過ぎるこの町が気になっていたのですが、この日早朝から紀北町に相棒をつれ走りました。

5時に自宅を出、途中朝飯を食べ紀北町の「伊勢長島地区」の港に着いたのが7時半。

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ここで車から相棒をおろし街を散策。

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まずは入り江に架かる江ノ浦大橋から街を眺めることに。

山がせまり、海岸沿いの高い堤防に囲まれた狭い平地に家が密集して建ちます。

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道沿いに「切妻平入り」の古い町家が点在します。

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そして随所に昭和のにおいが漂います。

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長島港では、11月ごろ近海で「マンボウ」が獲れることから町のシンボルとなっていて、

街角に通り名や町名が記されたマンボウが架けられています。

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街中には南北に2本の主要な道が走り、その内の山側の通りが「旧熊野街道」です。

道端には「北南くまのみち 西左いせ道」と記された歴史を感じる古い道標が建っていました。

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その旧熊野街道沿いに建つ松並木の参道が綺麗な「仏光寺」。

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境内には「津波流死塔」が二つありました。

江戸時代の宝永四年(1707年)と安政元年(1854年)の津波による流死者を供養するために建てられたものです。

宝永四年に起きた地震による津波では、長島浦で500人余りの方が亡くなられたそうです。当時の長島浦の人口は、2617人だったそうでいかにその被害が凄まじいものであったかが想像されます。

寺の参道に植えられた松は、宝永四年の津波の後に漂流物を防ぐために植えられたものだそうです。

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街中を南北に走る2本の主要な道に直行して路地が幾筋もつながっています。

ここでも私が好きな路地空間を満喫。

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その路地で面白い光景発見。

路地の向い合せの家に屋根が架けられ、その上に犬が繋がれて洗濯物が干されている光景。

路地空間の活用法としてユニークなアイデアです。

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そして伊勢長島地区を後に次に向かったのは、車で30分ほどにある紀北町のもう一つの町「海山(うやま)地区」。

ここには、熊野古道の「馬越(まごせ)峠」に向かう約2kmの石畳の道があります。

現在の国道42線やJR紀勢本線が開通するまでは、この道が当時の幹線道路でした。

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そしてこの町では、他の地域ではない「幻」と言われる「渡利カキ」というカキが養殖されています。

海山地区には、背後の大台ケ原山系から二本の川が流れ、その水が流れ込む「白石湖」という海水と淡水が混ざる小さな「汽水湖」があります。

そのカキはその湖で養殖されています。

カキは本来海水で育ちますが、汽水湖では比重が重い海水に大雨などで川の水が流れ込むと淡水が海水の上になり、カキは異変を感じて殻を閉ざします。

そのことによりうま味の元となる「グリコーゲン」をその身の中に蓄えられるそうです。

ただカキは、永く淡水にしたり過ぎると死んでしまうので、カキを吊るす深さを調整する微妙な加減が求められ、また現在家族経営の9軒の養殖業者しか生産していないので貴重でなかなか手に入らないこともあり「幻のカキ」と呼ばれるそうです。

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その渡利カキを昼飯に頂きました。

広島のカキなどと比べると大きさは小粒ですが、磯臭さやクセがなく濃厚な味わいです。

生ガキはさっぱりしていましたが、火を加えた焼きカキは味が濃くなりうまかったです。

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そしてカキを甘辛く着込んだこの地方特有のカキの「にぎり」をいただきました。

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生カキ、焼きカキ、カキフライ、カキのにぎりと幻のカキを堪能した後、白石湖を一周し美しい景色も満喫。

大台ケ原山系からの山の養分を豊富に含んだ清らかな水が流れ込むこの海、

7月から8月にかけては、うまいウニが獲れるそうです。

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by y-tukide | 2019-02-04 10:36 | 散歩

舞鶴 散歩

この日、早朝から私が常に口にする若狭の「瓜割の滝」の湧水を汲みに、今年初めて行ってきました。

20年程前から愛飲しているこの湧水、今年もお世話になります。

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水汲みの後、久しぶりに舞鶴に行くことにしました。

舞鶴は、日本海に面する港湾都市ですが「東舞鶴」と「西舞鶴」に大きく二つに分かれ、それぞれが歴史的に異なった背景の元、発展した街です。

東舞鶴は、それまで静かな農漁村だったのですが明治時代、近代国家形成の中で西洋列強に渡り合うため海軍力を備えることが急務となり、軍港として良港四ケ所(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の一つとして選ばれ、海軍鎮守府が置かれ軍港都市をして整備された歴史をもつ街です。

そして旧海軍施設であった赤レンガ造りの魚雷庫、小銃庫などの建物が国の重要文化財の建造物として残っています。

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現在も海上自衛隊舞鶴地方総監部があり、その敷地内には昭和8年に建設された旧海軍機関学校大講堂が海軍記念館として残されています。

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この写真は、10年前に私が尊敬する亡き奥村昭雄先生とまことさんと親しい仲間達とでここを訪れた時のなつかしい写真です。

奥村先生は終戦間際、この機関学校の生徒さんでした。

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国道27号線沿いの自衛隊桟橋には、護衛艦などが停泊しています。

東舞鶴は今も「軍港」の街です。

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それに対して西舞鶴は、田辺城(舞鶴城)を中心に細川氏によって整備された城下町です。

天下分け目の「関ケ原の合戦」で徳川方についた細川氏は、息子の忠興(ただおき)は家康の東軍に従軍し、正室のガラシャ(石田光成の三女)は大阪で人質になるのを拒絶し自害、そして忠興の父幽斎は5百人の兵で西軍石田光成方15千の兵を迎え田辺城に籠城し城を守った話は有名です。

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また西舞鶴は、北前船の寄港地として発展した古くからの港町でもあります。

街の西側を流れる高野川河口に位置する「竹屋町」は、大商人が多く店を構え、藩内の商品流通を全国の市場に結び付ける拠点であったそうです。

今もその面影が残る街並み。

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そんな街並みの中でこんな建物もありました。

明治時代から続く現役のお風呂屋さんです。

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また高野川沿いには、各地から運ばれてきた産物を保管する蔵や倉庫があったそうですが、

連続しては残っていませんがいくつか面影が残る建物を見かけました。

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その高野川の西側の山麓を走る道沿いには、いくつもの神社仏閣が並びます。

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西舞鶴の街の中にはもう一つの川、伊佐津川が流れます。

その河口の「吉原地区」は、高野川沿いの商家や町家が並ぶ街並みとはがらりと変わった、のんびりした情緒あふれる風景の漁師町。

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川沿いには家が密集して建ち並び、運河のような流れの中を舟が行きかいます。

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川沿いに建つ家々の表通り、どちらが家の表か裏かわかりませんがそこは路地。

生活のにおいがプンプン漂う私が好きな路地空間。

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舞鶴は、いくつもの顔がある面白い街です。

そして街を散策して気付いたこともう一つ

お地蔵さんの多いこと!

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by y-tukide | 2019-01-28 12:40 | 散歩

美作国 勝山散歩

美作国(みまさかのくに)勝山は、岡山県北部の真庭市にある山間の町です。

古くは、勝山城の城下町として、また播磨国姫路と出雲国松江を結ぶ「出雲街道」の要衝の地として繁栄しました。

以前から一度行ってみたいと思っていたのですが10月のはじめ訪れることができました。

出雲街道沿いには、白壁と出格子のある商家や民家が軒を連ねます。

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なまこ壁の蔵も多く当時の繁栄ぶりが伺えます。

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龍が描かれた見事な「鏝(こて)絵」。

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街道筋には蔵や町家を活用し、雑貨店やカフェ、ギャラリー、工房などの店が営業されています。

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この地方特有の黒と茶色の石州瓦の家並み。

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この建物は、現役の造り酒屋さん。

このあたりで「男はつらいよ」の寅さん最終作(第48作)のロケが行われたところです。

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街道と並行して流れる旭川。

この川を利用して舟で勝山より岡山まで地方の産物を積み、帰りは塩・日用雑貨品を積んで運んだそうです。

川に面する家々には、川に下りる階段が設けられ川の水を利用されています。

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勝山は、暖簾の町でもあります。

町の商家や民家の軒先に個性豊かな暖簾が揺れ、街並みにいろどりを添えています。

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10月というのにこの日は、汗ばむほどの陽気の勝山散歩でした。

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by y-tukide | 2018-10-29 12:17 | 散歩

御手洗 散歩

大崎上島から望む瀬戸内の朝焼け。

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大崎上島の「明石」という港から、小さなフェリーに乗り大崎下島に渡り「御手洗(みたらい)」の港町へ。

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大崎下島にある御手洗(広島県呉市)は江戸時代、天然の「風待ち潮待ち」の良港として北前船や多くの公益船が寄港し栄えた港町です。

江戸から昭和初期に建てられた建物が今も集合し残り、平成6年に国の重要伝統的建物群保存地区として指定され、貴重で味わいのある街並みが大切に守られています。

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この建物は「若胡子屋跡」。

御手洗は、ここに寄港する船乗り達目当てに多くの遊女を抱えた花街で、その中で若胡子屋は最大の茶屋だったそうです。

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この建物は、昭和初期に建てられたモダンな劇場。

昭和30年頃までは映画館として使われていました。

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昭和の玩具や駄菓子の店「御手洗昭和館」。

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今でも時計の販売・修理を行っておられる時計屋さんの看板。

この町を歩いているとまるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚え、何とも言えないのんびりした時が流れます。

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通りに面する何軒もの町家の格子に生き生きしたきれいな花が活けられ、この町を愛し誇りに思っている人たちの思いが感じられます。

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のどかな海の景色と潮風の香り、古い建物が醸し出す情緒豊かな町を歩いていると時を忘れてしまいます。

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偶然見かけたギャラリー。

愛知県からここに移住し、御手洗と瀬戸内の魅力を絵にしておられる田中佐知男さん。

孫娘に、今度来るときは絵道具を持っておいで、一緒に絵を描こうと誘ってくださいました。

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古い街道の宿場町も良いですが、「海道」の港町も私は好きです。

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by y-tukide | 2018-10-09 11:40 | 散歩

鞆の浦 散歩

鞆の浦(とものうら)は、広島県のJR福山駅から南へバスで30分、沼隅半島の先端にある小さな港町です。

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鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで潮の流れが変わることから古来、内海を航行する船はこの潮に乗っての航法であったので、潮待ち風待ちの港として栄えました。

町内には、当時の繁栄がうかがえる昔ながらの情緒ある街並みが残っています。

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平地の少ない各地の港町同様、この港町も路地が網の目のようにつながり生活感、わくわく感が愉しめます。

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風待ちの港として航行上重要な港町であった鞆の浦には、歴史上有名な人物が訪れています。その一人が坂本竜馬です。幕末、坂本竜馬の率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」に衝突され、その談判が鞆の浦で行われています。

その談判所となった「旧魚屋萬蔵宅」

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江戸時代、朝鮮通信使もここに滞在しています。

その通信使が絶賛した福禅寺の「對潮楼(たいちょうろう)」からの眺め。

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鞆の浦は、映画やドラマのロケ地として、また宮崎駿が映画「崖の上のポニョ」の構想のために長期滞在したことなどから全国的に関心を集めました。

街を歩いているとこんなものが!

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鞆の浦は寺が多い町です。

江戸時代には28ヶ寺あったそうで、現在も19ヶ寺あります。

その一つ「医王寺」の山の上に建つ「大師堂」からの眺めがすばらしいと地元の方に進められ登ったのですが、急坂の登り切った所に寺があり、そこから石段が延々と続きます。

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大汗かいて登った石段の段数は583段。

ところが天気は下り坂、期待した景色は望めませんでした。

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この日、町では祭りが行われていました。

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by y-tukide | 2018-09-18 09:53 | 散歩

美濃の国 多治見散歩

多治見と言えば焼き物、「美濃焼」「織部焼」で知られています。千利休の弟子である武将であり茶人であった古田織部は美濃国の出身、そしてその時代織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などを多く産したそうです。

美濃焼の歴史は古く、平安時代から盛んに焼かれていたと言われ、時代によって栄枯盛衰があったようですが、現在、岐阜県の多治見周辺の東濃地域は、日本最大の陶器生産地域であり、日本の陶器生産量の半分を占めています。

町の中心には、伊勢湾に通ずる土岐川が流れ、また恵那の中山道「大井宿」から名古屋へと続く「下街道」が走り、往時は交通の要衝として宿場町、焼物に関わる商業の町として発展しました。

現在も街道沿いには明治・大正以降に建てられたであろう重厚な商家建築が残っています。そして本町5丁目筋地区と市之倉地区では、残る古い街並みを「オリベストリート」という名で街並み整備と保存が行われています。

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街道筋には、蔵がある問屋であった重厚な商家建築が残り、それらの建物は陶器店・ギャラリー・飲食店などに利用されています。

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今は閑散としている銀座通り商店街ですが、あちこちから陶器を買い付けに多くの商人が集まりにぎわった時代、この通りは花街として料亭や遊郭が軒を並ぶ一大歓楽街だったそうです。

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商店街のひとつ西側の路地には、スナックの店が立ち並び花街の面影を残しています。

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商店街に、こんななつかしいお菓子屋さんが!

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お目当ての陶器を探して街を散策していると面白い店を発見。「美鈴」という古い町家を活用したモザイクタイルアートの店。

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多治見は、陶器と共にモザイクタイル生産日本一の町でもあります。

この店では、モザイクタイル・ガラス・大理石などのモザイク材料の販売や作品を制作する体験もできます。

店のオーナーである曽根研さんはモザイクアートの作家さん。いろいろお話を伺いモザイク活用のアイデアをいただきました。

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見知らぬ土地を歩く楽しみの一つはその土地のうまいものを味わうこと。

この日は、曽根さんに「うな千」という店を紹介していただき昼飯はうな丼。

私は、美濃中山道をはじめ美濃には数多く訪れていますが、いつも気になるのは鰻屋さんの多いこと。さっするに美濃には木曽川・長良川・揖斐川の大河とそれにつながる川が多いことが起因しているのではないかと勝手に想像しています。

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昼飯を済ませた後に向かったのは「永保寺」。

永保寺は、鎌倉時代に開創された臨済宗南禅寺派の禅宗寺院で国指定の名勝庭園と国宝の御堂があります。

池泉回遊式庭園に架かる太鼓橋のさきに建つ国宝「観音堂」。この日池には氷が張っていました。

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観音堂は、一重裳階(もこし)付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿で軒の反り(そり)が強い形状をしています。

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多治見市の天然記念物に指定されているイチョウの巨木、永保寺の開山である仏徳禅師のお手植えの木と言い伝えられ、それが正しければ樹齢六百年になる。

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最後にに向かったのは、多治見の焼物の中心地である笠原地区に2016年にオープンした「モザイクタイルミュージアム」。

建築家藤森照信氏が手掛けたもので、タイルの原料である粘土鉱山をイメージした非常に斬新な建物です。

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産地ならではの多種多様なタイルやなつかしい古いモザイクタイルなどのコレクションなど、またモザイクタイルを使った工作や各種体験コーナーも用意された充実した施設でした。

ただ帰る時間に追われゆっくり見ることができず、機会をつくり改めて訪れてみたいものです。

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by y-tukide | 2018-01-23 14:29 | 散歩

琵琶湖の「沖島」散歩

私は、近江が好きでこれまでに琵琶湖の湖東、湖西、湖北、湖南地域の町や村、街道を巡っています。その中で以前から気になっていた近江八幡の琵琶湖の沖合に浮かぶ「沖島(おきしま/おきのしま)」には行ったことが無く、10月のはじめの休日に行ってみることにしました。

沖島は琵琶湖最大の島で唯一人が住む島です。

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沖島へは近江八幡の「堀切港」からほぼ12時間ごとに舟が出ています。日曜日自宅を早く出て朝一番815発の舟に乗ることにしました。

堀切港は小さな港、港には島民の足となる舟が停められています。港の駐車場は島民専用で島外の駐車は禁止、狭い駐車場には車がびっしり詰まっています。

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小さな待合所に張られた沖島小学校PTA広報部と記された「ありがとう新聞」。

記事には、遠泳大会! 西に湖のよしでよし船を作ろう! 沖島夏祭り!のイベント記事が掲載されていました。島民、先生、学生ボランティアらが協力して盛り上げたほのぼのしく楽しそうなイベント記事です。

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舟が島から向かってきました。

乗客は、釣り人、観光客、家族連れ、何の目的で渡るのであろう若い女性、結構多くの人が乗り込みます。

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目の前に見える沖島には10分ほどで着くのですが、舟に乗るとなぜか遠くの別の世界に行くような気になるのが不思議です。

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沖島漁港に到着。

漁港は、生活の糧としての漁のため、また日常生活の足のための舟でいっぱいです。

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島には車が無く、もちろん信号も無く、移動手段はもっぱら自転車です。

お年寄りは、荷物が積め安全な三輪自転車。

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島の湖岸近くまで山がせまり、残された狭い平地に家々が密集して建ちます。

南側の湖岸沿いのちょっと広めの道から一歩湖岸を離れると路地が続きます。

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多くの家が路地に向いて玄関があり、生活のにおいがこれでもかというほどプンプン漂います。

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路地の幅は狭く自転車がすれ違うのが精いっぱいです。

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路地に建つ土蔵。

腰壁には、「舟板」が張られていました。舟板は廃船になった木造舟の板を再利用したもので、近江では琵琶湖に近い地域でよく見かけます。

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路地を通して見える山は「長命寺」がある長命寺山か?

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島の唯一の学校、木造建築の沖島小学校。

堀切港に張られていた「ありがとう新聞」には、児童数は19名と書かれていました。

現在、島を離れた人達のお子さんも島外から何人か通っているそうです。

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そしてこの日、沖島小学校のグランドでは運動会が行われていました。

この運動会は、子供たちはもとよりPTA、消防団、老人会などの団体も参加する島民全体の運動会のようです。

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ここで舟に一緒だった若い女性を見かけてのですが、子供たちが○○先生!と呼びかけ取り囲んでいました。多分以前この小学校に赴任していた先生が、この運動会のために島に帰ってきたのです。

この先生以外にも島を離れた元島民が島の秋の大イベントに参加しいていると思われ、島の人達の島を思う気持ちと結びつきを感じました。

地域の結びつきはこうでなければと改めて考えさせられました。

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3時間ほど島を散歩し、漁港で島のお母さんが作ったエビ豆、ゴリ、本モロコの佃煮を酒のあてにと土産にしました。

エビ豆は私の好物なのですが、ここのエビ豆は豆よりもエビの方が多いのには驚きました。さすが漁師の島です。

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また一つ近江のええとこ見つけました。

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by y-tukide | 2017-10-23 09:00 | 散歩

播磨国 室津

播磨国(はりまのくに)の室津、姫路市の西南に位置する現在の「たつの市御津町室津」は、人口1100人程の漁師町です。

港には漁船が隙間なくひしめきあっています。

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ここはカキ養殖が盛んで港の沖合には、カキ養殖のいかだが浮かびます。

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室津は、古くから瀬戸内航路の天然の良港として、畿内の難波の港とをつなぐ風待ち・潮待ちの絶好の港でした。

平安時代末期には平清盛が高倉上皇と、安芸の宮島の厳島(いつくしま)神社を詣でるのに入港した記録も残っています。

江戸期には、参勤交代の西国大名のほとんどが室津に泊まったこともあり、街道の宿場では本陣・脇本陣が各一軒のところが一般的だが、ここには六軒の本陣があったそうです。

山が海岸近くまでせまり、限られた平地と斜面には民家が密集し、港沿を走る唯一主要な道も車1台がなんとか通れるほどの狭さです。

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今は本陣の遺構は全く残っていませんが、豪商の「魚屋」「嶋屋」の遺構は残っています。

この建物は、廻船問屋として活躍した「嶋屋」の遺構です。

切妻平入り本瓦葺の2階建で1階には格子がはまり、2階の窓には連続して手すりがついた室津特有の町家です。

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現在は、たつの市立「海駅(かいえき)館」として、「海の宿駅」で栄えた歴史を、廻船・参勤交代・江戸参府・朝鮮通信使の四つをテーマに展示されています。

この日は偶然「八朔(はっさく)のひな祭り」の日で、ひな人形が町内16カ所の民家や寺が解放されひな人形が飾られていました。

八朔とは、旧暦の8月1日のことで、古くから需要な節目の日として、様々な行事が行われました。

瀬戸内地域では、米の粉で人形、動物、野菜などの形をつくる風習があったとか。

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屋敷の裏はすぐ海で、当時所有する五百石船が横付けされていたのでしょう。

庭にはソテツが植えられ気候が温暖であることがうかがえます。

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海駅館の斜め前の四つ角にこんな建物が!

ここでは「石ころアート」教室が行われていました。


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この建物は、もう一軒の豪商「魚屋」。

現在「民俗館」として公開されています。

ここでも江戸期の「町びな」が飾られていました。

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夜になると灯篭や提灯に火が入れられ、家々の前に飾られます。

今宵は漁港の魚市場でコンサートが開かれるそうです。

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街を歩いていると豪商の建物以外にも、室津独特の造りの古い町家が連続していませんが点在しています。

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手前の「袖うだつ」が上がる町家は診療所です。

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街はずれの鬱蒼と木々が茂る丘陵に賀茂神社があります。

社殿は「唐破風(からはふ)屋根」の立派な建物で平清盛も高倉上皇と参ったそうです。

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昼、地魚の寿司と小ぶりのメバルの煮付けをいただいたのですが、店の大将が近頃はめっきり魚介類がとれなくなったと嘆いていました。

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食事の後、再び街を散策したのですが、唯一港沿いに走る狭い主要道から枝分かれする道は路地、歩いていても方向感覚がくるいまさに迷路。

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いずこも路地歩きは実に面白いです。

生活のにおいがプンプンするし、この角を曲がると何があるのかのワクワク感がたまりません。

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室津という漁師街、歴史もあり人も好さそうで、魚もうまいし冬のカキの時期もう一度来てみたいです。

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by y-tukide | 2017-09-04 09:00 | 散歩