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カテゴリ:散歩( 16 )

美作国 勝山散歩

美作国(みまさかのくに)勝山は、岡山県北部の真庭市にある山間の町です。

古くは、勝山城の城下町として、また播磨国姫路と出雲国松江を結ぶ「出雲街道」の要衝の地として繁栄しました。

以前から一度行ってみたいと思っていたのですが10月のはじめ訪れることができました。

出雲街道沿いには、白壁と出格子のある商家や民家が軒を連ねます。

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なまこ壁の蔵も多く当時の繁栄ぶりが伺えます。

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龍が描かれた見事な「鏝(こて)絵」。

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街道筋には蔵や町家を活用し、雑貨店やカフェ、ギャラリー、工房などの店が営業されています。

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この地方特有の黒と茶色の石州瓦の家並み。

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この建物は、現役の造り酒屋さん。

このあたりで「男はつらいよ」の寅さん最終作(第48作)のロケが行われたところです。

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街道と並行して流れる旭川。

この川を利用して舟で勝山より岡山まで地方の産物を積み、帰りは塩・日用雑貨品を積んで運んだそうです。

川に面する家々には、川に下りる階段が設けられ川の水を利用されています。

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勝山は、暖簾の町でもあります。

町の商家や民家の軒先に個性豊かな暖簾が揺れ、街並みにいろどりを添えています。

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10月というのにこの日は、汗ばむほどの陽気の勝山散歩でした。

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by y-tukide | 2018-10-29 12:17 | 散歩

御手洗 散歩

大崎上島から望む瀬戸内の朝焼け。

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大崎上島の「明石」という港から、小さなフェリーに乗り大崎下島に渡り「御手洗(みたらい)」の港町へ。

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大崎下島にある御手洗(広島県呉市)は江戸時代、天然の「風待ち潮待ち」の良港として北前船や多くの公益船が寄港し栄えた港町です。

江戸から昭和初期に建てられた建物が今も集合し残り、平成6年に国の重要伝統的建物群保存地区として指定され、貴重で味わいのある街並みが大切に守られています。

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この建物は「若胡子屋跡」。

御手洗は、ここに寄港する船乗り達目当てに多くの遊女を抱えた花街で、その中で若胡子屋は最大の茶屋だったそうです。

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この建物は、昭和初期に建てられたモダンな劇場。

昭和30年頃までは映画館として使われていました。

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昭和の玩具や駄菓子の店「御手洗昭和館」。

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今でも時計の販売・修理を行っておられる時計屋さんの看板。

この町を歩いているとまるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚え、何とも言えないのんびりした時が流れます。

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通りに面する何軒もの町家の格子に生き生きしたきれいな花が活けられ、この町を愛し誇りに思っている人たちの思いが感じられます。

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のどかな海の景色と潮風の香り、古い建物が醸し出す情緒豊かな町を歩いていると時を忘れてしまいます。

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偶然見かけたギャラリー。

愛知県からここに移住し、御手洗と瀬戸内の魅力を絵にしておられる田中佐知男さん。

孫娘に、今度来るときは絵道具を持っておいで、一緒に絵を描こうと誘ってくださいました。

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古い街道の宿場町も良いですが、「海道」の港町も私は好きです。

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by y-tukide | 2018-10-09 11:40 | 散歩

鞆の浦 散歩

鞆の浦(とものうら)は、広島県のJR福山駅から南へバスで30分、沼隅半島の先端にある小さな港町です。

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鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで潮の流れが変わることから古来、内海を航行する船はこの潮に乗っての航法であったので、潮待ち風待ちの港として栄えました。

町内には、当時の繁栄がうかがえる昔ながらの情緒ある街並みが残っています。

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平地の少ない各地の港町同様、この港町も路地が網の目のようにつながり生活感、わくわく感が愉しめます。

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風待ちの港として航行上重要な港町であった鞆の浦には、歴史上有名な人物が訪れています。その一人が坂本竜馬です。幕末、坂本竜馬の率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」に衝突され、その談判が鞆の浦で行われています。

その談判所となった「旧魚屋萬蔵宅」

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江戸時代、朝鮮通信使もここに滞在しています。

その通信使が絶賛した福禅寺の「對潮楼(たいちょうろう)」からの眺め。

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鞆の浦は、映画やドラマのロケ地として、また宮崎駿が映画「崖の上のポニョ」の構想のために長期滞在したことなどから全国的に関心を集めました。

街を歩いているとこんなものが!

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鞆の浦は寺が多い町です。

江戸時代には28ヶ寺あったそうで、現在も19ヶ寺あります。

その一つ「医王寺」の山の上に建つ「大師堂」からの眺めがすばらしいと地元の方に進められ登ったのですが、急坂の登り切った所に寺があり、そこから石段が延々と続きます。

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大汗かいて登った石段の段数は583段。

ところが天気は下り坂、期待した景色は望めませんでした。

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この日、町では祭りが行われていました。

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by y-tukide | 2018-09-18 09:53 | 散歩

美濃の国 多治見散歩

多治見と言えば焼き物、「美濃焼」「織部焼」で知られています。千利休の弟子である武将であり茶人であった古田織部は美濃国の出身、そしてその時代織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などを多く産したそうです。

美濃焼の歴史は古く、平安時代から盛んに焼かれていたと言われ、時代によって栄枯盛衰があったようですが、現在、岐阜県の多治見周辺の東濃地域は、日本最大の陶器生産地域であり、日本の陶器生産量の半分を占めています。

町の中心には、伊勢湾に通ずる土岐川が流れ、また恵那の中山道「大井宿」から名古屋へと続く「下街道」が走り、往時は交通の要衝として宿場町、焼物に関わる商業の町として発展しました。

現在も街道沿いには明治・大正以降に建てられたであろう重厚な商家建築が残っています。そして本町5丁目筋地区と市之倉地区では、残る古い街並みを「オリベストリート」という名で街並み整備と保存が行われています。

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街道筋には、蔵がある問屋であった重厚な商家建築が残り、それらの建物は陶器店・ギャラリー・飲食店などに利用されています。

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今は閑散としている銀座通り商店街ですが、あちこちから陶器を買い付けに多くの商人が集まりにぎわった時代、この通りは花街として料亭や遊郭が軒を並ぶ一大歓楽街だったそうです。

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商店街のひとつ西側の路地には、スナックの店が立ち並び花街の面影を残しています。

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商店街に、こんななつかしいお菓子屋さんが!

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お目当ての陶器を探して街を散策していると面白い店を発見。「美鈴」という古い町家を活用したモザイクタイルアートの店。

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多治見は、陶器と共にモザイクタイル生産日本一の町でもあります。

この店では、モザイクタイル・ガラス・大理石などのモザイク材料の販売や作品を制作する体験もできます。

店のオーナーである曽根研さんはモザイクアートの作家さん。いろいろお話を伺いモザイク活用のアイデアをいただきました。

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見知らぬ土地を歩く楽しみの一つはその土地のうまいものを味わうこと。

この日は、曽根さんに「うな千」という店を紹介していただき昼飯はうな丼。

私は、美濃中山道をはじめ美濃には数多く訪れていますが、いつも気になるのは鰻屋さんの多いこと。さっするに美濃には木曽川・長良川・揖斐川の大河とそれにつながる川が多いことが起因しているのではないかと勝手に想像しています。

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昼飯を済ませた後に向かったのは「永保寺」。

永保寺は、鎌倉時代に開創された臨済宗南禅寺派の禅宗寺院で国指定の名勝庭園と国宝の御堂があります。

池泉回遊式庭園に架かる太鼓橋のさきに建つ国宝「観音堂」。この日池には氷が張っていました。

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観音堂は、一重裳階(もこし)付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿で軒の反り(そり)が強い形状をしています。

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多治見市の天然記念物に指定されているイチョウの巨木、永保寺の開山である仏徳禅師のお手植えの木と言い伝えられ、それが正しければ樹齢六百年になる。

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最後にに向かったのは、多治見の焼物の中心地である笠原地区に2016年にオープンした「モザイクタイルミュージアム」。

建築家藤森照信氏が手掛けたもので、タイルの原料である粘土鉱山をイメージした非常に斬新な建物です。

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産地ならではの多種多様なタイルやなつかしい古いモザイクタイルなどのコレクションなど、またモザイクタイルを使った工作や各種体験コーナーも用意された充実した施設でした。

ただ帰る時間に追われゆっくり見ることができず、機会をつくり改めて訪れてみたいものです。

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by y-tukide | 2018-01-23 14:29 | 散歩

琵琶湖の「沖島」散歩

私は、近江が好きでこれまでに琵琶湖の湖東、湖西、湖北、湖南地域の町や村、街道を巡っています。その中で以前から気になっていた近江八幡の琵琶湖の沖合に浮かぶ「沖島(おきしま/おきのしま)」には行ったことが無く、10月のはじめの休日に行ってみることにしました。

沖島は琵琶湖最大の島で唯一人が住む島です。

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沖島へは近江八幡の「堀切港」からほぼ12時間ごとに舟が出ています。日曜日自宅を早く出て朝一番815発の舟に乗ることにしました。

堀切港は小さな港、港には島民の足となる舟が停められています。港の駐車場は島民専用で島外の駐車は禁止、狭い駐車場には車がびっしり詰まっています。

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小さな待合所に張られた沖島小学校PTA広報部と記された「ありがとう新聞」。

記事には、遠泳大会! 西に湖のよしでよし船を作ろう! 沖島夏祭り!のイベント記事が掲載されていました。島民、先生、学生ボランティアらが協力して盛り上げたほのぼのしく楽しそうなイベント記事です。

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舟が島から向かってきました。

乗客は、釣り人、観光客、家族連れ、何の目的で渡るのであろう若い女性、結構多くの人が乗り込みます。

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目の前に見える沖島には10分ほどで着くのですが、舟に乗るとなぜか遠くの別の世界に行くような気になるのが不思議です。

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沖島漁港に到着。

漁港は、生活の糧としての漁のため、また日常生活の足のための舟でいっぱいです。

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島には車が無く、もちろん信号も無く、移動手段はもっぱら自転車です。

お年寄りは、荷物が積め安全な三輪自転車。

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島の湖岸近くまで山がせまり、残された狭い平地に家々が密集して建ちます。

南側の湖岸沿いのちょっと広めの道から一歩湖岸を離れると路地が続きます。

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多くの家が路地に向いて玄関があり、生活のにおいがこれでもかというほどプンプン漂います。

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路地の幅は狭く自転車がすれ違うのが精いっぱいです。

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路地に建つ土蔵。

腰壁には、「舟板」が張られていました。舟板は廃船になった木造舟の板を再利用したもので、近江では琵琶湖に近い地域でよく見かけます。

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路地を通して見える山は「長命寺」がある長命寺山か?

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島の唯一の学校、木造建築の沖島小学校。

堀切港に張られていた「ありがとう新聞」には、児童数は19名と書かれていました。

現在、島を離れた人達のお子さんも島外から何人か通っているそうです。

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そしてこの日、沖島小学校のグランドでは運動会が行われていました。

この運動会は、子供たちはもとよりPTA、消防団、老人会などの団体も参加する島民全体の運動会のようです。

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ここで舟に一緒だった若い女性を見かけてのですが、子供たちが○○先生!と呼びかけ取り囲んでいました。多分以前この小学校に赴任していた先生が、この運動会のために島に帰ってきたのです。

この先生以外にも島を離れた元島民が島の秋の大イベントに参加しいていると思われ、島の人達の島を思う気持ちと結びつきを感じました。

地域の結びつきはこうでなければと改めて考えさせられました。

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3時間ほど島を散歩し、漁港で島のお母さんが作ったエビ豆、ゴリ、本モロコの佃煮を酒のあてにと土産にしました。

エビ豆は私の好物なのですが、ここのエビ豆は豆よりもエビの方が多いのには驚きました。さすが漁師の島です。

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また一つ近江のええとこ見つけました。

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by y-tukide | 2017-10-23 09:00 | 散歩

播磨国 室津

播磨国(はりまのくに)の室津、姫路市の西南に位置する現在の「たつの市御津町室津」は、人口1100人程の漁師町です。

港には漁船が隙間なくひしめきあっています。

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ここはカキ養殖が盛んで港の沖合には、カキ養殖のいかだが浮かびます。

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室津は、古くから瀬戸内航路の天然の良港として、畿内の難波の港とをつなぐ風待ち・潮待ちの絶好の港でした。

平安時代末期には平清盛が高倉上皇と、安芸の宮島の厳島(いつくしま)神社を詣でるのに入港した記録も残っています。

江戸期には、参勤交代の西国大名のほとんどが室津に泊まったこともあり、街道の宿場では本陣・脇本陣が各一軒のところが一般的だが、ここには六軒の本陣があったそうです。

山が海岸近くまでせまり、限られた平地と斜面には民家が密集し、港沿を走る唯一主要な道も車1台がなんとか通れるほどの狭さです。

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今は本陣の遺構は全く残っていませんが、豪商の「魚屋」「嶋屋」の遺構は残っています。

この建物は、廻船問屋として活躍した「嶋屋」の遺構です。

切妻平入り本瓦葺の2階建で1階には格子がはまり、2階の窓には連続して手すりがついた室津特有の町家です。

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現在は、たつの市立「海駅(かいえき)館」として、「海の宿駅」で栄えた歴史を、廻船・参勤交代・江戸参府・朝鮮通信使の四つをテーマに展示されています。

この日は偶然「八朔(はっさく)のひな祭り」の日で、ひな人形が町内16カ所の民家や寺が解放されひな人形が飾られていました。

八朔とは、旧暦の8月1日のことで、古くから需要な節目の日として、様々な行事が行われました。

瀬戸内地域では、米の粉で人形、動物、野菜などの形をつくる風習があったとか。

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屋敷の裏はすぐ海で、当時所有する五百石船が横付けされていたのでしょう。

庭にはソテツが植えられ気候が温暖であることがうかがえます。

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海駅館の斜め前の四つ角にこんな建物が!

ここでは「石ころアート」教室が行われていました。


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この建物は、もう一軒の豪商「魚屋」。

現在「民俗館」として公開されています。

ここでも江戸期の「町びな」が飾られていました。

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夜になると灯篭や提灯に火が入れられ、家々の前に飾られます。

今宵は漁港の魚市場でコンサートが開かれるそうです。

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街を歩いていると豪商の建物以外にも、室津独特の造りの古い町家が連続していませんが点在しています。

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手前の「袖うだつ」が上がる町家は診療所です。

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街はずれの鬱蒼と木々が茂る丘陵に賀茂神社があります。

社殿は「唐破風(からはふ)屋根」の立派な建物で平清盛も高倉上皇と参ったそうです。

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昼、地魚の寿司と小ぶりのメバルの煮付けをいただいたのですが、店の大将が近頃はめっきり魚介類がとれなくなったと嘆いていました。

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食事の後、再び街を散策したのですが、唯一港沿いに走る狭い主要道から枝分かれする道は路地、歩いていても方向感覚がくるいまさに迷路。

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いずこも路地歩きは実に面白いです。

生活のにおいがプンプンするし、この角を曲がると何があるのかのワクワク感がたまりません。

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室津という漁師街、歴史もあり人も好さそうで、魚もうまいし冬のカキの時期もう一度来てみたいです。

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by y-tukide | 2017-09-04 09:00 | 散歩

紀ノ国 「塩津」散歩

休日、和歌山県海南市下津町にある「塩津」という街を散策しました。

塩津は、紀伊水道の若浦湾に面する人口600人程の小さな港村です。海際の狭い平地に山が迫り、その斜面に密集して民家が建ち並びます。

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塩津は、自然の良港で古くから漁業をはじめ廻船業も盛んで有力な豪商も輩出したそうですが、明治に入り鉄道が開通することにより廻船業は衰退し、今は当時の面影を残しながら静かにたたずむ漁村です。

海際の狭い平地には、当時の繁栄がうかがえる本葺瓦屋根の蔵や商家が残ります。

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この集落を歩くと、漁村特有の外壁が板張りの家々の間を狭い路地が迷路のように走ります。


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海に迫る山の斜面に建つ家々は、この地域から産するのであろう石積みの上に建ち、塀も石積みで独特の風景を形成しています。

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急な坂道の路地を登っていても、それぞれの路地に特徴があり面白く、さほど疲れを感じません。

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建物の多くの屋根は、重厚な「本瓦葺」でこの集落の歴史の重みを感じます。

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山上に建つ静まりかえった塩津小学校。

20153月に5人の卒業生を送り出し休校となりました。塩津小学校は、明治6年に開校し、ピーク時には300人以上の児童が在籍していたそうです。通常なら廃校となるところですが、保護者や地元から「地元のシンボルとしての学校を失いたくない」という強い要望により休校の扱いとなり、いったん142年の歴史を閉じました。

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港に降り、漁に出る準備している漁師さんに話しかけると、イワシを餌にタコをとりに行くとのことでした。

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6月初めのこの時期、この辺りではシラス漁がおこなわれていて、ゆで上がったシラスを土産にすることができました。

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塩津の集落を散策していて、空き家や朽ちた家屋・空地が目立ったのですが、この集落独特の貴重な風景が残り続けてくれることを願うばかりです。

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by y-tukide | 2017-07-24 10:52 | 散歩

常滑 散歩

常滑(とこなめ)は、愛知県の知多半島の中央部に位置し、中世から現在も生産が続く代表的な窯である日本六古窯(知多・瀬戸・信楽・越前・豊前)の一つで古くから焼物の町です。

平安時代末期に始まり900年の長い年月を経て現在に受け継がれています。

タイルや衛生陶器の大手メーカーであるINAXもここが発祥の地で現在も工場やINAXライブミュージアムなどがあります。

常滑焼を展示販売している陶器会館を拠点に「やきもの散策道」が整備され、歴史ある街並みを楽しむことができます。

坂の擁壁に埋め込まれた小学生が作った陶壁画。

常滑焼の特徴は、土に酸化鉄が多く含まれていて、焼かれると赤い色が自然に出るそうです。

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また常滑の土は、焼くと丈夫になるため「土管」に適し、明治から昭和にかけて多数の土管が焼かれ、出荷できなかった土管は町のあちこちで土留めとして擁壁に利用され独特の景観を形成しています。

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レンガで積まれた煙突とレンガの一回り大きめの「ダンマ」と呼ばれる炉材で積まれた窯跡。

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町の建物の壁は黒一色、黒色はコールタールの色です。

コールタールは海からの潮風や工場の煙で家が傷むのを防ぐために塗られています。

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土管坂。

坂の左側は、明治の鉄道土管、右側は昭和の焼酎瓶が積まれています。路面には、滑り止めのために土管をつくる時に使う「焼き台」と言われるものが埋め込まれています。

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常滑の町は高台にあり、当時は海が間近に迫っていたと思われます。そのさほど広くない丘陵地に焼物作業場が密集して建っているのが常滑の街並みの特徴です。

現在はその海の沖合に中部国際空港が浮かび空港の玄関口となっています。ここからは飛び立つ飛行機が見られます。

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道幅の狭い坂道を下って行くと道端にいくつものオブジェが現れます。

これは1985年から2011年までの27年間、夏に世界の陶芸家を常滑に招いて、約40日間一般家庭にホームステイしながら作陶するという市民活動の中での作品です。

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歩いていてあちこちで見られるレンガ造りの煙突。

50年程前には400本ほどの煙突がそびえ、そこから出る黒い煙の煤でスズメが黒くなりカラスと見間違えられたほどだったそうです。

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街中にはいくつもの焼物の店があります。

常滑では、かめや壺などの大きなものと生活に必要な生活雑器が多く焼かれてきたのが特徴です。中でも原料の土の色を活かした赤茶色のお茶を入れる急須が有名です。

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街中には焼物の店の以外にも旧作業場を利用していろんな店があります。

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この店は実は鰻屋さんです。

昼飯はここで「うな丼まぶし」をいただきました。

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昼食後、近くにある「INAXライブミュージアム」によってみました。

「世界のタイル博物館」をはじめ「建築陶器のはじまり館」など六つの体験・体感型の施設があります。

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その一つである「世界のタイル博物館」。

紀元前3500年前、メソポタミア地域のウルクという所で、建物の土壁をより美しく装飾しようとして考えられた円錐状のクレイペグという焼物、当時と同じように一つ一つ手作りし、モザイク模様を土壁に再現しています。

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「建築陶器のはじまり館」では、大正から昭和初期にかけて鉄筋コンクリト造の建物の装飾として用いられた建築陶器であるタイル、テラコッタのコレクションが展示されています。

その中に20世紀の建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトが大正時代に設計し建てた「帝国ホテル旧本館」で使われた、引っかいて筋を入れた「スダレ煉瓦」と「大谷石」で構成された化粧柱が展示されていました。


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ライトは、計画に際し常滑のタイルやテラコッタの色合いに惚れこみ、常滑に直営工場である「帝国ホテル煉瓦製作所」が設営されたそうです。

その「帝国ホテル旧本館」は、今は愛知県にある「明治村」に解体移築されています。

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初めて訪れた常滑の町、興味深くなかなか面白い町でした。

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by y-tukide | 2017-07-03 12:05 | 散歩

宇治田原 散歩

私が住む町、宇治に隣接して宇治田原町という人口9,500人ほどの山に囲まれた町があります。宇治田原は「お茶の郷」として茶業が盛んな町で、山間によく手入れされた茶畑が広がります。

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この地は古く、10世紀中期に書かれた「和名抄」に「田原郷」と記載されているそうで、集落には、奈良盆地から山城・近江へと抜ける古道が走ります。

また田原郷の南には、南山城地域の最高峰である「鷲峰山(じょうぶさん)」があり、ここは山岳信仰の霊場として奈良から奈良・平安期に栄えた「鷲峰山寺」現在の「金胎寺(こんたいじ)」があります。そこに通じる信仰の道が、奈良から木津川右岸を走り宇治から京都の山科を経て大津へ抜ける本道の「奈良街道」に対する間道であったと思われます。

その古道の集落の入り口にあたる「郷之口」の街並み。

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古道沿いに建つ「右じょうぶさん道 左しがらぎ道」?と記された道標。

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郷之口には、軍事上需要であったのか織田信長の命により山口甚助秀康が築いた「山口城」がありました。

本能寺の変のおり、堺にいた徳川家康が急いで三河に命からがら逃げ帰ったルート「家康伊賀越えの道」はまさにこの道です。家康は、河内より尊延寺越えに田辺、草内を経て木津川を渡り、田原郷に入り山口城で昼食をとり馬を乗りかえたそうです。

今は城の名残もなく茶畑が広がります。

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郷之口の古道沿いのお茶屋さん。

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「家康伊賀越えの道(信楽街道)」を左に折れ、近江の瀬田へと抜ける783号線沿いに建つ茅葺屋根の「禅定寺」。

宝物殿には藤原時代作で重要文化財である本尊十一面観音立像などが安置されています。

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田園風景の中にぽっんと建つ禅定寺の山門。

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古道を進むと立川という地区がありのどかな田園風景が広がります。

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その風景の中にひっそりたたずむ「信西入道塚」。

藤原信西(しんぜい)は平治元年(1159年)、源頼朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害されました。領民はこの場所に塚を築きその菩提を弔ったと言われています。

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立川を過ぎ峠を越えると「湯屋谷」に入ります。

湯屋谷には、江戸時代中期に茶を研究し、もっとおいしい茶が造れないかと「青製煎茶製法」をあみだし、日本の緑茶開発と普及に貢献した「永谷宗円」の生家があります。宇治田原が日本緑茶発祥の地と言われる所以です。

谷あいに続く湯屋谷集落の街並み。

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永谷宗円の生家跡。

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湯屋谷から峠を越えると宇治田原の西端の集落「奥山田」に出ます。

家康は、ここから信楽の朝宮に入り、伊賀を経由して白子浜に出、伊勢湾を渡り無事三河に逃げ帰りました。

山村風景が広がる奥山田の郷。

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奥山田にある「正壽院」。

ここで「お茶でもどうぞ」とお茶と茶菓子をいただきました。

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境内の梅は今が見ごろでした。

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宇治田原散歩、ここは社寺も多く史跡もあり歴史を十分に感じさせてくれる山里でした。

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by y-tukide | 2017-03-21 13:46 | 散歩

近江散歩 百済寺

琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山麓に位置する「湖東三山」西明寺、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)は天台宗の寺院で紅葉の名所です。

私は、湖東三山の中でも百済寺が好きで、これまでにも何度となく訪れています。普段の時期は参拝者もさほど多くないのですが、紅葉の時期には、観光客が多いこともあり避けていたのですが、早朝なら人も少ないだろうと今回行ってみました。

近江と朝鮮半島とはかかわりが深く多くの渡来人が近江に渡ってきています。百済寺は聖徳太子の願いにより朝鮮半島から渡来した百済(くだら)人のために創建された近江最古級の古刹です。

7時半、さすがに観光客もいない山門。

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私の好きな、百済寺の参道。

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前回、百済寺を訪れたのは2年前の11月初めです。

実はこのとき、今年の2月に亡くなられた私が尊敬する奥村まことさんと3年前に亡くなられた建築家、永田昌民氏の奥さんである永田裕子さんと親しい仲間達とで「近江湖東三山と湖北観音の里巡礼」の一泊二日の旅をしたときに訪れています。

あの時は、まことさんはリュックを背負いこの参道を元気で登っていました。

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本坊の庭園。山を借景とした池泉回遊式庭園です。

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大きなわらじが掛けられた「仁王門」。

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仁王門をくぐり石段を上がりきると檜皮葺きの本堂があらわれます。平安末期から鎌倉、室町に至るころは「湖東の小叡山」と言われるほどの壮大な寺院であった百済寺、織田信長の兵火によりほとんど建物が焼失したのですが、本堂は江戸時代に再建されました

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本堂内に祀られた如意輪観音像。信長の兵火を免れた希少な観音像です。

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境内に桜の花が!

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時間が経つにつれ観光客の数が一気に増えてきたので、紅葉を満喫し逃げるようにして百済寺を後にしました。

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by y-tukide | 2016-11-21 15:40 | 散歩