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カテゴリ:散歩( 26 )

宮津 散歩

京都府の北部、日本海に突き出た丹後半島の入口の港町、宮津。
これまでに何度か訪れていますが、梅雨の合間の日曜日、天気はすぐれませんでしたが、相棒と宮津かいわいを散歩しました。
宮津 散歩_e0164563_11434388.jpg

漁港では、朝に水揚げされた魚介類の競りが行われていました。
宮津 散歩_e0164563_11434323.jpg

まずは北東に伸びる小さな半島を海沿いに走ることに。
道沿いの神社の参道入り口際に咲くアジサイ。
先ほどまで降っていた雨にぬれ、この時期ならではの風情です。
宮津 散歩_e0164563_11434394.jpg

どんよりした鉛色の雲とその色を映した海との境の濃い緑の線は、天橋立です。
宮津 散歩_e0164563_11434318.jpg

陸に上がった木造船。
宮津 散歩_e0164563_11434495.jpg

時折小雨が降り、その都度軒下を借り雨宿りしながらの相棒との散歩。
さいわい風はなく海は、穏やかそのもの。
宮津 散歩_e0164563_11434418.jpg

半島の海沿いの道が途絶えたところにあった小さな漁村、漁港には人ひとりいなく静まりかえっていました。
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その小さな漁村の街並み。
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この建物の前の海沿いの道は、埋め立てられてできた道、以前は海に面していたのでしょう。
今は、1階の一部は車のガレージになっていますが、以前は船のガレージ「舟屋」であったと思われます。
宮津 散歩_e0164563_11434265.jpg


来た道を戻り、次は天橋立に行くことに。
コロナ禍の中、観光客は途絶えていたでしょうが、今はどうなっているか気になっていました。
智恩寺の山門の前は、観光客の姿はありましたが、コロナ前とは運殿の差。
宮津 散歩_e0164563_11435405.jpg

この日は天気もすぐれないこともあるのでしょうが、天橋立内もこんな感じ。
宮津 散歩_e0164563_11435491.jpg
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この辺りで食事を済ませ、次に向かったのは宮津の町の中心部。
宮津は城下町であると共に、天然の良港に恵まれ、江戸時代、北前船の寄港地でもあり、丹後地方の海上交通の拠点として賑わった町でもあります。
今も往時の繁栄の歴史を感じさせる町並みが残っています。
その一つが、江戸時代の商家で国の重要文化財に指定されている「旧三上家住宅」。
防火構造の「大壁塗籠め造り」の重厚な建物です。
宮津 散歩_e0164563_11435566.jpg

この建物は、創業300年以上の歴史があるといわれる「袋屋醤油店」。
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遊里として賑わった新橋通り付近は、京格子がある町家が残り当時の風情が感じられます。
宮津 散歩_e0164563_11435574.jpg

久々の宮津散歩でした。
街中で見かけたこんなお地蔵さん!
宮津 散歩_e0164563_11435588.jpg



by y-tukide | 2020-07-06 09:00 | 散歩

播磨国 「加西市北条」散歩

外出自粛が求められるこの時期、以前に撮った未整理の写真から、今回、加西市北条の町を紹介します。

加西市は兵庫県の南部にある市で、北条はその市の中心的な町です。
北条は、千年以上前に建立された住吉神社・酒見(さがみ)寺の門前町として栄え、また山陽・山陰を結ぶ交通の要衝として北播磨の中心的な存在でした。
明治・大正・昭和初期には、商業・流通の拠点として繁栄し、多くの商家が軒を連ね、今も当時の面影がうかがえる歴史ある街並みが残っています。

「横尾通り」の旧商家の街並み。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12322234.jpg

「つし」二階に「虫籠(むしこ)窓」がある元商家。
この建物は、壁・塗籠部は漆喰できれいに塗り替えられ、以前は「本瓦葺」であったであろう大屋根は「桟瓦葺」に吹き替えられていますが、ひさしは「本瓦葺」のままで、当時の面影を色濃く残し改修されています。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12320952.jpg

塗籠のひさしに「持ち送り」がついた蔵。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12322146.jpg

この通りの桟瓦葺の屋根に共通して見られた「風切り丸瓦」を屋根中央に3列に葺いた光景。
「風切り丸瓦」は、一般的には瓦屋根の妻側に当たった風で瓦が持ち上がってしまうのを防ぐ目的で「ケラバ」「ミノコウ」の近くに棟から軒先まで葺く「丸瓦」です。
その丸瓦が屋根の中央に3列葺かれているのです。
これはたぶん「本瓦葺」のなごりで、意匠的なものだと思われます。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12321076.jpg

住吉神社・酒見寺の参道沿いにも古い商家の街並みが残っています。
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見事な左官仕事の「うだつ」。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12321162.jpg

参道を進むと酒見寺の楼門が現れます。
酒見寺は、奈良時代に社会事業や東大寺の大仏建立のために奔走した「行基」が創建したといわれています。
その後、たびたびの兵火に見舞われ、再建・焼失を繰り返しています。
播磨国 「加西市北条」散歩_e0164563_12315125.jpg

楼門を入ると右側には彩色を施し、優雅なたたずまい多宝塔があります
江戸期に建立されたもので重要文化財の建物です。
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入母屋造りで裳腰(もこし:本来の屋根の下にかけたもう一重の屋根)付の本堂。
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正面の本堂の東隣にある鐘楼。
これも鮮やかに彩色され、木組みの美しさは見事です。
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酒見寺の東側に隣接する播磨国の三ノ宮である住吉神社は、神仏習合の名残を色濃くとどめています。
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住吉神社の境内を抜けて北に向かうと、羅漢寺がありその境内には、「五百羅漢」の石仏群が現れます。
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一本の切り石で彫られた技法は、きわめてつたなく、それ故に素朴で何とも言えない味わいがあります。
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いつ頃、だれが、何のために制作したのか、これに答える史実も資料もなく謎です。
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一体一体、顔の表情が異なりずっと見ていても飽きません。
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この味わい深い謎の石仏、モノクロ写真が似合うかも。
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by y-tukide | 2020-05-04 09:00 | 散歩

讃岐国「多度津」散歩

香川県の多度津町は、瀬戸内に面し古くから良港に恵まれ、江戸時代には北前船の寄港地として栄え、全国から様々な物資や情報の集まる讃岐一の港町として発展してきました。
また金刀比羅宮へと続く「こんぴら街道」の玄関口として賑わったまちでもあります。

私は3年前のお正月休みに、妻と娘そして当時5歳だった孫娘と4人で讃岐と備中倉敷を旅したとき多度津にちょっと立ち寄りました。
その時もう一度来てみたいと思ったこともあり、今回改めてじっくり街を歩くことにしました。

早朝家を出、京都駅から新幹線で岡山駅へ、そこから特急「南風3号」の乗り換え、JR多度津駅に着いたのが9時41分。
讃岐国「多度津」散歩_e0164563_09150720.jpg

駅前広場には機関車の動輪が。
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そして駅の北側の線路沿いには、「ハチロク」の通称を持つ8620型蒸気機関車が展示されています。
ここ多度津駅は四国鉄道発祥の地で、1889(明治22年)讃岐鉄道丸亀・多度津・琴平間約15.5kmの起点駅として開業し、大正12年には予讃線と土讃線の分岐駅として現在の位置に新築移転されました。
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市内を港とつながる「桜川」という川が流れています。昔の川幅はもっと広く船は「雁木(がんぎ)」に接岸し物資の積み下ろしをしていました。
そして写真のこの辺りは物資の積み下ろしを終えた船の「船溜まり」だったそうです。
讃岐国「多度津」散歩_e0164563_09150643.jpg

川の右手に県立多度津高校があります。川べりを歩いているとゴミ袋を持ち川周辺のごみ拾いしている野球部の生徒さんが、見ず知らずの旅人の私に元気よく「おはようございます」と挨拶してくれました。
思わず「おはよう、ご苦労さんです!」。
実に気持ちのいいまちです。

そして「家中」と呼ばれる地区へ。
そこには「多度津町立資料館」がります。資料館には、多度津に関する資料が多数保存され展示されています。
多度津は丸亀藩領であったのですが、1694年に丸亀藩の藩主の子供が分封され、初代多度津藩藩主になり「陣屋」が置かれました。
そして家中地区には、武家屋敷跡が残っています。
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武家屋敷跡に残る「本瓦」で「なまこ壁」の立派な蔵。
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陣屋跡は、現在JR四国多度津工場になっています。
その敷地に隣接して建つ大正か昭和初期であろうレトロな建物。
医院として現役です。
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道路の向かい側にも大正期のモダンな建物。
この建物も贈答品の店として現役です。
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川を渡り港の方面に向かいます。
港の周辺は、東浜・西浜と呼ばれるところで、往時は船宿や商家が軒を連ね、また遊郭もありましました。
その面影が残る遊郭建築。
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3年前に比べこのあたりの古い建物が取り壊されて空き地が増えているように感じました。
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この2棟の町家は、再生されカフェとして活用されています。ほかにも今はやりの宿泊施設として活用されている町家もありました。
古い町家を活用し、歴史ある街並みを残し、個性ある街づくりと活性化を図っていってもらいたいものです。
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多度津の港。
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この日の海は風もなく穏やかです。
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港近くの食堂で昼飯を食べたあと、江戸時代、金比羅参詣客でにぎわった「本通り」周辺を散策しました。
往時の繁栄をうかがわせる重厚な商家や蔵が点在しています。
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合田家。
この建物は、大正末から昭和初期に建てられたもので、玄関棟に隣接する応接間は洋風で、本通りに面した窓にはステンドガラスがほどこされています。
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敷地の西側に建つ土蔵とレンガ造りの蔵。
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そして最後に向かったのは、四国霊場第77番札所「道隆寺」。
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私の家の宗派は真言宗でもなく、特に信仰心もあついわけではありませんが、今年の正月休みもそうでしたが、四国に渡るとなぜか四国霊場に立ち寄るのが常となっています。
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
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by y-tukide | 2020-02-17 09:00 | 散歩

美作国 津山散歩

津山市は、岡山県の北部に位置し、北は鳥取県に接する町です。

古くから美作(みまさか)地域の中心で、美作国の国府が置かれていました。

江戸時代には、「本能寺の変」で信長の小姓として非業の死をとげた森蘭丸の弟である森忠正が、美作十八万六千五百石に封じられ、本格的な平山城である津山城を築き、城下町として発展しました。

また津山は、町中を出雲国松江と播磨国姫路を結ぶ「出雲街道」が走り、宿場町しても栄えた街でもあります。

美作国は、林業が盛んで製材所や市場も数あり、私はこれまでに仕事でこの地方には何度か訪れています。その際、津山にも来たことがあるのですがさらっと街を見ただけだったので、今回はじっくり街を散策することにしました。


森忠正が築き、明治の廃城令により天守をはじめする建物取り壊されましたが、石垣は当時の姿で残っています。

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城の近くで見つけた「津山高等学校本館」(旧津山中学校本館)。

この建物は、明治33年に建てられたもので現在も現役で使われています。

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JR津山駅の南側にある旧津山扇形機関車庫と転車台。

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機関車収容線数は17、京都の梅小路に次ぐ2番目の規模だそうです。

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次に向かったのは、出雲街道沿いの城東地区。

この地区の街並みは、2013年に重要伝統的建築群保存地区に指定されています。

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なまこ壁やうだつ、虫籠窓(むしこまど)、連子格子など当時の面影が色濃く残る街並みです。

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何軒かの町家の軒先に缶風車が。

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ここ城東地区は、渥美清の「男はつらいよ」の最終作である48作目のロケ地でもあります。

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散策途中で昼飯は、ご当地グルメでB1グランプリに入賞した「津山ホルモンうどん」をいただくことに。

街道沿いにあった橋野食堂は行列が!

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店の説明書きによるとこの店は、創業130年の老舗食堂。すぐ隣の精肉店より仕入れる鮮度抜群のホルモン入りうどんが名物とか。

ぷりぷりで甘みのあるホルモンとシャキシャキもやしが、みそダレうどんとマッチして、なかなかの味。ペロッとたいらげました。

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食事の後もう一度城東地区に戻り散策。

寺のような構えの建物にレンガ造りの外構。この和洋折衷の建物は大正9年に建てられた元銀行の建物です。

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そしてこの町家の瓦葺屋根は、垂木が丸竹でそれに割竹を縄でくくりつけ、その上に杉皮を敷いた造りです。

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軒先も竹下地がそのまま化粧になっていました。

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この日は一日中、小雨が降ったりやんだりの天気でしたが、見どころが多い散歩でした。

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by y-tukide | 2019-09-09 16:54 | 散歩

播磨国 龍野散歩

兵庫県たつの市は兵庫県の南西部に位置し、市の中央部の龍野エリアは龍野藩五万三千石の城下町で、その町割りが江戸時代そのままに今も残っています。
龍野城は、赤松氏によって築かれた鶏籠山山頂の山城だったのですが、豊臣秀吉に明け渡した後、山麓の現在の場所に移され、江戸時代に信州飯田から脇坂安政が入封し、以来10代200年間続き明治に至ったそうです。
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また龍野は醤油の町でもあり、とりわけ淡口醤油の生産が盛んです。
龍野醤油醸造の始まりは、四百数十年前からだそうで、盛んにおこなわれるようになったのは、醤油の原料である良質の大豆、小麦と赤穂に近く塩が手直に得られたこと、そして市内を流れる揖保川水系の良質な水が得られたことが上げられ、現在でも淡口醤油の一大産地です。
この建物は、ヒガシマル醤油の第2工場跡。
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街を散策していると醤油蔵跡や商家の屋敷や蔵を多く見かけ、往時の繁栄ぶりがうかがえます。
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このレンガ造りの建物は、うすくち龍野醤油資料館。
ヒガシマル醤油(株)の旧本社と醤油蔵を資料館として活用し、醤油づくりの今昔を見ることができます。
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醤油の街らしい醤油・もろみの自動販売機。
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偶然見かけた「舟板」を腰板に再利用した土塀。
うすくち醤油の最大の消費地は、京都と大阪です。龍野から揖保川を高瀬舟で下り、瀬戸内を航行して京都・大阪に販路を求めたそうで、この舟板はその高瀬舟ものではないかと勝手に推測しています。
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龍野地区は、兵庫県の「景観形成地区」に指定され、地区の歴史的な景観の保全が進められています。
この下川原商店街も少し前まではアーケードがかかり、「看板建築」などで情緒ある街並みが阻害されていたのですが、そのアーケードを取り外し修景事業が進められ、伝統的建造物群保全地区の指定を目指し頑張っておられます。
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そんな街中で明治の建物を再生し、観光客が気楽に休憩できるスペースとトイレを備えた「かどめふれあい館」。
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その近くにこんな蔵が!
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龍野の名産は、醤油だけではなく約600年の歴史を持つ手延べ素麺「揖保乃糸」があります。農閑期の副業として発達した産業です。
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昼飯に、錦糸卵・アナゴ・梅干しが入った揖保乃糸のにゅう麺をいただきました。
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今回、龍野を訪れて確かに他の地方都市同様に人口減少や老齢化は同じかもしれないが、町の歴史に誇りを持ち、この町特有の街並みと情緒を残し、次の時代につなげようと努力されている人たちの心意気を感じました。
龍野はもう一度訪れてみたい魅力のある町です。
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by y-tukide | 2019-09-02 09:00 | 散歩

豊島 散歩

広島県呉市の豊島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。
かつては海の孤島でしたが、現在は橋で本土と繋がり車で渡ることができます。
以前、豊島の東に浮かぶ大崎下島の伝統的建造物群保存地区である御手洗(みたらい)に訪れた時に豊島の通ったのですが、機会があれば訪れてみたいと思っていました。
今回、仕事で広島に行ったのですが、翌日が日曜日だったのでもう1泊しレンタカーを借り豊島に向かいました。
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豊島は、海際まで山がせまり、その山の比較的緩やかな斜面に家が階段状に密集して建つ漁村集落です。
埋め立てられた海岸沿いの広い道から一旦集落内に足を踏み入れると路地が迷路のごとく続きます。
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自転車ぐらいは通れる路地もあれば、人がすれ違うのも難しい路地もあります。
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公共の道なのか個人の敷地なのか判断が難しい路地もあります。
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路地端に祀られたお地蔵さん、きれいな活け花が供えられ住人の信仰心の深さが感じられます。
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そんな密集した集落の中で、猫の額のような畑がいくつかあり、そこは周辺の建物が共有できる庭的空間でもあり、路地を通る人の目も楽しませてくれます。
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路地の面白さは、人間の感覚に適したヒューマンスケールの空間、生活感あふれる匂い、この角を曲がるとどんな風景がのわくわく感、ひな壇を構成する石垣の美しさなどなど、路地の魅力は尽きません。
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集落の端の山肌には、瀬戸内名産のミカンの畑が広がっていました。
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海岸まで降りてくると漁港の木陰で将棋の対局戦。
実にのどかな漁村風景です。
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豊島を散策し時間がまだあるので橋を渡り、隣の大崎下島の御手洗にもう一度行くことにしました。
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御手洗(広島県呉市)は江戸時代、天然の「風待ち潮待ち」の良港として北前船や多くの公益船が寄港し栄えた港町です。
江戸から昭和初期に建てられた建物が今も集合し残り、平成6年に国の重要伝統的建物群保存地区として指定され、貴重で味わいのある街並みが大切に保護されています。
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のどかな海の景色と潮風の香り、古い建物が醸し出す情緒豊かな街並み。
ここは何度来てもいい港町です。
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by y-tukide | 2019-08-05 09:00 | 散歩

備中「吹矢」散歩

岡山県西部の山間の街「吹矢(ふきや)」は、江戸時代から明治にかけて鉱山の町として栄えた町です。特に江戸時代末期からは、ベンガラの国内随一の産地として名を馳せました。

赤胴色の石州瓦とベンガラ色の外観の連続した家々は、他の地域では見られない独特の街並みを形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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この建物は「旧片山家住宅」。

1759年の創業以来200年余り渡って吹矢ベンガラの製造・販売を手掛けた老舗です。

保存修理が行われ平成22年から一般公開されています。

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通りに面した1階が繊細な「出格子」、2階が「なまこ壁」の主屋とともに、裏にはベンガラ製造にかかわる付属屋が立ち並び国の需要文化財に指定されています。

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酸化鉄顔料であるベンガラは、日本では江戸時代にインドのベンガル地方産のものを輸入したために「ベンガラ」と名付けられました。耐水性・耐熱性・耐光性などに優れていることから建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として使われてきました。

吹矢を繁栄させたベンガラ産業も、昭和47年の銅山閉鎖に続いて昭和49年にその製造を終えましたが、今は街の土産物屋で観光客に、ベンガラ染めや焼き物などが売られています。私はベンガラで染めた手漉きの和紙を購入しました。

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実は、私がこの街を訪れるのは二度目です。

前回は8年前の20115月に、私が尊敬する今は亡き奥村昭雄先生・奥村まことさんと親しい仲間達とでここを訪れました。

この写真はその時の懐かしい記念写真です。

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街を散策した後、近くにある「ベンガラ館」に向かいました。

ベンガラ館は、明治のころのベンガラ工場を当時の姿に復元したものです。

往時は、このあたりにベンガラ工場が4か所あったそうです。

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ここではベンガラの製造工程が紹介されています。

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次に向かったのが「笹畝(ささうね)坑道」。

ここでは黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出されたそうです。

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坑道内には江戸時代の手掘り作業の様子が。

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そして最後に訪れたのは「旧広兼家住宅」。

広兼家もベンガラの原料である「ローハ」製造を営み巨大な富を得ました。その屋敷の石垣は、まさに「武者返し」を備えた城の石垣です。

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ここは横溝正史の推理小説「八つ墓村」の映画のロケ地となった屋敷です。

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自宅を朝5時ごろに出発し、休憩をはさみ約4時間近くかけて訪れた「吹矢」。

ちょっときつかった道のりでしたが、備中の山間ののどかな田園風景を眺めながら帰路につきました。

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by y-tukide | 2019-04-15 08:21 | 散歩

備前 「下津井」散歩

岡山県の倉敷市南部に小高い山々を連ねてのびる児島半島の南端に位置する「下津井」は、江戸時代中期から北前船が来港するようになり大変栄えた町です。

明治の中頃以降は、交通機関の近代化により北前船がなくなり、今は漁業の町として静かに時を刻んでいる港町です。

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この町も各地の多くの古い港町同様に狭い平地に民家が密集して建ちます。

さほど広くない道沿いには、屋根は「本瓦葺」、壁は「漆喰」「ナマコ壁」、「虫籠(むしこ)窓」「連子格子」を備えた町家や蔵の街並みが残り、当時の繁栄ぶりを伝え、岡山県の町並み保存地区に指定されています

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街を歩いていると富の象徴である立派な蔵が多いのに気づきます。

下津井の背後地の干拓地では塩分が多いので米が育たないために、水と肥料があれば育つ綿花栽培が盛んで、その肥料となるニシン粕・干しイワシが北前船によって北海道からもたらされ、それを蓄えるための「ニシン蔵」が競って建てられました。

その商家の筆頭が「萩野屋」で海辺に多くの蔵をもっていたそうです。

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その旧西萩野屋の建物は、「むかし下津井回船問屋」という名で資料館や食事処として活用されています。

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そして主要な道から私の好きな路地が伸びます。

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その路地のたまりに共同井戸が、他の路地にも数カ所あります。

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街の山腹には、街を見下ろすように「風の道」という遊歩道が走っています。

この道は、歩行者・自転車専用道で児島から下津井まで整備されたものです。

この日私は、JR児島駅の観光案内所でレンタサイクルを借り、この道を通り下津井にやってきました。

実はこの道は、「旧下津井電鉄」の軌道敷地跡なのです。

下津井電鉄は、大正時代に児島・下津井間で開通した鉄道で平成2年に地元住民に惜しまれながら廃線となりました。ただ今も下津井駅跡には当時の電車が大事に保管されています。

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下津井の沖合で水揚げされるタコは、「下津井ダコ」と呼ばれ有名なのだそうです。

そのタコ料理専門の「保乃家」という店が街中にあり、昼飯はそこでタコ料理をいただくことに。

一人で食べきれるか不安に思いながら、タコのフルコース料理を注文すると店の大将がいけすから生きたタコを一匹取り出し、目の前でさばいてくれます。

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タコは、頭を切り落とされても足をくねらせ生きています。

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手早くさばかれ、これはタコの卵巣、初めて見ました。

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その卵巣のしんじょうが最初に出され、

そしてその卵巣と白子の酢の物、これも初めてです。

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次は刺身、足の皮をむき食べやすく包丁が入れられています。

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次にから揚げと続き、締めはタコめしとタコ団子の入った味噌汁。

最初の不安をよそに完食。

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ただ話好きの大将曰く、近年漁獲量が減っている上に、昨年は台風の影響で海に土砂が流れ込み、タコは不漁でタコを仕入れることができず何日も店を閉めたそうです。

この日は幸い、下津の街並みと下津タコを堪能することができました。

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by y-tukide | 2019-02-25 13:44 | 散歩

東紀州 紀北町散歩

「紀北町」は紀伊半島の東部、東紀州の玄関口に位置し、平成17年に旧海山(うやま)町と旧伊勢長島町が合併し誕生した人口2万人程の小さな町です。

町の東側は、黒潮が流れる熊野灘に面し、西側の背後には日本一の降雨量で知られる大台ケ原山系に囲まれ、そして町中を熊野古道「伊勢路」が走る、豊かな自然と共に歴史がある町でもあります。

以前から紀勢自動車道を走り南紀の那智勝浦などに行くとき、通り過ぎるこの町が気になっていたのですが、この日早朝から紀北町に相棒をつれ走りました。

5時に自宅を出、途中朝飯を食べ紀北町の「伊勢長島地区」の港に着いたのが7時半。

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ここで車から相棒をおろし街を散策。

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まずは入り江に架かる江ノ浦大橋から街を眺めることに。

山がせまり、海岸沿いの高い堤防に囲まれた狭い平地に家が密集して建ちます。

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道沿いに「切妻平入り」の古い町家が点在します。

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そして随所に昭和のにおいが漂います。

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長島港では、11月ごろ近海で「マンボウ」が獲れることから町のシンボルとなっていて、

街角に通り名や町名が記されたマンボウが架けられています。

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街中には南北に2本の主要な道が走り、その内の山側の通りが「旧熊野街道」です。

道端には「北南くまのみち 西左いせ道」と記された歴史を感じる古い道標が建っていました。

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その旧熊野街道沿いに建つ松並木の参道が綺麗な「仏光寺」。

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境内には「津波流死塔」が二つありました。

江戸時代の宝永四年(1707年)と安政元年(1854年)の津波による流死者を供養するために建てられたものです。

宝永四年に起きた地震による津波では、長島浦で500人余りの方が亡くなられたそうです。当時の長島浦の人口は、2617人だったそうでいかにその被害が凄まじいものであったかが想像されます。

寺の参道に植えられた松は、宝永四年の津波の後に漂流物を防ぐために植えられたものだそうです。

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街中を南北に走る2本の主要な道に直行して路地が幾筋もつながっています。

ここでも私が好きな路地空間を満喫。

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その路地で面白い光景発見。

路地の向い合せの家に屋根が架けられ、その上に犬が繋がれて洗濯物が干されている光景。

路地空間の活用法としてユニークなアイデアです。

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そして伊勢長島地区を後に次に向かったのは、車で30分ほどにある紀北町のもう一つの町「海山(うやま)地区」。

ここには、熊野古道の「馬越(まごせ)峠」に向かう約2kmの石畳の道があります。

現在の国道42線やJR紀勢本線が開通するまでは、この道が当時の幹線道路でした。

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そしてこの町では、他の地域ではない「幻」と言われる「渡利カキ」というカキが養殖されています。

海山地区には、背後の大台ケ原山系から二本の川が流れ、その水が流れ込む「白石湖」という海水と淡水が混ざる小さな「汽水湖」があります。

そのカキはその湖で養殖されています。

カキは本来海水で育ちますが、汽水湖では比重が重い海水に大雨などで川の水が流れ込むと淡水が海水の上になり、カキは異変を感じて殻を閉ざします。

そのことによりうま味の元となる「グリコーゲン」をその身の中に蓄えられるそうです。

ただカキは、永く淡水にしたり過ぎると死んでしまうので、カキを吊るす深さを調整する微妙な加減が求められ、また現在家族経営の9軒の養殖業者しか生産していないので貴重でなかなか手に入らないこともあり「幻のカキ」と呼ばれるそうです。

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その渡利カキを昼飯に頂きました。

広島のカキなどと比べると大きさは小粒ですが、磯臭さやクセがなく濃厚な味わいです。

生ガキはさっぱりしていましたが、火を加えた焼きカキは味が濃くなりうまかったです。

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そしてカキを甘辛く着込んだこの地方特有のカキの「にぎり」をいただきました。

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生カキ、焼きカキ、カキフライ、カキのにぎりと幻のカキを堪能した後、白石湖を一周し美しい景色も満喫。

大台ケ原山系からの山の養分を豊富に含んだ清らかな水が流れ込むこの海、

7月から8月にかけては、うまいウニが獲れるそうです。

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by y-tukide | 2019-02-04 10:36 | 散歩

舞鶴 散歩

この日、早朝から私が常に口にする若狭の「瓜割の滝」の湧水を汲みに、今年初めて行ってきました。

20年程前から愛飲しているこの湧水、今年もお世話になります。

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水汲みの後、久しぶりに舞鶴に行くことにしました。

舞鶴は、日本海に面する港湾都市ですが「東舞鶴」と「西舞鶴」に大きく二つに分かれ、それぞれが歴史的に異なった背景の元、発展した街です。

東舞鶴は、それまで静かな農漁村だったのですが明治時代、近代国家形成の中で西洋列強に渡り合うため海軍力を備えることが急務となり、軍港として良港四ケ所(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の一つとして選ばれ、海軍鎮守府が置かれ軍港都市をして整備された歴史をもつ街です。

そして旧海軍施設であった赤レンガ造りの魚雷庫、小銃庫などの建物が国の重要文化財の建造物として残っています。

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現在も海上自衛隊舞鶴地方総監部があり、その敷地内には昭和8年に建設された旧海軍機関学校大講堂が海軍記念館として残されています。

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この写真は、10年前に私が尊敬する亡き奥村昭雄先生とまことさんと親しい仲間達とでここを訪れた時のなつかしい写真です。

奥村先生は終戦間際、この機関学校の生徒さんでした。

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国道27号線沿いの自衛隊桟橋には、護衛艦などが停泊しています。

東舞鶴は今も「軍港」の街です。

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それに対して西舞鶴は、田辺城(舞鶴城)を中心に細川氏によって整備された城下町です。

天下分け目の「関ケ原の合戦」で徳川方についた細川氏は、息子の忠興(ただおき)は家康の東軍に従軍し、正室のガラシャ(石田光成の三女)は大阪で人質になるのを拒絶し自害、そして忠興の父幽斎は5百人の兵で西軍石田光成方15千の兵を迎え田辺城に籠城し城を守った話は有名です。

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また西舞鶴は、北前船の寄港地として発展した古くからの港町でもあります。

街の西側を流れる高野川河口に位置する「竹屋町」は、大商人が多く店を構え、藩内の商品流通を全国の市場に結び付ける拠点であったそうです。

今もその面影が残る街並み。

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そんな街並みの中でこんな建物もありました。

明治時代から続く現役のお風呂屋さんです。

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また高野川沿いには、各地から運ばれてきた産物を保管する蔵や倉庫があったそうですが、

連続しては残っていませんがいくつか面影が残る建物を見かけました。

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その高野川の西側の山麓を走る道沿いには、いくつもの神社仏閣が並びます。

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西舞鶴の街の中にはもう一つの川、伊佐津川が流れます。

その河口の「吉原地区」は、高野川沿いの商家や町家が並ぶ街並みとはがらりと変わった、のんびりした情緒あふれる風景の漁師町。

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川沿いには家が密集して建ち並び、運河のような流れの中を舟が行きかいます。

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川沿いに建つ家々の表通り、どちらが家の表か裏かわかりませんがそこは路地。

生活のにおいがプンプン漂う私が好きな路地空間。

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舞鶴は、いくつもの顔がある面白い街です。

そして街を散策して気付いたこともう一つ

お地蔵さんの多いこと!

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by y-tukide | 2019-01-28 12:40 | 散歩