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カテゴリ:街道を行く( 84 )

近江「八風街道」「御代参街道」ちょこっと散歩

先週の日曜日、滋賀県の近江八幡で仕事の打ち合わせが午前中にあったのですが、午後は休んで「八風街道」を走り八日市に向かうことにしました。

近江は古来から交通の要衝で琵琶湖を中心に多くの街道が走っています。江戸時代の幹線道路である五街道の内の「東海道」「中山道」をはじめ、琵琶湖の西側には「北国街道(西近江路)」「若狭街道(鯖街道)」が走り、琵琶湖の北・東・南側には「北国街道」「北国脇往環」「朝鮮人街道」「八風街道」「御代参街道」が走ります。

私は近江が好きでこれまでにこれらの街道を歩きと車で行っていますが「御代参(ごだいさん)街道」だけは、歩いたことがありません。

そんなこともありこの日は、「八風街道」を東に走り、八日市で交わる「御代参街道」をちょこっと散策しました。

八風街道は、近江中山道の「武佐(むさ)宿」を起点に東へ永源寺の前通り、鈴鹿山脈の八風峠を越えて三重に抜ける道で、近江商人が伊勢との商いで利用した重要な街道です。

武佐宿手前の中山道の風景。大きな楠のある場所は、近江守護佐々木氏の流れくむ名家「伊庭(いば)家」の屋敷跡です。

私は、17年前に中山道草津宿から近江中山道を美濃の関ケ原宿まで歩いたのですが、この風景は、当時のままです。

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街道沿いの近江鉄道八日市線の「武佐駅」。武佐宿の街並みに似合う駅舎です。

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武佐宿の本陣跡。

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中山道から分岐するここが八風街道の起点です。角には「いせ、ひの、八日市」と記された道標が立ちます。

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八風街道を走り八日市の町に入ると、この日は祭りで町のあちこちで神輿が出、太鼓やかねの音聞こえていました。

写真の背後のレトロな建物は、近江鉄道の「新八日市駅」の駅舎です。大正時代の建物だそうです。

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アーケードがある「ほんまち商店街」。この通りが「御代参街道」です。

ここで八風街道と御代参街道が交わっています。

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ここにも神輿が!

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神輿が行きすぎるた閑散としたシャッター通り商店街。通りに面して昔の街道筋の建物が残っているのですがほとんどが表面だけ店舗風の「看板建築」です。

変に今風の店舗の外観にせず、アーケードをとり御代参街道の昔の風情の街並みに戻した方が味があり、人も集まり店もにぎわうのではないかと思います。

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その商店街の中で見つけた、宣教師であり建築家であるウィリアム・ヴォーリズの設計だと思われる建物が。アルミのカーポートがなければいいのに残念。

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御代参街道は、中山道の近江商人に発祥地の一つである「五個荘」から東海道の「土山宿」結ぶ道です。八日市で八風街道と交わりここから南へと走ります。交わる角には「右 京、むさ 左 いせ」と彫られた道標が立ちます。

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平入りの町家が連続して建ち並ぶ御代参街道の街並み。

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この建物は国の登録有形文化財に指定されている建物です。多分元造り酒屋さんだと思われます。

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この建物の外壁の腰板は、竹を編んだものを二つ割の孟宗竹で押えています。粋な作りです。

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この町家は、カフェとカルチャー教室として活用され、地域のコミュニティーの場になっているようです。

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こんな建物も!

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時間も経ち祭りも終わり。神社で大太鼓の片付けをしておられました。

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by y-tukide | 2018-04-16 11:10 | 街道を行く

丹後天橋立から伊根を行く

私の趣味である古い街道や街歩き、歩くのは好きなのですが最近は歳のせいか長い距離を歩くのがちょっときつく感じています。そのくせ行ったら行ったで見たいもの欲が湧き、寄り道を繰り返す始末です。そんなこともあり今回、助っ人として折りたたみ式自転車を購入することにしました。

折りたたみ式の自転車なら車や列車に乗せられるし、行動範囲も飛躍的に広がります。

そしてこの日、購入したばかりの自転車を車に積み丹後の天橋立まで行きそこから舟屋で有名な伊根に向かうことにしました。

天橋立の元伊勢籠神社の駐車場に車を置き、そこから相棒のデビューです。

まずは元伊勢籠神社に参拝し相棒と安全祈願。

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これまでに伊根には数回行っていますが、すべて車でR178を走りましたが、今回は海沿いの旧道や漁村を縫うように行き、道中これまでに見なかった景色を楽しむことができました。

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その中で養老という漁港では、水揚げされたイワシの仕分け作業ではねられたイワシを狙う鳥たちの凄まじい光景に遭遇。

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そして2時間半ほど寄り道しながら走り伊根の集落に入ります。

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ここは女性の杜氏で知られる向井酒造。

通りに面する庭には、時代を感じさせる立派な松の木が目を引きます。

ここで伊根の定番の地酒「京の春」の小瓶を購入。

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若狭湾に面した伊根浦は、日本海側には珍しく南に開けた静かな入り江であり、東・西・北の三方を山に囲われています。その伊根浦に約350世帯が、海沿いの狭い平地に細長く建ち並び集落を形成しています。そして伊根浦を特徴づけるのが、連続する舟屋群です。

明治初め以前は茅葺屋根でしたが、明治の始めから昭和25年ごろまでのブリ景気で多くの建物が2階建ての瓦葺に建替えられたそうです。

その舟屋を眺めるのは海からが一番です。

4月に新しくオープンした観光案内所でたまたま知り合った軽井沢から来た男性と長崎から来た女性と私の3人で漁師さんの海上タクシーで30分の伊根浦めぐりをすることに。

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ここ伊根では、渥美清の「男はつらいよ」や西田敏行の「釣りバカ日誌」のロケが行われています。写真の3軒並ぶ左端の建物は「男はつらいよ」で使われた舟屋だそうです。

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初対面の旅人3人の貸切舟での伊根浦めぐり、海も穏やかで爽快です。

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船上で漁師さんからカッパ海老センをもらいカモメに餌やり。

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目の前で見るカモメ。

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ここで漁師さんの自宅の舟屋に上陸して舟屋見学。

2階は住まいになっているそうです。

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伊根浦めぐりの後、昼飯に新鮮な魚料理を堪能しその後は街並み散策。

集落を走る一本の生活道路に面して山側に平入りの母屋(主屋)、海側には妻入りの舟屋と蔵が隙間なく並びます。漁村でこれほど多くの蔵が見られるのは珍しいことです。

蔵はブリ景気で繁盛した時代があったことの象徴かも。

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時刻は午後3時、見ている間に時間が経ちました。

帰りは相棒を折り畳み、輪行バックに入れて路線バスで車のある天橋立へと帰ることにしました。

ありがたい相棒との旅、これからも楽しみです。

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by y-tukide | 2018-04-09 10:51 | 街道を行く

越前海岸を行く―その3

師走のこの時期、越前海岸と言えば「越前ガニ」。

私は好きなのは、越前ガニでもメスの「せいこガニ(こっぺガニ)」23杯の甲羅のミソ・内子・外子(卵)と足の身をどんぶりの盛った「せいこ丼」です。

漁期が116日の解禁から12月いっぱいの2か月しか味わえない貴重な逸品です。

2年前に越前海岸の「小樟(こころぎ)」という所にある「えちぜん」という食堂で初めて食べ、それが忘れられず今年も行ってきました。

ちょっと早いな思いながら店に10時半ごろに着いたのですが店の前は早くも人だかり。

2年前に比べ年々お客さんの数が増えているようです。

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名前を書き順番待ち。

1時間待ちと告げられちょうどいいわと近くを散策しました。

小樟漁港。

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漁村の多くがそうであるように、ここ小樟でも海岸近くまで山がせまり平地は少ししかありません。その平地と斜面に密集して家が立ち並び、迷路のごとく路地を形成しています。

私は漁村の路地のスケール感、迷路を歩くわくわく感、そして生活がにじみ出ている風景が好きで、あちこちの漁村を歩いています。

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1時間程街を歩き、もういい頃かと店にもどったのですがさほど順番が進んでいません。

カニは、食べるのに時間がかかるのとグーループ客が酒を飲み宴会状態になっているので回転が悪く、それから店で1時間程待つことになりました。

そしてようやく席につけ、待望の「せいこ丼」にありつけました。

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この日はお腹が減りすぎていたこともあり、奮発して雄の越前ガニ1杯を刺身と焼きにしていただきました。

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この日の越前海岸は、小春日和で波も穏やか。

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そしてこの時期の越前海岸のもう一つの名物、山肌に群生するスイセンがこれから見ごろを向かえます。

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by y-tukide | 2017-12-11 15:49 | 街道を行く

室生古道を行く 2017年秋

私には3人の孫がいます。一番歳上の今年中学に入学した孫は、休日も部活や塾に追われ兄弟そろって我家に遊びに来ることが難しくなったのですが、11月の連休にうまく休みがとれ久しぶりに我が家に遊びに来ました。

翌日、「室生古道」を歩き「室生寺」に行こうという事になり、妻と3人の孫と5人連れで近鉄電車に乗り榛原駅へと向かいました。

榛原駅からタクシーに乗り「伊勢本街道」の高井宿へ。

ここからから仏隆寺(ぶつりゅうじ)→唐戸峠→西光寺→室生寺のコースです。

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高井宿から伊勢本街道を進むと間もなく仏隆寺に向かう道と伊勢本街道が分岐します。

ここであえて遠回りになるのですがもう少し伊勢本街道を進み、途中から折れ仏隆寺に行くことにしました。

分岐点あたりで見かけた花畑。

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分岐点からは、杉・桧の木立の中を急坂が続きます。

孫達は、道端で適当な枝を拾い杖にして坂道を登ります。

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坂を登り切ったあたりに石垣からしめ縄をまいた大木が道を覆います。

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この民家は依然「松本屋」という伊勢本街道沿いの旅籠でした。

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松本家住宅を過ぎ枯葉を踏みしめながら山道を進むと数本の杉が株元で癒着し、16本の杉が一株になった巨木「高井の千本杉」が現れます。

根元からは水が湧き、旅人の喉をいやしてくれます。

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かつて千本杉あたりには、旅籠や茶店があったそうで、その一つが「大野屋」という屋号の「津越家住宅」。母屋が「大和棟」の立派な民家です。

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この辺りから高原の田園風景が広がります。

孫たちは、歌を歌ったりふざけたりしながら道を行きます。

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この辺りは「赤埴」というところ。ここには宝形造りの小さな御堂に「千体仏」が祀られています。由来は16世紀前半にさかのぼるそうで、子育ての仏さんとして信仰されています。

お堂内には色花が飾られこの地域の人々の信仰の深さが感じられます。

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山あいの道をさらに進み急坂を登りきると、ちょっとかすんだ空気の中に茅葺の民家が現れ、日本の原風景を見ることができます。

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回り道をして「仏隆寺(ぶつりゅうじ)」に到着。

参道登り口にある茅葺の地蔵堂で休憩。

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この小さな山寺の山門に一直線にのぼる石段の中ほどに、樹齢900年という奈良県下最古最大の桜の木があります。

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これは昨年の4月に妻と室生古道を歩いた時の写真。

このときは桜見の人達でにぎわっていましたがこの日は我々のみ。

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仏降寺の本堂の前になぜか百数十年生であろう杉の大木が伐採され置かれていました。

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ここから唐戸峠へと登りが続きます。

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杉林の山肌に伐採された杉が無残な姿で転がっています。10月の21号台風の大雨で流れ出たものと思われます。これら間伐材の活用を真剣に取り組まなければ、山が荒れ流木となって大きな災害にもつながるのです。

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ようやく唐戸峠に到着。

ここで妻が作ってくれたおにぎり弁当を食べることにしました。

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ここからは室生寺までは下りの道です。

道中の紅葉は色づき始めでしたが、ススキは陽光を受け銀色に輝き、風は冷たく秋の深まりを肌で感じました。

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ひたすら長い坂道を下り、道をふさぐ害獣防止のゲートをくぐり、「腰折れ地蔵」を過ぎるとようやく里に出て「西光寺」が現れます。

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西光寺の樹齢400年といわれるしだれ桜。

昨年、妻と二人で同じ道を歩き見たこの桜は見事でした。

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そして眼下に室生の里が広がり、谷の底に室生寺が望めました。

時刻は2時、高井宿を出発したのが9時過ぎ、ここまで5時間程かかった11kmほどの古道歩き。

孫たちは途中、目面しいものを見つけたら観察し、枝の杖を振り回しふざけ遊びながらの道中でした。

私の趣味の「街道歩を行く」、さて次回孫たちはついてくるかどうか?

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by y-tukide | 2017-11-13 15:37 | 街道を行く

篠山街道 福住から篠山を行く

9月のはじめ、京都の亀岡から丹波篠山の福住まで「篠山街道」を歩いたのですが、

今回は福住まで車で行き、そこから篠山城の城下町である篠山へと街道を歩くことにしました。

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篠山市の福住地区は、篠山盆地の東端に位置し、街道沿いに東から「西野々」「安口(はだかす)」「川原」「福住(ふくすみ)」の四つの集落からなります。

近世、「福住」は宿場町として栄え商家建築が街並みを形成し、「西野々」「安口」「川原」には、街道沿いに農家建築が並び独特の街並みを形成しています。

この福住地区は、5年前の平成2412月に伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されました。

街道沿いに、茅葺を鉄板で覆った家、瓦葺で「つし2階」の入母屋造りの家が連続し、

玄関が建物の棟に直行した妻側に設けられた「妻入り」の農家建築が並ぶ「安口(はだかす)」の集落。

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街道沿いに建つ広い間口の妻入りの茅葺農家。

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この辺りには、篠山の特産品「丹波篠山黒豆」の畑が広がります。

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住吉神社を越えたあたりから街道は福住の集落に入ります。

各地の一般的な街道筋の宿場の町家は、建物の棟と並行した側面に玄関がある「平入り」の建物が多いですが、ここでは一部「平入り」の町家もありますが、「妻入り」商家建築が連続して並ぶ街並みを形成しています。

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格子を施した平入りのこの町家は、改修されイタリア料理店として活用されています。

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福住の集落の外れ、篠山に向かう372号線と大阪の能勢町に向かう173号線の交差するあたりに根回り13.7m樹齢700800年と推定される「安田の大杉」が悠然と立っています。

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街道は、「安田の大杉」から173号線を一時走り、「小野」の集落から折れ旧道を行きます。

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さわやかな秋晴れの中、のどかな田園風景の中を歩くのはとても気持ちがいいです。

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この時期、街道筋の家々のまわりにはコスモスが、あぜ道には真っ赤な彼岸花が咲き、目を楽しましてくれます。

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杉の巨木が立ち並ぶ参道にある波々伯部(ほうかべ)神社。

京都の祇園社(八坂神社)から勧請したと伝承され「丹波の祇園さん」と呼ばれ、毎年8月に例祭(祇園祭)が行われるそうです。

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この辺りの街道筋の家々の玄関先には、鯛の絵が張られています。これは何かと地元の人に聞いてみると祭りの際、この絵を神社からいただき玄関に張ることで厄払いになるとのことでした。

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土塀に囲まれた立派な茅葺の民家。

篠山街道を歩いていて、立派な古民家が多く残っているのにはうれしい限りです。

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この建物は、「重兵衛茶屋」。

江戸時代、大名の参勤交代の時や一般の旅人の休泊所として利用された茶屋で、
篠山市の文化財に指定されています。

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ようやく篠山城跡に着きました。

城の堀のまわりに今も残る武家屋敷跡。

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篠山街道を亀岡から篠山まで二日をかけて歩いた「街道を行く」。

丹波の自然とのどかな農村風景、そして街道筋に今も残されたこの地域特有の貴重な建物。

17年前にこの街道を車で走り、その時見過ごしたものが今回歩いて見ること、知ることができた街道歩きでした。

とりわけ天引集落での住民による「天引区の活性化と未来を考える会」の取り組み。そして福住地区での街道沿いの東西3.260m、東西460mの広範囲での伝建地区指定を望んだ地元住民の地域に対する思いと誇りには感服しました。

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by y-tukide | 2017-10-02 08:08 | 街道を行く

篠山街道 亀岡から福住を行く

9月のはじめの休日、京都の亀岡から丹波篠山の福住へと「篠山街道」を歩きました。

篠山街道は、古来京都から亀岡を西に、丹波篠山を経て北近畿、山陰に通ずる律令時代の官道「山陰道」です。丹波篠山の民謡「デカンショ節」の名をとって篠山あたりでは別名「デカンショ街道」とも呼ばれています。

私はこれまでに何度かこの道を車で走り、篠山に行っていますが歩いて行くのは初めてです。

亀岡市の「吉川」という所、街道筋には蔵・門を構えた立派な民家が多く見かけられます。

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街道筋に建つ造り酒屋の「大石酒造」。

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篠山街道と並行して走る372号線を折れ「湯の花温泉」方面に向かいます。道は登り坂が2.5km程続き、そして湯の花温泉を過ぎると「高芝」という集落に入ります。

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街道沿いに広がる黄金色の田園風景。

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平安時代創建の古刹「谷性寺(こうしょうじ)」。

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戦国時代、織田信長の命により丹波地方を平定した明智光秀は、この寺の本尊である不動明王を厚く崇敬し、「本能寺の変」を決意するや不動明王に請願し本懐を遂げます。

ところが「山﨑の戦」で無念の最後を遂げますが、光秀を慕う士がここに「首塚」を残しました。

毎年初夏、境内には明智家の家紋である桔梗の花が咲き乱れ「桔梗寺」とも呼ばれています。

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街道をいくつかの集落を抜け、ある民家の長屋門の前で小休止。

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この門の中で売られていた野菜の賀茂ナスとオクラを土産に買いました。

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山陰道「野口の駅」跡の碑。この辺りに宿場があったのです。

平安時代の末期、源頼朝の命により源義経も平家討伐のために「一ノ谷」へと向かった時ここを通ったのでしょう。

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街道筋にはコスモスが咲き栗が実り、秋の色が色濃く感じられます。

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「埴生」の集落、「はぶ」と読みます。ここにも宿場があったそうです。

またこの地には、戦国時代、明智光秀の丹波攻略のおり、丹波一円を抑えていた波多野氏と光秀との仲を取り持った野々口西蔵坊という武将が構える山城「埴生城」があったと集落の入り口の案内板に記されていました。

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昼飯にと出掛けにコンビニで買ったおにぎりがあったのですが、街道を歩いていて唯一見つけた食堂でうどんを食べ一息つき、さらに街道を進み「天引峠」の手前にある「天引(あまびき)」という集落に入りました。

ここは篠山方面に向かう372号線と園部に抜け54号線が交差するところにある集落です。

集落内にはきれいな小川が流れ、その水は防火用水・農業用用水としてだけではなく、生活用水としても利用され、各家の前には水路に下りるための石段が設けられています。

水路の一部には、清流に育つ梅花草が初夏に水中で白い花を咲かせ、ホタルも飛び交うそうです。

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そして見つけました黄金色に実る稲田の中に建つ茅葺の小さな「薬師堂」。

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17年前に372号線を走っているとき見かけ写真におさめたのですが、その場所を忘れてしまっていて、この建物を探すことも今回の街道歩きの目的の一つでした。

17年ぶりに再会し、うれしいことにまわりの風景も全く変わっていませんでした。

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薬師堂を改めて写真におさめた後、近くの樹齢450年と言われるムクの大樹が見事な八幡神社で休んでいると、偶然そこで村の方と話す機会を得ました。

その方は村人が160人余りに減った天引の村を愛し、活性化しようと「天引区活性化と未来を考える会」という組織で様々な取組されているとのことでした。

そして村の誇れる10撰を取り上げたパンフレットをいただきました。そのパンフレットの表紙がこのムクの木です。

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さらに天引集落を歩いているとご老人に声を掛けられ「千体地蔵」を見せてあげると。

そのご老人は、ご自宅の前にある小さな御堂の鍵をわざわざ開け、そこに納められた千体地蔵を見せてくれました。

ご老人曰く、先代からの言い伝えによると、江戸の中ごろ九州から一人のお坊さんが旅してここに来られ、千体の地蔵を作りたいと当時の当主に申し出、そしてこの御堂の裏山にあったケヤキを切って、御堂を建て千体の地蔵を彫られたそうです。

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そして次に寄ったのが、石段の上がると鐘楼門がある曹洞宗の寺「大隠寺」。

この寺も17年前に訪れ記憶に残っているいい寺です。

確かに天引の集落には見どころが多く、人のいい方たちとも出会え話も聞けました。

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天引に長居しすぎ早く福住に行かねば帰りのバスの時間に間に合いません。

急ぎ天引峠の下を走る天引トンネルを足早に抜け福住へと急ぎ向かいました。

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by y-tukide | 2017-09-25 13:53 | 街道を行く

大和 壷坂みち―土佐街道から高取城をゆく―

私は司馬遼太郎のファンですが、紀行集である「街道をゆく」シリーズの「大和 壺坂みち」で司馬遼は高取城跡を訪れています。

高取城は、奈良盆地と吉野の間の山地にそびえる標高約584mの高取山にある山城です。南北朝時代に南朝方の越智氏により築かれ、1585年に豊臣秀長の家臣本田氏と1640年(江戸期)に城主となった植村氏によって大改修されたものです。明治の新政府による廃城令により天守をはじめ上物がとりこわされ、今は石垣を残すのみですがその規模は広大です。

私は、以前に車で途中まで行き山の中腹から歩き城跡に行ったことがあるのですが、今回は、ふもとの城下町「土佐」から446mの城跡へと歩くことにしました。

江戸時代高取藩の城下町として栄えた高取は、土佐街道沿いに今も低い軒先に格子戸の古い街並みが続き、昔の繁栄を物語っています。

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高取は、城下町であると共に薬の町でもあります。歴史は古く飛鳥時代、推古天皇が聖徳太子や供の者を従え、高取の山野で「薬狩り」を行ったと伝えられています。そして修験者によって「大和の薬」として全国に広められたのが「大和売薬」の起こりだそうで、その拠点となった町です。

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この建物は、お医者さんです。立派な長屋門の一部は廃城となった高取城の門を再利用したものだそうです。

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城下町を形成する中心地である「土佐」の地名に、大和の地で何ゆえ土佐?と以前から疑問に思っていたのですが、6世紀のはじめ頃、大和朝廷の都造りにの労役に、土佐の国から召し出され、任務を終え帰郷するにも援助が出ず帰郷がかなわぬ人々が住み着き郷里を偲び「土佐」と名付けられたそうです。

吉備川に架かる「鷹鞭(たかむち)橋」からの土佐の町。

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土佐の風格のある街並みを抜け、ここから高取城へと向かいます。

緩やかな坂道を登っていくと、道は舗装道から山道へと入ります。うっそうと茂る杉・桧の林の中、道沿いに小川が流れひんやりとした気持ちのいい空気が漂います。

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山道は、途中から急な坂が続きます。その道端に野仏が!

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坂道を登りきると急に視界が開け、前面に西国三十三所第六番札所の「壷坂寺」が現れます。

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壷坂寺の境内には、本堂・礼堂・阿弥陀堂・三重塔・天竺渡来大石像が建ちます。

ここで一息つき拝観し、高取城へと道を進みます。

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道はちょっと舗装道を走り、「左五百羅漢のみち」の石塔を目印に左に折れ、杉の根があらわになった細い山道を登ります。

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すると山肌に現れたいくつもの巨岩に刻まれた無数の「羅漢(らかん)」の石仏群が現れます。

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羅漢とは、仏教において煩悩を払い去った聖者のこと。いつの時代に彫られたのか、風雨にさらされ表情がだいぶ風化していますが迫力があります。

人一人いない山の中で無数の羅漢像と向き合っていると神秘的というより、聖者像とはいえ一種不気味さが漂います。

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次から次へとあらわれる羅漢像を横目に、道を間違っていないかと危ぶみながら、たまに現れる道標を頼りにさびしげな山道を行きます。

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突然、蛇が目の前を横切ります。今年初めて見た蛇です。

この日はこれをはじめに3匹の蛇とご対面しました。

クマと遭遇するよりましかと思いつつひたすら山道を登ります。

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そしてようやく車道と合流する高取城跡の入り口に着きました。

3年前は、仕事で吉野に行った帰りにここまで車で来てここから城跡に登ったものです。

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ここから20分ほど登って行くと生い茂る樹木の中に石垣が次々と現れてきます。

司馬遼はその光景を「自然林と化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持ちがすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じる」と綴っています。

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城内には実生から自然に育った巨木が茂り、永い歴史の流れを物語ります。

3年前にここを訪れた時は、日曜日なのに二組しか会いませんでしたが、この日は別ルートから登ってきた何組かのハイカーや若者、家族連れが訪れていました。

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高取山の頂上に築かれた本丸跡からの南の眺めは素晴らしく、手前に吉野山、奥に大峰山、大台ケ原の山々を望むことができます。

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時刻は、昼を過ぎています。計画的なハイカーならば持参した弁当をここで食べるというのが通常だと思うのですが、残念ながら私は、寄り道が多いとはいえこんなに時間がかかるとは予想せず、弁当はおろか食べるものは何もなく腹はぺこぺこ。山登りを甘く見てはだめだと痛感。

急ぎ別ルートの急坂を麓の土佐の町へと足早に降りることにしました。

降り道でなぜか明日香でも見られる「猿石」が!

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by y-tukide | 2017-06-12 13:37 | 街道を行く

大和街道 伊賀上野から柘植宿をゆく

「大和街道」は、江戸時代には加太越奈良道と呼ばれ、三重県を走る東海道の「関宿」の西の追分から分岐し、加太峠を越えて「柘植(つげ)」「伊賀上野」「島ヶ原」を通り奈良へと続く街道です。

4月末の連休初めに、妻と娘そして6歳の孫娘との珍しいメンバーで関西本線の月ヶ瀬駅から伊賀上野へと「街道をゆく」をしたのですが、今回は、私一人でその続きの伊賀上野から柘植宿へと街道を行きました。

伊賀電鉄の伊賀市駅に降りたのが朝の8時ごろ、ここから大和街道を行くとすぐに菅原道真を祀る「天満宮」があります。

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さらに進むと「大和街道」と伊賀上野と津、そして伊勢をつながる「伊賀街道」の分岐点にあたります。その角には古いたたずまいの井本薬局があります。現在も営業されていますが、朝早いので店は板戸が閉められていました。

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間もなく江戸時代「俳聖」と呼ばれた松尾芭蕉の生家があります。ここから芭蕉は各地を旅しました。伊賀上野には芭蕉にちなんで芭蕉翁記念館や俳聖堂、蓑虫庵があります。

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その先のT字路には、「左東海道せき道 右ならはせ山上道」と記された道標が建ちます。

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眼下に北へと伸びる大和街道。

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服部川を渡り背後に上野城の天守を見ながら街道を進み、「小宮神社」を過ぎると街道は東に折れ、「印代」という集落に入ります。

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集落を抜けると麦畑と田植を終えた水田ののどかな風景が広がります。この日は五月晴れ、風もさわやかで最高の「街道を行く」です。

私は、今年の3月に腰を患い、夜中に当然右足に電気が走り激痛で眠れぬ夜をすごし、そして杖なしでは歩けない惨めな日々が続きました。あの時の歩けない苦しさ思えば、こうして好きな街道歩きができる喜びはひとしおです。

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田園風景の中をひたすら東へと進み「佐那具」という集落に入ります。

街道筋には、元旅籠であったかと思われるつくりの建物や商家であった「平入り」建物が軒を並べます。

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この店は金物屋さん。窓越しに鎌などの道具が飾られ、鋸の目立てもしているようです。ご先祖は鍛冶屋さんだったのかもしれません。

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街道は「柘植川」を渡ります。土手沿いに桜並木が続き、青空にぽっんと浮かぶ雲。

川は濁っていますが多分田植の際に引き込んだ水の濁りかと思われます。

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街道筋の町はずれに面白い建物発見。一般的に洋風の建物に使われるS字型の瓦で葺かれた蔵と納屋。壁は漆喰で腰は銅版張り。渋い色のS字瓦が「本瓦」にも見え意外と違和感を感じません。改修なのか新築なのか詳しくは見ませんでしたが「本瓦葺」に比べ瓦は軽量で安価ですので至極合理的に考えられています。

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集落を抜け街道は柘植川沿いを走ります。川沿いには桜並木が永遠と続きます。

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木々の間からシラサギが。

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対岸の竹藪の中の道に向かって架けられたコンクリートの潜水橋。

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菜の花畑、気持ちのいい風景が続きます。

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いくつかの集落を通りぬける中、街道沿いで見つけた茅葺の民家、大和街道を歩いていて初めて見た茅葺民家です。

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柘植の集落に入ったあたりで、柘植川に流れ込む小川に架けられた「勧請縄」を発見。

勧請縄は、疫病などの悪霊が村に入ってこないようにするために、村の入り口に張られた結界です。前回、大和街道を歩いた時伊賀上野の手前の集落の入り口でも見ました。

大和街道沿いには、今もその風習が残っているようです。

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ようやく街道は、「柘植宿」に入ります。街道が鍵型に折れるあたりが柘植宿の中心で本陣もあったようなのですが、あまり宿場の面影は残っていません。ただ気になったことは、街道沿いの民家の何軒かの土塀がレンガで積み上げられていることです。地元の方に聞くとこのレンガは、明治に開通した関西本線の加太峠を抜く「加太トンネル」に使われたレンガの残りを利用したものだそうです。

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時刻は午後3時、この先の大和街道は、国道25号線を歩き加太峠越えです。国道を延々と歩くのは嫌なので日はまだ高いのですがここで終わりとし、柘植駅から帰路につくことにしました。

二日をかけて関西本線の「月ヶ瀬」から「伊賀上野」を経て「柘植」へと歩いた「大和街道」、景色もいいし歴史のにおいも濃く、気持ちよく歩けた「街道を行く」でした。

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by y-tukide | 2017-06-05 10:20 | 街道を行く

大和街道 月ヶ瀬から伊賀上野を行く

大和街道は、江戸時代には加太越奈良道と呼ばれ、三重県を走る東海道の「関宿」の西の追分から分岐し、加太峠を越えて「柘植(つげ)」「伊賀上野」「島ヶ原」を通り奈良へと続く街道です。この日、私と妻と娘そしてもうすぐ6歳になる孫の4人で関西本線の月ヶ瀬から伊賀上野へと大和街道を歩きました。このメンバーで街道歩きをするのは初めてです。

自宅を朝6時過ぎに出、IR宇治駅から電車を乗り継ぎ、関西本線の月ヶ瀬駅を降りたのは、8時前、さぁ~ここから出発です。

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しばらく歩くと「二本杭跡」があります。二本杭は俗称で大和街道の藤堂藩「伊賀の国」と柳生藩「山城の国」の境として幕府検視の指示により、それぞれの杭を合わせて設置されたそうです。これはそれを石柱で再現されたものです。

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民家が点在するのどかな山里を歩きます。

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ここは藤堂藩が設けた関所の跡です。

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孫は、きれいな花や虫を見つければ立ち止まり、珍しいものを見ては質問し、なかなか前に進みません。

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1時間半ほど歩いて「行者堂」につきここで休憩。

行者堂は、自然石の岩屋の中に役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られています。

この辺りには、阿弥陀磨崖仏、大師堂、不動明王像などが祀られ信仰の霊地です。阿弥陀磨崖仏は、南北朝から室町時代のものと推定されているそうです。

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木津川と小さな小山川が合流するこの辺りは、岩谷峡と呼ばれ景勝地です。小山川沿いでは夏場たくさんのホタルが飛び交うそうです。

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休憩後、先を進むと島ヶ原の集落に入ります。

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島ヶ原は大和街道の要衝にあって藤堂藩の時代、街道の宿場町として賑わいました。この建物は旧本陣で多くの大名が宿泊や休憩をしました。

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街道をそれ関西本線に島ヶ原駅でトイレ休憩。

この島ヶ原に鉄道が開通したのは、明治30年です。当時、関西鉄道株式会社だったのですが、その後、関西鉄道は国に買収され、明治40年に日本国有鉄道となり関西本線と改称されたそうです。今も残る駅の建物は、当時の関西鉄道のものであり、昔日の面影を残しています。

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島ヶ原宿を後に、木津川に架かる鉄橋を渡り伊賀上野へと向かいます。

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そして今回の最大の難所である急坂の「与右衛門坂」を行きます。

「笠置峠か与右衛門坂か、江戸の箱根はなけりゃよい」とうたわれたそうです。

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街道沿いの山田では、田植が行われていました。

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山の中のため池「三本松池」

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ここからずっと山道が続きます。

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その山道で小さなカエルを発見。

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ようやく山道を抜け里に出ました。

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里に出て街道を進むと国道163号線にあたります。ここからは歩道が無い車が行きかう道を孫の手を引き歩きます。

国道横を流れる川に「勧請縄(かんじょうなわ)」が張られていました。

勧請縄は、疫病などの悪霊が村に入ってこないようにするために、村の入り口に張られた結界です。この辺りには今もその風習が残っているようです。

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ここでついに5歳の孫はギブアップし疲れて眠ってしまいました。目的地の伊賀上野へはまだ3キロほどあります。急きょタクシーを呼び助けてもらうことに。

何とか無事に伊賀上野につき、遅めの昼飯を取りました。

孫は大好きなハンバーグをペロリとたいらげました。よほど腹が減っていたのでしょう。何せ朝から10キロは歩いたのですから。

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伊賀上野は忍者の町、あちこちに忍者が出没していました。

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by y-tukide | 2017-05-08 11:08 | 街道を行く

越前海岸を行く ―その2―

正月明けの連休、妻と福井県の越前海岸に行ってきました。

というのも3年前の年末に朝日新聞の夕刊に連載されていた「海の轍(わだち)」という記事で越前町の小樟(こころぎ)という所にある「えいぜん」という食堂を知り、2年前その記事で紹介されていた越前ガニの雌の「せいこガニ(こっぺ)」の「せいこ丼」を食べたのですが、その味が忘れられず今回妻をさそい行きました。

一昨年初めて食べたせいこ丼、せいこガニを2杯ほど使い、ぷちぷちした卵の触感とカニみそや身の甘みが絡み合い絶妙の味です。

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ところがせいこガニの漁期は、11月初めから12月末までの2か月だそうで、前回と同じ時期の1月初め行ったのですが在庫が少なく、せいこ丼はメニューから外されていました。

わざわざここまで来て食べられず愕然としたのですが、頭を切り替え新鮮な冬の日本海の魚をいただくことにしました。

一品目は海鮮丼。

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二品目は、ツブ貝と越前カレイの活造り。

越前カレイは、越前ガニと並ぶ2大ブランド、活造りは地元でしか食べられない漁師料理です。

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越前カレイの皮はから揚げにしてくれます。

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そして3品目は、大きな車エビのフライ。

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目的のせいこ丼は残念でしたが、日本海の幸を味わい妻も満足。

店と隣接する小樟(こころぎ)漁港。

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そのあと天気は悪かったのですが、越前岬にある「水仙ランド」に向かいました。

この時期、越前海岸の越前岬あたりでは海に面する山肌に、水仙の花が咲き誇ります。

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越前海岸名物の「越前水仙」、一昨年に来たときは年明けからの大雪と強風で葉や茎がたおれ花が落ち、花畑は大きな被害を受けていました。

今年は、被害もなく見ごろをむかえていました。

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この日は雨が降ったりやんだりの天気でしたが、風は無く波静かで穏やかな冬の日本海でした。

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by y-tukide | 2017-02-06 10:37 | 街道を行く