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カテゴリ:街道を行く( 91 )

伊勢別街道を行く

「伊勢別街道」は、三重県を走る「東海道」の「関宿」の「東追分」で分岐し、南下し津の「江戸橋」で「伊勢街道」と合流する街道です。
伊勢別街道の名は、四日市の東海道「日永追分」から伊勢に至る伊勢街道の支道の意味で、街道の総距離は約四里二六町(約17km)で、途中に「楠原宿」「椋本宿」「窪田宿」の宿場が設けられ、江戸時代には京都方面から伊勢詣でする参宮客でにぎわいました

この日JR関西本線の関駅前に車を置き、そこから相棒を下ろし伊勢別街道を走りました。

早朝の関宿。

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ここが関宿の東追分。
「伊勢神宮一の鳥居」は、旅人がここからはるか伊勢神宮を拝むためのもの。
ここから伊勢別街道は、津の江戸橋へと続きます。

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街道は県道10号線を走り、鈴鹿山脈から流れ出る「鈴鹿川」を渡り、20分ほど走ると
関宿から最初の宿場である「楠原宿」に入ります。
街道沿いには、「つし2階」「平入」の民家や蔵が連続して残り、情緒ある街並みを形成しています。
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楠原宿は、次の「椋本宿」の補助的な宿場としての役割を果たし、江戸時代には近江・京都・大阪・丹波など西日本各地より、伊勢への参宮客でにぎわい、旅籠や問屋場、高札場が置かれたそうです。

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街道は、楠原宿を抜け県道10号線から分岐して旧道を走ります。
すると左手に明治と大正の様式のデザインの「旧明村役場庁舎」が現れます。この建物は大正五年に建てられたもので国の登録有形文化財に措定された建物です。

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このあたりも情緒豊かな街並みです。

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街道は、ため池やのどかな田園風景が広がる中を走り、「椋本宿」に入ります。

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椋本宿の由来となった高さ18m、周囲8m、樹齢1500年といわれる椋の巨木。
椋の木の前にたてられた説明書きによると、「嵯峨天皇(809~822年)」の頃、征夷大将軍の坂上田村麿呂の家来が伊勢路を流浪し、この地に逃れた時、巨大な椋の木を見つけ、その下に草庵をつくって住んだのが「椋本」の発祥だそうです。

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椋本宿の街並み。
ここでも連子格子の民家が多く残っています。

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正面の建物は椋本宿の中ほど、街道が鍵の手に曲がる角地に建つ旅籠の「角谷(かどや)」旅館。

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軒下には、多くの「伊勢参宮講札」が掲げられています。
伊勢参りの賑わいが偲ばれます。

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街道は椋本宿を過ぎ、次の「窪田宿」へと続きます。
途中、腹が減ってきたので街道を外れ、県道10号線に出て食事処を探しているとこの行列!
「うなふじ」というウナギ専門店に並ぶ人たちです。

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ついつい誘われ30分ほど並び、ウナギ丼をいただくことに。
並1300円、上1730円、特2160円とリーズナブルな価格。
津市内にはウナギ専門店が20軒ほどあるそうでウナギ激戦区。
なんでもこの地方ではウナギ養殖がおこなわれていたそうで、それが起因しているのでは?

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ウナギを満喫し街道に戻り「窪田宿」に入ります。
ここは「一身田(いっしんでん)」、浄土真宗高田派の本山「専修寺」の門前町でもあり、環濠が街を取り巻く自衛都市。

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境内の780畳敷の国宝御影堂も立派ですが、隣に建つこれも国宝如来堂の「組物」も見事でした。

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窪田宿の街並み。

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街道は、窪田宿を後に伊勢街道と合流点「江戸橋」へと走ります。
そしてようやく伊勢別街道と伊勢街道との「札ノ辻」に到着。
そこには江戸時代に建立された常夜灯と道標が。

見どころが多相棒との「伊勢別街道を行く」でした。

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by y-tukide | 2019-03-04 14:05 | 街道を行く

北国街道を行く 長浜から木之本へ

北近江を走る「北国街道」は、彦根市の鳥居本宿で中山道と別れ、米原・長浜・木之本を通り栃ノ木峠を越えて、越前・加賀へと抜ける街道です。

この日自宅を5時半に出、JR宇治駅から北陸本線のJR長浜駅へと向かいました。

長浜駅に着いたのが7時半、ここから「みーな」という湖北の地域情報誌の「北国街道絵図」を片手に木之本宿へと北国街道を歩きました。

早朝の長浜宿。

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黒壁スクエアは、今も昔もにぎわいの中心、さすがにこの時間には観光客はいません。

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長浜の北の玄関口にあたる「郡上町」、ここに立派な常夜灯が建っています。

この辺りで幕末の動乱期に暗殺された金沢藩家老の仇討が明治四年にあったそうで、
「日本最後の仇討の地」と石碑に記されていました。

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ここを右に折れ、すぐにここが元街道だったのかと疑うような狭い路地を通り抜け、絵図に基づき街道を行きます。

長浜の市街地を抜けると右手に田園が広がり、その先には雪を抱いた伊吹山の雄姿が望めます。

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さらに街道を進むと「曽根」という集落に入ります。

街道筋には、茅葺の古民家など昔の面影が感じられる街並みが残っています。

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浄土真宗の「長善寺」。

蓮如上人ゆかりの寺で境内には旅姿の蓮如上人の像がありました。

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街道沿いに建つアール屋根の地蔵堂の建物は、旧曽根小学校の玄関を再利用したものだそうです。

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曽根の集落を抜けると「姉川」が現れます。

戦国時代、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が壮烈な戦いをした「姉川の合戦」の舞台です。戦では多くの血が流され川の水が赤く染まったと伝えられています。

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姉川を渡り街道を進むと「唐国」という小さな集落に入ります。

集落の外れに「山内一豊 初所領之地」の石碑が建てられています。

山内一豊は江戸時代、一介の小兵から土佐の国の大名まで出世した武将です。戦国時代、織田信長の朝倉攻めに行軍し、朝倉軍きっての強弓の士と死闘を繰り広げ、顔に矢を受ける負傷を追いながら打ち取り、その武功により初めて得た知行が唐国四百石のこの地です。

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集落内にきれいな小川が流れる唐国の集落。

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集落を抜けると「高時川」を渡ります。そこからは「馬渡」集落に入ります。

馬が渡ると書いて「もうたり」と読む稀な地名です。村の入り口に建てられた名の由来が記された説明書きによると、鎌倉時代、足利尊氏が北国街道を北上した際、高時川が増水し渡れず難儀したのを村人が大勢で人馬の川渡を手助けしたことが名の由来だそうです。その呼び名が後に転化して「もうたり」となったと記されていました。

この集落内にもきれいな小川が街道沿いを流れ、ある一軒の民家には川の水を洗い物などに使う真新しい「川端(かばた)」がありました。

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馬渡集落を過ぎると「速水」集落に入ります。

速水は、長浜宿と木之本宿の「間宿(あいのしゅく)」として賑わった宿だそうです。

集落内には、立派な蔵のある民家を多く見かけました。

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速水集落を抜けると街道は、交通量が多い国道8号線を走ります。

早く8号線を抜けたいと早足で歩きますが永遠と続きます。

ようやく旧道が現れ「高月」の集落に入ります。

ここは「観音の里」。兵火の中、村人に守られた観音さんなど今も村人の手によりいくつもの観音さんが祀られています。中でも渡岸寺の国宝十一面観音立像は有名です。

私も20年程前に現在の御堂の前の質素な観音堂に祀られた立像を見たとき、その美しいプロポーション感動したものです。

高月には「高札場」があったそうで、ここでも街道沿いには立派な民家が多く見られます。

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そしてようやく「木之本宿」に入ります。

ここが「北国街道」と岐阜の関ケ原から続く「北国脇往還」との合流地点。

道端には「みぎ京いせみち」「ひだり江戸なごやみち」と記された道標が立ちます。

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木之本は、山からの水や気候に恵まれ醸造業が盛んでした。

今も「七本槍」で有名な江戸時代から続く造り酒屋や醤油さんが何軒かあります。

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またここには大名などが泊まる「本陣」が置かれていました。その本陣跡には、明治に開業した「本陣薬局」があります。ここには軒先に薬名が書かれた古風な板看板が何枚も吊られていたのですが、この日は改修工事で店が閉まっていました。

この写真は、私が16年前に撮った写真で、2004年の街道を行くシリーズの最初の年賀状に使わせていただきました。

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目の仏様で知られる木之本地蔵院の高さ6mの木之本地蔵尊。

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そしてJR木之本駅に着いたのが午後1時。

長浜駅を降りたのが7時半、ここまで5時間半かかりました。

腹はぺこぺこ。そこでこの日のもう一つの目的である敦賀の「弥助寿司」へと電車で向かうことに。

木之本駅から敦賀駅までは、たったの4駅なのですが、途中塩津駅で乗り換えに30分待ち。

そして弥助に着いたのが2時半。

ようやくこの日の目的すべて達成!

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by y-tukide | 2019-01-21 10:10 | 街道を行く

伊賀街道を行く

伊賀街道は、伊賀国と伊勢国にまたがり、三重県の伊賀上野から長野峠を越え津に至る全長約12里(約50km)の街道で、現在の国道163号線に沿うように走ります。

現在も残る伊賀街道は、江戸時代に藤堂高虎が伊勢・伊賀の二国の大名として取立てられた時、津の本城と伊賀上野の支城としたため、この二つの拠点を結ぶために整備された街道で、今も街道のあちこちにかつての面影が残っています。

これまでに私は車で伊賀街道を走っていますが、この日は相棒のチャリと街道を行くことにしました。


「左ならみち 右いせみち」の道標。

伊賀街道は、伊勢詣での道でもありました。

ここから出発です。

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ここは、大和・山城と伊賀を結ぶ大和街道が伊賀上野城下にはいる入口「鍵屋の辻」。

この地は日本三大仇討の一つ、寛永11年に荒木又右衛門が義弟渡辺数馬を助け、仇敵河合又五郎を打ち本懐を遂げた「伊賀越鍵屋の辻の決闘」の地です。

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伊賀上野の街中を走る街道。

この辺りが東海道の「関宿」へと向かう大和街道と伊賀街道の分岐点です。

伊賀上野は、藤堂高虎が城を築いた城下町であると共に、俳人松尾芭蕉が生まれた地でもあります。

ここから大和街道を少し行くと松尾芭蕉の生家があります。

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市街地の外れに「荒木又衛門生誕の地」の石碑。

説明書きによると荒木又衛門は、剣術をここからさほど遠くない大和の柳生で柳生十兵衛に学んだそうです。

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街道は、のどかな田園風景の中を走り「上荒木」という集落に入ります。

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この集落で奇妙な形をした建物を発見。

古老に聞くとこの建物は、昔タバコの葉を乾燥させる小屋だったそうです。

集落内で2棟見かけましたが、以前はタバコ作りが盛んで多くの小屋があったそうです。

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集落を抜けると街道は、服部川沿いの山道を走ります。

ここでパンクをしては大変とチャリを降り押しながら街道を行きます。

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すると道端に自然石に彫られた磨崖仏が次々と現れます。

昼間とはいえ人一人いない薄暗い杉林の中、仏とはいえじっと見つめられているようで神秘というより薄気味悪さを感じます。

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磨崖仏に見つめられながら相棒を押し山道を行きます。すると視界が開け数件の民家が並ぶ小さな集落に出ます。

ここで民家の前の湧水をいただき喉を潤しました。

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集落を過ぎると稲刈りが終わったのどかな田園風景の中を走ります。

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街道と並行して流れる服部川。

一羽のサギが!

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伊賀街道には、四つの宿場があるのですがその一つである「平田宿」に入ります。

この建物は登録有形文化財に指定されている旅籠。

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宿場内には連子格子のある民家が多く残っています。

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当時の平田宿の様子を描いた絵。

寛永年間(17481751年)のころの宿場の規模は、戸数176棟、人口729、馬8頭、牛25頭と「宗国史」に記されているそうです。

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国道163号線に出、ようやく見つけた食堂で昼食をとり、腹を満たし道を進むと大きな製材所が!

ちょっと覗いてみると赤松の「芯差り」の立派な梁が並んでいます。

これはすごいとここの社長に声をかけ見せていただき、事務所でお茶までいただき社長と建築談義。

あっという間に1時間が過ぎました。

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これはやばいと街道にもどりひたすら走ります。

今日の目的地は次の「平松宿」。

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そしてようやく「平松宿」に到着。

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宿場周辺をぶらぶらし、平松宿からちょっともどった「大橋」というバス停で相棒をたたみ輪行することに。

午後336分発のバスを逃すと次は1時間以上先という貴重なバスに乗り、車を置いている伊賀上野市駅に向かいます。

バスが伊賀上野市街地に入るまでは乗客は私一人の貸切状態、何か申し訳なく思いながら帰路につきました。

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by y-tukide | 2018-11-12 15:15 | 街道を行く

綾部街道を行く

綾部(あやべ)街道は、大阪府の池田市から京都府の綾部市に至る街道で、現在の国道173号線です。私はこの街道を行くのは初めてです。

この日京都縦貫自動車道の「京丹波みずほIC」で降り、綾部街道を走りました。

旧街道沿いに建つこの地方特有の平入り「整形四間取り」の元茅葺の民家。

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のどかな田園風景が広がります。

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質志(しづし)という集落にある京都府指定天然記念物の鍾乳洞、周辺は公園になっています。

京都唯一の竪穴式鍾乳洞で垂直に近いステンレスの階段を下りていきます。総延長52.2m、洞口から最深部までの高低差は25m、洞内の気温は12℃と寒いくらい。コウモリが飛び回っていました。

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鍾乳洞のある質志から峠を越え、脇道にそれると戸津川という集落。

「日本昔話」に出てきそうな風景が。

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街道に戻り進むと大原集落に入ります。

ここに唐破風に見事な龍の彫り物がなされた「大原神社」がありました。

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社殿の前には茅葺の絵馬堂があり、そこには舞台が設けられていて浄瑠璃や農村歌舞伎が演じられていたそうです。

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大原神社の前に川が流れているのですが、川向に茅葺切妻屋根をそのまま地面に伏せた「天地根元造り」という古い建築様式の「産屋(うぶや)」がありました。

大原では出産の折、魔除けとして古い鎌を吊り、7日間ここにこもり出産し、産後3日間ここで体を休めたそうです。

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街道をさらに進み見かけた茅葺の民家。

土地の人に話を聞くとここの住人は常は町に住み、休みに帰ってこられるそうです。

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そして街道は綾部の市街地に入ります。

綾部の市街地の中を流れる「由良川」。

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京都府綾部は、古代には丹波国漢部(あやべ)郷と呼ばれ、「綾部」(あやべ)は、江戸時代初期までは、「漢部」(あやべ)と記されていた。古代には綾織りを職とする漢部(あやべ)が居住していたとことに由来する。漢部は朝鮮半島から渡来した漢氏(あやうじ)が支配した(べ)であった。―ウィキペディアより―

街中を散策すると古い街並みがちょこっと残っていました。

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ここで昼食を済ませ、以前から一度行きたいと思っていた「安国寺」に向かいました。

安国寺は開設当初は「光福寺」という名称だったそうですが、足利尊氏の時代に戦乱で亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるために、国ごとに安国寺を建立するにあたり、光福寺を丹後国の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においたとのことです。

安国寺の山門。

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山門をくぐると正面に茅葺屋根の「仏殿」が。

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次に向かったのは安国寺の近くにある、10世紀半ばに建立されたと伝えられている、これも茅葺の山寺「岩王寺」。その岩王寺の山門。

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山門と同様、如意輪観音が祀られる本堂を茅葺屋根でした。

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綾部街道沿いには、茅葺屋根・元茅葺屋根の民家や寺が多数残っていました。
日本の原風景を思わせる景色が楽しめた「街道を行く」でした。

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by y-tukide | 2018-08-27 10:19 | 街道を行く

伊勢街道を行く 松坂から伊勢へ

5月に伊勢街道を津から松坂まで20インチの折り畳み自転車の相棒と走ったのですが、6月の休日再び相棒と伊勢街道を松坂から伊勢へと走りました。

朝の8時に近鉄松坂駅近くの駐車場に車を置き、ここで相棒を組み立て出発です。

松坂の街は、日曜日の朝8時とあって店も閉まっていて人もまばら。

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街道筋の連子格子の家並み。

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石の太鼓橋から山門へと続く参道が美しい「淨林寺」。

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白壁に虫籠窓があるこの家は、「おもん茶屋」という元茶店でした。

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文化14年(1817年)建立の六文字の梵字が彫られた石碑、「稲木」という集落の入り口に立っています。

伊勢街道のこの辺りは、近鉄山田線が平行して走っています。

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その近鉄山田線の斎宮駅の北側に「斎宮(さいくう)跡」があります。

斎宮は、斎王の宮殿と斎宮寮という役所のあったところです。斎王は、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため派遣された未婚の皇女です。天皇の即位ごとに選ばれ崇神天皇の皇女が初の斎王で南北朝時代の後醍醐天皇の代まで続いたそうです。

これまでの発掘調査から、平安時代前期に碁盤目状に区画が整備され建物が並んでいたそうです。

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斎王祭りの第30代斎王役。

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このあたりの伊勢街道沿いには、旅籠・酒屋・小間物屋など商家が多く軒を連ねていたそうで、今も立派な建物が多く残っています。

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昼、伊勢街道沿いに昼飯を食べる適当な店がなかったので、街道を離れ店を探しました。

自転車で街道を行くと少々街道から離れてたところに行っても苦になりません。

そこで大エビのフライがいただける店を発見。伊勢近辺で大エビのフライと言えば鳥羽の「漣(さざなみ)」が有名ですがこの店でもいただけました。

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昼飯を済ませ再び街道にもどります。

そして「へんば餅」と書かれた看板の店。

当時、馬を借りて参宮する人達がこの店で憩、ここから馬を返し船で参宮したそうで、いつしか「へんば(返馬)」餅と名付けられたそうです。

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その宮川の渡しがこの辺りにありました。

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ようやく伊勢の「外宮」に到着。

「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り、そういえば私の小学生の時、修学旅行はお伊勢さんと決まっていました。

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by y-tukide | 2018-07-09 09:00 | 街道を行く

若桜街道 若桜宿を行く

若桜(わかさ)町は、鳥取県南東部の兵庫県と隣接する山間の町です。この町には因幡(いなば)鳥取と播州姫路を結ぶ若桜街道が走り、宿場町としてまた若桜鬼ヶ城の城下町として栄えた町です。ただ現在残されている街並みは、明治18年の大火後、若桜宿会が「八東群若桜宿 宿内議決書」をもとに計画的に整備されたものです。

この日自宅から車で中国自動車道の山﨑ICを降り、若桜街道(因幡街道)現在の29号線を若桜宿へと走りました。

戸倉峠のトンネルを抜けると若桜町に入ります。道を下って行くと「岩屋堂」という集落があり、集落内を清流が流れます。

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そして清流の側に岩山がそびえその岩窟に「不動院岩屋堂」が建ちます。

鳥取県三朝町の三徳山の投入堂と同じ修験道寺院建築で国の重要文化財に指定されています。本尊の不動明王は、弘法大師が33歳のときに彫ったものだそうです。

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岩屋堂を後に若桜駅へと向かいます。

若桜駅は、昭和5年に開通した鉄道省若桜線の終着駅で、現在は鳥取県などが出資する第三セクターが運営しています。

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構内には、駅舎をはじめ手動式転車台や給水塔など開通当時の設備が良好な状態で残され、昭和のにおいが漂います。

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プラットホームに停車する「昭和」というディーゼル機関車は、2018年春にデビューした観光列車で今年の9月まで予約で満席だそうです。

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駅前の駐車場に車を置き、観光案内所で地図をもらい若桜宿を散策します。

これは「蔵通り」という通り。明治18年若桜宿に大火が発生したのですが、その後の町づくりで若桜街道の東側に寺を集め、その寺を火災から守るため蔵以外は建てることを禁じた地域を設けたことで、防火壁としての蔵が建ち並ぶ蔵通りが形成されました。

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蔵の妻側が道に面した重厚な街並みです。

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蔵の前には用水路があり豊かな量の水が流れています。

これも火災の際の防火用水としての役割のために計画的に設けられたものです。

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寺の本堂や庫裏も道から十六間(約30m)離れて建てなければならないと決められたそうです。

寺をはじめ建物の屋根瓦は、この山陰地方特有の「石州瓦」で葺かれています。

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蔵通りの西側には若桜街道が走り、建物の桁方向が道と並行して建つ「平入り」の町家が並びます。この通りを「仮屋(かりや)通り」と言います。

この通りも大火後、若桜宿会議で「家は道路端から一丈一尺(約3.3m)控えて土台を据えること、その土台から四尺(約1.2m)の仮屋、ひさしを付け、二尺(約60cm)の川を付けること」などがきめられたそうです。

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現在、仮屋は途切れ途切れになっていますが、当時は700800m連なり、雨の日でも傘無しで通りぬけたそうです。

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防火用水路として整備された水路には清流が流れ、街にうるおいを与えてくれます。

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流れの中に、冷たい清流に生息する梅花藻(バイカモ)が小さな白い花をつけていました。

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by y-tukide | 2018-06-11 09:30 | 街道を行く

伊勢街道を行く

伊勢街道は、四日市日永の追分で東海道と分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至るおよそ十八里(72km)の道です。

「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り。もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として一般人は参拝することができなかったのですが、室町~戦国時代ごろには庶民の伊勢参宮もかなり一般化したと言われています。

そして江戸時代には、人々が熱狂的に伊勢を目指した「おかげ参り」が5060年周期で流行し、伊勢街道は、東海道に次ぐ交通量が多いにぎやかな街道でした。

この日私は車で三重県の津駅まで車で行き、駅近くの駐車場に車を止めそこで相棒をおろし、伊勢街道を相棒と松坂まで走りました。

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駅前を走る伊勢街道を南下し安濃川を渡り進むと左手に仁王門が見え、その仁王門をくぐると奥に日本三大観音の一つ「如意輪観音堂」が現れます。

「津の観音さん」として庶民に親しまれこの辺りは大変賑わったそうですが、先の大戦の空襲で町と共に焼失し、現在の建物は昭和55年から随時再建されたものです。

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伊勢街道は、仁王門の前にある大門商店街を走りますが、かつては旅籠や商店で賑わい、問屋・本陣・脇本陣などがあったそうですが今はその面影は全くありません。

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岩田川を渡り1kmほど走ったあたりからは、空襲を逃れたのか街道筋には「平入り」の格子が特徴的な町家が一部連続あるいは点在しています。この辺りもさぞかし賑わったのでしょう。

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思案橋。

小さな川に架かる橋の欄干の側面には、松、扇、梅が浮き彫りにされています。この橋の近くに遊郭があったそうです。北陸の三国にも遊郭の入り口に架かる思案橋がありました。

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街道沿いに広がる田園風景。

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雲出川という川に架かる橋のたもとに大きな常夜灯があります。

今は橋がありますが当時はこの辺りに渡しがあったのでしょう。

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橋を渡った伊勢街道沿いに「松浦武四郎記念館」があります。

松浦武四郎は、幕末6度にわたり蝦夷地の探検をおこない、明治維新後は蝦夷地開拓に関わり「北海道」の名付けの親だそうです。

この建物は生家で現在は記念館として保存されています。

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ここは「月本追分(つきもとおいわけ)」。

伊勢街道と奈良街道の分岐点です。伊勢街道で最大の道標には、「右さんぐうみち」「右いがご江なら道」と彫られています。常夜灯の裏の建物は、「角屋」という元旅籠の建物です。

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追分を過ぎ「市場庄」というあたりには、伊勢地方に多い建物の妻側に入り口がある「妻入り」の立派な建物が軒を連ね、国の重要伝統的建築群保存地区に指定されてもいいような街並みを形成しています。

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街道沿いの長い土塀と「なまこ壁」の立派な長屋門のある家。

この辺りは裕福な土地柄であったようです。

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この辺りというか伊勢地方の多くの民家の玄関には、一年中正月のしめ飾りが飾られています。

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街道沿いの酒屋さんを覗いてみると店先に立ち飲みコーナーが。

昭和から時間が止まったままのお店です。

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そして街道は、松坂の市街地に入りました。

入って早々に「松坂商人の館」があります。この建物は豪商であった小津家の旧住宅です。

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松坂は、三井家をはじめ松坂商人を輩出した町です。

松坂商人は、松坂城を築き城下町を開いた蒲生氏郷が、郷里の近江から有力な近江商人を松坂に呼び寄せ住ましたのが始まりです。

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その松坂城は、今は石垣を残すのみです。

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その城内に江戸時代の国学者である「本居宣長(もとおりのりなが)」の旧宅が移築されています。

本居宣長は松坂の豪商の家に生まれ、親は当然商人にしようと手を尽くしましたが、本人は全くその気がなく医術を京で学びのちに国学者になったのです。

この建物の「みせの間」と「なかの間」の前に設けられた坪庭が効果的に活かされた町家です。また小屋裏2階に設けられた数寄屋の四畳半の小間も宣長がこもり思料にふけたであろう最高の空間です。実にいい建物です。

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その後松坂の街を相棒とぶらぶらした後、JR松坂駅で相棒を折り畳み、車が置いてあるJR津駅へと帰ることにしました。

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by y-tukide | 2018-05-28 09:00 | 街道を行く

近江「八風街道」「御代参街道」ちょこっと散歩

先週の日曜日、滋賀県の近江八幡で仕事の打ち合わせが午前中にあったのですが、午後は休んで「八風街道」を走り八日市に向かうことにしました。

近江は古来から交通の要衝で琵琶湖を中心に多くの街道が走っています。江戸時代の幹線道路である五街道の内の「東海道」「中山道」をはじめ、琵琶湖の西側には「北国街道(西近江路)」「若狭街道(鯖街道)」が走り、琵琶湖の北・東・南側には「北国街道」「北国脇往環」「朝鮮人街道」「八風街道」「御代参街道」が走ります。

私は近江が好きでこれまでにこれらの街道を歩きと車で行っていますが「御代参(ごだいさん)街道」だけは、歩いたことがありません。

そんなこともありこの日は、「八風街道」を東に走り、八日市で交わる「御代参街道」をちょこっと散策しました。

八風街道は、近江中山道の「武佐(むさ)宿」を起点に東へ永源寺の前通り、鈴鹿山脈の八風峠を越えて三重に抜ける道で、近江商人が伊勢との商いで利用した重要な街道です。

武佐宿手前の中山道の風景。大きな楠のある場所は、近江守護佐々木氏の流れくむ名家「伊庭(いば)家」の屋敷跡です。

私は、17年前に中山道草津宿から近江中山道を美濃の関ケ原宿まで歩いたのですが、この風景は、当時のままです。

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街道沿いの近江鉄道八日市線の「武佐駅」。武佐宿の街並みに似合う駅舎です。

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武佐宿の本陣跡。

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中山道から分岐するここが八風街道の起点です。角には「いせ、ひの、八日市」と記された道標が立ちます。

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八風街道を走り八日市の町に入ると、この日は祭りで町のあちこちで神輿が出、太鼓やかねの音聞こえていました。

写真の背後のレトロな建物は、近江鉄道の「新八日市駅」の駅舎です。大正時代の建物だそうです。

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アーケードがある「ほんまち商店街」。この通りが「御代参街道」です。

ここで八風街道と御代参街道が交わっています。

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ここにも神輿が!

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神輿が行きすぎるた閑散としたシャッター通り商店街。通りに面して昔の街道筋の建物が残っているのですがほとんどが表面だけ店舗風の「看板建築」です。

変に今風の店舗の外観にせず、アーケードをとり御代参街道の昔の風情の街並みに戻した方が味があり、人も集まり店もにぎわうのではないかと思います。

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その商店街の中で見つけた、宣教師であり建築家であるウィリアム・ヴォーリズの設計だと思われる建物が。アルミのカーポートがなければいいのに残念。

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御代参街道は、中山道の近江商人に発祥地の一つである「五個荘」から東海道の「土山宿」結ぶ道です。八日市で八風街道と交わりここから南へと走ります。交わる角には「右 京、むさ 左 いせ」と彫られた道標が立ちます。

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平入りの町家が連続して建ち並ぶ御代参街道の街並み。

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この建物は国の登録有形文化財に指定されている建物です。多分元造り酒屋さんだと思われます。

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この建物の外壁の腰板は、竹を編んだものを二つ割の孟宗竹で押えています。粋な作りです。

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この町家は、カフェとカルチャー教室として活用され、地域のコミュニティーの場になっているようです。

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こんな建物も!

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時間も経ち祭りも終わり。神社で大太鼓の片付けをしておられました。

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by y-tukide | 2018-04-16 11:10 | 街道を行く

丹後天橋立から伊根を行く

私の趣味である古い街道や街歩き、歩くのは好きなのですが最近は歳のせいか長い距離を歩くのがちょっときつく感じています。そのくせ行ったら行ったで見たいもの欲が湧き、寄り道を繰り返す始末です。そんなこともあり今回、助っ人として折りたたみ式自転車を購入することにしました。

折りたたみ式の自転車なら車や列車に乗せられるし、行動範囲も飛躍的に広がります。

そしてこの日、購入したばかりの自転車を車に積み丹後の天橋立まで行きそこから舟屋で有名な伊根に向かうことにしました。

天橋立の元伊勢籠神社の駐車場に車を置き、そこから相棒のデビューです。

まずは元伊勢籠神社に参拝し相棒と安全祈願。

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これまでに伊根には数回行っていますが、すべて車でR178を走りましたが、今回は海沿いの旧道や漁村を縫うように行き、道中これまでに見なかった景色を楽しむことができました。

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その中で養老という漁港では、水揚げされたイワシの仕分け作業ではねられたイワシを狙う鳥たちの凄まじい光景に遭遇。

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そして2時間半ほど寄り道しながら走り伊根の集落に入ります。

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ここは女性の杜氏で知られる向井酒造。

通りに面する庭には、時代を感じさせる立派な松の木が目を引きます。

ここで伊根の定番の地酒「京の春」の小瓶を購入。

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若狭湾に面した伊根浦は、日本海側には珍しく南に開けた静かな入り江であり、東・西・北の三方を山に囲われています。その伊根浦に約350世帯が、海沿いの狭い平地に細長く建ち並び集落を形成しています。そして伊根浦を特徴づけるのが、連続する舟屋群です。

明治初め以前は茅葺屋根でしたが、明治の始めから昭和25年ごろまでのブリ景気で多くの建物が2階建ての瓦葺に建替えられたそうです。

その舟屋を眺めるのは海からが一番です。

4月に新しくオープンした観光案内所でたまたま知り合った軽井沢から来た男性と長崎から来た女性と私の3人で漁師さんの海上タクシーで30分の伊根浦めぐりをすることに。

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ここ伊根では、渥美清の「男はつらいよ」や西田敏行の「釣りバカ日誌」のロケが行われています。写真の3軒並ぶ左端の建物は「男はつらいよ」で使われた舟屋だそうです。

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初対面の旅人3人の貸切舟での伊根浦めぐり、海も穏やかで爽快です。

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船上で漁師さんからカッパ海老センをもらいカモメに餌やり。

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目の前で見るカモメ。

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ここで漁師さんの自宅の舟屋に上陸して舟屋見学。

2階は住まいになっているそうです。

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伊根浦めぐりの後、昼飯に新鮮な魚料理を堪能しその後は街並み散策。

集落を走る一本の生活道路に面して山側に平入りの母屋(主屋)、海側には妻入りの舟屋と蔵が隙間なく並びます。漁村でこれほど多くの蔵が見られるのは珍しいことです。

蔵はブリ景気で繁盛した時代があったことの象徴かも。

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時刻は午後3時、見ている間に時間が経ちました。

帰りは相棒を折り畳み、輪行バックに入れて路線バスで車のある天橋立へと帰ることにしました。

ありがたい相棒との旅、これからも楽しみです。

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by y-tukide | 2018-04-09 10:51 | 街道を行く

越前海岸を行く―その3

師走のこの時期、越前海岸と言えば「越前ガニ」。

私は好きなのは、越前ガニでもメスの「せいこガニ(こっぺガニ)」23杯の甲羅のミソ・内子・外子(卵)と足の身をどんぶりの盛った「せいこ丼」です。

漁期が116日の解禁から12月いっぱいの2か月しか味わえない貴重な逸品です。

2年前に越前海岸の「小樟(こころぎ)」という所にある「えちぜん」という食堂で初めて食べ、それが忘れられず今年も行ってきました。

ちょっと早いな思いながら店に10時半ごろに着いたのですが店の前は早くも人だかり。

2年前に比べ年々お客さんの数が増えているようです。

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名前を書き順番待ち。

1時間待ちと告げられちょうどいいわと近くを散策しました。

小樟漁港。

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漁村の多くがそうであるように、ここ小樟でも海岸近くまで山がせまり平地は少ししかありません。その平地と斜面に密集して家が立ち並び、迷路のごとく路地を形成しています。

私は漁村の路地のスケール感、迷路を歩くわくわく感、そして生活がにじみ出ている風景が好きで、あちこちの漁村を歩いています。

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1時間程街を歩き、もういい頃かと店にもどったのですがさほど順番が進んでいません。

カニは、食べるのに時間がかかるのとグーループ客が酒を飲み宴会状態になっているので回転が悪く、それから店で1時間程待つことになりました。

そしてようやく席につけ、待望の「せいこ丼」にありつけました。

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この日はお腹が減りすぎていたこともあり、奮発して雄の越前ガニ1杯を刺身と焼きにしていただきました。

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この日の越前海岸は、小春日和で波も穏やか。

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そしてこの時期の越前海岸のもう一つの名物、山肌に群生するスイセンがこれから見ごろを向かえます。

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by y-tukide | 2017-12-11 15:49 | 街道を行く