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カテゴリ:街道を行く( 103 )

三重歴史街道「八風道」を行く

今回も三重県が作成した「みえ歴史街道ウォーキングマップ」を片手に、相棒と「八風道」を行きました。
八風道は、伊勢と近江を結ぶ鈴鹿山脈の八風峠越えの交易路として、鎌倉時代の頃から盛んに利用されていました。
私は以前に、八風道を近江東海道の「武佐(むさ)宿」から八日市を経て、永源寺を通り愛知川沿いを走り八風峠を車で越えたことがあります。
八風道は、現在の国道421号線にあたり、今は峠にはトンネルが出来ていますが、あの当時の峠には、道幅が狭いために大型車が通れないようにコンクリートの塊が峠道の両脇に立てられていて、私の車も幅がぎりぎりで冷や汗をかきながら通った思い出があります。
今回は、三重県側の起点である四日市市の「富田(とみだ)」から八風道を行くことにしました。
早朝に自宅を出て、近鉄名古屋線の「近鉄富田」という駅近くに車を停め、ここから相棒と出発です。
まずは、初めて来た「富田」という町を散策。
駅から南へ海に向かっていくと松並木が残っています。昔はこの辺りが浜辺だったのでしょう。
三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10245880.jpg

海と並行に走る主要な道に直行して幾筋もの道が海に向かって規則正しく等間隔で伸び、それに町家が連続して並びます。
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家の棟が道に平行し玄関がある「平入(ひらいり)」の多くの町家には、一階に「出格子」、2階の開放的な窓に「欄干」が設けられ、出格子の前には夕涼みのためなのか「床几(しょうぎ)」がおかれているのが、この辺りの町家の粋な共通点です。
三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10251902.jpg

そしてここが八風道の起点の「富田一色」の港だったところ。
昭和34年に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風後に築かれた防波堤に囲まれ、今は船溜まりになっています。
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江戸時代、ここから八風道を通り運ばれてきた年貢米が船で運び出されたそうで、周辺には今も蔵がいくつか残っています。
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「海運橋西詰」、ここから八風道は「八風峠」へと向かいます。
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少し走ると街道は「旧東海道」と交差し、そしてその先のJR関西線の狭い踏切を渡ります。この辺りには当時の面影などは一切残っていません。
三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10253344.jpg

市街地を抜けたあたりののどかな街道風景。
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三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10254138.jpg

街道にほぼ並行して三岐鉄道三岐線が通っているのですが、「平津駅」を越えたあたりから街道は「朝明川」沿いを走ります。
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「山城」という集落の街道沿いにある「櫻神社」。
小高い丘の上にあり、大変急な階段がまっすぐに伸びていて、見上げてこれはちょっときついと参拝はパス。
三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10255222.jpg

小さな集落やのどかな田園風景を抜け走る街道。
気持ちよく走れるのですが天気が良く、気温が高いこともあり汗だく。
木陰に入ると一瞬ですが癒されます。
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三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10255968.jpg

「菰野町」にある「西信寺」の角で街道は、右に折れるのですが、左にとり寄り道することに。
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向かったのは「竹成」という集落にある「五百羅漢石仏群」。
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この小高い山の五百羅漢は、嘉永5年(1852年)に竹成出身の「神瑞和尚」が建立を発願し、「桑名」の石工の手により15年の歳月を経て完成させたもので、一体一体の表情がみな異なります。
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山頂の大日如来像を中心に、阿弥陀如来や菩薩、天狗、閻魔大王に七福神、はたまた松尾芭蕉とバラエティーにとんでいて、神と仏が入り交じった当時の庶民信仰の多彩さが伺えます。
これは七福神。
三重歴史街道「八風道」を行く_e0164563_10260802.jpg

寄り道して石像を眺めていると時間がたち、これまでの上り坂と暑さで疲れていることもあり、この後無理して八風道に戻り先を行くのをあきらめることに。
そして最寄りの駅である「保々駅」まで走り、そこで相棒を輪行袋に納め、車を停めてある「富田駅」に向かい帰路につきました。
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by y-tukide | 2020-07-27 11:59 | 街道を行く

三重歴史街道「二見道」を行く

三重県には、東海道、伊勢街道をはじめ、歴史ある街道が幾筋も走っています。
私は、三重のこれらの歴史街道の魅力にはまり、これまでに伊勢本街道、初瀬街道、大和街道、伊勢街道、伊賀街道、伊勢別街道、濃州道、和歌山街道、菰野道、東海道を行きました。
こうして改めて上げてみるとよく行ったものだと我ながら感心します。
そしてそれらの街道の道筋と見どころを紹介してくれたのが、三重県が作成した「みえ歴史街道ウォーキングマップ」です。
そのウォーキングマップは、三重の「街道」の魅力を、観光資源としてだけでなく、豊かでうるおいのある生活や、文化を創造していく資源として活かすという「みえ歴史街道構想」というプロジェクトのもとで制作されたもので、街道のルート案内だけでなく、街道沿いの道標や建物などの歴史遺産の説明がされていて、街道歩きの魅力を倍増させてくれます。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375967.jpg

そしてこの日も、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」を片手に「二見道」を行くことに。
「二見道」は、伊勢神宮と二見を結ぶ道です。
「みえ歴史街道ウォーキングマップ」の二見道の概要によると
「二見は、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神のご鎮座される地を求めて伊勢の海辺を歩かれた折、この浦の素晴らしさに二度振り返られた伝説からその地名が付いたとも言われる景勝の地。遠浅の白砂青松の浜は、明治初期まで神宮に参る参拝者が禊(みそぎ)をした清純で神聖な場所だった。
明治時代までは、神宮の御塩と御贄を調達するための神宮領で、今日も神宮の御塩や御料を調達地として、御塩殿神社の隣に建つ御塩殿で作られた昔ながらの堅塩が外宮まで運ばれる。」とのこと。

朝9時、伊勢神宮外宮の最寄り駅である近鉄宇治山田駅を出発。
近鉄宇治山田駅の駅舎は、昭和初期の近代建築で登録有形文化財に指定されています。
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近鉄宇治山田駅から北東に進むと、伊勢湾に通じる「勢田川」に出ます。
川沿いの道を行くと間もなく「切妻妻入り」の重厚な商家が並ぶ「川崎」の町に入ります。
川崎には、過去に2度訪れています。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09374114.jpg

川崎は、勢田川沿いに古い蔵が軒を連ねる昔の問屋街。
かつて三河や駿河から伊勢湾を船で渡る参拝者や全国から集められた食材が、勢田川をさかのぼり川崎に至ることから「伊勢の台所」と呼ばれていました。
商家の母屋と蔵が並ぶ川崎の街並み。
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三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09374040.jpg

勢田川沿いには蔵が並び、当時の繁栄が伺われます。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09374050.jpg
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川崎を出てしばらく行くと瀬田川沿いに天正3年(1575年)創業の二軒茶屋の一つである「角屋」があります。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375547.jpg

かつて尾張・三河や駿河方面からの参拝者は、海路をとるのが最短コースで、伊勢湾を横切り、勢田川をさかのぼり、ここで船を降り上陸しました。
当時この辺りは一面の葦原で、二軒の茶屋がぽつんと建っていました。船参拝者は茶屋で一息入れ、気分を新たに神宮に向かったそうです。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375406.jpg

今も角屋さんでは、名物の「二軒茶屋餅」を販売されています。
二軒茶屋餅は、きな粉をまぶした小豆餡が入った薄皮の餅です。
私も土産にひとつ購入しました。
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さらに二見に向かう道を進むと「五十鈴川」を渡ります。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375549.jpg

川を渡ると道は、田園風景の中を走り、間もなくJR参宮線「二見浦駅」手前の踏切を越えます。
目的地は間もなくです。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375531.jpg
道は、二見浦の手前で右に折れ旅館街に入りますが、ここで寄り道し、左に曲がり二見浦沿いに建つ「御塩殿神社」に向かうことに。
うっそうとした森の中にたたずむ茅葺の社殿の御塩殿神社。
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その社殿の裏側に、二見浦の海水を汲み、伊勢神宮の神事に用いられる「御塩」と呼ばれる塩を焼く、高さを抑えた茅葺の「御塩殿」があります。
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その裏に二見浦が広がります。
三重歴史街道「二見道」を行く_e0164563_09375387.jpg

道を戻り、二見の旅館街に入ります。
かつては修学旅行のメッカで、木造の旅館や土産物屋が軒を並べます。
子供の頃、私たちの地域でも小学6年の修学旅行は、「お伊勢さん」とお決まりでした。
木造の旅館の大部屋に布団が敷き詰められ、寝る時、枕投げをしたことが思い出されます。
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そしてようやく今日の目的地である「二見興玉神社」に到着。
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二見浦の観光スポットの「夫婦(みょうと)岩」。
時刻は午後2時、引き潮でした。
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by y-tukide | 2020-06-08 11:33 | 街道を行く

伊勢街道 四日市から津を行く

伊勢街道は、四日市の「日永の追分」で東海道と分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至るおよそ十八里(72km)の道です。
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り。
江戸時代には、人々が熱狂的に伊勢を目指した「おかげ参り」が50~60年周期で流行し、伊勢街道は、東海道に次ぐ交通量が多いにぎやかな街道でした。
そんな伊勢街道、今も街道沿いには当時の面影が随所に残る趣のある街道です。
私は、2018年5月に津から松阪に、2018年6月に松阪から伊勢に「相棒」と行っています。
そして2020年1月には四日市から津を相棒と行き、伊勢街道十八里を走破しました。
その日は、車で三重県の近鉄四日市駅まで車で行き、駅近くの駐車場に車を止め、そこで相棒をおろし、相棒と津まで伊勢街道を行きました。

四日市には、東海道五十三次の四十三番目の四日市宿があります。
ここからまず東海道を走り、東海道と伊勢街道の分岐点である「日永の追分」に向かいます。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160899.jpg

そしてここが先週のブログでも紹介した県指定史跡の「日永の追分」。
向かって右が東海道、左が伊勢街道、県道103号線です。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160841.jpg

現在ここには、伊勢に向かって遥拝(ようはい)できるように江戸時代に設けられた鳥居と常夜灯、道標とともに手水所(ちょうずどころ)があり、近くの丘陵から引かれた湧き水でのどを潤すことができます。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160879.jpg

ここから街道は県道103号線を走り、しばらく行くと右に折れ旧街道を行きます。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160854.jpg

街道筋の街並み。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160900.jpg

道端の野仏。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160958.jpg
次に街道は、鈴鹿川を渡ります。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10182954.jpg

街道沿いに立つ常夜灯。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160793.jpg

鈴鹿川を越えたあたりの切妻の屋根が連続する集落の街並み。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160751.jpg

集落を抜けると田園風景が広がります。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10160856.jpg

田園の中をしばらく走ると「神戸の見付」が現れます。
「神戸の見付」は、伊勢街道「神戸宿」の入り口にあたり、両側に土塁と石垣を築いたものです。
ここには、町の治安を守るために番人がいて、夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたそうです。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162637.jpg

神戸宿の街並み。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162697.jpg
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宿場を過ぎ市街地の中をさらに進んで行くと「白子」という所に入ります。
その街道沿いに祀られた「六地蔵菩薩」。
説明書きによると鎌倉時代のものだそうです。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162791.jpg

白子の街並み。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162409.jpg
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162469.jpg

白子は伊勢湾に面し、江戸時代は紀州徳川家の領地で、紀州藩から江戸への荷物を運ぶ船の母港として、伊勢湾岸で最も賑わった港だそうです。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162558.jpg

白子を後に街道をさらに進みます。
伊勢街道 四日市から津を行く_e0164563_10162532.jpg

そしてここは、伊勢街道と巡礼道の追分です。
巡礼道は、江戸時代、観音信仰で巡礼たちが通った道です。
そこに立つ「名残の松」。
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追分を過ぎると街道は、国道23号線と合流し、左手に三重大学を見ながら「江戸橋」を渡ります。
江戸橋は、江戸に向かう藩主の見送りもここまでということで「江戸橋」と命名されたそうです。
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江戸橋を渡ると、この日の終着点である津駅はもうすぐ。
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そして近鉄の津駅に到着。
延べ三日間かけて行った伊勢街道十八里、さすが東海道に次ぐ交通量が多かった伊勢詣での道、見どころが多く趣ある街道でした。
相棒を輪行袋に納め、車が置いてある四日市駅へと電車で帰路につきました。
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by y-tukide | 2020-05-25 10:15 | 街道を行く

東海道 亀山宿から四日市宿を行く

コロナ禍の中、休日に好きな古い街道歩き・街歩きもままならず、悶々と休日を過ごすのは皆様もご同様のこととお察します。
そんなことで、この頃の週一のブログは過去に撮った写真を引っ張り出し、掲載させていただいたりしています。
そして今週のブログも、今年の正月休みに「相棒」と行った三重の東海道を紹介させていただきます。
皆様もよくご存じの「東海道」は、江戸時代に中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道とともに徳川幕府によって一里塚や宿場などが整備された五街道の一つで、江戸の品川宿を第一の宿として、京都まで俗に「東海道五十三次」と呼ばれています。
私は、ブログを始める何年か前に、東海道は「京都三条大橋」から近江の「草津宿」の中山道との分岐点である「追分」を経て、鈴鹿峠の手前の四十九宿目の「土山宿」まで何日かかけ歩いています。
その先は、箱根峠と並ぶ東海道の難所である鈴鹿峠をパスし、峠を越えた四十七宿目の当時の面影が色濃く残る「関宿」には何度か行っています。
その内の一回は、2014年5月「鉄道ブラ旅 関西本線」で四十六宿目の「亀山宿」から「関宿」まで東海道を歩きました。
今回は、その「亀山宿」から「四日市宿」まで相棒と東海道を行った時の記録です。

朝9時ごろに関西本線の亀山駅前に車を置き、相棒を下ろし「四日市宿」に向かい出発です。
東海道 亀山宿から四日市宿を行く_e0164563_09114309.jpg

亀山宿の東海道沿いには、連続してはいませんが、当時の宿場の面影を残す町家がいくつか残っています。
この建物は、亀山市の指定文化財である「桝屋」という屋号の「旧館(たち)家住宅」。
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万町の「あらものや跡」。
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そして街並み。
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亀山宿を出、東に東海道を走ると左手に「和田一里塚跡」が現れます。
ただ現在の塚は、道路拡張のために消滅した塚を偲んで、隣接地に復元されたものだそうです。
東海道 亀山宿から四日市宿を行く_e0164563_09114488.jpg

和田一里塚跡を後に拡幅された道を1.5kmほど走り、「椋川」を越えたあたりの集落の街並み。
東海道 亀山宿から四日市宿を行く_e0164563_09114269.jpg

さらに進むと街道は「鈴鹿川」を渡ります。
当時は「土橋」が架かり、出水時には「渡し」となったそうです。
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鈴鹿川を渡ると「中富田」という集落があり、その集落内にも「中富田一里塚」がありました。
そしてさらに進むと東海道四十五番目の宿場「庄野宿」に入ります。
東海道 亀山宿から四日市宿を行く_e0164563_09114285.jpg

わずかではあるが、連子格子の町家が残る庄野宿の街並み。
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宿場内の「川俣神社」境内にある、県指定天然記念物の推定樹齢300年、幹回り約50mの見事な「椎の木」。
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宿場の中ほどに、庄野宿資料館である「旧小林家住宅」の前に、歌川広重の「東海道五十三次・庄野宿」の浮世絵が飾られていました。
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庄野宿を出ると街道は、田園風景の中を走り、次の「石薬師宿」へと続きます。
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石薬師宿の街並み。
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「石薬師宿」には、泰澄・空海(弘法太子)が開山した石薬師寺があります。
空海が土中から現れた霊石に一夜にして刻みこんだと伝えられる薬師如来が、この寺のご本尊。
霊験あらたかな寺として近在では有名で、その寺の名から宿場名となったとのこと。

真言宗の石薬師寺。
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石薬師宿を出ると街道は、国道1号線と合流します。
交通量が多いい1号線を少し走ると街道は、また1号線と別れ、東海道の中でも急坂で知られる「杖衝(つえつき)坂」にさしかかります。
神代の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰りにここにさしかかった際、大変つかれていたので杖をついて歩いた事から、その名が付けられたとのこと。
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杖衝坂を下り進むと街道は、国道1号線と県道103号線に合流します。
県道103号線は、伊勢へと通ずる「伊勢街道」です。そしてここが東海道から伊勢街道が分岐する「日永の追分」です。
右側の道が東海道、左側が伊勢街道。
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伊勢街道は、「伊勢に行きたい伊勢路がみたい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ多くの人が「お伊勢参り」に詣で、東海道に次いで交通量が多く賑わった街道です。
私は、この伊勢街道を2018年5月に「津から松阪を行く」、2018年6月に「松坂から伊勢を行く」でブログに掲載させていただきました。
そして2020年1月には、四日市宿から「日永の追分」を経て津に行き、伊勢街道を全工程走破しました。・・・「四日市から津を行く」の記録、近々ブログに掲載したいと思います・・・

追分に建つ道標には、「左いせ参宮道」「右京大阪道」「すく江戸道」と刻まれています。
背後の鳥居は、東海道を通る伊勢に参拝しない旅人が伊勢に向かって遥拝(ようはい)できるように、安政3年(1774年)に建てられた鳥居だそうです。
以来この鳥居は、伊勢神宮式年遷宮ごとに神宮の古材を使って建て替えられるとのこと。
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追分から少し行った東海道沿いに建つ、古い町家を活用した「日永郷士資料館」。
この日は、正月の三が日明けの4日とあって閉まっていました。
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さらに進むと1本だけ残る「東海道名残りの一本松」。
昔は、この辺りから「泊」の集落までは、東海道の両側に土手が築かれ、その上に大きな松が並んで植えられていたそうです。
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そして「四日市宿」に入ります。
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ここで遅めの昼食をとり、辺りをぶらっとした後、車が置いてある亀山駅に戻ることに。
JR関西本線の「四日市駅」から、相棒を輪行袋に納め、亀山駅行きのワンマン電車に乗り帰路につきました。
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by y-tukide | 2020-05-18 10:44 | 街道を行く

和歌山街道を行く

「和歌山街道」は、紀伊半島をほぼ東西に横断し、伊勢・大和・紀伊の三国を経て松阪と和歌山を結ぶ街道である。厳密には和歌山街道とは、高見峠までの三重県側の部分を指し、紀州側では「伊勢街道」といわれる。江戸時代には、紀州藩の本城と東の領地の松阪城を結ぶ藩道であったことから「紀州街道」、庶民の生活道として大和地方との関わりが深くなると「大和街道」とも呼ばれるようになった。
この街道は、伊勢参宮や熊野詣、吉野詣で巡礼の道として、また、南紀や伊勢志摩地方の海産物や塩等を大和地方に運ぶ交易路としても需要な街道であった。(「みえ歴史街道 和歌山街道」三重県より)

松阪の日野町交差点が、「伊勢街道(参宮道)」と「和歌山街道」の追分。この日の出発点です。
交差点角には、「右わかやま道 左さんぐう道」と刻まれた道標が立っています。
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商店が並ぶ新町の追分から1.2kmほど行った大黒田町の街道沿いには、それまでの街並みと打ってかわり、嬉しいことに「うだつ」「連子格子」「虫籠窓」「軒がんぎ板(軒先に雨よけ用につけた板)」を設けた町家が連続して残っていました。
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街道は、高見峠まで国道166号線と交わりながらほぼ並行に走るのだが、桂瀬・大河内町辺りでは、国道から離れ「阪内川」沿いを走ります。
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阪内川を離れると山道になり、低い二つの峠越えとなります。
そして峠を越え下ってくるとのどかな田園風景が目に入ります。
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峠を越えたあたりで街道は、大阪から大和を通り伊勢へと通じる「伊勢本街道」と合流する。
そしてこのあたりからは、「櫛田川」に沿って走り「大石宿」に入ります。
その大石宿の街道沿いにある「大石不動院」。
本堂は1602年(慶長7年)に再建され、本尊は弘法太子空海の作と伝える石造不動明王立像です。
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境内に隣接して、流れ落ちる高さ10mの「不動滝(夫婦滝)」が。
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境内からは、南に櫛田川の清流が一望でき、このあたりから上流は「香肌峡県立自然公園」に指定される絶景が楽しめます。
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うっすらとではあるが往時の面影が残る大石宿の街並み。
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街道沿いにある庚申(こうしん)堂の正面石垣に組み込まれた道標。
「大石宿 はせより是迄十五里 是より宮川へ七里」と彫っています。
この辺りは、大石宿の西の旅籠地域であったそうで、最近まで旅籠「松屋」の建物が残っていたそうです。
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ここで街道沿いに立っていた日本棚田100選「深野のだんだん田」の案内板に誘われ、街道を離れ山手に向かうと「深野」という集落が山裾に浮かびます。
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そしてその周りには丸い自然石の石垣が、芸術的といえる美しさで積み上げられています。
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田植や稲穂が実る時期は、さぞかしいい絵になるだろうと思いつつ、深野をほどほどにして街道に戻り先を進むことに。

そして次の宿場である「宮前宿」に入ります。
このあたりには8軒の旅籠が軒を並べていたとか。
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その一つである「旅館かどや」。
現在は営業していないが、内部には刀掛けや提灯など、かつての営みを彷彿させる品々が残っているそうです。
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宮前宿にある「道の駅 飯高駅」で昼飯をとった後、車を駐車場に置き「相棒」を下ろし、ここからは相棒と街道を進み峠へと向かうことに。
宮前宿の家並みが途切れ、田園風景を抜けると街道は、杉・桧の林の中を行きます。
今は人工林に覆われているが、当時は松並木が続いていたそうです。
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そして「珍布(めずらし)峠」に到着。
峠道はいつの時代からか、大岩を素掘りした「切通し」となっています。
珍布峠は、天照大神と天児屋根命が出会った場所で、ここで伊勢と大和の国境を決めた「国分け」の伝説があるとか。
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峠を後に山道を下っていくと左側の視界が開け、眼下に櫛田川が現れます。
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峠道を下りきると国道166線に合流します。
そこから166線を「道の駅」まで戻り、駐車場においてあった車に相棒を積み込み、この日の最終目的地である三重県と奈良県との県境である「高見峠」の手前の「初瀬宿」へと急ぐことに。

そして「初瀬宿」で迎えてくれたのが、街道をはさんで南北の両側に建つ建物。
田中家の登録有形文化財の主屋をはじめとする数棟の建物群です。
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実はこの建物には、私は20年ほど前、親しくしていた東京の建築家夫妻と伺っています。
奥さんの親戚筋にあたるとかで、ご夫婦と奈良の吉野に行った翌日にこのお宅を訪ねました。
眼下の櫛田川から積み上げられた、まるで城のような石垣の上に建てられた建物。
川に面した部分は数寄屋造りで、こんな山間の地での粋な造りにその時は驚かされたものです。
記憶が定かでないですが、確か京都から大工を招いて造ったとか?
今回の和歌山街道を初瀬宿まで行こうと思ったのもこの建物をもう一度との思いからです。
詳しくはわかりませんが現在、この建物群の一部が資料館となっているそうです。
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今回の「街道を行く 和歌山街道」、ちょっと駆け足でしたが、20年ほど前の記憶に残る建物との再会の思いもかない、また街道沿いの風景も素晴らしく、満足のいく「街道を行く」でした。
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by y-tukide | 2020-04-13 09:00 | 街道を行く

紀伊国 根来寺

久しぶりに司馬遼太郎の「街道をゆく 紀ノ川流域」の「根来(ねごろ)」という項を読み、興味を引かれ、以前から一度行ってみたいと思っていた「根来寺」に行ってきました。
根来寺は、大阪と和歌山を隔てる和泉山脈の和歌山側の山麓にあります。
根来寺の歴史は、平安末期に、一時は高野山の座主だった「覚鑁(かくばん)上人」が開祖した「新義真言宗」の総本山の寺院です。
室町時代には、寺領はどんどん大きくなり、堂塔や伽藍、および付属建物は二千七百余棟が山麓と谷筋に建ち、仏教を学ぶ僧と行人(ぎょうじん)と呼ばれる僧兵など合わせて2万人程の一大宗教都市でした。
しかし1585年豊臣秀吉の焼き討ちによりに2~3の堂塔を残し、すべて焼失してしまいました。

根来寺の旧境内入り口にぽつんと建つ江戸末期に再建された「大門」。
根来一山の総門で大寺院の表門にふさわしい名前通りの大規模な二重門です。
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大門から山手に伸びる広い通りは、今は車も通る道路になっていますが、道の両脇は盛り上がり石垣跡も残っています。
通り沿いに石垣の上に白壁がながながと続く往時の面影をしのばせる「蓮華院」。
当時はこのような坊が道の両側に建っていたのでしょう。
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路から50m程奥に塔頭が見え、その手前は石垣だけが面影を残す閑散とした風景。
司馬遼は、本の中で「根来寺の山内(さんない)は、まことに空閑として、むしろ明るい。これほど華やかな空っぽという場所は、日本でもめずらしいのではないか。幸い、ゆたかな樹木が残されている」と綴っています。
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緩やかな坂道が続き、さらに進んでいくと石段があり、その先に「鐘楼門」が現れます。
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門をくぐった正面には「光明殿」。
1804年に創建され覚鑁上人の像が奉られています。
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そしてその西隣には「聖天池」に浮かぶ「聖天堂」と修験道の始祖である「役行者(えんのぎょうじゃ)」を祀る「行者堂」があります。
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その聖天堂の堂内には、「根来塗」の朱色の壇があります。
私は、漆器の世界は全く無知なのですが、司馬遼は本の中で「根来塗の赤は、似たものがないといえるほど美しい。ほんらい、赤というのは激しく主張する色である。が、根来塗の赤は、主張や執着というどぎつさを去ってしまったもので、こういう色はまれに天然のなかに見る。たとえば残照の雲間にふとあらわれて次の瞬間消えるかもしれない赤である」と称賛しています。
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根来塗とは、僧たちが使う什器などに黒漆を塗り重ねた上に朱漆塗を施したもので、表面の朱漆が摩耗すると、下地の黒漆がところどころに露出し模様なり浮かびます。
根来寺の旧境内の中に「岩出市民俗資料館」があり、そこには根来塗の漆器が展示され、根来塗工房もあります。
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この建物は「太子堂」。秀吉の焼き討ちから難を逃れた根来寺で最も古い重要文化財の建物。、真言宗の開祖である弘法太子が祀られています。
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太子堂の柱に空いた穴は、秀吉に攻め入られた時の鉄砲玉の後、他の柱にも435年前の痛ましい傷が残っています。
その鉄砲ですが、根来寺は、1543年種子島に漂流したポルトガル人によってもたらされた鉄砲を根来寺の「杉ノ坊」が種子島から持ち帰り、苦労の末に刀鍛冶に造らし、やがて鉄砲製造が大阪の堺、滋賀の国友を中心に行われていったことでも有名です。
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そしてもう一つの消失を免れた建物である「大塔」。
真言密教の教義を形の上で端的に表したもので、最も重要とされています。高さ40mを誇る木造建築で国宝に指定されています。
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私は多宝塔の内部に入るのは初めて、円筒形の「内陣」に入る障子も円形でした。
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そして最後に「奥の院」へ。
奥の院には1143年に入滅された開祖である覚鑁上人の廟所(お墓)があります。
高野山の奥の院へと向かう参道の両側には、歴史上の人物や著名人の墓が多く立ち並びますが、根来寺の参道には、一般の方々のお墓が並びます。墓石の真新しさを見ると近年、寺を維持するために墓地が分譲されたのかと勝手に推測します。
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森閑とした空気の中、うっそうとした木々に囲まれた「御廟廊」。
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司馬遼と須田画伯が32年前に訪れた根来寺の様子が、今日どれほど変わったのかは私にはわかりませんが、「境内はまことに清らかである」と綴られた雰囲気は、今回訪れてみてなんとなく理解できたような気がしました。
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by y-tukide | 2020-02-25 10:29 | 街道を行く

濃州街道 桑名から員弁(いなべ)を行く

「濃州街道」は、三重県の旧東海道の桑名宿から北へ、いなべ市で「巡見道」と合流し濃州=美濃国、今の岐阜県へ向かう街道です。
早朝、車で相棒と自宅を出、桑名で車を駐車場に預け濃州街道を行きました。
桑名は、東海道五十三次の四十二番目の宿場であり、桑名藩の城下町であり、また木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の河川交通、伊勢湾の海上交通を担う港町でもありました。
ここは、旧東海道の唯一の海路である宮宿(名古屋市熱田)と桑名宿の七里(28km)を結ぶ「七里の渡し跡」です。ここから出発します。
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江戸時代より桑名といえば「桑名の焼き蛤」が有名ですが、七里の渡し跡の旧東海道沿いには、今も蛤料理屋が何軒も並びます。
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これは歌川広重が、焼き蛤を売る店が立ち並ぶ様子を描いた浮世絵。
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七里の渡し跡から旧東海道を行き、「矢田立場」というところで東海道から別れ、濃州街道に向かいます。
「立場」とは、宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶屋などが集まっているところです。
そこに復元された火の見櫓がありました。
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桑名市内を走る濃州街道沿いには、連子格子の町家や古い民家が点在し残っています。
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街道脇に建つ小さな祠、前になぜか何種類もの酒が供えられています。
誰がどんな思いを込めて供えたものか?
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街道沿いには、由緒ある寺院や神社が多く歴史情緒が感じられます。
これは額田神社の参道入り口に建つ常夜灯。
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蓮花寺という集落の街道沿いの古い民家の出窓に飾られたおもちゃ達。
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街道は、員弁(いなべ)川沿いを走ります。
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芳ヶ崎という集落の天皇八幡宮の参道のクロガネモチの巨木。
桑名市の天然記念物に指定されています。
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濃州街道と並行して三岐鉄道北勢線が走ります。
三岐鉄道北勢線は、西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜(あげき)駅を結ぶ路線長約20kmの大正時代に開業した鉄道です。
この鉄道は、一般の鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された「軽便鉄道」。
線路の幅も新幹線が1435mm、在来線が1067mmに対し762mmしかなく、一般に営業している鉄道では一番線路幅が狭い鉄道です。
2018年11月のブログ「鉄道ブラ旅 三岐鉄道北勢線 」でも紹介させていただきました。
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途中で昼食をとり、ようやく街道は阿下喜(あげき)に入ります。
阿下喜の街を散策すると町家や古い建物が点在し残っています。
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この建物は、昭和12年に建てられた旧阿下喜小学校校舎。
寄棟和瓦葺で屋根中央に塔屋をのせ左右にドウマー窓がある和様折衷の建物で、登録有形文化財として保存され、現在は文化資料保存施設として各種イベントが行われ、カフェもあります。
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今日は、街道をもう少し先まで行くつもりだったのですが暑さと上り坂、そして向かい風でバテテしまい阿下喜駅から帰ることに。
阿下喜駅には、復元されたかわいらしい転車台があります。
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相棒を輪行袋に納め、西桑名駅へと向かいます。
電車にはクーラーがなく、扇風機が回り、窓を開け走ります。
ここは懐かしい昭和の世界。
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by y-tukide | 2019-07-08 09:00 | 街道を行く

北国街道 鳥居本から長浜を行く


この間、越前の北国街道を相棒と日帰りで三日かけて行き、三日目には加賀に入ったのですが、ここまで来るとさすがに日帰りでの「街道を行く」は悩みどころで、今後どのようにして行くかを思案中です。

そんなところで今回のブログは、2年前に近江の中山道と北国街道の分岐点である鳥居本から長浜へと北国街道を歩いて行った時の様子です。

早朝自宅を出、電車で東海道本線のJR米原駅に向かい、ここで近江鉄道に乗り換え二駅目の鳥居本駅に着いたのが840分ごろ。

現在の鳥居本の駅舎は、近江鉄道が昭和6年に彦根、米原間が開業した時に建てられた駅舎を当時に様式をそのまま継承に建て替えられたものです。

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鳥居本は近江中山道の宿場で、今でも当時の面影をよく伝えています。

その一つが道中合羽の看板を掲げた「木綿屋」という屋号の町家です。

この町家は、現在「サンライズ」という出版会社の事務所として活用されています。サンライズは地元近江の自然、文化、歴史を取り上げた「淡海(おおみ)文庫」で多くの本を出版しています。

実は私がそのシリーズの「淡海文化を育てる会」が編集した「近江中山道」を20年ほど前に読んだのが趣味となった「街道を行く」のきっかけとなりました。

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宿場を進むとひときわ重厚な建物があります。鳥居本宿のもう一つの名産「赤玉神教丸」を製造・販売する350年続く薬屋さんです。下痢・腹痛によく効く妙薬で現在も営業されています。

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当時の店先の様子。

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鳥居本宿を抜けるとすぐに北国街道の分岐点があり、そこには復元された道標が建てられ、

「右中山道 摺針 番場」「左北國 米原 きの本道」と刻まれています。

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そこから街道は、国道8号線に沿って走り、しばらく行くと国道を右にそれ「梅ヶ原」という集落に入ります。

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集落を抜けると米原宿に入ります。

ここには国指定の名勝、回遊式枯山水の庭園で有名な青岸寺があります。水流をあらわす白砂の代わりに杉苔が石組みの間に流れるように埋め尽くされています。

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青岸寺に行く途中で見かけた木造の校舎。

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江戸時代米原宿には、現在の米原駅辺りに琵琶湖の米原湊が開かれていたそうで、中山道の番場宿からのバイパスが開通すると中山道の荷物が扱われるようになり、米原湊は大いににぎわったそうです。

当時22軒の旅館が軒を連ねていたという往時の面影が残る街道。

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米原宿を過ぎJRの跨線橋を渡りさらに進み、飯村川を渡ると「飯村(いむら)」という集落に入ります。

この村は一介の小兵から、土佐の国の大名まで出世した武将「山内一豊」の妻「千代」が生まれた村です。千代は、夫の出世の糸口となる重要な場面には、内助の功を発揮したことで知られています。

飯村で見かけた茅葺の民家。

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街道をさらに進んでいくと田園風景が広がり、その先に伊吹山が望めます。

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「寺田町」当たりの街道風景、気持ちよく歩けます。

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街道沿いの民家の庭に咲くアジサイ。

この日は、ちょうど今と同じ2年前の6月の梅雨の時期でした。

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この集落も感じのいい集落でした。

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街道をさらに進むと琵琶湖を背にして立つ28mの高さの「長浜びわこ大仏」が顔を出します。

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いよいよ街道は、十一川にかかる十一橋を渡り長浜の街に入ります。

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そして街道は、現在の長浜の観光名所、観光客でにぎわう黒壁スクエアに入っていきます。

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時刻は午後3時、今日はこれまで。

遅い目の昼食に、ビワマスをいただきました。

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by y-tukide | 2019-07-01 09:00 | 街道を行く

北国街道 金津から加賀温泉を行く

相棒と北国街道を行く面白さにはまり、前回の終着地の金津宿(芦原温泉)から引き続き北国街道を北上しました。

この日も相棒を輪行袋に入れ、JR宇治駅624発の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで福井駅に、ここで普通電車に乗り換え出発地点の芦原温泉駅に着いたのが857

前回この駅で、相棒を折りたたんだ恐竜博士の前で、今度は相棒を組み立て出発です。

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「金津宿」は江戸時代、福井藩の北の拠点として奉行所が置かれ、江戸時代中期には戸数639戸、本陣・旅籠60戸、遊女屋・揚屋27軒が建ち並んでいたそうです。今はその面影が残っていませんが、金津宿の北の入り口には「坂ノ下 宿場口跡」の碑が建てられ、旅人の安全を見守ってきたお地蔵さんが今も祀られています。

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坂道を登りしばらく進むと江戸時代に整備された「千束一里塚」が現れます。

榎の巨木が歴史を物語っていました。

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街道をさらに進むと「あわら市 嫁威(よめおどし)」と書かれた道路標識を見かけました。

道端の説明書きによると

昔、蓮如上人が吉崎御坊におられた時、百姓の嫁が夫と子供に先立たれて世の無常を感じ深く仏法に帰依した。そして毎晩のようにここを通って吉崎にお参りした。

これをやめさせようと意地の悪いしゅうとがある闇夜に鬼の面をかぶり出、嫁をおどしたが信心深い嫁は少しも恐れず念仏を唱えながら吉崎に向かった。

しゅうとの婆さんもおのれの所業を恥じ、無二の信者になったという話です。

その地に建つ社の狛犬。

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かつてこの辺りは、昼間も薄暗い藪の道であったのでしょうが、今は蕎麦畑や芝生畑が広がっていました。

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そして街道は「坂口」という小さな集落に入ります。

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蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に石灯籠が建てられています。それが北国街道を行く道しるべとなって大変助かります。

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次に街道は「細呂木」という集落に入ります。

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ここまでは比較的平たんな道だったのですが、細呂木集落を過ぎると予想していなかった難所にさしかかります。

ここは北国街道と吉崎道の分岐点、右が北国街道で「のこぎり坂」という異名の急坂が続きます。

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森の中の急坂を相棒を押し登りきると平たん地が現れ、そこにはメガソーラ発電所があり興ざめ。

さらに進むと旧北国街道の面影が残る山道が続きます。こんなところでタイヤがパンクすると大変なのでここも相棒を押して進みます。

またこのあたりが越前と加賀との国境です。

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道は、森をぬけると広大な果樹園が広がり、続いてゴルフ場の中を走ります。

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ゴルフ場を過ぎるとまた道は薄暗い森の中に入ります。

すると道脇に「この付近に熊が出没しました、ご注意願います―加賀市」の看板。

早く森を抜けようと相棒と急ぎ走ります。ようやく森を抜けると「橘」という集落が現れました。

このあたりから民家の屋根は、冬の凍害に強い赤茶色や黒の釉薬瓦が多く見られます。

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橘の集落をぬけ街道を行くとまたもや山道。

山中を縦断する北陸自動車道の陸橋を越え、進むのですが道は整備されていなく、倒木が道をふさいだり、草がおい茂っていたりで、このまま進めるのか不安がよぎります。

しかし今更戻るわけにもいかず、相棒を押しながら草を押し分け進みました。

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そして何とか森をぬけられて一安心。

そこから坂を下っていくと降りたところは「大聖寺」の街。

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大聖寺は、加賀百万石の支藩である大聖寺藩の城下町として栄えた町です。

加賀国南端の警備をつかさどるために、北国街道の城下の入り口に関所が置かれました。

これはその関所跡。

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大聖寺の街で昼食をとり、その後あまり時間もないのですが街をぶらり散策しました。

全昌寺というこの寺は、奥の細道で松尾芭蕉と弟子の曽良一行が泊まった曹洞宗の古刹で、

境内には芭蕉と曽良の句碑が建てられていました。

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また境内の羅漢堂には、江戸時代末期に京都の仏師による517体の五百羅漢像が安置されています。

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町中を走る北国街道沿いには、往時をしのばせる町家が点在して残っていました。

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もう少し街を散策したかったのですが時間切れで加賀温泉駅へと向かいました。

当初この日の終着地は小松駅の予定だったのですが、予想しなかった難所が続き相棒の力が十分発揮できず、手前の加賀温泉駅が終着地となりました。

駅に着き1545発の特急サンダーバードの時間待に駅前で冷酒を一杯!

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by y-tukide | 2019-06-17 09:00 | 街道を行く

北国街道 鯖江宿から金津宿を行く

前回、北国街道を今庄宿から湯尾峠を越えて鯖江宿まで行ったのですが、今回も相棒と引き続き北国街道を「鯖江宿」から「金津宿」までを行きました。

この日JR宇治駅を6時半の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで敦賀駅に、ここで普通電車に乗り換え、鯖江駅に着いたのが843分。

さぁ~ここから相棒と北国街道を行きます。

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北国街道が走る町鯖江は、浄土真宗十本山の一つの誠照寺(じょうしょうじ)の門前町で

あるとともに、江戸時代は鯖江藩五万石の城下町でもありました。

昔からものづくりが盛んな町で、現在国内で生産されるメガネフレームの90%以上がこの地で生産されています。

福井県内最大の木造建築である誠照寺御影堂と浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の像。

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街道沿いに建つ、きれいに改修された町家と蔵。

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この日の天気は五月晴れ、空気もカラッとして風もなく、街道風情を楽しみながら相棒と気持ちよく走れます。

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このあたりの街道筋に建つ民家は「妻入り」玄関、雪国らしく骨太で屋根勾配も急で、柱・梁・貫(ぬき)を化粧にした「真壁造り」の家が多く見られます。

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途中立ち寄った「神明社」という神社の境内に建つ重要文化財の「旧瓜生家住宅」。

瓜生家は、代々神明社の宮司で、この旧住宅は現存する福井県の古民家の中で最も古いものだそうです。

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街道は、「浅水」という集落を走ります。このあたりでも立派な民家や蔵を見かけました。

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街道は、足羽川を渡ると福井市内中心部を走ります。

広大な平城であった福井城跡。

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福井市中心部をぬけ、九頭竜川を渡り、丸岡あたりの田園風景。

黄金色に輝く麦畑が広がります。

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田植を終えた田んぼにサギが!

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街道脇に歴史が感じられる頭がかけたお地蔵さん。

周りに人家もないのに花が生けられていました。

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これまでに近江路から北国街道を道中していると親鸞聖人、蓮如上人のかかわりの場所や逸話などを多く見かけます。

この石灯籠も、蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に建てられたものです。

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街道は、竹田川を渡りようやく「金津宿」に入ります。

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時刻は午後2時半、本日の移動距離は約40km、日はまだ高いのですが、この日の「北国街道を行く」はこれまで。

JRあわら温泉駅の「恐竜博士」のベンチ横で相棒をたたみ、輪行袋に収めました。

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電車待ち時間に駅前の食堂で、おろし蕎麦をあてに福井県勝山の地酒「一本義」を一杯いただき、いい気分で帰路につきました。

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by y-tukide | 2019-06-10 09:00 | 街道を行く