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カテゴリ:街道を行く( 97 )

濃州街道 桑名から員弁(いなべ)を行く

「濃州街道」は、三重県の旧東海道の桑名宿から北へ、いなべ市で「巡見道」と合流し濃州=美濃国、今の岐阜県へ向かう街道です。
早朝、車で相棒と自宅を出、桑名で車を駐車場に預け濃州街道を行きました。
桑名は、東海道五十三次の四十二番目の宿場であり、桑名藩の城下町であり、また木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の河川交通、伊勢湾の海上交通を担う港町でもありました。
ここは、旧東海道の唯一の海路である宮宿(名古屋市熱田)と桑名宿の七里(28km)を結ぶ「七里の渡し跡」です。ここから出発します。
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江戸時代より桑名といえば「桑名の焼き蛤」が有名ですが、七里の渡し跡の旧東海道沿いには、今も蛤料理屋が何軒も並びます。
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これは歌川広重が、焼き蛤を売る店が立ち並ぶ様子を描いた浮世絵。
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七里の渡し跡から旧東海道を行き、「矢田立場」というところで東海道から別れ、濃州街道に向かいます。
「立場」とは、宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶屋などが集まっているところです。
そこに復元された火の見櫓がありました。
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桑名市内を走る濃州街道沿いには、連子格子の町家や古い民家が点在し残っています。
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街道脇に建つ小さな祠、前になぜか何種類もの酒が供えられています。
誰がどんな思いを込めて供えたものか?
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街道沿いには、由緒ある寺院や神社が多く歴史情緒が感じられます。
これは額田神社の参道入り口に建つ常夜灯。
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蓮花寺という集落の街道沿いの古い民家の出窓に飾られたおもちゃ達。
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街道は、員弁(いなべ)川沿いを走ります。
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芳ヶ崎という集落の天皇八幡宮の参道のクロガネモチの巨木。
桑名市の天然記念物に指定されています。
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濃州街道と並行して三岐鉄道北勢線が走ります。
三岐鉄道北勢線は、西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜(あげき)駅を結ぶ路線長約20kmの大正時代に開業した鉄道です。
この鉄道は、一般の鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された「軽便鉄道」。
線路の幅も新幹線が1435mm、在来線が1067mmに対し762mmしかなく、一般に営業している鉄道では一番線路幅が狭い鉄道です。
2018年11月のブログ「鉄道ブラ旅 三岐鉄道北勢線 」でも紹介させていただきました。
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途中で昼食をとり、ようやく街道は阿下喜(あげき)に入ります。
阿下喜の街を散策すると町家や古い建物が点在し残っています。
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この建物は、昭和12年に建てられた旧阿下喜小学校校舎。
寄棟和瓦葺で屋根中央に塔屋をのせ左右にドウマー窓がある和様折衷の建物で、登録有形文化財として保存され、現在は文化資料保存施設として各種イベントが行われ、カフェもあります。
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今日は、街道をもう少し先まで行くつもりだったのですが暑さと上り坂、そして向かい風でバテテしまい阿下喜駅から帰ることに。
阿下喜駅には、復元されたかわいらしい転車台があります。
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相棒を輪行袋に納め、西桑名駅へと向かいます。
電車にはクーラーがなく、扇風機が回り、窓を開け走ります。
ここは懐かしい昭和の世界。
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by y-tukide | 2019-07-08 09:00 | 街道を行く

北国街道 鳥居本から長浜を行く


この間、越前の北国街道を相棒と日帰りで三日かけて行き、三日目には加賀に入ったのですが、ここまで来るとさすがに日帰りでの「街道を行く」は悩みどころで、今後どのようにして行くかを思案中です。

そんなところで今回のブログは、2年前に近江の中山道と北国街道の分岐点である鳥居本から長浜へと北国街道を歩いて行った時の様子です。

早朝自宅を出、電車で東海道本線のJR米原駅に向かい、ここで近江鉄道に乗り換え二駅目の鳥居本駅に着いたのが840分ごろ。

現在の鳥居本の駅舎は、近江鉄道が昭和6年に彦根、米原間が開業した時に建てられた駅舎を当時に様式をそのまま継承に建て替えられたものです。

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鳥居本は近江中山道の宿場で、今でも当時の面影をよく伝えています。

その一つが道中合羽の看板を掲げた「木綿屋」という屋号の町家です。

この町家は、現在「サンライズ」という出版会社の事務所として活用されています。サンライズは地元近江の自然、文化、歴史を取り上げた「淡海(おおみ)文庫」で多くの本を出版しています。

実は私がそのシリーズの「淡海文化を育てる会」が編集した「近江中山道」を20年ほど前に読んだのが趣味となった「街道を行く」のきっかけとなりました。

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宿場を進むとひときわ重厚な建物があります。鳥居本宿のもう一つの名産「赤玉神教丸」を製造・販売する350年続く薬屋さんです。下痢・腹痛によく効く妙薬で現在も営業されています。

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当時の店先の様子。

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鳥居本宿を抜けるとすぐに北国街道の分岐点があり、そこには復元された道標が建てられ、

「右中山道 摺針 番場」「左北國 米原 きの本道」と刻まれています。

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そこから街道は、国道8号線に沿って走り、しばらく行くと国道を右にそれ「梅ヶ原」という集落に入ります。

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集落を抜けると米原宿に入ります。

ここには国指定の名勝、回遊式枯山水の庭園で有名な青岸寺があります。水流をあらわす白砂の代わりに杉苔が石組みの間に流れるように埋め尽くされています。

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青岸寺に行く途中で見かけた木造の校舎。

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江戸時代米原宿には、現在の米原駅辺りに琵琶湖の米原湊が開かれていたそうで、中山道の番場宿からのバイパスが開通すると中山道の荷物が扱われるようになり、米原湊は大いににぎわったそうです。

当時22軒の旅館が軒を連ねていたという往時の面影が残る街道。

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米原宿を過ぎJRの跨線橋を渡りさらに進み、飯村川を渡ると「飯村(いむら)」という集落に入ります。

この村は一介の小兵から、土佐の国の大名まで出世した武将「山内一豊」の妻「千代」が生まれた村です。千代は、夫の出世の糸口となる重要な場面には、内助の功を発揮したことで知られています。

飯村で見かけた茅葺の民家。

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街道をさらに進んでいくと田園風景が広がり、その先に伊吹山が望めます。

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「寺田町」当たりの街道風景、気持ちよく歩けます。

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街道沿いの民家の庭に咲くアジサイ。

この日は、ちょうど今と同じ2年前の6月の梅雨の時期でした。

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この集落も感じのいい集落でした。

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街道をさらに進むと琵琶湖を背にして立つ28mの高さの「長浜びわこ大仏」が顔を出します。

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いよいよ街道は、十一川にかかる十一橋を渡り長浜の街に入ります。

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そして街道は、現在の長浜の観光名所、観光客でにぎわう黒壁スクエアに入っていきます。

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時刻は午後3時、今日はこれまで。

遅い目の昼食に、ビワマスをいただきました。

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by y-tukide | 2019-07-01 09:00 | 街道を行く

北国街道 金津から加賀温泉を行く

相棒と北国街道を行く面白さにはまり、前回の終着地の金津宿(芦原温泉)から引き続き北国街道を北上しました。

この日も相棒を輪行袋に入れ、JR宇治駅624発の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで福井駅に、ここで普通電車に乗り換え出発地点の芦原温泉駅に着いたのが857

前回この駅で、相棒を折りたたんだ恐竜博士の前で、今度は相棒を組み立て出発です。

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「金津宿」は江戸時代、福井藩の北の拠点として奉行所が置かれ、江戸時代中期には戸数639戸、本陣・旅籠60戸、遊女屋・揚屋27軒が建ち並んでいたそうです。今はその面影が残っていませんが、金津宿の北の入り口には「坂ノ下 宿場口跡」の碑が建てられ、旅人の安全を見守ってきたお地蔵さんが今も祀られています。

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坂道を登りしばらく進むと江戸時代に整備された「千束一里塚」が現れます。

榎の巨木が歴史を物語っていました。

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街道をさらに進むと「あわら市 嫁威(よめおどし)」と書かれた道路標識を見かけました。

道端の説明書きによると

昔、蓮如上人が吉崎御坊におられた時、百姓の嫁が夫と子供に先立たれて世の無常を感じ深く仏法に帰依した。そして毎晩のようにここを通って吉崎にお参りした。

これをやめさせようと意地の悪いしゅうとがある闇夜に鬼の面をかぶり出、嫁をおどしたが信心深い嫁は少しも恐れず念仏を唱えながら吉崎に向かった。

しゅうとの婆さんもおのれの所業を恥じ、無二の信者になったという話です。

その地に建つ社の狛犬。

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かつてこの辺りは、昼間も薄暗い藪の道であったのでしょうが、今は蕎麦畑や芝生畑が広がっていました。

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そして街道は「坂口」という小さな集落に入ります。

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蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に石灯籠が建てられています。それが北国街道を行く道しるべとなって大変助かります。

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次に街道は「細呂木」という集落に入ります。

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ここまでは比較的平たんな道だったのですが、細呂木集落を過ぎると予想していなかった難所にさしかかります。

ここは北国街道と吉崎道の分岐点、右が北国街道で「のこぎり坂」という異名の急坂が続きます。

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森の中の急坂を相棒を押し登りきると平たん地が現れ、そこにはメガソーラ発電所があり興ざめ。

さらに進むと旧北国街道の面影が残る山道が続きます。こんなところでタイヤがパンクすると大変なのでここも相棒を押して進みます。

またこのあたりが越前と加賀との国境です。

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道は、森をぬけると広大な果樹園が広がり、続いてゴルフ場の中を走ります。

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ゴルフ場を過ぎるとまた道は薄暗い森の中に入ります。

すると道脇に「この付近に熊が出没しました、ご注意願います―加賀市」の看板。

早く森を抜けようと相棒と急ぎ走ります。ようやく森を抜けると「橘」という集落が現れました。

このあたりから民家の屋根は、冬の凍害に強い赤茶色や黒の釉薬瓦が多く見られます。

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橘の集落をぬけ街道を行くとまたもや山道。

山中を縦断する北陸自動車道の陸橋を越え、進むのですが道は整備されていなく、倒木が道をふさいだり、草がおい茂っていたりで、このまま進めるのか不安がよぎります。

しかし今更戻るわけにもいかず、相棒を押しながら草を押し分け進みました。

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そして何とか森をぬけられて一安心。

そこから坂を下っていくと降りたところは「大聖寺」の街。

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大聖寺は、加賀百万石の支藩である大聖寺藩の城下町として栄えた町です。

加賀国南端の警備をつかさどるために、北国街道の城下の入り口に関所が置かれました。

これはその関所跡。

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大聖寺の街で昼食をとり、その後あまり時間もないのですが街をぶらり散策しました。

全昌寺というこの寺は、奥の細道で松尾芭蕉と弟子の曽良一行が泊まった曹洞宗の古刹で、

境内には芭蕉と曽良の句碑が建てられていました。

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また境内の羅漢堂には、江戸時代末期に京都の仏師による517体の五百羅漢像が安置されています。

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町中を走る北国街道沿いには、往時をしのばせる町家が点在して残っていました。

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もう少し街を散策したかったのですが時間切れで加賀温泉駅へと向かいました。

当初この日の終着地は小松駅の予定だったのですが、予想しなかった難所が続き相棒の力が十分発揮できず、手前の加賀温泉駅が終着地となりました。

駅に着き1545発の特急サンダーバードの時間待に駅前で冷酒を一杯!

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by y-tukide | 2019-06-17 09:00 | 街道を行く

北国街道 鯖江宿から金津宿を行く

前回、北国街道を今庄宿から湯尾峠を越えて鯖江宿まで行ったのですが、今回も相棒と引き続き北国街道を「鯖江宿」から「金津宿」までを行きました。

この日JR宇治駅を6時半の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで敦賀駅に、ここで普通電車に乗り換え、鯖江駅に着いたのが843分。

さぁ~ここから相棒と北国街道を行きます。

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北国街道が走る町鯖江は、浄土真宗十本山の一つの誠照寺(じょうしょうじ)の門前町で

あるとともに、江戸時代は鯖江藩五万石の城下町でもありました。

昔からものづくりが盛んな町で、現在国内で生産されるメガネフレームの90%以上がこの地で生産されています。

福井県内最大の木造建築である誠照寺御影堂と浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の像。

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街道沿いに建つ、きれいに改修された町家と蔵。

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この日の天気は五月晴れ、空気もカラッとして風もなく、街道風情を楽しみながら相棒と気持ちよく走れます。

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このあたりの街道筋に建つ民家は「妻入り」玄関、雪国らしく骨太で屋根勾配も急で、柱・梁・貫(ぬき)を化粧にした「真壁造り」の家が多く見られます。

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途中立ち寄った「神明社」という神社の境内に建つ重要文化財の「旧瓜生家住宅」。

瓜生家は、代々神明社の宮司で、この旧住宅は現存する福井県の古民家の中で最も古いものだそうです。

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街道は、「浅水」という集落を走ります。このあたりでも立派な民家や蔵を見かけました。

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街道は、足羽川を渡ると福井市内中心部を走ります。

広大な平城であった福井城跡。

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福井市中心部をぬけ、九頭竜川を渡り、丸岡あたりの田園風景。

黄金色に輝く麦畑が広がります。

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田植を終えた田んぼにサギが!

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街道脇に歴史が感じられる頭がかけたお地蔵さん。

周りに人家もないのに花が生けられていました。

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これまでに近江路から北国街道を道中していると親鸞聖人、蓮如上人のかかわりの場所や逸話などを多く見かけます。

この石灯籠も、蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に建てられたものです。

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街道は、竹田川を渡りようやく「金津宿」に入ります。

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時刻は午後2時半、本日の移動距離は約40km、日はまだ高いのですが、この日の「北国街道を行く」はこれまで。

JRあわら温泉駅の「恐竜博士」のベンチ横で相棒をたたみ、輪行袋に収めました。

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電車待ち時間に駅前の食堂で、おろし蕎麦をあてに福井県勝山の地酒「一本義」を一杯いただき、いい気分で帰路につきました。

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by y-tukide | 2019-06-10 09:00 | 街道を行く

北国街道 今庄宿から鯖江宿を行く

「北国街道」は、滋賀県彦根市の鳥居本宿で中山道と別れ、米原・長浜・木之本を通り栃ノ木峠を越えて、越前・加賀へと抜ける街道です。
その「栃木峠」を越え越前に入った最初の宿場が「今庄宿」です。私はこれまでに何度かここを訪れています。
この日は、今庄から相棒のチャリと北国街道を鯖江宿へと向かうことにしました。

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今庄は、江戸時代を通じて越前で最も繁栄した宿場です。
北国街道(栃木峠越え)は、江戸参勤には最短路で、越前各藩は必ずといってよいほど今庄宿を利用しました。
今も町家が軒を連ねる街並みは、当時の面影をとどめています。

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宿場を出てしばらく行くと道は、アスファルトの舗装道から地道となり、間もなく草が生い茂った「湯尾(ゆのお)峠」の登り口が現れます。

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途中見かけた「クマ出没注意」の看板にちょっとビビリながら、こんなところでパンクしたら最悪と相棒を押しながら悪路の坂道を登ります。

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そしてようやく峠に到着。
峠には当時四軒の茶屋があったそうで、石垣はその名残か?

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人っ子一人いない静寂の中、峠には芭蕉の句碑、小さな祠そしてお地蔵さんが祀られていました。
眼下に「湯尾」の集落が!

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クマが出てこぬようにと念じながら、相棒を押しながら峠を降ります。
そして途中に見かけた、小川のほとりに咲くシャガの花。

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峠を降りるとそこは、「湯尾」の集落の入り口です。
これまではひたすら相棒を押しての峠越えでしたが、ここからは相棒が力を発揮してくれます。

集落入り口の民家の庭先に、耕運機の荷台に花が飾られていました。

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湯尾の集落をぬけると街道は、「日野川」沿いを走ります。

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そして「鯖波」集落に入ります。
街道沿いには小川が流れ、古い街並みが随所に残り、道は平たんで適度に曲がりくねり、気持ちよく走れます。

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田園地帯では、田植えが終わったばっかりの田んぼと黄金色に輝いた麦畑が混ざり合ってみられます。

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街道は「脇本」集落を過ぎ、「武生(たけふ)」の街に入ります。
武生は、奈良時代の律令制のもと越前の国の中心として国府が置かれ、また北国街道の宿場として栄えた町です。今もこの地方独特の建築様式の町家や蔵が多く残っています。
街道沿いのこの辺りには、「越前打ち刃物」も製造卸の店が並びます。

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街道は、武生を後に「鯖江」の街に入ります。ここで遅めの昼食をとることに。
福井のグルメといえば「ソースカツどん」と「おろし蕎麦」が有名ですが、商店街の「味見屋」という食堂で「醤油カツどん」と「おろし蕎麦」のセットをいただきました。

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by y-tukide | 2019-06-03 09:00 | 街道を行く

初瀬街道 八太宿から六軒追分を行く

初瀬街道は、京・大和方面と伊勢を結ぶ道の一つです。

奈良県桜井市の長谷寺がある初瀬から榛原に至り、ここで伊勢本街道から分岐し、青山峠を越え松阪市の六軒追分で伊勢街道と合流する街道です。

私は、これまでに桜井から青山峠越え手前の阿保宿まで歩き、青山峠越えをパスして青山峠ふもとの垣内宿から二本木宿まで街道を行っています。

この日は、近鉄大阪線の川合高岡駅に下車し、八太(やた)宿から六軒追分に向かい初瀬街道を行きました。

川合高岡駅から間もなく渡瀬川にかかる八太橋を渡ると八太宿に入ります。昔この橋は板橋だったそうです。

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八太宿に入ると街道沿いの民家の立派な土塀が目に入ります。

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八太宿では街道は「七曲り」し左折右折を繰り返します。

宿場内には、元旅籠であったらしき建物を一つ見つけましたが宿場の昔の面影はさほど残っていませんでした。

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八太宿を抜けると街道は一直線に走ります。

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麦畑が広がるのどかな風景。

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そして街道は、嬉野(うれしの)宮古の集落に入ります。

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この集落は「忘れ井」の里とも呼ばれています。

平安時代、白河天皇の皇女が四十六代「斎王」として伊勢へ群行する途中、この地で井水を求められて自分の心の迷いを鎮め、二度と都の方を振りかけることなく一首詠み「忘れ井」と名付けられたと伝えられています。

「わかれゆく都のかたの恋しさに いざむすび見む忘れ井の水」

今はこの井戸は水が枯れています。

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「斎王」とは、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため派遣された未婚の天皇の娘である皇女です。天皇の即位ごとに選ばれ崇神天皇の皇女が初の斎王で、南北朝時代の後醍醐天皇の代まで続いたそうです。

近鉄山田線の斎宮駅の北側に広大な敷地の「斎宮(さいくう)跡」があります。この写真は、以前「伊勢街道」を行ったときに寄り撮った写真です。

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「忘れ井」の里を後に、中村川にかかる小川橋を渡ったあたりの街道風景。

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常夜灯を目印に街道をひたすら歩き、嬉野中川というところで昼食をとることに。

グーグルマップで探し街道近くにあった「地鶏屋」という焼き鳥の店に入りました。

ここの焼き鳥のたれは味噌だれ、以前伊勢街道を歩いた時にたまたま見つけた街道筋の焼き鳥屋のたれも味噌だれでした。

松阪近辺の焼き鳥のたれは味噌が一般的なのか、それと安い!

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焼き鳥を満喫し街道をさらに行きます。

そして街道は、三渡川の土手を走ります。気持ちのいい道です。

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そしてようやく伊勢街道との合流点、六軒追分に到着。

その付近に建つ「大阪屋」という屋号の建物。

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ここから伊勢街道を松阪方面に向かうと以前伊勢街道を行ったときに通った「市場庄」に入ります。

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このあたりの街並みは、伊勢地方独特の繊細な格子を施した「妻入り」の町家が連続して立ち並ぶ素晴らしい街並みです。

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市場庄のはずれに立つ、小さな常夜灯と役行者(えんのぎょうじゃ)を祀る行者堂、庚申堂そして2基の山の神。

背後の田んぼには、早くも田植えの準備で水が張られていました。

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この日もよく歩きました。

時刻は3時半、近鉄山田線の松ヶ崎駅から帰路につくことにしました。

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by y-tukide | 2019-04-22 09:00 | 街道を行く

伊勢別街道を行く

「伊勢別街道」は、三重県を走る「東海道」の「関宿」の「東追分」で分岐し、南下し津の「江戸橋」で「伊勢街道」と合流する街道です。
伊勢別街道の名は、四日市の東海道「日永追分」から伊勢に至る伊勢街道の支道の意味で、街道の総距離は約四里二六町(約17km)で、途中に「楠原宿」「椋本宿」「窪田宿」の宿場が設けられ、江戸時代には京都方面から伊勢詣でする参宮客でにぎわいました

この日JR関西本線の関駅前に車を置き、そこから相棒を下ろし伊勢別街道を走りました。

早朝の関宿。

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ここが関宿の東追分。
「伊勢神宮一の鳥居」は、旅人がここからはるか伊勢神宮を拝むためのもの。
ここから伊勢別街道は、津の江戸橋へと続きます。

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街道は県道10号線を走り、鈴鹿山脈から流れ出る「鈴鹿川」を渡り、20分ほど走ると
関宿から最初の宿場である「楠原宿」に入ります。
街道沿いには、「つし2階」「平入」の民家や蔵が連続して残り、情緒ある街並みを形成しています。
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楠原宿は、次の「椋本宿」の補助的な宿場としての役割を果たし、江戸時代には近江・京都・大阪・丹波など西日本各地より、伊勢への参宮客でにぎわい、旅籠や問屋場、高札場が置かれたそうです。

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街道は、楠原宿を抜け県道10号線から分岐して旧道を走ります。
すると左手に明治と大正の様式のデザインの「旧明村役場庁舎」が現れます。この建物は大正五年に建てられたもので国の登録有形文化財に措定された建物です。

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このあたりも情緒豊かな街並みです。

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街道は、ため池やのどかな田園風景が広がる中を走り、「椋本宿」に入ります。

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椋本宿の由来となった高さ18m、周囲8m、樹齢1500年といわれる椋の巨木。
椋の木の前にたてられた説明書きによると、「嵯峨天皇(809~822年)」の頃、征夷大将軍の坂上田村麿呂の家来が伊勢路を流浪し、この地に逃れた時、巨大な椋の木を見つけ、その下に草庵をつくって住んだのが「椋本」の発祥だそうです。

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椋本宿の街並み。
ここでも連子格子の民家が多く残っています。

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正面の建物は椋本宿の中ほど、街道が鍵の手に曲がる角地に建つ旅籠の「角谷(かどや)」旅館。

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軒下には、多くの「伊勢参宮講札」が掲げられています。
伊勢参りの賑わいが偲ばれます。

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街道は椋本宿を過ぎ、次の「窪田宿」へと続きます。
途中、腹が減ってきたので街道を外れ、県道10号線に出て食事処を探しているとこの行列!
「うなふじ」というウナギ専門店に並ぶ人たちです。

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ついつい誘われ30分ほど並び、ウナギ丼をいただくことに。
並1300円、上1730円、特2160円とリーズナブルな価格。
津市内にはウナギ専門店が20軒ほどあるそうでウナギ激戦区。
なんでもこの地方ではウナギ養殖がおこなわれていたそうで、それが起因しているのでは?

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ウナギを満喫し街道に戻り「窪田宿」に入ります。
ここは「一身田(いっしんでん)」、浄土真宗高田派の本山「専修寺」の門前町でもあり、環濠が街を取り巻く自衛都市。

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境内の780畳敷の国宝御影堂も立派ですが、隣に建つこれも国宝如来堂の「組物」も見事でした。

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窪田宿の街並み。

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街道は、窪田宿を後に伊勢街道と合流点「江戸橋」へと走ります。
そしてようやく伊勢別街道と伊勢街道との「札ノ辻」に到着。
そこには江戸時代に建立された常夜灯と道標が。

見どころが多相棒との「伊勢別街道を行く」でした。

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by y-tukide | 2019-03-04 14:05 | 街道を行く

北国街道を行く 長浜から木之本へ

北近江を走る「北国街道」は、彦根市の鳥居本宿で中山道と別れ、米原・長浜・木之本を通り栃ノ木峠を越えて、越前・加賀へと抜ける街道です。

この日自宅を5時半に出、JR宇治駅から北陸本線のJR長浜駅へと向かいました。

長浜駅に着いたのが7時半、ここから「みーな」という湖北の地域情報誌の「北国街道絵図」を片手に木之本宿へと北国街道を歩きました。

早朝の長浜宿。

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黒壁スクエアは、今も昔もにぎわいの中心、さすがにこの時間には観光客はいません。

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長浜の北の玄関口にあたる「郡上町」、ここに立派な常夜灯が建っています。

この辺りで幕末の動乱期に暗殺された金沢藩家老の仇討が明治四年にあったそうで、
「日本最後の仇討の地」と石碑に記されていました。

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ここを右に折れ、すぐにここが元街道だったのかと疑うような狭い路地を通り抜け、絵図に基づき街道を行きます。

長浜の市街地を抜けると右手に田園が広がり、その先には雪を抱いた伊吹山の雄姿が望めます。

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さらに街道を進むと「曽根」という集落に入ります。

街道筋には、茅葺の古民家など昔の面影が感じられる街並みが残っています。

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浄土真宗の「長善寺」。

蓮如上人ゆかりの寺で境内には旅姿の蓮如上人の像がありました。

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街道沿いに建つアール屋根の地蔵堂の建物は、旧曽根小学校の玄関を再利用したものだそうです。

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曽根の集落を抜けると「姉川」が現れます。

戦国時代、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が壮烈な戦いをした「姉川の合戦」の舞台です。戦では多くの血が流され川の水が赤く染まったと伝えられています。

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姉川を渡り街道を進むと「唐国」という小さな集落に入ります。

集落の外れに「山内一豊 初所領之地」の石碑が建てられています。

山内一豊は江戸時代、一介の小兵から土佐の国の大名まで出世した武将です。戦国時代、織田信長の朝倉攻めに行軍し、朝倉軍きっての強弓の士と死闘を繰り広げ、顔に矢を受ける負傷を追いながら打ち取り、その武功により初めて得た知行が唐国四百石のこの地です。

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集落内にきれいな小川が流れる唐国の集落。

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集落を抜けると「高時川」を渡ります。そこからは「馬渡」集落に入ります。

馬が渡ると書いて「もうたり」と読む稀な地名です。村の入り口に建てられた名の由来が記された説明書きによると、鎌倉時代、足利尊氏が北国街道を北上した際、高時川が増水し渡れず難儀したのを村人が大勢で人馬の川渡を手助けしたことが名の由来だそうです。その呼び名が後に転化して「もうたり」となったと記されていました。

この集落内にもきれいな小川が街道沿いを流れ、ある一軒の民家には川の水を洗い物などに使う真新しい「川端(かばた)」がありました。

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馬渡集落を過ぎると「速水」集落に入ります。

速水は、長浜宿と木之本宿の「間宿(あいのしゅく)」として賑わった宿だそうです。

集落内には、立派な蔵のある民家を多く見かけました。

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速水集落を抜けると街道は、交通量が多い国道8号線を走ります。

早く8号線を抜けたいと早足で歩きますが永遠と続きます。

ようやく旧道が現れ「高月」の集落に入ります。

ここは「観音の里」。兵火の中、村人に守られた観音さんなど今も村人の手によりいくつもの観音さんが祀られています。中でも渡岸寺の国宝十一面観音立像は有名です。

私も20年程前に現在の御堂の前の質素な観音堂に祀られた立像を見たとき、その美しいプロポーション感動したものです。

高月には「高札場」があったそうで、ここでも街道沿いには立派な民家が多く見られます。

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そしてようやく「木之本宿」に入ります。

ここが「北国街道」と岐阜の関ケ原から続く「北国脇往還」との合流地点。

道端には「みぎ京いせみち」「ひだり江戸なごやみち」と記された道標が立ちます。

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木之本は、山からの水や気候に恵まれ醸造業が盛んでした。

今も「七本槍」で有名な江戸時代から続く造り酒屋や醤油さんが何軒かあります。

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またここには大名などが泊まる「本陣」が置かれていました。その本陣跡には、明治に開業した「本陣薬局」があります。ここには軒先に薬名が書かれた古風な板看板が何枚も吊られていたのですが、この日は改修工事で店が閉まっていました。

この写真は、私が16年前に撮った写真で、2004年の街道を行くシリーズの最初の年賀状に使わせていただきました。

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目の仏様で知られる木之本地蔵院の高さ6mの木之本地蔵尊。

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そしてJR木之本駅に着いたのが午後1時。

長浜駅を降りたのが7時半、ここまで5時間半かかりました。

腹はぺこぺこ。そこでこの日のもう一つの目的である敦賀の「弥助寿司」へと電車で向かうことに。

木之本駅から敦賀駅までは、たったの4駅なのですが、途中塩津駅で乗り換えに30分待ち。

そして弥助に着いたのが2時半。

ようやくこの日の目的すべて達成!

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by y-tukide | 2019-01-21 10:10 | 街道を行く

伊賀街道を行く

伊賀街道は、伊賀国と伊勢国にまたがり、三重県の伊賀上野から長野峠を越え津に至る全長約12里(約50km)の街道で、現在の国道163号線に沿うように走ります。

現在も残る伊賀街道は、江戸時代に藤堂高虎が伊勢・伊賀の二国の大名として取立てられた時、津の本城と伊賀上野の支城としたため、この二つの拠点を結ぶために整備された街道で、今も街道のあちこちにかつての面影が残っています。

これまでに私は車で伊賀街道を走っていますが、この日は相棒のチャリと街道を行くことにしました。


「左ならみち 右いせみち」の道標。

伊賀街道は、伊勢詣での道でもありました。

ここから出発です。

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ここは、大和・山城と伊賀を結ぶ大和街道が伊賀上野城下にはいる入口「鍵屋の辻」。

この地は日本三大仇討の一つ、寛永11年に荒木又右衛門が義弟渡辺数馬を助け、仇敵河合又五郎を打ち本懐を遂げた「伊賀越鍵屋の辻の決闘」の地です。

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伊賀上野の街中を走る街道。

この辺りが東海道の「関宿」へと向かう大和街道と伊賀街道の分岐点です。

伊賀上野は、藤堂高虎が城を築いた城下町であると共に、俳人松尾芭蕉が生まれた地でもあります。

ここから大和街道を少し行くと松尾芭蕉の生家があります。

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市街地の外れに「荒木又衛門生誕の地」の石碑。

説明書きによると荒木又衛門は、剣術をここからさほど遠くない大和の柳生で柳生十兵衛に学んだそうです。

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街道は、のどかな田園風景の中を走り「上荒木」という集落に入ります。

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この集落で奇妙な形をした建物を発見。

古老に聞くとこの建物は、昔タバコの葉を乾燥させる小屋だったそうです。

集落内で2棟見かけましたが、以前はタバコ作りが盛んで多くの小屋があったそうです。

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集落を抜けると街道は、服部川沿いの山道を走ります。

ここでパンクをしては大変とチャリを降り押しながら街道を行きます。

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すると道端に自然石に彫られた磨崖仏が次々と現れます。

昼間とはいえ人一人いない薄暗い杉林の中、仏とはいえじっと見つめられているようで神秘というより薄気味悪さを感じます。

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磨崖仏に見つめられながら相棒を押し山道を行きます。すると視界が開け数件の民家が並ぶ小さな集落に出ます。

ここで民家の前の湧水をいただき喉を潤しました。

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集落を過ぎると稲刈りが終わったのどかな田園風景の中を走ります。

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街道と並行して流れる服部川。

一羽のサギが!

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伊賀街道には、四つの宿場があるのですがその一つである「平田宿」に入ります。

この建物は登録有形文化財に指定されている旅籠。

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宿場内には連子格子のある民家が多く残っています。

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当時の平田宿の様子を描いた絵。

寛永年間(17481751年)のころの宿場の規模は、戸数176棟、人口729、馬8頭、牛25頭と「宗国史」に記されているそうです。

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国道163号線に出、ようやく見つけた食堂で昼食をとり、腹を満たし道を進むと大きな製材所が!

ちょっと覗いてみると赤松の「芯差り」の立派な梁が並んでいます。

これはすごいとここの社長に声をかけ見せていただき、事務所でお茶までいただき社長と建築談義。

あっという間に1時間が過ぎました。

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これはやばいと街道にもどりひたすら走ります。

今日の目的地は次の「平松宿」。

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そしてようやく「平松宿」に到着。

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宿場周辺をぶらぶらし、平松宿からちょっともどった「大橋」というバス停で相棒をたたみ輪行することに。

午後336分発のバスを逃すと次は1時間以上先という貴重なバスに乗り、車を置いている伊賀上野市駅に向かいます。

バスが伊賀上野市街地に入るまでは乗客は私一人の貸切状態、何か申し訳なく思いながら帰路につきました。

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by y-tukide | 2018-11-12 15:15 | 街道を行く

綾部街道を行く

綾部(あやべ)街道は、大阪府の池田市から京都府の綾部市に至る街道で、現在の国道173号線です。私はこの街道を行くのは初めてです。

この日京都縦貫自動車道の「京丹波みずほIC」で降り、綾部街道を走りました。

旧街道沿いに建つこの地方特有の平入り「整形四間取り」の元茅葺の民家。

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のどかな田園風景が広がります。

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質志(しづし)という集落にある京都府指定天然記念物の鍾乳洞、周辺は公園になっています。

京都唯一の竪穴式鍾乳洞で垂直に近いステンレスの階段を下りていきます。総延長52.2m、洞口から最深部までの高低差は25m、洞内の気温は12℃と寒いくらい。コウモリが飛び回っていました。

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鍾乳洞のある質志から峠を越え、脇道にそれると戸津川という集落。

「日本昔話」に出てきそうな風景が。

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街道に戻り進むと大原集落に入ります。

ここに唐破風に見事な龍の彫り物がなされた「大原神社」がありました。

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社殿の前には茅葺の絵馬堂があり、そこには舞台が設けられていて浄瑠璃や農村歌舞伎が演じられていたそうです。

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大原神社の前に川が流れているのですが、川向に茅葺切妻屋根をそのまま地面に伏せた「天地根元造り」という古い建築様式の「産屋(うぶや)」がありました。

大原では出産の折、魔除けとして古い鎌を吊り、7日間ここにこもり出産し、産後3日間ここで体を休めたそうです。

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街道をさらに進み見かけた茅葺の民家。

土地の人に話を聞くとここの住人は常は町に住み、休みに帰ってこられるそうです。

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そして街道は綾部の市街地に入ります。

綾部の市街地の中を流れる「由良川」。

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京都府綾部は、古代には丹波国漢部(あやべ)郷と呼ばれ、「綾部」(あやべ)は、江戸時代初期までは、「漢部」(あやべ)と記されていた。古代には綾織りを職とする漢部(あやべ)が居住していたとことに由来する。漢部は朝鮮半島から渡来した漢氏(あやうじ)が支配した(べ)であった。―ウィキペディアより―

街中を散策すると古い街並みがちょこっと残っていました。

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ここで昼食を済ませ、以前から一度行きたいと思っていた「安国寺」に向かいました。

安国寺は開設当初は「光福寺」という名称だったそうですが、足利尊氏の時代に戦乱で亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるために、国ごとに安国寺を建立するにあたり、光福寺を丹後国の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においたとのことです。

安国寺の山門。

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山門をくぐると正面に茅葺屋根の「仏殿」が。

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次に向かったのは安国寺の近くにある、10世紀半ばに建立されたと伝えられている、これも茅葺の山寺「岩王寺」。その岩王寺の山門。

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山門と同様、如意輪観音が祀られる本堂を茅葺屋根でした。

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綾部街道沿いには、茅葺屋根・元茅葺屋根の民家や寺が多数残っていました。
日本の原風景を思わせる景色が楽しめた「街道を行く」でした。

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by y-tukide | 2018-08-27 10:19 | 街道を行く