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カテゴリ:かいわい( 39 )

丹波国 青垣町佐治かいわい

4週間前に掲載しましたブログ「丹波古刹九番霊場 高源寺」、実はその日旧山陰道の宿場であった丹波市青垣町佐治に行こうと調べていて、たまたま高源寺を知り
興味にかられ朝一番、まず寺に向かったのです。
初めて訪れた高源寺、新緑と苔の緑に包まれた静寂の中に一人いて、心があらわれ、すがすがしさを満喫することが出来ました。
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そしてその後に本来の目的地である「佐治」に向かったのです。
「道の駅あおがき」で車をとめ、相棒を下ろし観光案内所でもらった散策マップを手に行くことにしたのですが、その前に道の駅の一角に見かけた「丹波布伝承館」を見学。
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「丹波布」は、明治の末まで佐治地区の農家で盛んに織られ、京都方面へも佐治木綿として売られていました。原糸は綿の手つむぎで、野山にある草木で糸染めをし、手織りで仕上げられ、絹糸を緯(よこ)糸に入れるのが特徴です。
昭和時代には、その存在も技術も忘れられつつあったのですが、民芸研究科の「柳宗悦」により再発見され、柳宗悦により「丹波布」と名付けられました。
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館内では、糸つむぎ・染色・機織りなどの技術の伝承するほか、展示・体験コーナーも設けられています。
この日も手つむぎの実習が行われていました。
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そして伝承館を後に相棒といよいよ佐治の町に向かいました。
周囲を山々に囲まれた青垣町の中心である佐治は、律令時代の山陰道の宿場町としての歴史を持っています。
近世の山陰道は、現代の国道9号線とほぼ同じルートですが、それまでは亀岡から西に篠山を経由し、そこから北上していました。
ルートが変わった後も、播磨と但馬を結ぶ街道の要所として発展し、京や大阪からも多くの商人が移り住み、市が開かれ、和紙や佐治つむぎ・丹波布などが取引され賑わいました。
旧街道の役割が終焉を迎え一時期衰退しますが、その後は丹後ちりめんの原材料を供給する地として再び活気を取り戻します。
やがて時は流れ繁栄は過去のものになりますが、現在も当時をしのばせる、つし二階・虫籠窓、漆喰で塗籠された妻入り・平入の重厚な商家の街並みが静かにたたずんでいます。
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そのうちの一軒の商家の玄関に「宿場町office」と書かれた立て看板がある建物をのぞき、「ミセノ間」でパソコンをしていた女性に、見学させていただけるのですかと尋ねると、どうぞと奥の離れに案内してくれました。
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そこで紹介された男性は、建築家でそこを事務所としておられるようでした。
その方の説明によると、空き家だったこの建物を大阪の関西大学の工学部の学生さん達と
改修し、地域の方々の居場所・活動拠点として活用され、様々なイベントが行われているとのことです。
そしてそんな活動を地元の方・学生・その他からなる「佐治倶楽部」という空き家活用サークルが行っていることを知りました。
空き家を活用した、地域再生・まちづくりの素晴らしいい活動です。
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改修され様々なイベントなどに活用されている板の間。
右奥には丹波布も飾られています。
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そして名刺交換した建築家のDさんと古民家好き同士の建築談義。話は尽きません。
この木は栗の板、和室の畳下地に使われていたそうです。さすがに栗の産地である丹波ならではの使い方。
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これは、一寸厚の「貫(ぬき)」を4本使った耐震補強。
これはひょっとして、知り合いの奈良の構造家の名前を出すとやはりその方が関わっていたようで、これにも驚き。
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これ以上仕事の邪魔をしては申し訳ないと、礼を言い外に出ると、自転車に乗った地元の年配の方が、外まで送っていただいたDさんによってきて「また今度飲みにいこか!」と一声。
奈良県出身のDさんは、今やこの地に根付いています。

人や資本が一部の都市に集中し、各地の農漁村・町・地方都市で過疎化が進み限界集落といわれる村が加速して増え、それぞれの地域の歴史ある文化が失われ、空き家がどんどん増えていくひずんだ流れの今の日本。
私は、そんな町や村をこれまでにずいぶん見てきましたが、そんな中でも地域おこしの活動をされている「地域協力隊」やDさんのような方々、そして地元の有志か方たちにも幾度かお会いし感銘を受けました。
その都度、自分に出来る何かを考えさせられますが、今の自分にできることは、これまでの経験を通じて得てきた知識や技術を発揮し、一つでも多くの地域の歴史的財産である古民家を仕事などを通じて残し、そしてその手法を微力ながら後輩に伝えていくことかなと思っています。

丹波の山間に地「青垣」、この日も改めてそんな思いにさせられた町でした。
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by y-tukide | 2020-07-13 10:46 | かいわい

生野町かいわい

兵庫県朝来市生野町は、兵庫県のほぼ中央部に位置し、日本で最も古い鉱山の一つである「生野銀山」があり、鉱山町として発展した町です。
生野銀山は、807年に発見されたと伝えられ、室町時代に山名氏により銀鉱脈の本格的な採掘が始まり、織田・豊臣の時代を経て、江戸時代には幕府領として生野代官所が置かれ、生野銀山の最盛期を迎えます。
明治に入ると一時皇室財産となりましたが、明治29年に三菱合資会社に払い下げられ、国内有数の大鉱山として稼動しましたが、昭和48年に閉山し、永い歴史の幕を閉じました。

現在、銀山隆盛の歴史を今に伝える近代坑道である「金香瀬抗」が観光坑道として公開されています。
石積みのこの抗口は、明治初期、鉱山の近代化のために招かれたフランス人技術者が築造した、フランス式抗口です。
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観光坑道の見学コースの長さは約1kmで、坑内の温度は年間を通じ13℃です。
坑道を進むと、人形の抗夫が出迎えてくれます。
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これは江戸時代の「狸掘り」という採掘、ノミとゲンノウを持ちこの穴を這いながら進んだそうです。
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坑内では女性も子供を働いていたようで、過酷な環境下での仕事のためか、抗夫は短命な方が多かったそうです。
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近代はダイナマイトで岩を破壊し、鉱石を蓄電池機関車で運び出しました。
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30分ほどで坑内を見学した後、生野の町へと向かいました。
「市川」という川沿いの「奥銀谷(おくがなや)」地区の街並み。
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JR播但線の生野駅構内にある観光情報センターで街歩きの地図をいただき、観光駐車場に車を止め、車のトランクから相棒を下ろし相棒と街を散策しました。
市川に沿って南北に走る「鍛冶屋町通り」は、銀を運ぶために生野と姫路を結ぶ「銀の馬車道」で、日本で初めての高速産業道路でした。
その道路に面して「見越しの松」が立派な国登録文化財の「綾部家住宅」。
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この建物は、醤油屋であった「松本家住宅」。
左側の母屋は大正期の建物で屋根の「軒蛇腹」が特徴的です。
いぶし色に赤身が混ざった屋根瓦は、私は「石州瓦」と思っていたのですが、地元の方に聞くとこの地方で焼かれた「生野瓦」だそうです。
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「生野瓦」は天然の鉄分を多く含まれる土が使われ、寒冷な生野の気候に耐えられるように、高い焼成温度で硬く焼かれた瓦です。
街を散策しているとあちらこちらの古い建物の屋根に「生野瓦」葺かれ、生野特有の景観を造り出しています。
ただ残念にも昭和10年ぐらいから生産されなくなったそうです。
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生野銀山から市川の堤の上をトロッコが走っていたのですが、その軌道跡が今も残っています。
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市川の岩の上にアーチ状に積み上げた石垣が見事です。
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この建物群は「旧生野鉱山職員宿舎」。
官営生野鉱山に勤務した日本人官吏のための官舎で、4棟が現存し、このうちの3棟が明治9年に建てられた和風の建物です。
日本で最初の社宅ではといわれています。
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ここで生野で生まれ育った地元のボランティアの方に案内していただき、興味深い話と説明を聞くことが出来ました。
その一つの「からみ石」です。
「からみ石」とは、生野鉱山で精錬された鉱石の残りカスを鋳型に入れ成型し、擁壁や家の土台・犬走や側溝などに使用され、「生野瓦」同様、生野特有の景観を造り出しています。
金属の残留物が含まれているので、1個の重さが100㎏ほどあるとか。
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静かで趣のある街並みが続く「口銀谷(くちがなや)」地区。
そこに建つ立派な「袖うだつ」が上がるこの建物は、明治19年に建てられた大山師の邸宅です。それを三菱が買い上げ、会社の保養施設・迎賓館として活用されていました。
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右側の建物は、「生野まちづくり工房 井筒屋」。
江戸時代、生野銀山町では一般の旅人の宿泊が禁止されており、公事の人だけの宿として6軒の郷宿がありました。井筒屋(旧吉川邸)はその内の1軒です。
母屋は天保3年の建物で、現在は口銀谷の新しい集いの場として活用されています。
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この日、建物内にはひな人形が飾られていました。
そしてその手前の間では、市松人形が座談会を開いていました。
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by y-tukide | 2020-03-09 09:44 | かいわい

尾鷲かいわい 古江

古江町は、三重県尾鷲市の南端に位置し、賀田湾に面した石積みの美しい漁村集落です。
山が海岸沿いまで迫り、平地が少なく斜面に人家が階段状に密集して建っています。
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海岸沿いは埋め立てて防波堤が築かれ、その海側は漁船が停泊し、山側には唯一車が通れる国道311号線が走っています。
集落の国道と並行に走る一本山側の幅2mもない通りは、2軒の店が並んでいましたが雨戸が締められ閑散としていました。
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店の隣のお宅の2階の軒は、化粧の「腕木」で「出桁」を受け、大屋根の軒を大きく出す「かしき造り」で、壁も黒漆喰に周りは漆喰の「鏝絵(こてえ)」が細工された立派なお宅です。
ただ今は住んでおられない様子でした。
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家々は、斜面の等高線に沿って階段状に密集して並んでいますが、それをつなぐのが幾筋もの階段です。
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等高線に沿って人がすれ違うのがやっとの狭い路地。
下の家の屋根を見下ろし歩きます。
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ここまでプロパンボンベを担ぎ上げてくる人がいる。
便所の汲み取りもどうしているのか。
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青空のもと、天に通じるかのように伸びる階段。なぜか登っていてもさほど疲れを感じません。
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階段のところどころには消火栓。火事になればこれが唯一の消火手段。
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荷物を背負うカゴは、古江では欠かせない生活道具。
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集落の一番高い場所にある「古江神社」。
このあたりからの景色は格別です。
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この素晴らしい漁村風景を残す古江集落。
現在、約250世帯で480人程の人口だそうですが、実際は住民票はここにあるが別の場所に住んでいたり、病院や施設に入っている高齢者が多いのか空き家が目立ち、それだけの人がいるようには思えませんでした。
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都会に人や資本が集中し、田舎が疲弊していく流れが、これまでに訪れた農漁村集落を見ていて加速している現状を痛切に感じます。
「日本の里」としての風景が、消えていくのを何とかしなければと思うのですが、私に今できることは撮り残すことぐらいです。
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by y-tukide | 2020-01-27 09:00 | かいわい

福知山かいわい

福知山は、京都府の中央部に位置し、市内を山陰道(国道9号線)が走り、日本海側と内陸部を結ぶ交通の要所です。
また軍事・戦略上の要衝でもあり、この地に近世的な城郭と城下町をつくり、今の福知山の基礎を築いたのが、信長の命により丹波を平定した「明智光秀」です。
由良川と土師(はぜ)川に囲まれた天然の要害の地に築かれた、「野面(のづら)積み」の石垣の「福知山城」。
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その由良川は日本海と繋がり、山陰本線が開通するまでは福知山は、由良川水運の拠点でした。その名残か土手沿いには蔵がいくつか残っています。
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福知山の発展の礎となった由良川ですが、これまでに多くの洪水被害をもたらしてきた川でもあります。
その洪水の歴史や資料を紹介する明治の町家を活用した「治水記念館」が土手沿いにあります。
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館内に展示されていた大正10年と昭和28年の被害の写真。
最近では、平成16年の23号台風で堤防が決壊し観光バスの乗客がバスの屋根で救助を待った記憶が思い出されます。
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これは「タカ」という水害に備えて設けられた荷揚げ用の吹き抜け空間。
滑車で家財を2階や屋根裏へと持ち上げる、永きにわたって洪水に悩まされてきた住人の知恵です。地元のボランティアの方よるとほかにも色々な工夫があると深刻は様子もなく淡々と語っておられました。
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記念館のかいわいには、さほど多くないですが古い町家や蔵が点在して残っています。
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この後、由良川沿いを北上して「鬼の里」として知られる大江町に向かいました。
京都丹後鉄道の大江駅の駅前に飾られた、全国の瓦職人によって焼かれた数多くの鬼面瓦。
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その中のこの鬼面瓦は、10年前に亡くなられた奈良の「小林章男」氏の作品です。
小林さんは東大寺大仏殿の瓦葺き替え工事を棟梁として成し遂げられた方です。また瓦研究の大家で私も生前、お世話になり多くのことを教えていただきました。
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駅の北側一帯の旧道沿いの街並み。
「河守」というところで山川出版社の「京都府の歴史散歩」によると宿場だったそうです。
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そのあとに向かったのが、以前から一度行きたいと思っていた「元伊勢三社」。
元伊勢三社は、元伊勢外宮(豊受大神社)・元伊勢内宮(皇大神社)・元岩戸神社の三社を言います。
最初に向かった「元伊勢外宮」は、これも「京都府の歴史散歩」によると豊受大神が丹波から伊勢に遷座する途中、全国23遷座地の一つと伝承されているそうです。
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次に向かった「元伊勢内宮」。
内宮前の集落、こんなのどかな丹波の里にあります。
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この日参拝者もまばらなこともあり、原生林の中に鎮座する姿は神秘的な雰囲気を醸し出していました。
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そしてそこから400m程歩いて向かった三社目の「元岩戸神社」。
元伊勢内宮の奥宮といわれ、渓谷の巨岩の上に社殿がまつられています。ここも神秘的です。
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早朝車で福知山を訪れ、市内は車から相棒を下ろし、相棒と市内をめぐり。
そのあとはまた車でかいわいを見て回った一日でした。
時刻は夕方の4時、いい時間になり帰路に着くことにしました。
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by y-tukide | 2020-01-20 09:00 | かいわい

三重 美濃街道かいわいを行く

この日、「美濃街道」を久しぶりに相棒と行きました。
「美濃街道」は、三重県の桑名を走る東海道から分岐し、揖斐(いび)川の右岸に沿って美濃国(岐阜県)に至る街道です。
桑名駅前の駐車場に車を止めて相棒を下ろし、そこから「七里の渡し跡」に向かいました。
「七里の渡し」は、東海道の唯一の海路である宮宿(名古屋市熱田)と桑名宿の七里(28km)を結ぶ渡しです。
以前、「濃州街道」を行った時もこの渡し跡から出発しました。
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七里の渡し周辺は、揖斐川を臨む水城の桑名城があった場所で現在は公園として整備されています。
城跡の揖斐川に通じる堀を利用した船溜まり。
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そしてこの先が、揖斐川・長良川・木曽川いわゆる木曽三川が伊勢湾に流れ込むところで、雄大な風景が広がります。
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また近くには、山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の邸宅で大正2年に竣工した「六華苑」があり、美濃街道を行く前に見学することに。
六華苑は、18,000㎡の広大な敷地に洋館・和館・蔵などの建築群と日本庭園で構成されています。その中で洋館の建物は、明治に建築学教授としてイギリスから来日し、傍ら「鹿鳴館」をはじめとした明治政府関連の設計を手がけた「ジョサイア・コンドル」の地方で唯一の作品です。
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見学後、渡し跡の旧東海道に戻ります。
江戸時代より桑名といえば「桑名の焼き蛤」が有名ですが、七里の渡し跡の旧東海道沿いには、今も蛤料理屋が何軒も並びます。
その旧東海道を少し行き、美濃街道との分岐点を右折し北上します
桑名市街地の中心部の街道沿いに残る古い町家は数えるほどですが、道端の地蔵堂など面影を探しながら街道を行きます。
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市街地を抜けると街道は養老鉄道沿いを進みます。
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「下野代」という集落に入ります。落ち着いたたたずまいの街並みが続きます。
街道沿いに立つ一対の常夜灯の間を進むと養老鉄道の踏切があり、その先に100段ほどの階段が一直線に伸びています。「徳蓮寺」という真言宗の寺の参道です。
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寺伝によれば、820年に弘法大師空海により建立されたとされています。本堂の中には、江戸時代から明治にかけて奉納されたナマズやウナギなどが描かれた250枚ほどの珍しい絵馬が奉納されています。地震除けを祈念して奉納されたものだそうです。
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下野代集落を抜け、肘江川を渡り進むと街道は田園風景の中を走ります。
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そして「戸津」という集落に入ります。
集落内の狭い道を行くと立派なお屋敷が現れます。村の庄屋を世襲していたお宅だそうです。
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ここから街道を離れ西に走り「多度大社」に向かうことに。
多度大社に近づくと門前町の風情を残す街並みが現れます。
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そして多度大社。
「お伊勢参らばお多度をかけよ お多度かけねば片参り」と謡われ、伊勢神宮に対して、北伊勢神宮と呼ばれたそうです。表参道の石段を登り進むと谷川に架かる橋を渡ったところに本宮があります。
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多度大社を参拝し、遅めの昼食をとりそのあとも街道を離れ、今度は逆の東に走り「木曽三川公園」へと向かいました。
というのも朝見た揖斐川・長良川の雄大な景色を公園内に併設する高さ65mの展望タワーから木曽三川を眺めたみたい思ったからです。
眼下に右から揖保川・長良川・木曽川が「背割り堤」に仕切られ悠々と流れています。
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「背割り堤」とは、隣り合って流れる二つの川の境界に造られた堤防のことです。
洪水から地域を守るために、木曽三川を完全に分流する工事が、明治にオランダから招かれたデ・レーケらの技術者によって行われました。
これらのことは、2016年5月に行ったツキデ工務店の有志による建築探訪「デ・レーケを学び、明治村・如庵を見る」で知ったことです。
その時にもう一つ知った、背割れ堤を守り、川の中心に水を流すために、岸から突き出した「ケレップ水勢」も遠くに見られました。
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時刻は午後4時、いい時間になりました。
帰りは養老鉄道の多度駅で相棒を輪行袋に納め、車を置いてある桑名駅へと向かい帰路につきました。
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by y-tukide | 2019-12-02 09:00 | かいわい

久美浜 かいわい

京丹後市久美浜町は京都の北西部、兵庫県との県境に位置し、穏やかな久美浜湾を中心とした人口9,600人程の小さな町です。
その久美浜湾は、日本海の季節風や波浪、海流によって砂が運ばれてできた砂州「小天橋」で外海の日本海と隔てられた潟湖(せきこ)です。
そしてそれらを見守るように湾のほとりにそびえる「かぶと山」からは、久美浜の中心市街地と小天橋が一望できます。
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久美浜は冬はカニ、夏は海水浴でにぎわいます。私も何年か前に子供ら家族と親戚とでカニを食べに小天橋の民宿で泊まったことがあります。
その久美浜のことを京都歴史遺産研究会編集、山川出版社発行の「京都府の歴史散歩 下」を読み
一久美浜は、細川氏の重臣松井康之が整備した城下町であること。
―幕末まで、丹後・但馬などの幕府直轄領(天領)を支配した久美浜代官所が設置さ れ、明治時代初期には久美浜県庁がおかれたこと。
―中世から近代にかけて、政治経済の中心であったこと。
などを知り、改めて久美浜の町を見たい思いに駆られ、久しぶりに相棒と行くことにしました。
京都丹後鉄道の久美浜駅に車を止め、ここから相棒と出発です。
この風格のある駅舎は、元久美浜県の県庁の外観を再現した、木造の本格的な和風建築です。
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駅の近くに、元の久美浜町役場だった建物が残されています。
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この建物は久美浜小学校。ここに江戸時代は久美浜代官陣屋、明治時代初めには久美浜県の県庁があった場所で構内は7000坪だったとか。また裏山には松倉城跡があります。
学校の正面玄関の前には、すぐ先の久美浜湾に注ぐ川が流れ、橋には「陣屋橋」と刻まれていました。
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波穏やかな久美浜湾。ここにはカヌー練習場があり、この日子供達のカヌー競技が行われていました。
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久美浜は、この地方の陸上交通の要所であると共に、久美浜湾を良港として外海の日本海に通じ、北前船をはじめとした廻船業で財をなした商家が、江戸期から明治期にかけて軒を並べていました。
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この建物は、豪商の一人であった「稲葉本家」の建物。明治23年に5年の歳月をかけて建てられたそうで、久美浜全盛期の遺構を残しています。
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現在、国の登録有形文化財に登録され、改修後、久美浜町の観光拠点として一般開放されています。
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「十楽」という交差点があったのですが、中世にそのあたりで「楽市」が立っていたそうです。
この建物は、木造3階建の宿屋。
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中心市街地から久美浜湾沿いに小天橋に向け走ることに。
鏡のような湖面にかぶと山が映ります。
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妻側を道に向けた民家が並ぶいい感じの道を走ります。
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小天橋は、日本三景の一つである「天橋立」と同様、日本海の季節風や波浪、海流によって砂が運ばれてできた砂州。そこには冬のカニ、夏の海水浴客目当ての民宿が軒を並べます。
以前、このどこかの民宿に泊まったのですがどの民宿なのか思い出せませんでした。
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浅い久美浜湾に向け突き出す木製の桟橋。それぞれの船専用なのか?独特の風景です。
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反対側は日本海、夏は海水浴客でにぎわいます。
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小天橋を後に再度、市街地方面に向かいます。
そして久美浜湾に面して建つ「関西花の寺25カ所霊場会」第7番札所である如意寺へ。
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この時期「ホトトギス」が花をつけていました。
春には境内周辺に自生する約1万株の「ミツバツツジ」が見事だそうです。
その時期にもう一度久美浜に来たいものです。
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by y-tukide | 2019-10-28 11:24 | かいわい

尾鷲かいわい 須賀利

9月のブログに掲載させていただいた「尾鷲かいわい」「熊野かいわい」、尾鷲と熊野を訪れた両日は、雨が降ったりやんだりの街歩きにはあいにくの天気で、行きたかったところにも行けずじまいとなりました。
そこで天気のいい日に再度、尾鷲に行くことにしました。
行ったところは、尾鷲市の須賀利(すがり)町という人口220人程の小さな漁村です。
地理的に須賀利は、尾鷲市街と尾鷲湾をはさんだ対岸の半島にある尾鷲市の飛び地です。
昭和57年に県道202号線が開通するまでは、車では行けず尾鷲港と結ぶ巡行船が唯一の交通手段の陸の孤島でした。
背後は深い山々に囲まれ、瓦屋根の民家が湾沿いに円弧上にひしめく須賀利の漁村風景は、朝日新聞社の日本の里100選にも選ばれました。
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集落の海側には防波堤が築かれ、入り口には横引きのアルミ合金のゲートが設置されています。ここが須賀利集落の玄関口です。
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防波堤に沿って集落内を車が通り抜けられる唯一の道があります。この道もさほど広くはなく所によっては離合が難しい道幅です。
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防波堤の海側の岸壁には小さな漁船が繋がれ、防波堤と岸壁の狭い間は漁師さんの作業場です。
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一隻の漁船から降ろされた籠をのぞくと伊勢エビが!
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防波堤沿いに走る道に並行して、山側にもう一本集落を縦断する生活道路があります。
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その道沿いにある店におばさん達が集まっているのに何なのかと見てみると、上がったばかりの魚を手づかみで早い者勝ちで求めていました。さすが漁師町ならではの風景です。
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道沿いのこの建物は元風呂屋さん。
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歩いていて何軒かのお宅の玄関に張られていた米寿を祝う手形。
ここはどうも長寿の村のようです。
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そしてその集落の主要道から山手に何本もの路地と階段が伸びています。
これまでの訪れた小さな漁村同様の私の好きな風景です。
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階段を上がった高台からの眺めは、階段を上るしんどさを忘れさせてくれます。
毎日階段を上り下りする適度な運動と新鮮な魚を食べる生活をしていると確かに長生きしそうです。
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歩いていると民家の敷地と道の境界がわかりにくい路地がいくつもあります。
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この日は前回と違い天気にも恵まれ、のんびりと歩けた須賀利の集落。日本の漁村の原風景ともいえる風景を楽しむことが出来ました。
ただこの地も過疎化・高齢化は他の山村・漁村とも同様で空き家が目立ち、この日は子供を一人も見かけませんでした。
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by y-tukide | 2019-10-14 09:00 | かいわい

熊野 かいわい

前回のブログで紹介させていただいた「尾鷲 かいわい」。
尾鷲かいわいを散策し、その日は那智勝浦の行きつけの素泊まりの宿である「海のホテル 一の滝」に泊まり、源泉かけ流しの温泉で疲れを癒し、翌日は熊野かいわいを散策することに。

宿を朝7時過ぎに出、まずは朝ご飯を食べに宿兼食事処である「勝浦シーハウス熊野灘」という店に。
この店にも何度か来ているのですがボリュームがあってとにかく安い。
この日はパン食にしたのですがこの内容で630円。そしてなぜか味噌汁までついています。

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前日も散策日和とは言えない時折雨の天気だったのですが、この日は朝から雨。
一日中は降らないだろうと楽観的に考え、朝食後、熊野へと向かいました。
最初に訪れたのは「花の窟(はなのいわや)神社」。
花の窟神社は、日本書紀に記されている日本最古の神社といわれ、神々の母であるイザナミノミコトの御陵と伝えられています。
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窟の巨岩の上45m程の高さから、170mの大綱を境内南隅の松の御神木に渡す例大祭が行われるのですが、その縄を氏子さん達が編んでおられました。
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その後、JR紀勢本線の熊野市駅に向かい駅前にあった観光案内所で散策マップなどをいただき街を歩くことに。
駅前周辺は新しい街並みですが、海岸沿いを走る国道42号線の一本内側が熊野古道でこの街道周辺には、古い町家が連続性はないですが点在しています。
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この建物は現在衣料品店ですが元銀行の建物です。
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そして路地。
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町の東側には雄大な熊野灘が広がりますが、伊勢志摩あたりから続く複雑な形状のリアス式海岸がここで終わりとなります。
そしてそこには、地盤の隆起と熊野灘の荒波によって作り出された「鬼ヶ城」の大岩壁が。
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そこから南には、紀宝町まで約22kmの砂浜が続きます。
日本一長い砂礫海岸だそうで、熊野へ詣でる巡礼者が旅した浜街道として世界遺産に登録されています。
またアカウミガメが上陸する地としても知られています。
ただこの日は、空も海も鉛色でかすんでいました。
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この写真は、五月の節句の頃にたまたま通り撮ったものです。
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天気も悪いし早めに帰ろうと思いながら最後に寄り道したところは「徐福の宮」。
徐福は秦の時代、始皇帝の命を受け不老不死の薬を求め、3,000人もの若者を伴だって大船団で旅立ち、航海の末たどりついたのが日本らしく、日本の各地には徐福伝説が伝えられています。
その中で有力視されているのが熊野市の「波田須(はたす)」という地で、古くは「秦住(はたす)」と記されていたそうです。
狭い山道を恐々走りようやく眼下に波田須の集落が現れました。
斜面に寄り添いながら建つ数件の家々の前の塚が「徐福の宮」です。
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車を道路脇に止め、小雨が降る中、畦道を降りていきます。
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そして徐福の宮へ。
小さな社の斜め後ろに徐福の墓石がありました。
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もう少し波田須の集落を歩いてみたかったのですが雨が徐々にきつくなり、風も出てきたのであきらめ帰ることにしました。
石垣の間からヒガンバナが!

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by y-tukide | 2019-09-30 09:00 | かいわい

尾鷲 かいわい

尾鷲市は三重県の南部に位置し、市の東側はリアス式海岸で黒潮が流れる熊野灘に面し、背後には山がせまり市域の80%が山林です。
そして山を背にしていることから年間を通じ雨の多い地域でもあります。
そのような地理的条件により、江戸時代から林業の町として栄えるとともに複雑な海岸線により良港に恵まれ、漁業はもとより大阪と江戸を結ぶ廻船航路の港としても栄えました。
また市内には世界文化遺産である熊野参詣道のひとつ「伊勢路」が走り、歴史的遺産も随所に見られます。
私は、これまでに尾鷲に何度か来ているのですがいつも通り過ぎるだけでしたが、今回初めて尾鷲かいわいを一日かけて散策することにしました。
そして最初に訪れたのが熊野古道に面して建つ尾鷲有数の山林経営家であった「見世土井家住宅」です。
主屋は昭和6年に建てられたもので、東側の玄関周りは洋風意匠で、西側は和風意匠の和モダニズム住宅です。
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離れの数寄屋の茶室。
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この建物の御当主は、今は名古屋にお住まいだそうで、現在は見世土井家とNPO法人「おわせ暮らしサポートセンター」の協働でシェアオフィスと異なる職業や仕事の利用者達がオフィス環境を共有するコワーキングスペース「シェアスペース土井見世」として活用が始められています。大型の古民家活用としてうまい取り組みです。
その「おわせ暮らしサポートセンター」は、見世土井家住宅の近くの熊野古道沿いの古民家を拠点として活動されています。
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この日は事前に予約し、サポートセンターのKさんの案内で見世土井家住宅を見学させていただきました。

見世土井家住宅のそれぞれ建物は、外から見ている限り比較的状態がよく維持管理をきちんとすればこれからも十分に活用できる建物です。DIYで有志が修理などされているそうですが、なにせ建物規模が大きく、庭の草刈り一つとっても大変です。
この日、定年後に愛知県から尾鷲に移住されてきた方がボランティアで草刈りをされていました。
サポートセンターでは、空き家活用のための様々な活動もされているそうで、この方が第1番目の移住者だそうです。
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蔵が3棟あるのですが、その活用を考えられているそうなのですが、資金面など問題が山積みです。私も仕事柄改修の仕方などについてちょっとアドバイスをさせていただきました。
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1時間半ほどKさんと話をしながら建物を見て回り、その後尾鷲の街を散策することに。
熊野古道沿い周辺には連続性はありませんが、いい町家が点在し残り、趣のある街並みを形成しています。
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この建物は、「松の湯」という屋号の元お風呂屋さん。
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尾鷲神社の鳥居の横の2本の「大楠」。
手前の大楠は、樹齢1000年以上と推定され、目通りの幹回りは10mとか、歴史を感じます。神社の横を熊野古道が走ります。
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その熊野古道の「馬越(まごし)峠」越えの石畳。
国道42号線ができるまでは、この道が幹線道路だったのですが、かなりきつい坂道です。
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尾鷲港の漁船の船溜まり、磯の香りと漁港のこんな景色が好きです。
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午後はちょっと足を延ばし、あの「九鬼(くき)水軍」の発祥の地として知られる、尾鷲市九鬼町に向かいました。
九鬼集落は、尾鷲市の中心部から南西に10kmほどのところにある小さな漁村です。
昭和32年に国鉄(紀勢線)尾鷲・九鬼間が部分開通するまでは、陸路は急峻な山越えの道でまさに陸の孤島といわれていました。

JR東海の紀伊本線の九鬼駅。
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九鬼集落は、山と海に挟まれた狭い斜面に路地が迷路のごとく繋がり、その路地に家が連なって建ちます。
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尾鷲市のホームページによると九鬼町の人口は、1960年(昭和35年)の2,150人をピークに2018年(平成30年)は439人と58年間で1/5に激減しています。
集落内を歩いていると空き家が目立ちます。
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確かに老いて足腰が弱ると手すりがついているとはいえこの階段はきついかもしれません。
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集落内を歩いていると空き家が気になりますが、立派な建物の多さにも目をひかれます。
たとえばこのお宅の大屋根の軒は「かしき造り」です。
「かしき造り」とは2階化粧野地の凝った様式で、出桁を腕木で受け、軒の出を大きく取り壁を雨から守る工法です。
腕木と出桁の間の水平な面には、ケヤキか杉の一枚板を張ります。当然一般的な軒おさまりよりかなりの費用がかかります。また雨戸の「鏡板」も杉の柾板を「矢羽根網代」に編んでいます。
このような家が結構多くあるのです。
サポートセンターのKさん曰く、ブリ漁でもうけた「ブリ御殿」だそうです。こんな立派な家が空き家になるのはもったいない話です。
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路地を歩いていてサポートセンターのこんな張り紙を見つけました。
ちなみにKさんも九鬼に移住してきたそうです。
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この日は一日雨が降ったりやんだりの町散策には不向きな天気でしたが、過疎化の厳しい現状の中で何とかせねばとの「おわせ暮らしサポートセンター」の活動を知り、応援できることはしてみたいと考えさせられた一日でした。
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by y-tukide | 2019-09-24 10:30 | かいわい

養父市かいわい

養父(やぶ)市は、兵庫県北部の但馬地域の中心に位置し、平成16年に兵庫県養父郡八鹿(ようか)・養父町・大屋町および関宮町の4町が合併した人口2万4千人程の町です。
以前にこの町を通り過ぎたことはありますが、訪れるのは初めてです。
自宅からは結構な距離があるのですが、高速道路が整備されたこともあり2時間ほどで行くことができます。
この日早朝自宅を出、養父市の大屋町大杉に向かいました。
大杉地区は、大屋川流域の山村集落で平地が少なく、冬は雪が多く古くから養蚕や家内製糸が副業として営まれていました。そして今もこの地域では2~3階建の養蚕農家住宅群が残り、平成29年に国の重要伝統的構造物群保存地区に選定されました。
兵庫県内では、神戸市北野町、丹波篠山市の河原町と福住、豊岡市出石に続く5地区目です。
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この地区の建物の特徴は、主屋は2階建または3階建の瓦葺の切妻造りで、屋根には越屋根を設け、4面の壁に縦長の窓を設けて通気性を高める構造になっています。
玄関は「平入」で居室部である主屋の1階は、開口部が多く開放的で、養室のある2・3階の外壁は、土の塗籠(ぬりごめ)仕上げです。
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この建物は、宿泊施設として活用されています。
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集落内には、このような養蚕住宅が27棟あるそうです。
黒い釉薬の石州瓦の家並み。
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この集落内には、築120年の元診療所だった古民家を再生し活用した木彫展示館があります。
全国に公募して集められた木彫りの作品が展示されていました。
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大屋町大杉地区を散策し次に向かったのは八鹿地区。
八鹿地区は、円山川と八木川が合流する盆地に位置し、舟運が物流の主役だった時代には、船着き場として栄えたそうです。
江戸時代後期に、但馬地方で養蚕が盛んになると、まゆや生糸の集散地となり、八鹿商人が大いに活躍し、その結果、古くからの商店街には、「うだつ」のある建物が多く見られます。
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円山川沿いに建つ蔵群。
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「うだつ」は、延焼を防ぐ目的だったのですが、時代とともに家の装飾となり、さらに「うだつがあがらない」と言われるように、家格を示す象徴とされました。
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この建物は、繊維メーカーのグンゼ八鹿工場の大正期に建てられた事務所で、兵庫県景観形成重要建造物の指定を受けています。
建物のまわりには更地の広大な工場跡地が広がります。
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はじめて訪れた養父市かいわい、見どころ深いところでした。
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by y-tukide | 2019-08-26 09:00 | かいわい