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伊勢街道を行く

伊勢街道は、四日市日永の追分で東海道と分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至るおよそ十八里(72km)の道です。

「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り。もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として一般人は参拝することができなかったのですが、室町~戦国時代ごろには庶民の伊勢参宮もかなり一般化したと言われています。

そして江戸時代には、人々が熱狂的に伊勢を目指した「おかげ参り」が5060年周期で流行し、伊勢街道は、東海道に次ぐ交通量が多いにぎやかな街道でした。

この日私は車で三重県の津駅まで車で行き、駅近くの駐車場に車を止めそこで相棒をおろし、伊勢街道を相棒と松坂まで走りました。

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駅前を走る伊勢街道を南下し安濃川を渡り進むと左手に仁王門が見え、その仁王門をくぐると奥に日本三大観音の一つ「如意輪観音堂」が現れます。

「津の観音さん」として庶民に親しまれこの辺りは大変賑わったそうですが、先の大戦の空襲で町と共に焼失し、現在の建物は昭和55年から随時再建されたものです。

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伊勢街道は、仁王門の前にある大門商店街を走りますが、かつては旅籠や商店で賑わい、問屋・本陣・脇本陣などがあったそうですが今はその面影は全くありません。

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岩田川を渡り1kmほど走ったあたりからは、空襲を逃れたのか街道筋には「平入り」の格子が特徴的な町家が一部連続あるいは点在しています。この辺りもさぞかし賑わったのでしょう。

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思案橋。

小さな川に架かる橋の欄干の側面には、松、扇、梅が浮き彫りにされています。この橋の近くに遊郭があったそうです。北陸の三国にも遊郭の入り口に架かる思案橋がありました。

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街道沿いに広がる田園風景。

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雲出川という川に架かる橋のたもとに大きな常夜灯があります。

今は橋がありますが当時はこの辺りに渡しがあったのでしょう。

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橋を渡った伊勢街道沿いに「松浦武四郎記念館」があります。

松浦武四郎は、幕末6度にわたり蝦夷地の探検をおこない、明治維新後は蝦夷地開拓に関わり「北海道」の名付けの親だそうです。

この建物は生家で現在は記念館として保存されています。

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ここは「月本追分(つきもとおいわけ)」。

伊勢街道と奈良街道の分岐点です。伊勢街道で最大の道標には、「右さんぐうみち」「右いがご江なら道」と彫られています。常夜灯の裏の建物は、「角屋」という元旅籠の建物です。

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追分を過ぎ「市場庄」というあたりには、伊勢地方に多い建物の妻側に入り口がある「妻入り」の立派な建物が軒を連ね、国の重要伝統的建築群保存地区に指定されてもいいような街並みを形成しています。

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街道沿いの長い土塀と「なまこ壁」の立派な長屋門のある家。

この辺りは裕福な土地柄であったようです。

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この辺りというか伊勢地方の多くの民家の玄関には、一年中正月のしめ飾りが飾られています。

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街道沿いの酒屋さんを覗いてみると店先に立ち飲みコーナーが。

昭和から時間が止まったままのお店です。

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そして街道は、松坂の市街地に入りました。

入って早々に「松坂商人の館」があります。この建物は豪商であった小津家の旧住宅です。

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松坂は、三井家をはじめ松坂商人を輩出した町です。

松坂商人は、松坂城を築き城下町を開いた蒲生氏郷が、郷里の近江から有力な近江商人を松坂に呼び寄せ住ましたのが始まりです。

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その松坂城は、今は石垣を残すのみです。

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その城内に江戸時代の国学者である「本居宣長(もとおりのりなが)」の旧宅が移築されています。

本居宣長は松坂の豪商の家に生まれ、親は当然商人にしようと手を尽くしましたが、本人は全くその気がなく医術を京で学びのちに国学者になったのです。

この建物の「みせの間」と「なかの間」の前に設けられた坪庭が効果的に活かされた町家です。また小屋裏2階に設けられた数寄屋の四畳半の小間も宣長がこもり思料にふけたであろう最高の空間です。実にいい建物です。

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その後松坂の街を相棒とぶらぶらした後、JR松坂駅で相棒を折り畳み、車が置いてあるJR津駅へと帰ることにしました。

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by y-tukide | 2018-05-28 09:00 | 街道を行く

「北白川の家」建物完成見学会

519日(土)・20日(日)の両日、お施主様のご厚意により引き渡し前の建物完成見学会を開催させていただきました。両日とも天気にも恵まれ多くの皆様にご来場いただきスタッフ一同大変感謝しています。

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この建物は京都の北白川の閑静な住宅地の中に建ちます。

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大きな庇を付けた玄関。

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多くの人が集えるようにと26畳の広さを確保したLDK

居間の一部は畳敷きです。

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またより開放的にしたいとの希望にこたえ大きな吹抜けを設けました。

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LDKの東端には造作ソファのある屋内土間があり、将来薪ストーブを設置する予定です。

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キッチンからウッドデッキを介して築山がある庭を眺めることができます。

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東側の外観。

スロープから屋内土間に、キッチンの勝手口から屋根のあるサービスヤードにつながります。

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キッチンとつながるサービスヤード。

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2階の広いベランダからは、新緑がまぶしい東山が望めます。

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そして何と「大文字」が手に取るように!

今年の816日の「五山送り火」、さぞかしベランダは賑わうことでしょう。

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by y-tukide | 2018-05-23 09:37 | 見学会・イベント

皐月の風にさそわれ若狭へ

五月晴れの休日、家にいるのはもったいないと相棒を車に乗せ若狭の「瓜割に滝」に水汲みに行きました。

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水汲みの後、久しぶりに三方五湖の日向湖に向かい若狭湾沿いを走ります。

風薫る五月の穏やかな日本海。

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三方五湖の一つの久々子湖の湖畔では田植が。

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日向湖に着きここで相棒の出番。

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日向湖はもともと若狭湾とつながっていなかったのですが江戸時代の初めに若狭湾と日向湖をつなぐ運河が作られ、湖そのものが格好の船溜まりになりました。

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湖畔近くまで山がせまり残された少ない平地の幅2m有る無しの狭い道に、民家が向い合せに密集して建ち並びます。

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建物の造りや道の広さは違いますが、同じ若狭湾内の舟屋がある丹後の伊根の街並みに似ています。

ヒューマンスケールの道幅そしてそこに漂う生活のにおいがプンプンする路地が私は好きです。

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湖畔の一部を埋め立てコンクリートで固められた護岸は、船着場であるとともに漁具置き場と作業場・駐車場として利用されています。

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五月晴のもと相棒と日向湖の湖周をさわやかな風を感じながら走る、爽快です。

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こいのぼりも気持ちよさそうに泳いでいました。

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by y-tukide | 2018-05-14 12:05 | 水汲み

南紀熊野の旅

5月の連休、妻と二人で熊野方面に行く予定をしていたのですが連休前半小学6年生の孫を預かることになり急きょ三人で熊野・勝浦を23日で旅しました。

自宅から新名神高速道路経由で伊勢自動車道、紀勢自動車道と走り、尾鷲(おわせ)からは一般道を海岸線沿いに走ります。

そして吉野熊野国立公園の景勝地の一つである「鬼ヶ城」の遊歩道を散策。

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何回かの地殻の隆起により階段状をなした崖に設けられた遊歩道は、ちょっと危険な個所もありますが打ち寄せる波の音も心地よく爽快です。

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鬼ヶ城を後に国道42号線熊野街道を走ります。途中で昼食をとり次に向かったのは新宮市にある熊野三山の一社である「熊野速玉大社」。

私は、ここには今年の2月にも訪れています。というのは新宮の東を流れる熊野川の対岸の「鵜殿(うどの)」という所に建つ築100年程の古民家を移築するために何度か仕事で訪れ、その合間に新宮の街を散策し熊野速玉大社も参拝しています。

今回の旅もその仕事の関係でこの辺りのことが詳しくなりおいしい食べ物も含め妻を案内しようと企画したものです。

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この日は夏日、大社の近くにある仲氷店でかき氷をいただきました。ここの氷は紀伊半島の最南端を流れる古座川上流の水をこだわりの手法で製氷した透明・無味・無臭の純氷で人気があります。

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この日の宿は、勝浦にある私お気に入りの「海のホテル 一の滝」

私は、鵜殿に仕事に来たときはこのホテルに泊まっていました。このホテルの売りは100%源泉かけ流しの温泉です。2槽ある湯船の1槽は源泉そのままの体温ほどのぬるい湯で塩素剤などを一切使用せず濾過・循環もしていません。

ただこのホテルは朝夕の食事はなし、部屋のアメニティーも歯ブラシとタオル・バスタオルのみで過剰なサービスは一切なし当然宿泊代もリーズナブル、そして周1回の定休日があるという観光地の宿にしてはちょっと変わり種のホテルです。

逆にそれが人気で連休中も20室ある部屋の内16室がリピーターで私もその一人です。

全室海に面し、写真は2階の部屋からの眺め。

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翌朝、部屋から日の出を拝めました。

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朝食は、漁港の市場前にあるめし屋。安くて一人前で二人分のボリュームたっぷりのマグロ刺身定食をいただき満腹。

食後は新宮にもどり熊野川をさかのぼりました。

妻と孫に新緑が水面に映る熊野川を見せたかったのですが、この日川は上流のダムが放流している関係で残念にも濁っていました。


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熊野川沿いを走り、途中右折し支流である北山川沿いを走ります。

目的地は、日本の棚田百選である「丸山千枚田」です。

丸山千枚田は、標高736mの白倉山の南西斜面に1340枚の棚田広がります。いつの時代からあるのか日本の原風景がここには残っています。

一時は後継者不足等のために530枚まで減少したそうですが、オーナー制度が実施され維持保存されています。

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それぞれの田んぼには水がはられ田植の準備がされていました。よく見ると水中にはおたまじゃくしが泳ぎ巻貝もいました。これも久しぶりに見る風景です。さぞかしここのコメはうまいだろうと思います。

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次に向かったのは「瀞峡(どろきょう)めぐり」。

瀞峡は、熊川の支流北山川の三重県・奈良県・和歌山県の境で陸地からは寄り付けない山間の秘境。その瀞峡を孫が喜ぶだろうと小さな和船でめぐることにしました。

その「はるやの和船」は老夫婦で営まれているようで、船頭さんは5代目とか。

昔は山間の村と川下の新宮を結ぶ道がなかったので船で山の幸や炭を新宮に運び、帰りに生活に必要な物を船に積んでのぼったそうです。当然行きはよいよいですが帰りは櫓をこぎさかのぼるのは大変で、3人の船頭で3日かかったとか。今のような船外機は、昭和40年ごろに設置されたそうです。

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和船から様々な名前が付いた奇岩や巨岩を間直に見ながら瀞峡の絶景を楽しめます。

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五月晴れのこの日、青い空、新緑もゆる山、そしてそれらを映し出す川の深い緑、爽快です。

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和船からの眺めを満喫し、次は今宵の宿である「川湯温泉」へと向かいました。

川湯温泉は熊野川の支流、大塔川の川底からお湯がわき出る温泉地で、川原を掘れば自作の露天風呂が楽しめます。

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そして最終日は、今回の熊野の旅の目的の一つであった「熊野古道」を歩きました。

ホテルから「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」まで送迎してもらい、そこから「熊野本宮大社」までを歩きます。

道は山里、山中を縫うように熊野本宮へと続くのですが、世界遺産に登録された関係かよく整備され要所にはトイレもあり標識も設置され迷うここなく歩くことができます。

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途中でこんな木彫り像が迎えてくれました。

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そして3時間程で熊野本宮大社に到着。

平安時代、上皇や貴族たちは京の都から12日間かけて詣でたそうです。

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ここから十津川村経由で帰路につきました。

天気にも恵まれ、熊野の海・川・山の自然とめぐみを楽しめた旅でした。

帰り道、「谷瀬のつり橋」にちょっと寄り道。

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by y-tukide | 2018-05-07 09:28 |

昭和の三種の神器

私のブログは、10年前にツキデ工務店のホームページをリニューアルするに当たり、始めたもので、何とかほぼ週1回のペースで続けてきました。

私はそもそも文才が無いものでブログは、趣味の写真を中心にした内容で、10年を経て写真の枚数も相当な量になっています。

そんなある日、千葉県の中学の先生から私のブログの写真を使わせてほしいとの電話がありました。その写真は、201411月に掲載した「昭和博物館」の中「昭和の三種の神器」の写真です。

三種の神器は皇位の象徴である「かがみ・つるぎ・まがたま」のことですが、それになぞらえた「昭和の三種の神器」とは、1950年代後半の豊かな生活への憧れの象徴としての「白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機」のことです。

今では、各家庭に当り前のものですが、当時は高価なもので私の家でも確か小学生の高学年の時に徐々にそろったように思います。

千葉県の先生は、この写真を中学社会の歴史の教科書に使いたいとのことでした。

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多くの教科書は、大学の研究者が書くのが一般的だそうですが、この教科書は現職の教員や教員経験者が「子どもと学ぶ歴史教科書の会」を結成し、多くの方から支援を募り「学び舎」という自前の出版会社を立ち上げ、子どもの側にたち、子どもの目を意識しつくられた教科書だそうです。

歴史の出来事と年代を暗記するということより、子供たちが出来事を知りいかに考え学び合えることを大事にした教科書のようです。

そして2016年に出版された教科書が参考にと送られてきました。

私の写真は2020年度改訂版の教科書に採用されるそうです。

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送られてきた教科書を開いてみると写真が多く使われ、読みやすく編集されています。

その中の第8章「帝国主義の時代」の中に「山本宣治」が紹介されていました。

山本宣治は我が町、宇治出身の生物学者であり戦前治安維持法に反対し暴漢により刺殺された政治家です。その後日本は戦争の道へと突き進んでいきました。

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歴史を学ぶことは、歴史の教訓から二度と同じ過ちを犯さず、教訓を活かし現在・未来へといい世の中を築いていくために大変大切なことです。

そのためにも将来を担う子供たちにとって歴史を正しく自分達のこととして学ぶことが大事です。

送られてきた教科書と共に2020年出版に向けての資金協力の呼びかけも同封されていました。私もささやかながら協力したいと思います。

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by y-tukide | 2018-05-01 14:28