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備前 「下津井」散歩

岡山県の倉敷市南部に小高い山々を連ねてのびる児島半島の南端に位置する「下津井」は、江戸時代中期から北前船が来港するようになり大変栄えた町です。

明治の中頃以降は、交通機関の近代化により北前船がなくなり、今は漁業の町として静かに時を刻んでいる港町です。

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この町も各地の多くの古い港町同様に狭い平地に民家が密集して建ちます。

さほど広くない道沿いには、屋根は「本瓦葺」、壁は「漆喰」「ナマコ壁」、「虫籠(むしこ)窓」「連子格子」を備えた町家や蔵の街並みが残り、当時の繁栄ぶりを伝え、岡山県の町並み保存地区に指定されています

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街を歩いていると富の象徴である立派な蔵が多いのに気づきます。

下津井の背後地の干拓地では塩分が多いので米が育たないために、水と肥料があれば育つ綿花栽培が盛んで、その肥料となるニシン粕・干しイワシが北前船によって北海道からもたらされ、それを蓄えるための「ニシン蔵」が競って建てられました。

その商家の筆頭が「萩野屋」で海辺に多くの蔵をもっていたそうです。

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その旧西萩野屋の建物は、「むかし下津井回船問屋」という名で資料館や食事処として活用されています。

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そして主要な道から私の好きな路地が伸びます。

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その路地のたまりに共同井戸が、他の路地にも数カ所あります。

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街の山腹には、街を見下ろすように「風の道」という遊歩道が走っています。

この道は、歩行者・自転車専用道で児島から下津井まで整備されたものです。

この日私は、JR児島駅の観光案内所でレンタサイクルを借り、この道を通り下津井にやってきました。

実はこの道は、「旧下津井電鉄」の軌道敷地跡なのです。

下津井電鉄は、大正時代に児島・下津井間で開通した鉄道で平成2年に地元住民に惜しまれながら廃線となりました。ただ今も下津井駅跡には当時の電車が大事に保管されています。

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下津井の沖合で水揚げされるタコは、「下津井ダコ」と呼ばれ有名なのだそうです。

そのタコ料理専門の「保之家」という店が街中にあり、昼飯はそこでタコ料理をいただくことに。

一人で食べきれるか不安に思いながら、タコのフルコース料理を注文すると店の大将がいけすから生きたタコを一匹取り出し、目の前でさばいてくれます。

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タコは、頭を切り落とされても足をくねらせ生きています。

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手早くさばかれ、これはタコの卵巣、初めて見ました。

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その卵巣のしんじょうが最初に出され、

そしてその卵巣と白子の酢の物、これも初めてです。

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次は刺身、足の皮をむき食べやすく包丁が入れられています。

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次にから揚げと続き、締めはタコめしとタコ団子の入った味噌汁。

最初の不安をよそに完食。

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ただ話好きの大将曰く、近年漁獲量が減っている上に、昨年は台風の影響で海に土砂が流れ込み、タコは不漁でタコを仕入れることができず何日も店を閉めたそうです。

この日は幸い、下津の街並みと下津タコを堪能することができました。

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by y-tukide | 2019-02-25 13:44 | 散歩

小さな家で豊かに暮らす「山科の家」建物見学会

216日(土)・17日(日)の両日、お施主様のご厚意により、引き渡し前の建物完成見学会を開催させていただきました。

今回も大変多くの皆様にご参加いただきスタッフ一同感謝しています。

改めて快く建物をご提供していただきましたお施主様にお礼申しあげます。

この家は、家族4人が暮らす2階建て21坪の小さな家ですが、小さいながら実用的で豊かに暮らせるように様々な工夫をしています。

外観は、焼杉板張りと漆喰で仕上げました。

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2畳もない広さの玄関なのですが、暖簾を架けた「土間収納」を含め3カ所収納を設けました。

壁の出角の柱は「コブシ」の木です。

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12.5畳の広さのLDKの一部は、4.5畳の畳敷きで、「雪見障子」を介して南側の庭に続きます。

1階の床は40mmの杉の厚板の一発張りで、2階の床は一部を格子状の床とし、隙間から2階の窓からの採光を得ることができます。

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階段下はソファーを置くスペースとし、狭い空間を有効に利用しました。

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その対面には、将来ご夫婦の寝室にもできる小上がりの畳部屋があります。

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小上がりの畳部屋に隣接して設けた家族の衣類などが収納できる納戸。

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その納戸の一部は室内干しができるスペースで、そこからトイレ、洗面、浴室につながっています。

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キッチン。

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隙間からは採光を得ることができる、2階の格子状の床。

ほこりなどが下に落ちないようにポリカボネートを張りました。

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2階は広いひとつの空間とし、移動できる収納家具で部屋を仕切ることが出来ます。

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その収納家具の一つには、カウンターがあり戸を外せば書斎コーナーに変身します。

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21坪と小さいながら実用的で豊かに暮らせるように工夫したこの家、住まい手によってどのように使いこなされるか楽しみです。

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追伸、この建物の南側を走る旧三条通りは「旧東海道」で街道沿いには、「毘沙門堂」をはじめ寺社仏閣も多く、今も当時の面影を残す町家も何軒か残っています。

また北側には、明治に造られた「びわ湖疏水」が流れる歴史豊かな地域です。

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by y-tukide | 2019-02-18 17:08 | 見学会・イベント

明治の古民家再生工事

これまでにツキデ工務店は、古民家再生工事を多く手掛けてきましたが、ここ数年依頼が大変多くなり、昨年から今年にかけて再生工事の現場が重なり、現在5棟工事中です。

5棟のうち1棟は江戸時代後期の建物、2棟は明治期、残る2棟は大正期の古民家と京町家です。

そのうちの明治の古民家の一棟で、この工事の中で最も難易度の高い仕事である、元土間に架けられていた「煙返し」の丸太梁の取り換え工事を行いました。

虫が入った既存の煙返しの丸太梁を新たな丸太梁に取り替え、天井高をとるために、丸太梁の高さを既存の高さより30cmほど上げる工事です。

「煙返し」とは、古民家の「かまど」いわゆる「おくどさん」が据えられた土間の天井の居室側との境に設けられた「垂れ壁」で、煙が居室側に回らないように工夫されたものです。

垂れ壁を受ける梁は、土間を広く使えるように梁間が広く、またその上に下屋(平屋部)の瓦屋根と「つし」二階部のかなりの荷重がかかるため、赤松の太い丸太を梁として使われる構造が多いです。

ツキデ工務店では、これまでに3回このような工事を行っています。

既存の煙返しの丸太は、元口で35cm長さ6mほどの赤松の丸太でしたが、芯はしっかりしていたのですが表面には虫が入りあまりいい状態ではなかったので、今回は新しく取り替えることにしました。

既存丸太の元口部の切はし。


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あたらしく入れ替える赤松の丸太。

長さが5.6m、末口30cm、元口40cmの丸太で既存の丸太より一回り大きくし、27cm幅の「太鼓」に摺っています。

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この丸太の重さは400キロ近く、家の中に取り込むのにも8人がかり。

加工のための墨付けするのに、丸太をひっくり返すのも一人では無理なので「木返し」という、今はもう無いだろう昔の道具を使っています。

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丸太は「大黒柱」に差さるのですが、そのための新しいホゾ穴をノミで掘ります。

新しいホゾ穴の30cmほど下に見えるのが以前の丸太の「仕口」あと。

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既存の丸太を外すためには、当然丸太にかかっていた荷重を仮に受ける必要があります。

そのために7カ所にジャッキをかけ、その荷重を受けています。

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最も荷重がかかっている桁行(けたゆき)方向の太い丸太には、支え柱2本と横架材を鳥居状に組、25トンの「ジャーナルジャッキ」2台で受けます。

左端のジャッキは、昔からあるダルマジャッキ。

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このジャーナルジャッキは優れものです。昔からあるダルマジャッキは重く、回して上げるのに力が要ります。力が要らない油圧のジャッキは架けっぱなしにしておくと徐々に下がってきます。それに対してアルミ製のジャーナルジャッキは、軽いし楽に上がるし、ギヤがついているので下がりません。

ジャッキの下に敷いている10mm厚鉄板や「盤木」もこのような工事には必需品です。

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さぁ~いよいよ丸太を上げます。

上げる位置まで「コロ」を使い転がして運びます。

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丸太梁を上げる位置にちょっと倒した柱にチェーンブロックを架け吊し上げます。

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丸太の元口側のホゾを大黒柱のホゾ穴に差し込みボルトで引きます。

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丸太の末口側は、新たに設けた150mm角の桧の柱にホゾを差し「込栓」を打ち締め固めます。

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そして「繋ぎ梁」を入れて無事組むことができました。

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次に、新しく入れた丸太梁に直行してもう1本の丸太を架ける作業です。

この丸太は、先の丸太梁より短いのですがそれでも「天秤棒」をかつぎ4人がかりです。

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先ほどの要領で滑車を架け上げます。

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この丸太梁は、新しく入れた煙返しの丸太に直行し、その上にかかる桁行方向の既存の太い丸太、母屋の束が2カ所、そして柱と「仕口」接点が5カ所あり、それを合わすのが大変でした。何せ新築で組むのと、組む順番が逆ですから。

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丸太の元口側が柱にささるのですが、梁に入る柱のホゾを付けると柱を下からし差し上げるようにしなければ組めません。ただ丸太を受ける15mmの「エリワ」を墨は付けていたのですが加工するのを忘れていた個所がありちょっと中断。

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そして柱に「込栓」を打ち込み無事終了。

ベテラン大工2名と若手大工1名、そして「手伝いさん(てったいさん)」3名の計6名で組み上がりました。

写真と下手な説明書きで理解しにくかったと思いますが、ほんとにうまく組んでくれました。

お施主様もこの作業風景を興味深くご覧になられ、大変喜んでいただきました。

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by y-tukide | 2019-02-12 09:00 | 仕事色々

東紀州 紀北町散歩

「紀北町」は紀伊半島の東部、東紀州の玄関口に位置し、平成17年に旧海山(うやま)町と旧伊勢長島町が合併し誕生した人口2万人程の小さな町です。

町の東側は、黒潮が流れる熊野灘に面し、西側の背後には日本一の降雨量で知られる大台ケ原山系に囲まれ、そして町中を熊野古道「伊勢路」が走る、豊かな自然と共に歴史がある町でもあります。

以前から紀勢自動車道を走り南紀の那智勝浦などに行くとき、通り過ぎるこの町が気になっていたのですが、この日早朝から紀北町に相棒をつれ走りました。

5時に自宅を出、途中朝飯を食べ紀北町の「伊勢長島地区」の港に着いたのが7時半。

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ここで車から相棒をおろし街を散策。

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まずは入り江に架かる江ノ浦大橋から街を眺めることに。

山がせまり、海岸沿いの高い堤防に囲まれた狭い平地に家が密集して建ちます。

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道沿いに「切妻平入り」の古い町家が点在します。

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そして随所に昭和のにおいが漂います。

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長島港では、11月ごろ近海で「マンボウ」が獲れることから町のシンボルとなっていて、

街角に通り名や町名が記されたマンボウが架けられています。

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街中には南北に2本の主要な道が走り、その内の山側の通りが「旧熊野街道」です。

道端には「北南くまのみち 西左いせ道」と記された歴史を感じる古い道標が建っていました。

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その旧熊野街道沿いに建つ松並木の参道が綺麗な「仏光寺」。

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境内には「津波流死塔」が二つありました。

江戸時代の宝永四年(1707年)と安政元年(1854年)の津波による流死者を供養するために建てられたものです。

宝永四年に起きた地震による津波では、長島浦で500人余りの方が亡くなられたそうです。当時の長島浦の人口は、2617人だったそうでいかにその被害が凄まじいものであったかが想像されます。

寺の参道に植えられた松は、宝永四年の津波の後に漂流物を防ぐために植えられたものだそうです。

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街中を南北に走る2本の主要な道に直行して路地が幾筋もつながっています。

ここでも私が好きな路地空間を満喫。

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その路地で面白い光景発見。

路地の向い合せの家に屋根が架けられ、その上に犬が繋がれて洗濯物が干されている光景。

路地空間の活用法としてユニークなアイデアです。

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そして伊勢長島地区を後に次に向かったのは、車で30分ほどにある紀北町のもう一つの町「海山(うやま)地区」。

ここには、熊野古道の「馬越(まごせ)峠」に向かう約2kmの石畳の道があります。

現在の国道42線やJR紀勢本線が開通するまでは、この道が当時の幹線道路でした。

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そしてこの町では、他の地域ではない「幻」と言われる「渡利カキ」というカキが養殖されています。

海山地区には、背後の大台ケ原山系から二本の川が流れ、その水が流れ込む「白石湖」という海水と淡水が混ざる小さな「汽水湖」があります。

そのカキはその湖で養殖されています。

カキは本来海水で育ちますが、汽水湖では比重が重い海水に大雨などで川の水が流れ込むと淡水が海水の上になり、カキは異変を感じて殻を閉ざします。

そのことによりうま味の元となる「グリコーゲン」をその身の中に蓄えられるそうです。

ただカキは、永く淡水にしたり過ぎると死んでしまうので、カキを吊るす深さを調整する微妙な加減が求められ、また現在家族経営の9軒の養殖業者しか生産していないので貴重でなかなか手に入らないこともあり「幻のカキ」と呼ばれるそうです。

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その渡利カキを昼飯に頂きました。

広島のカキなどと比べると大きさは小粒ですが、磯臭さやクセがなく濃厚な味わいです。

生ガキはさっぱりしていましたが、火を加えた焼きカキは味が濃くなりうまかったです。

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そしてカキを甘辛く着込んだこの地方特有のカキの「にぎり」をいただきました。

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生カキ、焼きカキ、カキフライ、カキのにぎりと幻のカキを堪能した後、白石湖を一周し美しい景色も満喫。

大台ケ原山系からの山の養分を豊富に含んだ清らかな水が流れ込むこの海、

7月から8月にかけては、うまいウニが獲れるそうです。

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by y-tukide | 2019-02-04 10:36 | 散歩