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冬の長谷寺

長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山であり、西国三十三所観音霊場第八番札所として信仰を集めている。
門前を私の好きな大和国と伊勢国を結ぶ「初瀬街道」が走っていることもあり、これまでに幾度となくこの寺を訪れている。
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昼12時を告げるほら貝。
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門前の街並み。
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長谷寺は、一年を通じて「花の寺」として親しまれ、この時期は「寒牡丹」「冬牡丹」が有名でワラを編んだ傘に覆われた牡丹がこの時期の風物詩である。
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# by y-tukide | 2024-01-29 09:00

高砂 散歩

「高砂(たかさご)市」は、播磨平野の中央に位置し、加古川の河口の播磨灘に面した街。

姫路市と加古川市に挟まれた面積が38平方㎞程の兵庫県で三番目に小さな市である。

江戸時代、姫路藩主であった本田忠政の積極的な港づくり・町づくりによって、加古川流域の姫路藩や他藩の年貢米などが加古川船運で集められ、また瀬戸内海航路の北前船の港として急速に発展した。

その街の中心である高砂町堀川周辺地区には、碁盤の目のような町割りの中に、今も昔ながらの町家や蔵が多く残り、兵庫県歴史的景観地区に指定されている。

また高砂市は、結婚式で謡われる「たかさごや~この浦船に帆をあげて~♪」のフレーズで有名な謡曲『高砂』の「高砂」である。

その『高砂』の「相生の松」がある「高砂神社」。

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その高砂神社境内には、初代「工楽(くらく)松右衛門」の像がたてられている。

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初代「工楽松右衛門(1743~1812年)」は、高砂に生まれ、若くして兵庫津(神戸市兵庫区)に出て船乗りとなり、のちに「御影屋」を名乗り海運業を営み、当時の帆船の「帆布」を改良して丈夫で耐久性のある「松右衛門帆」を発明した人物でもある。

松右衛門は、自ら発明した帆布の技術を独占せず世の中に広め貢献した。

「人として天下の益ならん事を計らず、碌々(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣(きんじゅう)にも劣るべし」という言葉を残し、人として世の中の役立つことを旨とした高砂が生んだ偉人である。

また、幕府や藩の依頼で函館や択捉(えとろふ)島、鞆の浦(広島県福山市)、高砂の湊など、全国の湊を改修し、その功により幕府から「工楽」という性を賜った。

「工楽」とは、「工事を楽しむ、工夫を楽しむ」という意味だとか。

松右衛門は、浮力を利用したこんな「石つり船」も開発している。

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堀川跡際に今も残る「工楽松右衛門」旧宅は、堀川地区の観光の拠点として活用されている。

現在、旧宅の前の堀川は埋め立てられているが、堀川へとつながる船荷を荷下ろしする石の階段「雁木(がんぎ)」の一部が残され、当時の面影を残している。

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旧宅の壁の腰板には、廃船の「船板(ふないた)」が再利用されていた。

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工楽松右衛門旧宅周辺の趣のある街並み。

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堀川と加古川がつながる水路(これも堀川というのか)は、船溜まりになっている。

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堀川周辺には、多くの蔵が今も残り往時の繁栄が伺える。

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今は活用されていない蔵が多いようだが、この蔵は現在風に改修され「酒場」として活用されている。

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加古川の中洲の先の河口付近は、「高砂海浜公園」として整備され公園内には高砂市の「市の木」である松が林をなしている。

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そして公園の先には、松右衛門が手掛けた石積みの美しい防波堤があり今も現役である。

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堀川地区周辺を散策していると個性的な店やレトロな建物が結構多くあり面白い。

松右衛門旧宅の近くには、「帆布」を利用した商品を製造販売する店があった。

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帆布の糸は太く確かに丈夫そうである。

ここで孫娘のためにかわいらしい色合いの鉛筆入れを購入。

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この建物は、「梅ヶ枝湯」という“これでもか“というレトロ風情の銭湯。

ここでは、今も薪で湯を沸かしている。

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古民家の町家も店として結構活用されている。

この店は、「ハマーダの酒場」という店、昼はランチもやっていた。

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この町家は、ぜんざい屋さん。

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この大型の町家は江戸時代、肥料問屋を営んでいた国登録有形文化財の「花井家住宅」。

ここでは、催しや各種団体の活動のほか、希望者に対し貸館なども行っている。

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主屋の奥の蔵には、古いLPレコードのジャケットや洋画の映画雑誌が飾られ、好きな人にとってはたまらない場。

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極めつけは「町家 Tentofu」というこの店。

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何の店だろうと興味深目に中に入ると絵本がずらり。

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そしてその奥は、アートギャラリーで作家さんのかわいらしい絵が展示販売されていた。

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そして古建具を開けると、ここにも絵本が置かれ、その前には一人掛けのソファーが何席か置かれている。

オーナーさんにこの部屋はと、問うてみると、物思いにふける場所だとのこと。

利用者が自らコーヒーをたてて飲み放題、半日ほどここでこもることができるとか。

団体と子供はダメ、大人が絵本を一人読む場所。

オーナーさん曰く、「このような時代、大人が絵本を見、物思いにふける静かな場所が必要ではないでしょうか」とのこと。

ちなみに利用者の年齢層はと訪ねると、比較的50代の女性が多いとか。

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古い建物と街並みが残る堀川地区、隣接する地区の南側の播磨灘の埋め立て地は、コンビナート地帯、そのギャップは極端だが、「高砂」はそれらが共存している街であった。

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# by y-tukide | 2024-01-22 09:00 | 散歩

2024年 我が家の正月休み

今年の我が家の正月休み、大きくなった孫たちも何かと忙しいこともあり、妻と二人で温泉につかり気楽に過ごそうかと言うことになり、年末の31日から二泊三日で南紀の「那智勝浦」に行くことにした。
温泉宿は、那智勝浦に来ると必ず泊まる100%源泉かけ流しのお気に入りの宿「海のホテル 一の滝」。この宿は、朝夕の食事なしの完全素泊りの宿、街に大晦日や元旦に開けている食事処があるか一抹の不安があったが何とかなるだろうと、とにかく行くことに。

31日の早朝、妻と私の相棒である自転車を折りたたんで車に積み出発。
新名神自動車道の勢和多気JCTから紀勢自動車へ、そして大宮大台ICで降り、ここから熊野街道(古道)を走り向かったのは「瀧原宮」。
瀧原宮は伊勢神宮(内宮)の別宮で、天照大神が伊勢の前に祀られていた場所で「元伊勢」とも言われている。
私は、2年前に相棒と熊野街道伊勢路を栃原から滝原まで行った時、訪れているが妻は初めて。

長い参道には、杉の巨木が林立し伊勢内宮そのもの。
違うのは暮れの31日とあってか、参拝者もまばらで観光客がいないこと。
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川の「御手洗場」もあり、これも伊勢内宮の「五十鈴川(いすずがわ)」と同じ。
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そして参道の奥に鎮座する社殿。
薄く霧がたちこめ静寂の中、神秘的な空気が漂う。
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その後、熊野街道を走り峠越えして「紀伊長島」に入り、そこからは海岸線沿いを「尾鷲」へと向かった。
そして尾鷲でこれまでに何度か伺ったことがある「風見鶏」という店で、クリーミーなスープのラーメンを昼飯に。
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そして食事後、熊野市の「鬼ケ城」へと向かった。
「鬼ケ城」は、ユネスコ世界遺産に登録されている熊野灘の景勝地。
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熊野灘に面した隆起と風化と浸食よって生まれた断崖絶壁には、1km程のスリリングな遊歩道がある。
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その断崖の下で命がけで釣りをする人たち。
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そしてようやく今回の旅の宿である「海のホテル 一の滝」に到着。
100%源泉かけ流しのこの素泊りの温泉宿の売りは、温泉だけでは無く20室ほどのすべての客室が海に面し、「弁天島」をはじめ美しい景色が部屋の窓から楽しめる。
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2024年元旦、この日南紀は晴れ。
宿の近くの「お蛇浦海岸」から拝めた初日の出。
2024年元旦 7時2分。
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その海岸の入り口に「熊野カフエ」という喫茶店があり、店のオーナーが毎年、初日の出を見に来る人たちにぜんざいを無料で振舞ってくれる。
年々、この海岸に初日の出を見に来る人が増え行列ができていたが、幸運にも私は最後の一パイをいただく事が出来た。
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部屋に帰り再度、湯につかり、自宅から持ってきた軽食をいただき妻と二人で新年を祝うことができた。
そしてこの日は、相棒と那智勝浦から熊野街道(古道)を走り「熊野三山(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社)」の一つである新宮にある「熊野速玉大社」に行くことにした。16km程の道のりである。
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熊野街道が海岸線沿いから北西に折れて「熊野那智大社」に向かうあたりの街道沿いに、竹垣と石垣がとてもきれいな古民家があった。
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前で見つめていると畑におられたご主人が出てこられ、広い敷地にも関わらず草刈りもきちんとされた敷地内を案内してくださった。
敷地内の石垣の上には、日本ミツバチの巣箱が置かれ、趣のある母屋は移築されたもので築100年以上前の建物だとか。
そして別れ際にミカン畑からもぎ取ったミカンをいただいた。
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お礼を言い、街道に戻り少し進むと42号線と交わり緩やかな坂が続き、登りきると右手には熊野灘が広がる。
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少し走ると右手に小さな踏切があり、それを渡ると両側に笹が生い茂る旧道があり、その先にトンネルが現れた。
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そしてトンネルを二つ抜けると「宇久井」という集落に入り、寄り道してその集落内を散策することに。
集落内の多くの家には、海からの強い潮風から守るための石垣で囲われている。
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のどかな漁村風景。
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宇久井集落から42号線に戻り、山が海岸線ギリギリまで迫る歩道が無いちょっと怖い道を行くと、新宮市の「佐野」という地区に入る。
そして街並みが途切れたあたりに案内板が現れ、そこからは熊野街道は、畑の畝道を通り「熊野古道 高野坂」へと向かう。
高野坂までは、小川沿いの気持ちのいい道を相棒を押しながら進む。
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そしていよいよ坂道に入る。
道は丸い石が敷き詰められた石畳、表面はすり減りなめらかで千年の古道の歴史を感じる。
ただ自転車にとっては過酷な道。
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峠付近は、竹が生い茂る竹藪のトンネル。
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下りも石畳、丸石が無造作に階段状にゴロゴロしていて、相棒を押すというより担ぎ上げながらの下り道、登りよりきつい。
すると突然、藪の隙間から視界が開け、眼下に熊野灘の雄大な景色が目に入る。
この難所を越えてきた者でしか味わえない素晴らしい景色。
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石畳が終わり麓に近づいたあたりの道端に、永い歴史を通じここを通る旅人を見続けてきた温和な顔つきの石仏が現れる。
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峠を降り切ると水洗トイレが設置された便所があった、さすがに世界遺産の参詣の道、整備が行き届いていて助かった。

そしてここからは、下り道を軽やかに相棒と走り、途中42号線沿いの元旦にも関わらず開いていた「黒潮寿司」という回転寿司店ですき腹を満たし、目的地である「熊野速玉大社」に無事到着。
元旦とあって境内は、初詣の参拝者で賑わっていた。
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帰りは、新宮市内で元旦から開いていたイオンモールに立ち寄り、宿でいただく今宵の晩飯と翌朝の朝飯となる総菜とパンなどを買い、紀勢線の新宮駅に向かった。
本来ならば相棒を輪行袋におさめ、列車に乗らねばならないところだが、この駅はサイクルトレイン区間でそのまま列車に乗ることができ大助かり。
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新宮駅から紀伊勝浦駅までは普通列車で6駅、その間の海岸沿いを走る列車の窓からの熊野灘の雄大な眺め。
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# by y-tukide | 2024-01-15 09:00 | お正月

能登半島地震に思う

家族や友人と新年を祝い過ごしていたお正月、「なんで元旦に」と言いたくなる今回の大地震。被災された方々、並びに関係される皆様に心よりお見舞い申し上げます。

私にとって能登半島は、50年ほど前の学生時代の思い出の地。
当時、バイト代をためて買った初めての一眼レフカメラ「ペンタックスSP F1.4」を肩にかけ、能登半島への超貧乏旅行。
初めて見る能登の風景を白黒フイルムで撮り、旅先での出会いやな経験など様々な思い出に残る旅だった。
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そしてこの歳になり、当時の懐かしさにかられ、2020年9月と11月に2度能登半島を訪れた。
連日、テレビや新聞で報道される被災地の悲惨な状況を見る時、4年前に訪れた能登の風景、とりわけ能登地方ならではの民家や街並みが思い出される。
今回、そんな思いで4年前撮った能登ならではの風景を改めて振り返ってみた。

輪島市の西南に位置し、海岸線沿いの高台に細長く形成された「黒島」の集落。
江戸時代は幕府直轄領(天領)で本来、漁村として発展した村だったが、経済力を蓄えると海運業を営む船主が多数登場し、江戸時代中期から明治時代中期にかけて大いに活躍し栄えた集落。2009年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
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その船主の一人である「角海(かどみ)家」は、幕末の全盛期には7隻の北前船を所有する黒島でも屈指の廻船問屋。広大な敷地内の主屋など5棟は国の重要文化財に指定されている。
この写真は、ツキデ工務店の「2021年の年賀状」に使わせて頂いた。
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真っ黒な釉薬(ゆうやく)瓦葺の屋根、壁が石川県の県木でもある「アテ(能登ヒバ)」の「下見板張り」、素朴で統一感のある街並みに魅了された。
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黒島の近く輪島市の西部の海岸沿いにある、能登ならではの景観である「間垣の里」。
「間垣」というのは、高さ5m程のマダケを隙間なく並べた垣根のことで、冬の日本海から吹き付ける季節風から家屋を守るためのもの。
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輪島の「朝市」。
輪島の「市」は、おそくとも室町時代には存在していたそうで、ある時期までは、農民や漁民がそれぞれ物を持ち寄ってのぶつぶつ交換の場として、また住民の台所としての性格がつよかった市だったが、近年その性格が薄れ観光客相手の露店が増えた。
その観光名所の「朝市」地区の200棟ほどが焼失したとの報道に心が痛む。
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輪島の中心部から「河原川」を越えた輪島漁港周辺は、背後に山がせまり、海沿いに家々が密集して建っている。
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街に踏み入ると他地域の平地が少ない漁村同様、路地が迷路のようにつながる。
路地で見かけたおばちゃん達の乗り物は、荷台付きの三輪自転車。
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輪島市白米町にある棚田、「白米(しらよね)千枚田」。
平地が少ないがため日本海に面した急斜面を、荒波が打ち寄せる波打ち際まで切り開いた1000枚もの小さな棚田が幾何学模様に連なる。
まさに日本の原風景。
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重要文化財の「時國家住宅」。
築300年といわれる主屋は、茅葺入母屋造りで間口13間(約25m)、奥行きは8間(約16m)、面積は108坪(約356㎡)と広大な建物。
時國家の初代は、源平の合戦に敗れ1185年に能登に配流された平家の平大納言時忠で、2代目から当地で農耕を営み、時国村を成したとのこと。
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松の丸太で組まれた梁の数も、関西地方の民家に比べ雪国らしく荷重に耐えるように数多く使われている。
ケヤキの大黒柱は、1.5尺(約45cm)と太く、この地方らしい漆塗り。
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炎天下、海水を汲み上げ塩田へ散布し製法される「輪島塩」。
能登半島の製塩は、古墳時代の土器製塩がはじまりだそう。
江戸時代、加賀藩は財源確保のため、いち早く塩の専売制をとり入れ、能登の沿岸部農民に米を前貸しして、生産された塩で返納させていたとのこと。
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能登半島の北端の町「狼煙(のろし)」。
岬の眼下の建物は、「ランプの宿」。
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珠洲市(すずし)の「蛸島(たこじま)」という集落。
旧街道沿いには、「切妻・妻入り」の民家が連続して並び、屋根はこれまで見てきた能登の民家同様「黒の釉薬瓦葺」、壁はこれも同様に「下見板張り」で一部漆喰仕上げ、統一感のある街並みである。
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蛸島の街道沿いの民家は敷地が広く大型で、また蔵を有する家が多く見られ、街の豊かさが想像された。
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木造とりわけ伝統工法の建物に対してダメージが大きいといわれている「長周期地震動」の今回の大地震、被災者の皆さんの生命・救援がまずは第一だが、建築に関わる人間として、能登の風土を象徴する建物が一棟でも多く持ちこたえ、街並みも残り続けることを祈るばかりである。

珠洲の内浦に浮かぶ「見附(ミツケ)島」。
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# by y-tukide | 2024-01-05 12:00

2024年 我社の年賀状

皆様あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

そして今年最初のブログは、2024年のツキデ工務店の年賀状です。
昨年の10月に妻と行った東北の旅で、青森市三内丸山で発掘された縄文時代の暮らしを今に伝える「三内丸山遺跡」を訪れ、敷地内にある展示スペース「縄文時遊館」内の高さ6mの巨大な壁に発掘された縄文土器のかけらがちりばめられた「縄文ビックウォール」の一部を撮ったものです。

北のまほろば「三内丸山遺跡」にて 2023年10月 築出恭伸 撮影
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青森県の陸奥湾をのぞむ段丘上に立地する縄文時代の日本最大級の集落跡「三内丸山遺跡」。その遺跡では、おびただしい数の土器や建物跡が出土し、栗なども栽培されていた定住社会で大規模集落が形成されていた。当時この北の大地は、青い海と青い森に支えられた豊かな地であり、縄文文化が花開いたまさに「北のまほろば」であった。
写真は、巨大な壁に縄文土器のかけらがちりばめられた「縄文ビックウォール」。


# by y-tukide | 2024-01-01 09:00 | 我が社の年賀状