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伊勢本街道 奥津宿・多気宿を行く
「伊勢本街道」は、大和国(奈良)と伊勢神宮を結ぶ街道で、別名「参宮本街道」とも呼ばれている。
その街道沿いの津市三杉町にある「奥津」と「多気(たげ)」は、「飼坂峠(かいさかとうげ)」を挟み伊勢本街道の宿場町としてにぎわった町である。
私は、趣があるこの宿場町が好きでこれまでに幾度か訪れている。
この日、十数年ぶりに相棒を車に積みここを訪れた。

宿場の趣が今も残る「奥津宿」の街並み。




街道沿いの多くの古民家の玄関付近には、往時の屋号などが染められた「のれん」が掛けられている。

元味噌屋さんの玄関先には、のれんと「もち花」が飾られていた。

ここ奥津には、「JR名松線(めいしょうせん)」の終着駅である「奥津駅」がある。
「JR名松線」は、三重県の松阪から名張を結ぶ計画で敷設された鉄道で、名張までの路線は実現しなかったが、昭和10年(1935年)に奥津駅と松阪駅間43.5kmが全線開通した。
当時は、蒸気機関車が走っていたが今はディーゼル機関車が「雲出川」沿いののどかな風景の中を走る。

奥津駅には、蒸気機関車が走っていた当時の給水塔が残され、国の登録有形文化財に指定されている。


元は旅籠(はたご)であったと思われるが、ある時期から日用雑貨店、今でいうコンビニを営んでおられたそうである。
現在、「まちかど博物館」として予約制で見学できるらしい。

観光案内所でいただいたパンフレットによるとここ奥津は、お伊勢参りの宿場町であると共に昭和初期は材木の出荷で活気に満ち、30年頃までは映画館・料理旅館・芝居小屋などが軒を並べ大そう繁盛したそうである。
街道沿いに建つ造り酒蔵と煙突が当時のそんな様子をわずかに残す。

昼、街道沿いの古民家の前に小さな立て看板が置かれた「種月」という店で食事をとることにした。

ここで、伝統工法で作られた調味料や自家製の発酵調味料を使って素材を生かしたこだわりの「たねつき ごはん」をいただいた。
オーナーに聞くと三重県の鈴鹿から家族でここに移住されたそうである。

街道は清流「雲出川」を渡り、川の右岸沿いを走る。

この辺りにも趣のある町家が点在する。
この町家は「葉流乃音」という名のカフェ。ここの方も移住してこられたのか?

この大型の町家は、元旅籠の「中北屋」。
昭和25年(1950年)まで営業されていたそうである。

その建物の前の茶畑の奥に「おんばさん」と呼ばれる延命地蔵が、イチョウの大樹の下の小さな祠に祀られている。

社(やしろ)の上には無数の「よだれかけ」が吊るされている。
なんでも病気になった子供の親が「おんばさん」にお参りし、「よだれかけ」を一枚借りていき我が子にかけ、病気が治れば新しい一枚を添えてお礼参りするそうである。

街道をさらに進むと宿場の家並みは途絶え、伊勢本街道の一番の難所である「飼坂峠(かいさかとうげ)」の険しい山道が現れる。

その山道を200mほど行くと左側に岩の中に「腰切地蔵」が祀られている。
「飼坂峠」は、当時、山賊も出没し旅人に恐れられていたそうで、旅半ばで犠牲になった人たちを供養したと伝えられる地蔵さんである。

とりあえずこの先の峠越えはパスし、422号線の飼坂トンネルを抜けて「多気宿」へ向かった。
峠道を下り「多気宿」に入ったところに建つ立派な古民家。


街道と嬉野三杉線が交差する角に高さ5mほどの大きな常夜灯が立つ。

嬉野三杉線に沿って「八手俣川」が流れ、川の堤には歴史を感じさせる桜の巨木が青空に向かってのびる。

八手俣川に架かる橋を渡った「多気宿」の趣がある街並み。
江戸時代の頃より明治の中頃までは、毎日30から70人もの旅人がこの宿に泊まったそうである。

これは、2007年のツキデ工務店の年賀状。
19年前の2006年2月に私がここ「多気宿」を訪れた時、正月に玄関先に飾られた「もち花」を撮ったものを2007年の年賀状に使わせていただいた。

今回、久しぶりに伊勢本街道の「奥津宿」・「多気宿」に訪れ、以前来た時よりも空家が増えたように思えた。昼食をいただいた移住されてきた店のオーナーも嘆いておられた。

加太 散歩
「加太(かだ)」は、和歌山市北西部にある大阪湾の入口である紀淡海峡に面した港町である。
古くから淡路島・四国・九州への海上交通の要所であり、明治32年には紀州航路や洲本・由良を結ぶ客船が発着し繁栄した。
現在の「加太」は、漁業と観光の町として知られている。

早朝の加太港。

ここは釣りのメッカでもあり、この日も朝早くから釣り人が埠頭で釣り糸を垂れていた。

その埠頭の壁面アート。

港のそばに「加太淡嶋(かだあわしま)神社」がある。
病気回復や安産・子授けなど女性にご利益のある古社として信仰を集めている。

またこの神社は人形供養で知られ、境内一円に全国から奉納された2万体におよぶ無数の人形が並んでいる
本殿の正面に飾られたひな人形、一体一体を見れば可愛いがこれだけの数が並ぶとちょっと不気味である。

本殿の回廊にも人形が整然と並ぶ。


この神社では、3月3日の桃の節句に「ひな流し」という行事が行われる。
全国から奉納されたひな人形を白木の船に乗せて流すという、紀州路に春を告げる行事である。
これはそれを紹介したポスターの写真。

神社を後に街中を散策。

街中には、古いものは大正から昭和期のものと思われる民家が軒を並べ、落ち着いた街並みを形成している。
道も背後に山がせまる漁村の狭い路地の迷路ではなく、平地面積が広いこともあるのか比較的幅のある道が繋がっている。


その中でひと際目立つ大型の古民家の「宮崎家住宅」。
どのような商いで財を成されたのか、広い敷地内には「長屋門」や「本瓦葺き」の蔵などが建つ立派な屋敷構えである。

屋敷の前の道角に立つ江戸時代の道標。
「左あわじしま道」「右わかやま道」と彫られ、この地は交通の要所であったことが伺える。

宮崎家住宅の北側に「常行寺」がある。
境内には、枝ぶりが見事なビャクッシンの古木が青空に映える。

この建物は「旧加太警察所」、明治末期か大正初期に建てられたもので国の登録有形文化財に指定されている建物。ある時期から個人が所有されていて、一時は民宿として活用されていたそうである。

街中を流れる川沿いには、レンガ造りの倉庫が建っていた、もとは醤油倉庫であったとか。

のんびり散策しているうちに時刻は昼、昼飯に加太淡嶋神社の門前の食事処で釜揚げのシラス丼とアジフライの定食を注文。ここで水揚げされた魚らしく新鮮でおいしくいただいた。

町の北側には、きれいな砂浜があり夏には海水浴客で賑わうそうである。

砂浜に隣接した埋立地に「加太北ノ浜公園」があり、そこにタイのモニュメントが建っていた。
ここ加太のタイは、伝統的漁法による一本釣りで、紀淡海峡の早い潮にもまれて育ち、身は良質でよく引き締まっているそうである。

公園からの海峡の眺め。

ここ加太には、「和歌山市駅」と結ぶ南海加太線の終着駅である明治時代に建てられた「加太駅」があり、『めでたいでんしゃ』が走る。


その後、街から3kmほど北の「深山」という半島の山の中にある「深山第一砲台跡」に向かった。
明治時代、政府が国内の防衛を進める中で紀淡海峡の重要性から淡路島の鳴門・由良地区と和歌山市側の友ヶ島・加太地区に強力な様式砲台を設置した。
「深山第一砲台」は、その中で本土側の加太地区に設置された砲台である。
砲台跡は、駐車場から木漏れ日が漏れる常緑樹林の中のレンガ敷きの坂道を15分ほど登ったところにある。

今は、さすが砲台は無いが地下の弾薬庫などが残っている。

砲台には、28cm榴弾砲が2門ごと仕切られ3カ所に6門設置され、それらはレンガ造りのトンネルの通路でつながっている。

ここは瀬戸内海国立公園内にあり、展望広場からは紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島や淡路島が見渡せた。

この日は、朝から晴天であたたかな日差しのもと、のんびりと加太の町を散策できた。
ここには温泉宿もあり、次回は妻と共に一本釣りのタイをいただきに来たいものである。
