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越中富山の旅―その2―

ゴールデンウィークの越中富山方面、二泊三日の気ままな旅二日目。

朝、食事の前にホテルの近くにある富山城址を散歩。

富山城は、加賀藩第2代藩主の前田利長が隠居所として築いた城です。

現在の建物は、昭和2082日の空襲で壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業のために、昭和29年に開催された富山産業大博覧会を機に建設されたものだそうで、富山市郷土博物館として活用され、中心市街地のランドマークとして市民に親しまれています。

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朝食後レンタカーを借り、世界遺産に指定されている「五箇山」の「相倉合掌造り集落」へと向かいました。

途中見かけた砺波平野の「散居村(さんきょそん)」の風景。

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散居村は、広大な耕地に防風林に囲まれた農家が散らばって点在する集落形態です。

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そして1時間ほどで相倉集落に到着。

残雪を抱いた山々を背景にどこか懐かしい日本の原風景に引き込まれます。

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何年か前の冬に岐阜県の同じ合掌造りの集落である白川郷を訪れた時は、観光客と土産物屋などのあまりの多さにげんなりし、早々に立ち去った思い出があります。

今回はどうかと心配していたのですが、連休とあって観光客も多いとは言えさほどでもなく、新緑の山間ののどかな風景を楽しめました。

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この茅葺の建物は、旧岩本家住宅。

屋根だけの合掌造りで、合掌造り家屋の原型と言われる建物です。昭和の初年まで岩本姓のお婆さんが一人暮らしていたそうです。

このような家屋は、江戸時代の五箇山農家住居として各所に見られたそうですが、現在では五箇山で現存する唯一の原始合掌造りの建物です。

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相倉集落を後に次に向かったのは、南砺市にある「城端(じょうはな)」という町です。

城端は、浄土真宗の古刹である城端別院善徳寺の門前町として、また絹織物の生産で栄えた町でもあります。

その繁栄を象徴する土蔵群。

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この日はたまたま、ユネスコ無形文化遺産で国重要無形民俗文化財に指定されている「城端曳山祭」の宵山でした。

翌日の本祭りには、神さんを乗せた各町内の6台の曳山が、朝から夜10時まで各町中を巡行するそうです。

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その神さんは、その家の当主の代に一生一度だけ家に祀られるそうで、偶然にも貴重なものを見ることができました。

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城端の街で昼食をとり、次に向かったのは湊町の「射水市(いみずし)」。

富山湾に突き出た海王丸パークからの絶景。

左側に浮か船は、「海の貴婦人」といわれる帆船「海王丸」。

右側の橋は「新湊大橋」、塔からケーブルで橋桁を吊った斜張橋(しゃちょうきょう)、日本海側最大だそうです。

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新湊大橋の上に浮かぶ雄大な立山連峰をかすんでいましたが見ることができました。

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「日本のベニス」とも言われる「内川」は、遊覧船が巡り、多くの漁船も停泊し湊町の風情が楽しめます。

また射水のベイエリアには映画やドラマのロケで使われた場所が多数あるそうです。

ベイエリアをもう少し散策したかったのですがいい時間になり、富山のホテルに戻ることに。

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最終日は、富山駅から第三セクター方式で運営されている「あいの風とやま鉄道」で高岡駅へと向かい、そこからJR氷見線に乗り換え「雨晴(あまはらし)駅」へと向かいました。

雨晴駅の前は富山湾、駅は国定公園内にあります。

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駅構内に観光案内所がありここで自転車が借りられます。

その自転車を借り、五月晴れの中、爽快に海岸沿いを走りました。

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海の向こうに見える陸地は、能登半島。

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そして冬の日本海を代表する味覚の「ひみ寒ブリ」で有名な「氷見」に到着。

ここで昼食をとり、氷見駅で自転車を返し帰路につくことに。

越中富山二泊三日の旅、駆け足ではありましたが越中富山の魅力の一端を満喫することができました。

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# by y-tukide | 2019-05-20 09:00 |

越中富山の旅―その1―

ゴールデンウィークの後半、越中富山方面を二泊三日で気ままに旅しました。

早朝、京都駅の0番ホームから特急サンダーバードに乗り富山駅に向かったのですが、加賀温泉駅で途中下車して「加賀橋立」を散策することに。

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加賀橋立は、かつては北前船の船主が多く住んでいた歴史ある街です。

北前船は、江戸後期から明治にかけ、大阪から瀬戸内をぬけ日本海を通って蝦夷(北海道)を往復し、寄港地で積荷を売買しながら各地を廻った商船です。1航海で1千石稼ぐという意味から千石船とも呼ばれました。現在の価値に換算すると1億円ほどの利益があったそうです。

当時、栄華を誇った街を散策していると富の象徴である蔵が多くみられます。

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盛り土した敷地の石垣や塀には、大谷石のような福井県産の「笏谷(しゃくたに)石」が使われています。

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家々の屋根は、寒さや雪に強い赤茶色のたぶん「石州瓦」と思われる瓦屋根で、棟瓦に「笏谷石」が積まれた家もあります。

また家や蔵の壁は、日本海から吹き付ける潮風から家を守る縦板張りで、古い家では北前船の「船板」が再利用されていました。

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人通りもまばらな街を散策し一軒の古民家を見入っていると中からこの家の奥さんが出てこられ、家の中も見ていいよと案内されました。

明治の初めに建てられたというこの建物の内部は、力強い丸太梁表しのいかにも骨太の海の男家らしい造りです。

構造材・造作材・建具すべての木部に塗られた塗料は「ベンガラ」と思いきや「漆」塗りでした。すごい!

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「日本一の富豪村」と言われ栄華を誇った北前船のこの集落、笏谷石の石垣が積まれた広大な屋敷跡など今はひなびたたたずまいが漂っていました。

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集落を出、海岸通りに出ると船溜まりがあります。今やこの街は漁師町。

ただ近年は魚が昔に比べると捕れなくなり、今年のズワイガニ漁も不漁だったと、先ほどの奥さんが嘆いておられました。

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とはいえ昼めしは近海で取れた魚。海岸通りの水産会社が経営する店で店先の魚を料理してもらい新鮮な魚料理をいただきました。

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食事の後、ちょっと足を延ばしたところにある「加佐岬」の絶景。

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加賀橋立を後に加賀温泉駅に戻り、今宵の宿がある富山駅と向かいました。

ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置き、夕食は「海の幸の宝庫」といわれる富山湾の幸をいただきに「鮨人」という店へ。

この店は江戸前の寿司屋で、大将がえらくこだわりの人でひと手間ふた手間かけた寿司懐石と富山の地酒をいただきました。

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これは、雄のノドグロの串焼きとズワイガニのにぎり。

メスのノドグロは蒸しでいただきました。

この店で使われている酢は、大将こだわりの赤酢です。

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食事の後、ホテルの最上階のバーへ。

そこからの富山市内の夜景。

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# by y-tukide | 2019-05-13 09:00 |

孫たちと南紀熊野の旅

ゴールデンウィーク、今年の春中学に入学した孫と中学3年になった孫と3人で南紀熊野を23日で旅をしました。当初、妻も行く予定で楽しみにしていたのですが急きょ行けなくなり大変残念がっていました。

初日は、朝5時半ごろ自宅を車で出発し、孫たちを迎えに行き彼らを乗せ南紀の「古座」へと向かいました。ここでの目的はカヤックでの清流古座川下りです。

10時ごろにJR古座駅に付き、駅構内にある古座観光協会でカヤックをレンタルし、いざ出発。

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彼らにとって今回の古座川下りは2回目の挑戦です。

初回は2年前の春休み、妻と3人の孫と一緒に携帯用の雨合羽に身を包み、にわか仕立ての妙な格好で初体験をしています。

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彼らにとってあの時の面白さが忘れられず、中学生になって部活や塾で忙しく時間が取れない中、何とか実現した再挑戦です。

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2回目とあってちょっと余裕があったのか、中1の孫がふざけ過ぎて川の浅瀬でこの始末。

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途中、上陸し「ぼたん荘」という宿泊施設のレストランでの昼食時間をはさみ、4時間ほどの古座川下りを堪能しました。

そして今宵の宿は、那智勝浦にある私お気に入りの「海のホテル 一の滝」

この宿は、以前にもブログで紹介しましたが、名物は循環・濾過をしない100%源泉かけ流しの温泉で、地元の人も多く利用しています。

2槽ある湯船の1槽の源泉は、体温に近いぬるい湯で私好み。

塩素剤などを一切使用せず加温・加水もしていません。

そしてこの宿は、朝夕の食事なしの素泊まりの宿などで、好きなものを食べに出かけられます。

また部屋のアメニティーも歯ブラシとタオル・バスタオル・浴衣は用意されていますが、過剰なサービスは一切なし。当然宿泊代もリーズナブル。

そして週1回の定休日があるという観光地の宿にしてはちょっと変わり種の宿です。

もう一つの名物は、建物が海の際に建ちすべての部屋から熊野灘が望めることです。

早朝の部屋からの熊野灘の眺め。

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翌日は、熊野古道を行くことに。

昨日の古座川下りで腕が筋肉痛で痛いこともあり、中辺路の「発心門王子」から「熊野本宮大社」までの約7キロの短いコースを行くことにしました。

7時、親しくなった宿の大将紹介の喫茶店で朝食をとり、車で新宮に行きそこから熊野川沿いを走り熊野本宮大社を目指しました。

その途中に見かけた熊野の雄大な自然の風景。

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熊野本宮大社の駐車場に車を置き、そこからタクシーで出発地点である発心門王子に向かいました。

その出発地点の発心門王子。ここに建てられた案内板によると「発心門(ほっしんもん)」の由来は、当時「悟りの心を開く口」とされる大鳥居があったことからだそうです。

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古道を進むとのどかな山村風景が現れます。

この日は、曇っていましたが風もなく暑からず寒からずの絶好のウォーキング日和。

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木彫りの八咫烏(やたがらす)の案内板。

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道は、本宮の神域とされる発心門王子から熊野本宮大社を目指す人気の熊野古道コースとあって整備が行き届いています。

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連休ということからウォーキングする家族連れなど人が多く、案内人付の団体さんも、まさに「蟻の熊野詣」の様相。

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そして「伏拝王子(ふしおがみおうじ)」に到着。

ここからは、山並みの間にかすかに本宮大社旧社地の「大斎原(おおゆのはら)」、那智の滝方面を見ることができます。

昔、熊野参詣の人々は長い旅の末、ここで初めて聖地を目にし、感動のあまり「伏し拝んだ」のが「伏拝王子」の由来だそうです。

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そしてようやく熊野本宮大社に到着。

すると境内は人だらけ。

社殿の前は、参道の階段から続く参拝者の長い行列。

ゴールデンウイークでもあり平成最後の参拝ということなのかよくわかりませんが、とにかく人が多い。

私はここには何度か訪れていますが、こんなに多くの参詣者を見たのは初めてです。

私たちは、離れたところから社殿に向かって参拝することに。

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そして大社前の食堂で昼食をとり、駐車場に置いていた車に乗り次に向かったのは、ひと山越えた所にある「湯の峰温泉」。

この温泉は開湯1800年といわれ、熊野古道の参詣者は、聖地に詣でる前にここで、みそぎと旅の疲れを癒したそうです。

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川沿いには「筒湯」があり、ボコボコと湧き出る90℃の熱湯で卵や野菜をゆでることができます。私たちも近くの土産物屋で卵を買い、湯につけ12分ほどで温泉卵が出来上がり。

そしてそれを土産に宿に戻ることに。

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最終日は、朝から雨。

ゆっくりと宿で朝湯を楽しみチックアウトして、「勝浦シーハウス熊野灘」という温泉宿の地元の人も良く利用する喫茶・食堂で遅めの朝食をとりました。私はここでいただくのは3回目。

この店の朝の和・洋定食は、安くてボリュームがあります。

マグロの刺身、焼き魚をはじめ8品付でなんと630円。

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朝から満腹状態。

そして途中、土産物屋や熊野古道伊勢路にある「花の窟(いわや」」などに寄り道しながら帰路に。

雨が上がった熊野灘に鯉が泳いでいました。

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# by y-tukide | 2019-05-07 11:54 |

初瀬街道 八太宿から六軒追分を行く

初瀬街道は、京・大和方面と伊勢を結ぶ道の一つです。

奈良県桜井市の長谷寺がある初瀬から榛原に至り、ここで伊勢本街道から分岐し、青山峠を越え松阪市の六軒追分で伊勢街道と合流する街道です。

私は、これまでに桜井から青山峠越え手前の阿保宿まで歩き、青山峠越えをパスして青山峠ふもとの垣内宿から二本木宿まで街道を行っています。

この日は、近鉄大阪線の川合高岡駅に下車し、八太(やた)宿から六軒追分に向かい初瀬街道を行きました。

川合高岡駅から間もなく渡瀬川にかかる八太橋を渡ると八太宿に入ります。昔この橋は板橋だったそうです。

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八太宿に入ると街道沿いの民家の立派な土塀が目に入ります。

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八太宿では街道は「七曲り」し左折右折を繰り返します。

宿場内には、元旅籠であったらしき建物を一つ見つけましたが宿場の昔の面影はさほど残っていませんでした。

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八太宿を抜けると街道は一直線に走ります。

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麦畑が広がるのどかな風景。

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そして街道は、嬉野(うれしの)宮古の集落に入ります。

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この集落は「忘れ井」の里とも呼ばれています。

平安時代、白河天皇の皇女が四十六代「斎王」として伊勢へ群行する途中、この地で井水を求められて自分の心の迷いを鎮め、二度と都の方を振りかけることなく一首詠み「忘れ井」と名付けられたと伝えられています。

「わかれゆく都のかたの恋しさに いざむすび見む忘れ井の水」

今はこの井戸は水が枯れています。

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「斎王」とは、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため派遣された未婚の天皇の娘である皇女です。天皇の即位ごとに選ばれ崇神天皇の皇女が初の斎王で、南北朝時代の後醍醐天皇の代まで続いたそうです。

近鉄山田線の斎宮駅の北側に広大な敷地の「斎宮(さいくう)跡」があります。この写真は、以前「伊勢街道」を行ったときに寄り撮った写真です。

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「忘れ井」の里を後に、中村川にかかる小川橋を渡ったあたりの街道風景。

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常夜灯を目印に街道をひたすら歩き、嬉野中川というところで昼食をとることに。

グーグルマップで探し街道近くにあった「地鶏屋」という焼き鳥の店に入りました。

ここの焼き鳥のたれは味噌だれ、以前伊勢街道を歩いた時にたまたま見つけた街道筋の焼き鳥屋のたれも味噌だれでした。

松阪近辺の焼き鳥のたれは味噌が一般的なのか、それと安い!

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焼き鳥を満喫し街道をさらに行きます。

そして街道は、三渡川の土手を走ります。気持ちのいい道です。

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そしてようやく伊勢街道との合流点、六軒追分に到着。

その付近に建つ「大阪屋」という屋号の建物。

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ここから伊勢街道を松阪方面に向かうと以前伊勢街道を行ったときに通った「市場庄」に入ります。

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このあたりの街並みは、伊勢地方独特の繊細な格子を施した「妻入り」の町家が連続して立ち並ぶ素晴らしい街並みです。

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市場庄のはずれに立つ、小さな常夜灯と役行者(えんのぎょうじゃ)を祀る行者堂、庚申堂そして2基の山の神。

背後の田んぼには、早くも田植えの準備で水が張られていました。

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この日もよく歩きました。

時刻は3時半、近鉄山田線の松ヶ崎駅から帰路につくことにしました。

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# by y-tukide | 2019-04-22 09:00 | 街道を行く

備中「吹矢」散歩

岡山県西部の山間の街「吹矢(ふきや)」は、江戸時代から明治にかけて鉱山の町として栄えた町です。特に江戸時代末期からは、ベンガラの国内随一の産地として名を馳せました。

赤胴色の石州瓦とベンガラ色の外観の連続した家々は、他の地域では見られない独特の街並みを形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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この建物は「旧片山家住宅」。

1759年の創業以来200年余り渡って吹矢ベンガラの製造・販売を手掛けた老舗です。

保存修理が行われ平成22年から一般公開されています。

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通りに面した1階が繊細な「出格子」、2階が「なまこ壁」の主屋とともに、裏にはベンガラ製造にかかわる付属屋が立ち並び国の需要文化財に指定されています。

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酸化鉄顔料であるベンガラは、日本では江戸時代にインドのベンガル地方産のものを輸入したために「ベンガラ」と名付けられました。耐水性・耐熱性・耐光性などに優れていることから建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として使われてきました。

吹矢を繁栄させたベンガラ産業も、昭和47年の銅山閉鎖に続いて昭和49年にその製造を終えましたが、今は街の土産物屋で観光客に、ベンガラ染めや焼き物などが売られています。私はベンガラで染めた手漉きの和紙を購入しました。

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実は、私がこの街を訪れるのは二度目です。

前回は8年前の20115月に、私が尊敬する今は亡き奥村昭雄先生・奥村まことさんと親しい仲間達とでここを訪れました。

この写真はその時の懐かしい記念写真です。

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街を散策した後、近くにある「ベンガラ館」に向かいました。

ベンガラ館は、明治のころのベンガラ工場を当時の姿に復元したものです。

往時は、このあたりにベンガラ工場が4か所あったそうです。

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ここではベンガラの製造工程が紹介されています。

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次に向かったのが「笹畝(ささうね)坑道」。

ここでは黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出されたそうです。

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坑道内には江戸時代の手掘り作業の様子が。

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そして最後に訪れたのは「旧広兼家住宅」。

広兼家もベンガラの原料である「ローハ」製造を営み巨大な富を得ました。その屋敷の石垣は、まさに「武者返し」を備えた城の石垣です。

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ここは横溝正史の推理小説「八つ墓村」の映画のロケ地となった屋敷です。

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自宅を朝5時ごろに出発し、休憩をはさみ約4時間近くかけて訪れた「吹矢」。

ちょっときつかった道のりでしたが、備中の山間ののどかな田園風景を眺めながら帰路につきました。

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# by y-tukide | 2019-04-15 08:21 | 散歩