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宇治市立植物公園―牧野富太郎 人生と植物―
自宅から歩いて十数分のところに、宇治市立植物公園があります。
現在、植物公園でNHK朝ドラ「らんまん」の主人公・牧野万太郎のモデルである「牧野富太郎」の特別展が行われていることを知り行ってきました。
私は、「らんまん」を楽しみにして毎日欠かさず見ています。
牧野富太郎は、江戸末期の文久2年(1862年)に土佐国(高知県)佐川村に裕福な造り酒屋の一人息子として生まれますが 、父親は3歳のとき、母親は5歳のときに亡くなり、祖母に育てられます。
明治に入り、出来たばかりの小学校に12歳で入学し、明治2年(1867年)14歳の時、小学校の授業に飽き足らず、2年で自主退学し、独学で植物学を勉強します。
そして生涯、多数の新種を発見し、「牧野日本植物図鑑」に代表される図鑑をはじめ、94歳で没するまで多数の著書を残し、「日本の植物学の父」とも呼ばれています。
「自然は先生」。
富太郎は、全国の野山に出かけ、植物採集・調査しいろんなことを自然から学びます。
採集した植物標本は、個人的に所蔵している分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を越えます。
牧野博士は、京都にも来ています。
「牧野マップ」表示された★印が訪れた場所。
我が町、宇治にも来ています。
ここに展示されている標本は、京都で採取したもの。
この標本は、明治38年(1905年)に京都市北区上賀茂で採取した「カミガモシダ」。
これは、ドラマでも出てきた東京郊外の小岩村で日本で初めて牧野博士が発見した「ムジナモ」の詳細な絵。
そしてこれが本物の食虫植物の「ムジナモ」。
博士は、その「ムジナモ」のからだのつくりを詳しく解説しています。
ドラマの中でも主人公が採集の際、肩にかけていた道具も展示されています。
これは、「採集動乱(どうらん)」という植物を採取した時に植物を入れて持ち帰る入れ物。
牧野博士は、おにぎりを入れる仕切りのある動乱を注文していたそうです。
これは、植物を採集したとき、その場で新聞などに植物を押して標本を作る場合に使われた「野冊(やさす)」。
牧野博士の名言の一つ。
―世の中には、雑草という草はない。
どんな草にだってちゃんと名前がついている―
その後、折角なので植物公園内を散策。
この時期は、園内はこれといった花が咲いていないという頭があったのですが、雑木林の中には、今まで見過ごしていた小さな野草の花が目に入り、それを出来るだけ近づいて撮り、トリミングし拡大して見てみると初めて見る不思議な美しい世界に引き込まれました。
これらの花たち、私が名前を知っている花は一つだけでした。
#
by y-tukide
| 2023-09-25 09:00
畑はじめました―その8「初秋の我家の畑」
今年の夏野菜は、畑を始めて2年目ということもあり、昨年に比べ豊作でした。
特にキュウリとミニトマトは、家族で食べきれないほど収穫でき、知り合いにもおすそ分けができました。
オクラは、昨年に比べ茎・葉は小ぶりでしたが今も収穫でき、私はほぼ毎朝、採りたてを生でいただいています。
ピーマンも次々と花を付け、さほど大きくはありませんが今も収穫できています。
夏野菜で8月に入り最初に終えたのは、今夏、豊作だったキュウリです。
毎日いただいていたキュウリが無くなり寂しくなったので、8月後半にニンジンを植えていた畝に2株、秋採れキュウリを新たに植えました。
現在、順調に育ち、花が咲き小さな実が付きだしました。
畑のミニトマトは、次に予定している秋冬野菜の準備もあることから9月上旬に終えることにしました。
ところがまだ赤く熟さないたくさんの青い実がもったいないのでとりあえず収穫し、試しにその青い実を日当たりのいい室内に透明のカバーをかけ置いてみたのですが、すると青い実が赤く熟してきました。
ナスビは、今年はプランターに1株のみ植え、主たる枝を3本とする「三本仕立て」で育てたのですが、これもうまくいき昨年より多く採れました。
そのナスビ、成り疲れし成長が衰えてしまった枝を回復させるために枝を大胆に切る「更新剪定」をしてみました。
果たして再度元気になり実を付けてくれるか楽しみです。
現在の我が家の小さな畑の様子。
奥の畝には、オクラとピーマンが今も頑張ってくれています。
左側の畝の奥は、新たに植えたキュウリ。
その畝の手前は、次にキャベツを植えるつもりです。
右側の畝の奥に今年キュウリを植えていたのですが、そこにもキャベツを植える予定です。
そのつもりで土造りを終えたのですが、そこに双葉の芽が出てきました。
これは何の種から生えたのか不明です。ここの土にはコンポストで堆肥化した土を入れたのですがその土に何かの種が入っていたのでしょうか?
右側の畝の手前には、妻の要望もあり今回初めてダイコンの種も蒔く予定です。
現在、畑以外で育てている野菜は、鉢にスティックブロッコリ―を2株。
二つのプランターにサラダ用にとミズナを6株。
ニンジンも今回、二つのプランターに種を蒔いてみました。
朝食に葉を数枚とって食べるのにリーフレタスも植えました。
何故か太くならないネギも薬味として重宝しています。
こんな調子で野菜作りとそれをいただく事を楽しみとしているのですが、
相変わらず、したたかな虫との闘いは今も続きます。
#
by y-tukide
| 2023-09-18 09:00
| 畑はじめました
近江東海道 草津宿から石部宿を行く
私は2001年の春に、京都三条大橋から「蹴上(けあげ)」を経て「逢坂(おいのさか)峠」を越え、「大津宿」に入り、瀬田川を渡り「草津宿」の「中山道」と「東海道」の分岐点である「草津追分(おいわけ)」から東海道を鈴鹿山脈のふもとにある「土山宿」まで何日かかけ歩いています。
22年ぶりにもう一度と、今回は相棒と「草津宿」から「石部宿」へと行くことにしました。
22年ぶりに見る草津宿の「草津本陣」。
常に公開されている「草津本陣」、この日は朝早かったのでまだ開いていませんでした。
宿場の街並を22年前に撮った写真と見比べてみると、造り酒屋の太田酒造さんや和ろうそくを扱う大喜さんなどは以前のままでした。
ただ、京都に比較的近い滋賀のJR東海道本線の沿線は、京都や大阪のベッドタウンとして人気があるようで、JR草津駅に近い草津宿もマンションや駐車場が増えていました。
ここが「草津追分」、「中山道」と「東海道」の分岐点。
分岐点に建つ道標には、「右東海道いせみち 左中仙道美(み)のぢ」と彫られています。
関ケ原合戦で勝利を得て天下を掌握した徳川家康が整備した五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)、そのうちの当時の最重要街道である「東海道」と「中山道」が近江を通っています。まさに近江は、当時の日本の交通の要所でした。
道標の左手奥の土手は、「草津川」の土手。
草津川は「天井川」で、平時はほとんど水が無く、旅人は歩いて渡っていたそうです。
その様子を歌川広重の浮世絵にも紹介されています。
現在、中山道はトンネルの隧道を走っています。
その草津川は、現在は流路が変えられ公園として利用されています。
街道は、その草津川を渡り右に折れさらに進むと、民家の庭に「目川田楽」の碑。
この辺りは、東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって「立場茶屋」が置かれたところ。
ここで出された食事は、地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し、東海道の名物となったそうです。
「目川田楽」の店は、三軒あったとのこと。
その近くで見かけた元茅葺の民家。
木部には、近江の建物らしく木部にベンガラが塗られ、玄関建具は障子張りでした。
「目川ひょうたん」を展示販売するこんな民家も。
さらに進むと栗東市の「手原」に入ります。
この辺りも22年前に見た街並みのままで立派な民家や蔵が並びます。
この規模と内容の民家を維持するのは、大変なことです。
住民の家と土地柄に対する誇りと意識の高さには感服します。
この建物も22年前のまま。
醤油屋さんで、創業は寛政二年(1790年)だそうです。
とにかく「手原」には、今もよく手入れされた立派な建物が多く残っています。
この建物も国の「登録有形文化財」に指定されています。
さらに進み、「六地蔵」というところに建つ「東海道一里塚」の碑。
今回、東海道を走っていて、22年前より道標や案内板・碑がよく整備され増えたように感じました。
歴史ある街並みを残し紹介することで街おこしに繋げようとしているようです。
そしてこの辺りから「近江富士」と呼ばれる「三上山」がくっきりと望めます。
その「六地蔵」には、豪壮な店構えの「旧和中散本舗」があります。
「和中散」といえば、腹痛や暑気あたりに効果があり、街道筋の名物の一つとして知られたもの。
徳川家康が、腹痛を起こしたとき、典医が勧めた和中散によって快癒したので広く世に知られたともいわれています。
ここまで趣のある建物を写真に納めながらの「東海道を行く」、遅々として進まないのでこの辺りからピッチを上げて進むことに。
そしてようやく「石部宿」に入ります。
「石部宿」は、「東海道五十三次」の五十一番目の宿場。
「京立ち石部泊まり」、京都・石部間は九里(約36km)、京都を朝出発した旅人が一日の行程を歩き、夕刻到着するのが、ここ「石部宿」であったそうです。
今の私の体力ではとても無理。
江戸時代、石部宿には本陣2軒、旅籠など62軒が街道沿いに建ち並んでいたそうで、多くはないですが今も当時をしのばす民家が点在して見られます。
この建物は、平成14年に旧石部町制100周年の記念事業として再現された「田楽茶屋」。
石部宿で遅めの昼食をとり、まだ日が高いので、石部宿の南の山手にある奈良時代に建てられた天台宗の寺院「長寿寺」に向かいました。「長寿寺」は「湖南三山(常楽寺・長寿寺・善水寺)」の一つです。
山手に新しく開かれた住宅団地を抜け、集落沿いに長々と続く坂道を息を切らせながら相棒と走ります。
そして「長寿寺」の小さな山門に到着。
本堂へと続く参道は、青もみじのトンネル。
紅葉の時期は、さぞかし色鮮やかに彩られることでしょう。
参道の途中の左手のお堂の前には、風鈴や切り絵がつるされています。
若い女性に好まれそうな演出です。
また境内の随所にかわいらしい焼き物が置かれています。
そして参道の奥には、緑の中に溶け込むように建つ国宝の本堂。
参拝者もほんの僅かで、静寂の中何とも気持ちのいい時間が流れます。
境内の初秋の花畑。
#
by y-tukide
| 2023-09-11 09:18
| 街道を行く
住まい手さん宅訪問 「三宅八幡の家」
この度お客様のご厚意により、お引渡しから8年目を迎える「住まい手さん宅見学会」をさせて頂いたのですが、見学会の合間にお住いの様子を撮らせていただきましたので、その一部を紹介させていただきます。
この建物は、比叡山の麓に鎮座する三宅八幡宮の近くに建ちます。
敷地は40坪程の細長い形状で、延床面積も23坪ほどと小さいですが、ご夫婦とお子様2人が快適に暮らされています。
外壁は漆喰塗りと吉野杉板張り仕上げで、杉板は8年の歳月を経て落ち着いた色に変化しています。
玄関前の樹木もよく茂り、潤いを与えてくれています。
新築時の様子。
そしてそれらの木々は、外からの視線をうまく遮ってくれています。
家族が集うリビングダイニングは20畳の広さ、リビングの中央に置かれた無垢の厚板のテーブルには、移動しやすいように巨大なキャスターが取り付けられています。
これはご主人の作だとか。
床は栗の木、壁は由布珪藻土仕上げ、床の栗が落ち着いたいい色に焼けています。
階段横の白く塗られた円筒形のダクトは、冬には太陽熱を取り入れ家全体を暖め、夏は2階やロフトの熱気を排気してくれる、パッシブソーラー「そよ換気」のダクトです。
食事は、キッチンと対面するカウンターで。
キッチンは、カウンターに座っている家族と目線の高さが合うように床の高さを30㎝ほど下げられています。
リビングの南側には畳スペースがあり、木製建具を介しウッドデッキと繋がり、裏庭へと続きます。
新築時、階段を上がったところはフリースペース、吹き抜けにはキャットウォークあったのですが、お子様の成長に合わせ、新たに間仕切りを設け個室を造りました。
その際に設けられた書斎。
2階の寝室。
40mm厚の床の杉板も焼けて落ち着いたいい色になっています。
その寝室の北西角に開かれた窓からは、山裾に建つ「三明院」の多宝塔が望めます。
小屋裏は、新築時から引き続きご主人の趣味のスペースのようです。
オーストラリアの原住民であるアボリジニーの楽器ディジュリドゥが飾られていました。
どんな音色がするのでしょうか?
8年前の引き渡し時の庭は、11月ということもあり庭の緑も貧相だったのですが、今はご主人が畑をされていることもあり、見違えるほど緑が豊かです。
庭の入隅のツル系の植物は、「自然薯」でその横は「ツル紫」だそうです。
新築時の庭。
これは自然薯の「ムカゴ」。
これを植えると自然薯が育つそうです。
「三宅八幡の家」、お子様をはじめ家族の成長とそれと伴い進化する生活の営み、その営みの場であるこの木の家も家族と共に成長・進化しているなと感じた今回の訪問でした。
これも庭でご主人が育てておられる「ヤブミョウガ」の花。
#
by y-tukide
| 2023-09-05 09:34
| 住まい手さん宅訪問
讃岐国ぶらり一人旅 ―その3
讃岐国(香川県)を三泊四日の一人旅、先週・先々週に引き続きその三日目。
この日は高松港から9時出航のフェリーに乗船し、小豆島の「土庄(とのしょう)」港に渡りました。
この時台風6号が、沖縄付近を迷走していて、この後の動きによっては、明日、小豆島から帰れるかどうか気がかりでした。
私が小豆島に訪れるのは2度目、10年前に妻と二人で訪れています。
土庄港の駐車場に車を預け、相棒を下ろし向かったのは「土庄本町」周辺。
ここは路地が複雑に入り組んだ「迷路の街」。
その街のシンボルである小豆島霊場第58番「西光寺」の三重塔。
小豆島には大阪城築城に使った石切りの石切丁場跡が点在しています。
ここは、採石奉行の陣屋跡。
街には、昭和のレトロなにおいも漂います。
街をぶらついていて見つけた妖怪美術館。
明治時代の呉服屋の蔵など、古い建物を活かした美術館だとか。
街中を縫う迷路の道幅は狭く、あちらこちらにレトロな消火栓が設けられています。
この建物は、自由律俳人「尾崎放哉」の記念館。
放哉が晩年過ごした「南郷庵」を復元したもの。
「自由律俳句」とは、五七五の定型俳句に対し、定型にしぼれられずに作られた俳句です。
土庄の町の南側にある、干潮時に小豆島と中余島を結ぶ砂州「エンジェルロード」。
大切な人と手をつないで渡ると願いが叶うとか。
そのエンジェルロードの近くの食事処で、「小豆島手延べそうめん」をいただきました。
「小豆島そうめん」は、兵庫県の「揖保乃糸」と奈良県の「三輪そうめん」と並んで、日本三大そうめんに数えられます。
食事後、車に戻り「オリーブ公園」へと向かいました。
オリーブ畑に囲まれた公園内にある「ギリシャ風車」。
小豆島は、オリーブの島として有名ですが、明治41年に香川県が国の委託を受けてオリーブ栽培を試験的に行ったところ、小豆島で栽培が成功したのが始まりだそうです。
観光客が、ほうきをも持って風車に向かっていくのを見て何なのかと行ってみると!
ここオリーブ公園は、映画「魔女の宅急便」のロケ地になったことから「魔法のほうき」が無料で貸し出しされています。
皆さん、主人公の「キキ」の気分になり楽しんでいるようです。
ここで土産にオリーブオイルを買い、その後、公園の南に突き出た小さな半島を海岸沿いに走りました。
途中で見かけた小さな漁村。きれいです。
その先の漁村には、こんな国際芸術祭の現在アートもありました。
作品名「ヒトクサヤドカリ瀬戸内」。
そしてその日は、小豆島に宿泊。
翌日、台風6号の動きがますます気がかりだったのですが、ぜひ行って見たい風景と建物があり、宿を早めに出て向かいました。
そこは、10年前にも行った「中山千枚田」の風景です。
前回来たときは5月で、棚田では田植えが行われていました。
そしてもう一つ見たかった建物は、茅葺き寄棟造りの「中山農村歌舞伎舞台」です。
ところが残念にも、その建物は現在改修工事中で見ることができませんでした。
この写真は、10年前に訪れた時のもの。
今回の旅に出る前、たまたまツキデ工務店の小豆島出身の従業員に小豆島に行くことを話していると、その従業員の生まれ育ったのが、なんとこの中山地区。
彼曰く、子供の頃この農村歌舞伎舞台に子役で出演していたとのこと。
そんなこともあり、ますます見たかったのですが残念です。
小豆島は醤油も有名で、醤油発祥の地、紀州和歌山の湯浅から醤油醸造の製法を学び、400年の歴史があり、最盛期には400軒程の醸造家があったそうです。
今も醤油屋が多く残る坂手港方面に向かったのですが、台風6号の動きが気がかりで街の散策は断念することに。
帰りのフェリーは、「大部港」から岡山県の「日生港」に午後3:30出航を予約していたのですが、12:00出航のフェリーに変更し急ぎ港に向かうことに。
何とかそのフェリーは「大部港」に来てくれたのですが、「高松港」と「土庄港」を結ぶ小型の高速船などは、欠航とのことでした。
#
by y-tukide
| 2023-08-28 09:00
| 旅