人気ブログランキング | 話題のタグを見る


日記


by y-tukide

カテゴリ

全体
街道を行く
かくれ里を行く
かいわい
散歩
早朝散歩

鉄道ブラ旅

水汲み
お知らせ
建物探訪
去り行く年の思い出フォトブログ
見学会・イベント
仕事色々
お寺の山門再生工事
伝統工法町屋改修技術を学ぶ
奥村先生とまことさん
雑誌掲載
我が社の年賀状
研修
お茶会
宇治川花火大会
天満天神繁昌亭
大相撲宇治場所
社員旅行
引っ越し
夏休み
お正月
我が家のツバメ
季節の花色々
思い出
古寺巡礼
住まい手さん宅訪問
竪穴式住居
畑はじめました
未分類

以前の記事

2025年 04月
2025年 03月
2025年 02月
2025年 01月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月

フォロー中のブログ

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

(252)

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
近畿

画像一覧

2024年 丹波国 高源寺の晩秋

兵庫県の丹波市青垣町にある丹波古刹十五ヶ寺霊場の九番霊場である「高源寺」を訪れた。
高源寺は、鎌倉時代に「遠谿祖裕(えんけいそゆう)禅師」によって建立された臨済宗中峰派の本山である。
「遠谿」は1306年、21歳のとき中国(元)に渡り、杭州天目山の「中峰(ちゅうほう)国師」のもとで修業し、10年後に帰国した。
境内のカエデは、その時に天目山から持ち帰ったもので「天目カエデ」と呼ばれている。

惣門をくぐると、秋色に染まるカエデが参道を覆う。
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13140575.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13140948.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13141225.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13141567.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13142114.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13142897.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13143257.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13143648.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13143952.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13152904.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13153202.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13153753.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13154175.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13154590.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13154814.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13155183.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13155545.gif
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13160059.gif



境内の広場では、近ごろ珍しい日本の伝統芸能である「猿回し」が行われていた。
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13160371.gif


帰りに参道沿いの店で焼かれていた丹波の焼き栗を土産にした。
2024年 丹波国 高源寺の晩秋_e0164563_13181207.gif










# by y-tukide | 2024-12-02 09:00 | 古寺巡礼

奈良街道を行く―その3—

「奈良街道」は、「宇治」を経由し「奈良(大和国)」と「京都(山城国)」を結ぶ古道である。現在は国道24号線とほぼ並行に走っている。
宇治にある今の自宅は、街道から少し離れているが、生まれ育ったところは街道沿いで、私にとって「奈良街道」は思い出が多く親しみのある街道である。
この日、相棒と自宅から「奈良街道」を京都へと走った。

以前にもブログ『奈良街道を行く―その1—』で紹介したが、奈良に都があったころ「奈良街道」は、京都市の南側に宇治川が流れ込む広大な「巨椋池(おぐらいけ)」があったことにより、街道は現在の「宇治市広野町東裏交差点」で東に折れ、「宇治」、「六地蔵」を経て東国へと向かっていた。
そして都が京都に移り、豊臣秀吉の時代、太閤秀吉が巨椋池に宇治川と巨椋池を隔てる「太閤堤」を築いたことにより、京都の「伏見」からその堤を経て、京都と奈良を結ぶ最短コースが生まれた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_16351162.gif

その分岐点である広野町東裏交差点の郵便局の角にある『右うぢみち 左京道』の道標。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10094859.gif

街道は、国道24号線と交わりながら「小倉町」に入る。
街道沿いに鎮座する「巨椋(おぐら)神社」。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10095164.gif

この辺りの街道沿いには、今も古い町家が点在して残り、茶問屋さんが何軒かある。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10095345.gif

街道は「小倉町」から国道24号線を横切り、巨椋池に浮かぶ島であった「槇島町」そして「向島町」へと走る。
巨椋池に浮かぶ「向島」、手前が「伏見」が描かれた古地図。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10095735.gif

「向島」を抜けると街道は国道24号線に合流し、宇治川に架かる「観月橋」を渡る。
「観月橋」の西側には、1928年(昭和3年)に建設された単純トラス橋である「澱(よど)川橋梁」が架かる。国登録有形文化財に登録された歴史遺産であるが、現在も近鉄京都線が走る。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10100259.gif

橋を渡り国道24号線の登坂を行くと左手に「御香宮(ごこうぐう)神社」が鎮座する。
境内には、「伏見の名水」が湧き出ている。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10100750.gif

この日、神社には11月の日曜日とあって、七五三参りの家族連れが何組も訪れていた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10100964.gif
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10101251.gif

さらに進むと街道は、国道24号線と別れ「本町通り」に入る。
本町通りの「墨染」の交差点を過ぎると街道の両側には商店が立ち並び、少し行くと右手に「藤森(ふじのもり)神社」が鎮座する。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10101509.gif

「藤森神社」は、5月5日に行われる曲芸的な馬術である「駈馬(かけうま)神事」で有名である。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10102677.gif

この辺りの街道筋に残る古い町家。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10102860.gif

神社から少し行くと「直違橋(すじかいばし)一丁目」の交差点にあたる。
交差点を東西に走る道は、京都山科と大津の境にある「追分(おいわけ」で京の都を向かう『東海道五十三次』と別れ、「伏見」を経て「大阪」へとつながる『東海道五十七次』の『旧東海道』である。
交差点手前にある地元で「筋違橋」と呼ばれる石橋、明治時代に道路整備が行われ架け替えられたそうで、橋には何故か味気ない名「伏見街道第四橋」と刻まれていた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10103088.gif

交差点から少し行くと右側に「聖母女学院本館」の建物が目に入る。
この建物は、旧陸軍第16師団司令部として明治41年(1908年)に建設されたものである。
たしか私が10歳の時他界した父も先の大戦でこの師団に入隊していたようで、終戦をフィリピンで迎えたと母から聞いたことがある。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10103402.gif

街道沿いで見かけた「軍人湯」の看板、この辺りは戦前までは軍人の町、今も当時のままの名で営業されている銭湯である。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10215312.gif

「聖母女学院本館」前の街道沿いには、よく整備された大型の町家が残る。
この町家には、「龍谷大学 深草町家キャンパス」と書かれた看板が掛けられていた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10201995.gif

街道をさらに進み、JR奈良線の踏切を越えると左手に「伏見稲荷大社」の最寄り駅である「JR稲荷駅」がある。
街道から駅敷地内にあるレンガ造りの小さな建物が目にはいる。
この建物は、電気がなかった時代、汽車の列車に使うランプを保管した「旧東海道線ランプ小屋」、明治13年(1880年)竣工した京都・大津間を結んだ旧東海道線の貴重な遺構である。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10103711.gif

稲荷駅の前には大鳥居がそびえる。全国に約3万社がある稲荷神社の総本宮である「伏見稲荷大社」の表参道の鳥居である。
その参道は、外国人観光客であふれていた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10104286.gif

稲荷大社は、『五穀豊じょう 商売繁盛』の神さんとして信仰を集めているが、彼らはここに何を求めてきているのか?

お稲荷さんといえばキツネ!
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10104572.gif

参道のものすごい人の流れを横切り、街道を進むと右手に「東福寺」の南大門が現れる。
そして久しぶりに東福寺に立ち寄ることにした。

国宝の「三門」、間口五間重層のこの門は禅宗寺院の三門の中では最大で最も古いらしい。
この日は、三門の特別公開がされていた。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10104710.gif

紅葉の時期とあってか、ここも観光客であふれていて早々に撤退。
その紅葉、11月下旬であるのに色づき始めたばかりであった。
奈良街道を行く―その3—_e0164563_10105098.gif











# by y-tukide | 2024-11-25 09:00 | 街道を行く

龍田古道を行く

「龍田古道(奈良街道)」は、古代から大和(奈良)と河内(大阪)を結ぶ古道。
この日、相棒と法隆寺のある大和の「斑鳩」から「龍田(たつた)峠」を超え、河内の「柏原」へと「龍田古道」を行った。
斑鳩につくとまず晩秋の「法起寺」に立ち寄った。ここを訪れるのは久しぶりである。
龍田古道を行く_e0164563_09585349.gif

この日は、早朝から晴天でコスモスが朝露に濡れ輝いていた。
龍田古道を行く_e0164563_09585507.gif

法隆寺の観光駐車場に車を預け、相棒をおろしここから龍田古道を行くことにした。
早朝の法隆寺、さすが世界文化遺産とあってか8時過ぎというのに観光客がちらほら訪れていた。
龍田古道を行く_e0164563_09585881.gif

法隆寺を訪れるのも久しぶり、折角なので宮大工が多く住んでいた「西里」をちょっと散策。
ここには、法隆寺の専属の宮大工であった故「西岡常一」さんの住まいもある。
龍田古道を行く_e0164563_09590103.gif

「西里」から法隆寺の南大門に戻り、南に延びる松並木の参道を行くと「龍田古道(奈良街道)」と交わる角に道標が立つ。
道標には『左 京・郡山・なら・・・右 いせ・たわら本・・・』と彫られている。この道は大阪から「初瀬街道」とつながる伊勢への参詣の道でもある。
龍田古道を行く_e0164563_09590459.gif

ここから「龍田古道(奈良街道)」を西に向かい、国道25号線を越え進むと右手に「龍田神社」が現れる。
龍田古道を行く_e0164563_09590807.gif

この辺りが「龍田」。浪花(大阪)・奈良・伊勢・当麻への分岐点として「龍田神社」を中心に商家・旅籠(はたご)が軒を並べ、西大和地方の商業の中心として栄えた宿場町だそうである。
街道筋には、往時のなごりが感じられる町並みが残る。
龍田古道を行く_e0164563_09591384.gif

江戸時代から続く「太田酒造」。「初時雨(はつしぐれ)という銘柄の地酒がうりである。
龍田古道を行く_e0164563_10061180.gif

街道は、国道25号線と合流し「竜田川」に架かる「竜田大橋」を越え進むと生駒郡三郷町に入る。ところがこの辺りの古道のルートがもう一つわかりにくい。とりあえずグーグルの地図で見つけた「平降寺(へいりゅうじ)」という寺院に向かった。
「平降寺」は、別名「平群(へぐり)寺」とも呼ばれ、聖徳太子建立寺院の一つとして伝えられるが、飛鳥時代にこの地の豪族「平群氏」が建てた氏寺であったと考えられているそうである。
龍田古道を行く_e0164563_09591677.gif

「平降寺」から坂道を下り「大和川」に出る。
大和川は、「龍田古道(奈良街道)」と共に河内と大和を結ぶ川の「道」である。
龍田古道を行く_e0164563_09591914.gif

大和川沿いを走り、次に向かったのは「龍田大社」。
「龍田大社」は、大和(奈良)と河内(大阪)の国境の「龍田山」と深く結びつく「風神」を祀る社で、古くから続く「龍田古道」の信仰の中心であったそうである。
この日は祭日で、七五三の家族連れでにぎわっていた。
龍田古道を行く_e0164563_14533126.jpg

「龍田古道」は、「龍田大社」からいよいよ「龍田越え」、竹やぶの中を抜ける峠道へと入る。
「龍田古道」は、大和と大阪を結ぶいくつかある街道の中では、大和川も流れる最も高低差の少ない
街道であるが、この歳で自転車をこぎ登る峠道はさすがにきつい。
龍田古道を行く_e0164563_09592760.gif

そして峠に到着。ここには「峠八幡社」が祀られ、社の入口には石造の地蔵菩薩を安置した辻堂があった。
龍田古道を行く_e0164563_09593044.gif

峠道の入口からこの辺り、そしてその先は大和川を挟んで両側から山がせまる「龍田古道」で最も狭い場所。そして古代から恐れられた地すべり地帯である。
峠道を下っていくと平屋のおしゃれな建物「亀の瀬地すべり歴史資料館」がある。ここでは、地すべりのメカニズム、地すべり対策工事の内容などに関する展示がされている。
龍田古道を行く_e0164563_09594166.gif

また近くには、昭和6年・7年の地すべりによって崩壊した鉄道のトンネルが残され、予約するとレンガ造りの「旧大阪鉄道亀瀬隧道」のトンネル内をガイドさんの案内で見学することが出来るそうである。
龍田古道を行く_e0164563_09594447.gif
龍田古道を行く_e0164563_09594651.gif

眼下の大和川が流れる最も狭い場所の地すべり地帯の区間を、現在の鉄道「JR関西本線・大和路線」は、対岸(左岸)を走っている。
龍田古道を行く_e0164563_09594955.gif

そして古道は下り大和川沿いを走る。この辺りは「亀の瀬・亀石」という景勝の地で川の中に亀の姿に似た岩があるとのことで、川岸まで下り多分この岩かと撮ってみたのだが地元の人に聞くとどうも違ったようである。
龍田古道を行く_e0164563_09595242.gif

その先で「JR大和路線」は、大和川の右岸に渡り古道の上を走る。
龍田古道を行く_e0164563_09595528.gif

そしてさらに川沿いを走ると「河瀬橋」が現れる。
この辺りには、橋がない時代「渡し」があったそうである。
龍田古道を行く_e0164563_10000066.gif

橋を渡ったあたりで昼食をとり、まだ陽が高いのだがこの日はここまでとした。
というのもこの日は、輪行袋を忘れたので帰り電車にも乗れなく、もと来た道を通り、また峠越えをしなければならないことを考えると無難な判断であった。

おかげで法隆寺の駐車場に比較的早く帰れたので、少し離れているが「当麻寺」に向かい妻の好物である名物の「中将餅」を土産に帰路についた。
龍田古道を行く_e0164563_10000383.gif










# by y-tukide | 2024-11-18 09:00 | 街道を行く

京都左京区の町家

この建物は、京都好きのお施主様が、昭和初期に建てられたと思われる京町家を購入され、セカンドハウスとしてツキデ工務店が改修させていただいた建物です。
この度、お施主様のご厚意によりお住まいの様子を撮らせていただきましたので、お施主様のご了解のもとその一部を紹介させていただきます。

この建物は、住居専用の町家として建てられたもので、道路に面して小さな「数寄屋門」と生け垣があります。
改修に際し「数寄屋門」は、門柱の朽ちていた柱脚部は切り取り新たに「根継(ねつぎ)」を施し、屋根は軽くするために銅板で葺き替え再利用しています。
また生け垣は撤去し「大和張り」の板塀としました。
京都左京区の町家_e0164563_13402507.gif



門を入ると奥に家人用の勝手口と左手に客人用の玄関があります。
改修後も建具は、既存のものをそのまま活用しました。
京都左京区の町家_e0164563_13402908.gif


「玄関の間」の腰高の「出格子」も既存のものをそのまま残しました。
京都左京区の町家_e0164563_11523242.gif

客人用の玄関の4枚建ての格子戸。
京都左京区の町家_e0164563_13403298.gif


4枚建ての玄関戸を引き分けて入ると正面に「玄関の間」が。
土間には「沓脱石」が据えられ、障子は両側の「舞良戸(まいらど)」に引き込まれます。
京都左京区の町家_e0164563_11524159.gif
京都左京区の町家_e0164563_11524537.gif

「玄関の間」には、昔の雨合羽(あまかっぱ)である「蓑(みの)」が掛けられていました。
京都左京区の町家_e0164563_11524887.gif
京都左京区の町家_e0164563_11525179.gif

「玄関の間」から見た「表」。
京都左京区の町家_e0164563_11525598.gif

「玄関の間」から続く「台所(ダイドコ)」。
改修前の床は、板張りだったのですが、この建物は当初、勝手口から続く床は土間で裏まで「通り庭(トオリニワ)」と呼ばれる土間であったと思われます。
今回、「台所」の対面式キッチンの床は以前のモルタル塗りの土間にしました。
京都左京区の町家_e0164563_11525884.gif

対面式のキッチン、ここで畳に座り食事をされます。
京都左京区の町家_e0164563_11530722.gif
京都左京区の町家_e0164563_11531035.gif

「台所」につながる8帖畳敷きの和室の居間。お施主様は畳がお好みです。
京都左京区の町家_e0164563_11531366.gif

8帖の和室には、半間の「床の間」と半間の「内縁」があります。
「内縁」の床は桧板張り、天井は「垂木(たるき)」が北山杉の「海布(かいふ)丸太」の化粧天井です。
京都左京区の町家_e0164563_11531983.gif

「内縁」に設けた大開口は木製建具で、内側に設けた「雪見障子」を介して裏の坪庭の緑を楽しむことが出来ます。
京都左京区の町家_e0164563_11532114.gif


「内縁」から洗面トイレ、浴室につながります。「内縁」からの入口の建具は、既存の「舞良戸(まいらど)」を再利用しています。
京都左京区の町家_e0164563_11532440.gif

浴室の浴槽は、ハーフユニットバスで腰から上の壁・天井は水に強い赤身の桧板張りです。
京都左京区の町家_e0164563_11532702.gif

2階には、6帖の畳敷きの二つの和室があります。
2階南側の和室。
京都左京区の町家_e0164563_11532911.gif

もう一つの和室には、2間の広さの押入れと2階トイレ、洗濯機置き場、そして開口部をあけると物干ベランダへと続きます。
京都左京区の町家_e0164563_11533316.gif

京都好きのお施主様、これからこの町家を拠点に京都をはじめその周辺を巡り楽しまれることと思います。
京都左京区の町家_e0164563_11533521.gif









# by y-tukide | 2024-11-07 15:42 | 仕事色々

郡上八幡 散歩

「郡上(ぐじょう)八幡」は、岐阜県郡上市の八幡地区、「長良川」の支流「吉田川」沿いの町で、市街地にそびえる山城である「郡上八幡城」の城下町として栄えてきた。
「郡上八幡城」の西南には、今も近世以来の城下町の当時の面影を色濃く残す古い街並みが残っている。中でも職人町・鍛冶屋町・柳町は、2012年に国の重要伝統的建築群保存地区(伝建地区)に選定されている。
また「郡上八幡」は湧き水や街中を水路がくまなくめぐる「水のまち」でもある。
そしてなんといっても日本三大盆踊りのひとつである「郡上おどり」の町として有名である。

私は、10月の上旬の「郡上八幡」に11年ぶりに訪れた。
この日は、車に相棒を積み午前中遅めに自宅を出かけ、昼過ぎに郡上八幡に着いた。そして最初に向かったのは市街地にそびえる「郡上八幡城」。
郡上八幡 散歩_e0164563_15393012.gif

「郡上八幡城」は、明治の廃城令により天守をはじめとする建物は取りつぶされたが、現在の天守は、1983年(昭和58年)に日本最古の木造建築で再建されたものである。

天守から望む「郡上八幡」の町。
郡上八幡 散歩_e0164563_15393680.gif

この日、「吉田川」沿いに建つ素泊まりの古い宿に泊まった。
ライトアップされた夜陰に浮かぶ「郡上八幡城」。
郡上八幡 散歩_e0164563_15393942.gif

「吉田川」沿いに建つライトアップされた「旧八幡町役場」。
現在は「郡上八幡旧庁舎記念館」として観光案内所や土産物が置かれ観光の拠点となっている。
郡上八幡 散歩_e0164563_15394269.gif

「日本100名水」の一番手として指定を受けた湧き水「宗祇水(そうぎすい)」と石畳。
郡上八幡 散歩_e0164563_15394649.gif

石畳から「吉田川」に流れ込む「小駄良川」に架かる「清水橋」を渡ったところにあった「しみず橋」という小さな居酒屋に飛び込みここで幸運にも店のメニューにない珍しいものをいただいた。
「吉田川」でとれた今や希少なドジョウ、これを唐揚げにしてくれた。
郡上八幡 散歩_e0164563_10433056.gif

このドジョウは、ご主人が「吉田川」で自らとったものだとか。
ご主人曰く、子供のころから「吉田川」は遊び場でドジョウ・鮎・ウナギなどをとっていたそうで、この店で出す川魚は、ご主人自らが趣味と実益を兼ねて「吉田川」でとって出しているそうである。
この鮎もご主人がとったもの。
郡上八幡 散歩_e0164563_10433335.gif

朝、早起きして街を散策。
上流にダムがない清流「吉田川」、前日の午前中は激しい雨が降り、ここに来た時は濁っていたのに朝には水の濁りが消えていた。
郡上八幡 散歩_e0164563_15395883.gif

昨晩、ライトアップされていた「郡上八幡旧庁舎記念館」。
郡上八幡 散歩_e0164563_15400260.gif

記念館の東の裏側を流れる小川沿いの「いがわこみち」。
川には、まるまると太った錦鯉が泳いでいた。
郡上八幡 散歩_e0164563_15400565.gif

早朝で店もまだ閉じられた観光客もいない静かな街並み。
郡上八幡 散歩_e0164563_15400897.gif

ここは「やなか 水のこみち」と呼ばれる整備された小道。
郡上八幡 散歩_e0164563_15401136.gif
郡上八幡 散歩_e0164563_15401432.gif

「宗祇水」の石畳に通ずる路地。
郡上八幡 散歩_e0164563_15402036.gif

宿に戻り早々にチェックアウトし、7時から開けていた喫茶店で朝食をとり、車を駐車場に預け相棒を降ろし街散策。
ここは伝建地区の「柳町」、江戸時代には中級藩士から下級武士が住む侍の町であったそうである。
郡上八幡 散歩_e0164563_15402489.gif

ここも伝建地区である職人町・鍛冶屋町の街並み。電線が埋設され趣がある美しい街並みである。
連続する「平入り」の町家の造りは、それぞれ防火のための「うだつ」を設け、雪対策からか2階の屋根は、「腕木」を出しそれに「桁」を架けて軒の出を深くしている
郡上八幡 散歩_e0164563_15402616.gif

またこの辺りは、100年ほど前に大火があったようで1階の軒先には防火意識向上の為か防火用のバケツが吊るされていた。
郡上八幡 散歩_e0164563_15402992.gif

町中はみなそうであるが、ここも通りには清らかな水が流れている。
郡上八幡 散歩_e0164563_15403282.gif

この通りの一本東の通りには、「郡上八幡博覧館」がある。ここには「郡上おどり」に関する資料の展示と土産物、そして「郡上おどり」の実演が1日に5回行われている。
「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬まで30余夜にわたって繰り広げられ、お盆の4日間は夜が明けるまで踊る超ハードな盆踊りである。
郡上八幡 散歩_e0164563_10434250.gif

実は、「郡上八幡」は私が二十代の時、妻と二泊三日の旅をした時ここを訪れ一泊した。その時お盆だったか、夜「郡上おどり」が行われていて、見ていると引きずり込まれるように踊りの輪の中に入り踊ったことを懐かしく思い出す。
郡上八幡 散歩_e0164563_15403934.gif

「郡上八幡旧庁舎記念館」の前には、「水船」という湧水を受ける木の桶がある。
上段は飲料水として使い、下段は洗い物をするように使い分けられてきたものである。
郡上八幡 散歩_e0164563_15404265.gif

とりわけ「尾崎地区」には、今も活用されている様子がうかがわれる「水舟」が何カ所か見受けられた。
郡上八幡 散歩_e0164563_15404682.gif

まさに郡上八幡は「水のまち」である。
郡上八幡 散歩_e0164563_11181892.gif









# by y-tukide | 2024-10-28 09:00 | 散歩