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2018年夏 南紀太地の花火大会―思い出その1―


2018年夏 南紀太地の花火大会―思い出その1―

10日ほど前から持病の腰痛が2年半ぶりに再発し、腰から左足にかけて激痛が走り、一時は歩けない状態がしばらく続き、惨たんたる有様でした。
当然、休日カメラをぶら下げ出かけることもままならず、そこで週一回のフォトブログも今回は、過去の思い出に残る写真を掲載させていただくことにしました。

思い出その1は、コロナ禍で今夏は各地の花火大会が中止となり残念な思いをされている方も多くいらっしゃると思いますが、そこで2018年の夏休みに家族と南紀を訪れた時に、たまたま見ることができた鯨の町「太地」でお盆に行われた花火大会の写真を掲載させていただきます。
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太地町は熊野灘に面し、和歌山県東牟婁(むろ)郡に属する人口2780人ほどの小さな漁師町です。そしてここは、日本の古式捕鯨発祥の地と言われています。
お盆の8月14日には毎年、盆供養花火大会が太地漁港で行われています。
2年前の夏、泊まっていた紀伊勝浦の宿の主人に、隣町の太地で今晩、花火大会があると聞き、夕食を早めに済ませ太地へと向かいました。
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目の前で打ち上げられる洋上の花火は迫力満点。
我々のような観光客もいるのでしょうが、地元や近在の人たちが中心で、込み合うほどの人数でもありません。事前の場所取りも必要なく漁港周辺どこからでも花火を楽しむことができます。
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数多くはないですが屋台も出て、この時7歳だった孫娘も花火もそこそこに屋台巡りを楽しんでいました。
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鯨の町太地「鯨踊り」も演じられました。
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花火が終わると、火のついた松明(たいまつ)を15m上に設置された直径80cmのわら籠めがけて投げる「柱松」が行われました。
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火のついた松明をわら籠に投げ入れるのは至難の業。
ようやく一本の松明がわら籠に入り燃え上がります。
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14日は「迎え火」、15日は「送り火」として、仏を迷うことなく迎え、送るこの地域の儀式だそうです。
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花火は、8時から始まるのですが、その前に地元の人たちが中心の盆踊りも行われました。
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地方の小さな漁師町でのお盆の催し、大規模な花火大会では感じられない、なぜか懐かしくほのぼのした感じを味わえた、思い出に残る花火大会でした。
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by y-tukide | 2020-08-11 11:34 | 思い出

奈良西ノ京の家 ―築47年の民家再生―


奈良西ノ京に建つ築47年の家の再生工事をさせていただき、この度完成し、お引き渡しをさせていただきました。
この建物は、お施主様のお父様が昭和48年に自らが設計し、大変こだわって建てられた建物で、お施主様にとっても思い出多き建物です。
一時期、空き家となっていたのですが、お施主様のこの建物を朽ちさせたくないという強い思いから再生工事を計画されました。
そして今回、残すべきところは残しながらお施主様のこだわりを新たに吹き込み、より快適に住まえる家にするために間取りを変え、性能を向上させることにより、新たな付加価値を高めた家に生まれ変わりました。

庭の工事などは工事途中ですが、今回お施主様のご厚意により、玄関周りのみの完成写真を撮り掲載させていただきます。
以前の玄関周りは、屋根が複雑で谷がいくつかあり雨漏りしやすい状態だったのですが、一部減築することにより、屋根周りをすっきりさせました。
また、お施主様のご要望として玄関周りは、繊細な京風にとのご希望もあり、今回数寄屋風に仕上げることにしました。
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実はこの箇所は、玄関横のトイレなのですが、窓の格子は「さらし竹」を和釘の「かい折釘」でとめ、屋根は杉の厚板の「板庇」とし、板の継ぎ目は「さらし竹」の節先を残した割竹で押えています。
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玄関を入ると正面に客人をもてなす「床」と「脇床」があり、右側には栗の一枚板の「腰掛」、左側の玄関収納は、漆塗りの「美濃和紙」張りの建具で仕切りました。
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「袖壁」をつけた「ふくろ床」の床柱は「赤松皮付丸太」、「地板」にはツキデ工務店がストックしていた松の古材の地板を再利用し、「蹴込み」に「ごま竹」を用いています。
実は床の裏側は居間からの階段でして、床の右上の階段が一部斜めに出た部分を袖壁で隠しています。
その袖壁の壁止まりには「すす竹」を用いました。「下地窓」はベテランの大工が「女竹(めだけ)」を「藤づる」で編んでくれました。
「脇床」の「地袋」の襖は、お施主様こだわりの「京唐紙」を用いています。
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玄関の床は畳敷き、壁は「聚楽」塗り、天井は杉赤柾(まさ)の「竿縁天井(さおぶちてんじょう)」で、赤杉の竿縁を二本「吹き寄せ」にしています。
玄関土間の天井は、玄関庇の「軒天」と同じ仕上げで、外からそのまま内部に伸びたたように見せています。
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玄関に隣接するトイレ。
工事途中にお施主様が戸を「舞良戸(まいらど)」にしてほしいとの要望があったので、それならばと私の判断で、舞良戸に玄関の天井に用いた180mm赤柾の板を使い、腰板も当初は110mm幅の板目の杉板張りの予定だったのですが、舞良戸とそろえ赤柾の板を腰板とし、「ごま竹」で押えました。
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工期は予定していた以上にかかりましたが、引き渡しに際し、お施主様からは大変満足しているとの感謝の言葉をいただき、工務店冥利に尽きる日となりました。
庭の工事も終え、落ち着かれた際、改めて全体の完成写真を撮らせていただきたいと思います。
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by y-tukide | 2020-08-03 11:02 | 仕事色々

三重歴史街道「八風道」を行く

今回も三重県が作成した「みえ歴史街道ウォーキングマップ」を片手に、相棒と「八風道」を行きました。
八風道は、伊勢と近江を結ぶ鈴鹿山脈の八風峠越えの交易路として、鎌倉時代の頃から盛んに利用されていました。
私は以前に、八風道を近江東海道の「武佐(むさ)宿」から八日市を経て、永源寺を通り愛知川沿いを走り八風峠を車で越えたことがあります。
八風道は、現在の国道421号線にあたり、今は峠にはトンネルが出来ていますが、あの当時の峠には、道幅が狭いために大型車が通れないようにコンクリートの塊が峠道の両脇に立てられていて、私の車も幅がぎりぎりで冷や汗をかきながら通った思い出があります。
今回は、三重県側の起点である四日市市の「富田(とみだ)」から八風道を行くことにしました。
早朝に自宅を出て、近鉄名古屋線の「近鉄富田」という駅近くに車を停め、ここから相棒と出発です。
まずは、初めて来た「富田」という町を散策。
駅から南へ海に向かっていくと松並木が残っています。昔はこの辺りが浜辺だったのでしょう。
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海と並行に走る主要な道に直行して幾筋もの道が海に向かって規則正しく等間隔で伸び、それに町家が連続して並びます。
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家の棟が道に平行し玄関がある「平入(ひらいり)」の多くの町家には、一階に「出格子」、2階の開放的な窓に「欄干」が設けられ、出格子の前には夕涼みのためなのか「床几(しょうぎ)」がおかれているのが、この辺りの町家の粋な共通点です。
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そしてここが八風道の起点の「富田一色」の港だったところ。
昭和34年に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風後に築かれた防波堤に囲まれ、今は船溜まりになっています。
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江戸時代、ここから八風道を通り運ばれてきた年貢米が船で運び出されたそうで、周辺には今も蔵がいくつか残っています。
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「海運橋西詰」、ここから八風道は「八風峠」へと向かいます。
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少し走ると街道は「旧東海道」と交差し、そしてその先のJR関西線の狭い踏切を渡ります。この辺りには当時の面影などは一切残っていません。
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市街地を抜けたあたりののどかな街道風景。
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街道にほぼ並行して三岐鉄道三岐線が通っているのですが、「平津駅」を越えたあたりから街道は「朝明川」沿いを走ります。
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「山城」という集落の街道沿いにある「櫻神社」。
小高い丘の上にあり、大変急な階段がまっすぐに伸びていて、見上げてこれはちょっときついと参拝はパス。
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小さな集落やのどかな田園風景を抜け走る街道。
気持ちよく走れるのですが天気が良く、気温が高いこともあり汗だく。
木陰に入ると一瞬ですが癒されます。
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「菰野町」にある「西信寺」の角で街道は、右に折れるのですが、左にとり寄り道することに。
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向かったのは「竹成」という集落にある「五百羅漢石仏群」。
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この小高い山の五百羅漢は、嘉永5年(1852年)に竹成出身の「神瑞和尚」が建立を発願し、「桑名」の石工の手により15年の歳月を経て完成させたもので、一体一体の表情がみな異なります。
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山頂の大日如来像を中心に、阿弥陀如来や菩薩、天狗、閻魔大王に七福神、はたまた松尾芭蕉とバラエティーにとんでいて、神と仏が入り交じった当時の庶民信仰の多彩さが伺えます。
これは七福神。
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寄り道して石像を眺めていると時間がたち、これまでの上り坂と暑さで疲れていることもあり、この後無理して八風道に戻り先を行くのをあきらめることに。
そして最寄りの駅である「保々駅」まで走り、そこで相棒を輪行袋に納め、車を停めてある「富田駅」に向かい帰路につきました。
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by y-tukide | 2020-07-27 11:59 | 街道を行く

築36年の宇治の家 リノベーション

地元宇治に建つ築36年の家をリノベーションさせていただいたのですが、この度めでたく完成し、お施主様のご厚意により完成写真の一部を紹介させていただきます。
この建物は、延床面積が114㎡(34.5坪)の2階建ての瓦葺の建物です。
築36年の家とはいえ、これまで大変大事に使われ、手入れもされていたので状態は悪くなかったのですが、今回の改修では耐震性能・断熱性能の向上を図り、より安全で快適に住める家にすると共に、間取りを変え、自然素材で仕上げることにより、使いやすく健康的な住まいにさせていただきました。
広さは玄関の一部を減築したのですが、基本的には現状のままで、屋根も樋は掛け直しましたが問題が無かったので現状の瓦屋根としました。

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玄関の正面には、既存の門扉があるのですが、ガレージから雨に濡れないで玄関に入りたいとの奥さんのご要望もあり、ガレージから続く長い玄関庇を設けました。

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玄関入り口は、格子を施した引き戸です。

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玄関を入った右側の土間に玄関収納があります。
建具は、古建具の「舞良戸」を再利用しました。

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土間は、ツキデ工務店オリジナルの「三和土(たたき)」風土間仕上げ、式台はサクラ、框・床は吉野桧、壁は珪藻土、天井は赤身の吉野杉で仕上げています。

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以前は、7.5畳のダイニング・キッチンと床の間・仏間のある8畳の座敷そして縁側があり、それぞれが壁・建具で仕切られていました。
今回の改修では、その箇所の重要な柱は残し、新たに耐震補強を施し、間仕切りを取り払うことにより約18畳のLDKとしました。
そして仏間は新たにリビングに設けています。
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以前、座敷に面した東側に6畳の和室と縁側があったのですが、そのスペースを十分な収納もある寝室としました。
その畳敷きの寝室は、3枚引き込みの建具でリビングと仕切ることができ、3枚の建具を引き込むとリビングと一体として利用することができます。

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その寝室の東側の窓には、遮光用の引き分け建具も設けています。

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リビング・寝室の南側の掃き出し窓には、以前使われていた「雪見障子」を一部手を加えて再利用しました。

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リビングの西側に隣接して、洗面脱衣室・浴室と以前は玄関ホールにあったトイレを設けました。

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2階へと続く階段は、以前は玄関ホールにあったのですが、今回LDKから上がれるように架け替え、2階の階段ホールには、書斎コーナーを設けました。

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36年を経て今回の改修で生まれ変わったこの家、これから新たな歴史が始まります。

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by y-tukide | 2020-07-20 13:30 | 仕事色々

丹波国 青垣町佐治かいわい

4週間前に掲載しましたブログ「丹波古刹九番霊場 高源寺」、実はその日旧山陰道の宿場であった丹波市青垣町佐治に行こうと調べていて、たまたま高源寺を知り
興味にかられ朝一番、まず寺に向かったのです。
初めて訪れた高源寺、新緑と苔の緑に包まれた静寂の中に一人いて、心があらわれ、すがすがしさを満喫することが出来ました。
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そしてその後に本来の目的地である「佐治」に向かったのです。
「道の駅あおがき」で車をとめ、相棒を下ろし観光案内所でもらった散策マップを手に行くことにしたのですが、その前に道の駅の一角に見かけた「丹波布伝承館」を見学。
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「丹波布」は、明治の末まで佐治地区の農家で盛んに織られ、京都方面へも佐治木綿として売られていました。原糸は綿の手つむぎで、野山にある草木で糸染めをし、手織りで仕上げられ、絹糸を緯(よこ)糸に入れるのが特徴です。
昭和時代には、その存在も技術も忘れられつつあったのですが、民芸研究科の「柳宗悦」により再発見され、柳宗悦により「丹波布」と名付けられました。
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館内では、糸つむぎ・染色・機織りなどの技術の伝承するほか、展示・体験コーナーも設けられています。
この日も手つむぎの実習が行われていました。
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そして伝承館を後に相棒といよいよ佐治の町に向かいました。
周囲を山々に囲まれた青垣町の中心である佐治は、律令時代の山陰道の宿場町としての歴史を持っています。
近世の山陰道は、現代の国道9号線とほぼ同じルートですが、それまでは亀岡から西に篠山を経由し、そこから北上していました。
ルートが変わった後も、播磨と但馬を結ぶ街道の要所として発展し、京や大阪からも多くの商人が移り住み、市が開かれ、和紙や佐治つむぎ・丹波布などが取引され賑わいました。
旧街道の役割が終焉を迎え一時期衰退しますが、その後は丹後ちりめんの原材料を供給する地として再び活気を取り戻します。
やがて時は流れ繁栄は過去のものになりますが、現在も当時をしのばせる、つし二階・虫籠窓、漆喰で塗籠された妻入り・平入の重厚な商家の街並みが静かにたたずんでいます。
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そのうちの一軒の商家の玄関に「宿場町office」と書かれた立て看板がある建物をのぞき、「ミセノ間」でパソコンをしていた女性に、見学させていただけるのですかと尋ねると、どうぞと奥の離れに案内してくれました。
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そこで紹介された男性は、建築家でそこを事務所としておられるようでした。
その方の説明によると、空き家だったこの建物を大阪の関西大学の工学部の学生さん達と
改修し、地域の方々の居場所・活動拠点として活用され、様々なイベントが行われているとのことです。
そしてそんな活動を地元の方・学生・その他からなる「佐治倶楽部」という空き家活用サークルが行っていることを知りました。
空き家を活用した、地域再生・まちづくりの素晴らしいい活動です。
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改修され様々なイベントなどに活用されている板の間。
右奥には丹波布も飾られています。
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そして名刺交換した建築家のDさんと古民家好き同士の建築談義。話は尽きません。
この木は栗の板、和室の畳下地に使われていたそうです。さすがに栗の産地である丹波ならではの使い方。
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これは、一寸厚の「貫(ぬき)」を4本使った耐震補強。
これはひょっとして、知り合いの奈良の構造家の名前を出すとやはりその方が関わっていたようで、これにも驚き。
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これ以上仕事の邪魔をしては申し訳ないと、礼を言い外に出ると、自転車に乗った地元の年配の方が、外まで送っていただいたDさんによってきて「また今度飲みにいこか!」と一声。
奈良県出身のDさんは、今やこの地に根付いています。

人や資本が一部の都市に集中し、各地の農漁村・町・地方都市で過疎化が進み限界集落といわれる村が加速して増え、それぞれの地域の歴史ある文化が失われ、空き家がどんどん増えていくひずんだ流れの今の日本。
私は、そんな町や村をこれまでにずいぶん見てきましたが、そんな中でも地域おこしの活動をされている「地域協力隊」やDさんのような方々、そして地元の有志か方たちにも幾度かお会いし感銘を受けました。
その都度、自分に出来る何かを考えさせられますが、今の自分にできることは、これまでの経験を通じて得てきた知識や技術を発揮し、一つでも多くの地域の歴史的財産である古民家を仕事などを通じて残し、そしてその手法を微力ながら後輩に伝えていくことかなと思っています。

丹波の山間に地「青垣」、この日も改めてそんな思いにさせられた町でした。
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by y-tukide | 2020-07-13 10:46 | かいわい

宮津 散歩

京都府の北部、日本海に突き出た丹後半島の入口の港町、宮津。
これまでに何度か訪れていますが、梅雨の合間の日曜日、天気はすぐれませんでしたが、相棒と宮津かいわいを散歩しました。
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漁港では、朝に水揚げされた魚介類の競りが行われていました。
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まずは北東に伸びる小さな半島を海沿いに走ることに。
道沿いの神社の参道入り口際に咲くアジサイ。
先ほどまで降っていた雨にぬれ、この時期ならではの風情です。
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どんよりした鉛色の雲とその色を映した海との境の濃い緑の線は、天橋立です。
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陸に上がった木造船。
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時折小雨が降り、その都度軒下を借り雨宿りしながらの相棒との散歩。
さいわい風はなく海は、穏やかそのもの。
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半島の海沿いの道が途絶えたところにあった小さな漁村、漁港には人ひとりいなく静まりかえっていました。
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その小さな漁村の街並み。
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この建物の前の海沿いの道は、埋め立てられてできた道、以前は海に面していたのでしょう。
今は、1階の一部は車のガレージになっていますが、以前は船のガレージ「舟屋」であったと思われます。
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来た道を戻り、次は天橋立に行くことに。
コロナ禍の中、観光客は途絶えていたでしょうが、今はどうなっているか気になっていました。
智恩寺の山門の前は、観光客の姿はありましたが、コロナ前とは運殿の差。
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この日は天気もすぐれないこともあるのでしょうが、天橋立内もこんな感じ。
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この辺りで食事を済ませ、次に向かったのは宮津の町の中心部。
宮津は城下町であると共に、天然の良港に恵まれ、江戸時代、北前船の寄港地でもあり、丹後地方の海上交通の拠点として賑わった町でもあります。
今も往時の繁栄の歴史を感じさせる町並みが残っています。
その一つが、江戸時代の商家で国の重要文化財に指定されている「旧三上家住宅」。
防火構造の「大壁塗籠め造り」の重厚な建物です。
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この建物は、創業300年以上の歴史があるといわれる「袋屋醤油店」。
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遊里として賑わった新橋通り付近は、京格子がある町家が残り当時の風情が感じられます。
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久々の宮津散歩でした。
街中で見かけたこんなお地蔵さん!
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by y-tukide | 2020-07-06 09:00 | 散歩

西国観音霊場十番 三室戸寺

わが町宇治の、平安時代創建の古刹「三室戸寺」、
五千坪の大庭園に5月はツツジ・シャクナゲ、6月はアジサイ、7月はハス、秋は紅葉と四季を通じて楽しめる「花の寺」でもあります。
そしてこの時期、50種、1万本のアジサイが咲き誇ります。
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もう夏も間近です。
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by y-tukide | 2020-06-29 09:00

安全で快適な家づくりを学ぶ 「木津川市 構造・住まい手見学会」

6月20日(土)・21日(日)の両日、お施主様のご厚意により、京都府木津川市におきまして、上棟したばかりの建物の構造と新築後11年目の住まい手宅の見学会を開催させていただきました。
今年に入り、コロナ禍の中で見学会を自粛していたのですが、緊急事態宣言が解除されたこともあり、今回、お客様の安全を第一に考え、時間を制限し、2日で12組限定という形で実施させていただきました。
梅雨の中休み、天気にも恵まれ久しぶりの見学会となりました。
会場をご提供していただいたお施主様、参加いただいた皆様には、改めてお礼申し上げます。
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ツキデ工務店の「木の家」は、日本有数の美林である奈良吉野の天然乾燥された杉・桧を使い、大工が伝統に培われた技で、墨付けから刻み(加工)・建て方・造作を手加工で行っています。
そして今回、その「手づくりの木の家」を見ていただこうと企画したものです。
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吉野の杉・桧をふんだんに使ったツキデ工務店が造る「木の家」。
今回は担当する大工も参加してくれました。
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構造見学会場では、この建物の「軸組」にもちいられている、日本の木造建築の伝統的な「仕口」「継ぎ手」の原寸模型や、一本の杉・桧の丸太から柱・梁・造作材を無駄なく採材する「木取り」の模型をなども展示させていただきました。
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また、完成すると見えなくなるツキデ工務店の標準的な壁・床の構造の原寸模型も展示し、説明させていただきました。
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それ以外にも吉野林業のことや、山から切り出された杉の丸太がどのような過程をたどり、家が建てられるのかの説明(伐採→葉枯し乾燥→玉切り→出材→原木市場→製材→桟積乾燥→モルダー加工→ツキデ工務店の作業場→大工の手加工→建て方→上棟)パネルも展示したのですが、なんと山で伐採されてから上棟まで2年近くかかっているのです。
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そして建物の大きさにもよりますが、上棟からなおも4~6か月、ようやく完成です。
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そしてもう一つの見学会場は、構造見学会場から車で5分ほどの所にある、築11年目の住まい手さん宅です。
この建物は、ツキデ工務店のHPで随時見学を受け付けている「梅美台の家」です。
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木々もよく育ち、家となじみ一体となっています。
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天井・壁が漆喰仕上げの玄関、漆喰の白色は完成当時のままです。
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22畳の広さのLDK。
杉の柱・梁やタモの床材は、落ち着いた色に焼け艶もあります。
木の経年変化を味わえるのが、無垢の木の家ならではの良さです。
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11年目の木の家、この先10年どのように変化していくのか楽しみです。
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by y-tukide | 2020-06-22 11:07 | 見学会・イベント

丹波古刹九番霊場「高源寺」

兵庫県の丹波市青垣町という所に、丹波古刹十五ヶ寺霊場の九番霊場である「高源寺」という禅寺があります。
私は、旧山陰道の宿場町であった丹波市青垣町佐治に行こうと、山川出版社の「兵庫県の歴史散歩」を調べていて、たまたまこの寺のことを知りました。
高源寺は、鎌倉時代に「遠谿祖裕(えんけいそゆう)禅師」によって建立された臨済宗中峰派の本山です。
1518年(永正15年)には、後柏原天皇の勅願寺となり、最盛期には末寺3000寺を数えましが、戦国時代、明智光秀の丹波平定の際、焼き討ちにあい全山焼失しました。
その後再建され、現在境内には惣門・山門・仏殿・方丈・鐘楼・多宝塔などがあります。
その高源寺の惣門。
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惣門をくぐると、新緑に染まるカエデが、参道を覆います。
遠谿は1306年、21歳のとき中国(元)に渡り、杭州天目山の「中峰(ちゅうほう)国師」のもとで修業し、10年後に帰国したのですが、境内のカエデは、その時に天目山から持ち帰ったもので「天目カエデ」と呼ばれています。
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参道の左側には、土塀跡と思われる石垣が残り、その上に陽光を浴びた苔が一面にむし、カエデの新緑と相まって、この季節ならではの爽やかな空気が参道を漂います。
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惣門から山門に至る参道。
紅葉の頃は、さぞかし人でにぎわうことでしょうが、今は朝の8時ということもあって、人っ子一人いません。ただただ静寂あるのみ。
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そして山門が現れます。
この山門は、1790年ころに寺を再興した「弘厳禅師」が建立したもので「紫鳳楼」と名付けられています。
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山門をくぐると、正面に寺の本堂である佛殿が木立の中にたたずみ、本尊である釈迦如来坐像を拝むことができます。
この小ぶりな佛殿の屋根は、以前、茅葺であったようで、今は波トタンで覆われているのが実に残念です。
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佛殿の近くの庭の、草書体の「心」の字をかたどった「心字の池」。
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そのそばにいつの時代のものか、頭が苔で覆われた石仏。
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苔むした石段を上がりきると、住職の住まいである方丈(ほうじょう)が現れます。
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方丈の出入り口の障子に設けられた「裏引手」には、カエデの葉があしらわれていました。
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方丈の式台玄関の正面に据えられた衝立、なんと書かれているのか!
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新緑と苔の中に溶け込むようにたたずむ鐘楼。
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その先の小さな渓谷に架かる、苔むした石橋を渡ると多宝塔が、木立の中にそびえます。
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朝、8時頃から境内を1時間半ほど散策したのですが、誰一人会う人はいませんでした。
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丹波の古刹「高源寺」を初めて訪れ、新緑と苔の緑に包まれた静寂の中に一人いて、心があらわれ、すがすがしさを満喫することが出来ました。
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by y-tukide | 2020-06-15 12:54

三重歴史街道「二見道」を行く

三重県には、東海道、伊勢街道をはじめ、歴史ある街道が幾筋も走っています。
私は、三重のこれらの歴史街道の魅力にはまり、これまでに伊勢本街道、初瀬街道、大和街道、伊勢街道、伊賀街道、伊勢別街道、濃州道、和歌山街道、菰野道、東海道を行きました。
こうして改めて上げてみるとよく行ったものだと我ながら感心します。
そしてそれらの街道の道筋と見どころを紹介してくれたのが、三重県が作成した「みえ歴史街道ウォーキングマップ」です。
そのウォーキングマップは、三重の「街道」の魅力を、観光資源としてだけでなく、豊かでうるおいのある生活や、文化を創造していく資源として活かすという「みえ歴史街道構想」というプロジェクトのもとで制作されたもので、街道のルート案内だけでなく、街道沿いの道標や建物などの歴史遺産の説明がされていて、街道歩きの魅力を倍増させてくれます。
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そしてこの日も、「みえ歴史街道ウォーキングマップ」を片手に「二見道」を行くことに。
「二見道」は、伊勢神宮と二見を結ぶ道です。
「みえ歴史街道ウォーキングマップ」の二見道の概要によると
「二見は、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神のご鎮座される地を求めて伊勢の海辺を歩かれた折、この浦の素晴らしさに二度振り返られた伝説からその地名が付いたとも言われる景勝の地。遠浅の白砂青松の浜は、明治初期まで神宮に参る参拝者が禊(みそぎ)をした清純で神聖な場所だった。
明治時代までは、神宮の御塩と御贄を調達するための神宮領で、今日も神宮の御塩や御料を調達地として、御塩殿神社の隣に建つ御塩殿で作られた昔ながらの堅塩が外宮まで運ばれる。」とのこと。

朝9時、伊勢神宮外宮の最寄り駅である近鉄宇治山田駅を出発。
近鉄宇治山田駅の駅舎は、昭和初期の近代建築で登録有形文化財に指定されています。
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近鉄宇治山田駅から北東に進むと、伊勢湾に通じる「勢田川」に出ます。
川沿いの道を行くと間もなく「切妻妻入り」の重厚な商家が並ぶ「川崎」の町に入ります。
川崎には、過去に2度訪れています。
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川崎は、勢田川沿いに古い蔵が軒を連ねる昔の問屋街。
かつて三河や駿河から伊勢湾を船で渡る参拝者や全国から集められた食材が、勢田川をさかのぼり川崎に至ることから「伊勢の台所」と呼ばれていました。
商家の母屋と蔵が並ぶ川崎の街並み。
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勢田川沿いには蔵が並び、当時の繁栄が伺われます。
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川崎を出てしばらく行くと瀬田川沿いに天正3年(1575年)創業の二軒茶屋の一つである「角屋」があります。
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かつて尾張・三河や駿河方面からの参拝者は、海路をとるのが最短コースで、伊勢湾を横切り、勢田川をさかのぼり、ここで船を降り上陸しました。
当時この辺りは一面の葦原で、二軒の茶屋がぽつんと建っていました。船参拝者は茶屋で一息入れ、気分を新たに神宮に向かったそうです。
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今も角屋さんでは、名物の「二軒茶屋餅」を販売されています。
二軒茶屋餅は、きな粉をまぶした小豆餡が入った薄皮の餅です。
私も土産にひとつ購入しました。
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さらに二見に向かう道を進むと「五十鈴川」を渡ります。
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川を渡ると道は、田園風景の中を走り、間もなくJR参宮線「二見浦駅」手前の踏切を越えます。
目的地は間もなくです。
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道は、二見浦の手前で右に折れ旅館街に入りますが、ここで寄り道し、左に曲がり二見浦沿いに建つ「御塩殿神社」に向かうことに。
うっそうとした森の中にたたずむ茅葺の社殿の御塩殿神社。
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その社殿の裏側に、二見浦の海水を汲み、伊勢神宮の神事に用いられる「御塩」と呼ばれる塩を焼く、高さを抑えた茅葺の「御塩殿」があります。
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その裏に二見浦が広がります。
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道を戻り、二見の旅館街に入ります。
かつては修学旅行のメッカで、木造の旅館や土産物屋が軒を並べます。
子供の頃、私たちの地域でも小学6年の修学旅行は、「お伊勢さん」とお決まりでした。
木造の旅館の大部屋に布団が敷き詰められ、寝る時、枕投げをしたことが思い出されます。
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そしてようやく今日の目的地である「二見興玉神社」に到着。
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二見浦の観光スポットの「夫婦(みょうと)岩」。
時刻は午後2時、引き潮でした。
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by y-tukide | 2020-06-08 11:33 | 街道を行く