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北国街道 鳥居本から長浜を行く


この間、越前の北国街道を相棒と日帰りで三日かけて行き、三日目には加賀に入ったのですが、ここまで来るとさすがに日帰りでの「街道を行く」は悩みどころで、今後どのようにして行くかを思案中です。

そんなところで今回のブログは、2年前に近江の中山道と北国街道の分岐点である鳥居本から長浜へと北国街道を歩いて行った時の様子です。

早朝自宅を出、電車で東海道本線のJR米原駅に向かい、ここで近江鉄道に乗り換え二駅目の鳥居本駅に着いたのが840分ごろ。

現在の鳥居本の駅舎は、近江鉄道が昭和6年に彦根、米原間が開業した時に建てられた駅舎を当時に様式をそのまま継承に建て替えられたものです。

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鳥居本は近江中山道の宿場で、今でも当時の面影をよく伝えています。

その一つが道中合羽の看板を掲げた「木綿屋」という屋号の町家です。

この町家は、現在「サンライズ」という出版会社の事務所として活用されています。サンライズは地元近江の自然、文化、歴史を取り上げた「淡海(おおみ)文庫」で多くの本を出版しています。

実は私がそのシリーズの「淡海文化を育てる会」が編集した「近江中山道」を20年ほど前に読んだのが趣味となった「街道を行く」のきっかけとなりました。

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宿場を進むとひときわ重厚な建物があります。鳥居本宿のもう一つの名産「赤玉神教丸」を製造・販売する350年続く薬屋さんです。下痢・腹痛によく効く妙薬で現在も営業されています。

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当時の店先の様子。

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鳥居本宿を抜けるとすぐに北国街道の分岐点があり、そこには復元された道標が建てられ、

「右中山道 摺針 番場」「左北國 米原 きの本道」と刻まれています。

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そこから街道は、国道8号線に沿って走り、しばらく行くと国道を右にそれ「梅ヶ原」という集落に入ります。

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集落を抜けると米原宿に入ります。

ここには国指定の名勝、回遊式枯山水の庭園で有名な青岸寺があります。水流をあらわす白砂の代わりに杉苔が石組みの間に流れるように埋め尽くされています。

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青岸寺に行く途中で見かけた木造の校舎。

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江戸時代米原宿には、現在の米原駅辺りに琵琶湖の米原湊が開かれていたそうで、中山道の番場宿からのバイパスが開通すると中山道の荷物が扱われるようになり、米原湊は大いににぎわったそうです。

当時22軒の旅館が軒を連ねていたという往時の面影が残る街道。

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米原宿を過ぎJRの跨線橋を渡りさらに進み、飯村川を渡ると「飯村(いむら)」という集落に入ります。

この村は一介の小兵から、土佐の国の大名まで出世した武将「山内一豊」の妻「千代」が生まれた村です。千代は、夫の出世の糸口となる重要な場面には、内助の功を発揮したことで知られています。

飯村で見かけた茅葺の民家。

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街道をさらに進んでいくと田園風景が広がり、その先に伊吹山が望めます。

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「寺田町」当たりの街道風景、気持ちよく歩けます。

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街道沿いの民家の庭に咲くアジサイ。

この日は、ちょうど今と同じ2年前の6月の梅雨の時期でした。

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この集落も感じのいい集落でした。

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街道をさらに進むと琵琶湖を背にして立つ28mの高さの「長浜びわこ大仏」が顔を出します。

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いよいよ街道は、十一川にかかる十一橋を渡り長浜の街に入ります。

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そして街道は、現在の長浜の観光名所、観光客でにぎわう黒壁スクエアに入っていきます。

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時刻は午後3時、今日はこれまで。

遅い目の昼食に、ビワマスをいただきました。

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by y-tukide | 2019-07-01 09:00 | 街道を行く

北国街道 金津から加賀温泉を行く

相棒と北国街道を行く面白さにはまり、前回の終着地の金津宿(芦原温泉)から引き続き北国街道を北上しました。

この日も相棒を輪行袋に入れ、JR宇治駅624発の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで福井駅に、ここで普通電車に乗り換え出発地点の芦原温泉駅に着いたのが857

前回この駅で、相棒を折りたたんだ恐竜博士の前で、今度は相棒を組み立て出発です。

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「金津宿」は江戸時代、福井藩の北の拠点として奉行所が置かれ、江戸時代中期には戸数639戸、本陣・旅籠60戸、遊女屋・揚屋27軒が建ち並んでいたそうです。今はその面影が残っていませんが、金津宿の北の入り口には「坂ノ下 宿場口跡」の碑が建てられ、旅人の安全を見守ってきたお地蔵さんが今も祀られています。

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坂道を登りしばらく進むと江戸時代に整備された「千束一里塚」が現れます。

榎の巨木が歴史を物語っていました。

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街道をさらに進むと「あわら市 嫁威(よめおどし)」と書かれた道路標識を見かけました。

道端の説明書きによると

昔、蓮如上人が吉崎御坊におられた時、百姓の嫁が夫と子供に先立たれて世の無常を感じ深く仏法に帰依した。そして毎晩のようにここを通って吉崎にお参りした。

これをやめさせようと意地の悪いしゅうとがある闇夜に鬼の面をかぶり出、嫁をおどしたが信心深い嫁は少しも恐れず念仏を唱えながら吉崎に向かった。

しゅうとの婆さんもおのれの所業を恥じ、無二の信者になったという話です。

その地に建つ社の狛犬。

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かつてこの辺りは、昼間も薄暗い藪の道であったのでしょうが、今は蕎麦畑や芝生畑が広がっていました。

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そして街道は「坂口」という小さな集落に入ります。

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蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に石灯籠が建てられています。それが北国街道を行く道しるべとなって大変助かります。

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次に街道は「細呂木」という集落に入ります。

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ここまでは比較的平たんな道だったのですが、細呂木集落を過ぎると予想していなかった難所にさしかかります。

ここは北国街道と吉崎道の分岐点、右が北国街道で「のこぎり坂」という異名の急坂が続きます。

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森の中の急坂を相棒を押し登りきると平たん地が現れ、そこにはメガソーラ発電所があり興ざめ。

さらに進むと旧北国街道の面影が残る山道が続きます。こんなところでタイヤがパンクすると大変なのでここも相棒を押して進みます。

またこのあたりが越前と加賀との国境です。

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道は、森をぬけると広大な果樹園が広がり、続いてゴルフ場の中を走ります。

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ゴルフ場を過ぎるとまた道は薄暗い森の中に入ります。

すると道脇に「この付近に熊が出没しました、ご注意願います―加賀市」の看板。

早く森を抜けようと相棒と急ぎ走ります。ようやく森を抜けると「橘」という集落が現れました。

このあたりから民家の屋根は、冬の凍害に強い赤茶色や黒の釉薬瓦が多く見られます。

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橘の集落をぬけ街道を行くとまたもや山道。

山中を縦断する北陸自動車道の陸橋を越え、進むのですが道は整備されていなく、倒木が道をふさいだり、草がおい茂っていたりで、このまま進めるのか不安がよぎります。

しかし今更戻るわけにもいかず、相棒を押しながら草を押し分け進みました。

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そして何とか森をぬけられて一安心。

そこから坂を下っていくと降りたところは「大聖寺」の街。

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大聖寺は、加賀百万石の支藩である大聖寺藩の城下町として栄えた町です。

加賀国南端の警備をつかさどるために、北国街道の城下の入り口に関所が置かれました。

これはその関所跡。

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大聖寺の街で昼食をとり、その後あまり時間もないのですが街をぶらり散策しました。

全昌寺というこの寺は、奥の細道で松尾芭蕉と弟子の曽良一行が泊まった曹洞宗の古刹で、

境内には芭蕉と曽良の句碑が建てられていました。

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また境内の羅漢堂には、江戸時代末期に京都の仏師による517体の五百羅漢像が安置されています。

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町中を走る北国街道沿いには、往時をしのばせる町家が点在して残っていました。

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もう少し街を散策したかったのですが時間切れで加賀温泉駅へと向かいました。

当初この日の終着地は小松駅の予定だったのですが、予想しなかった難所が続き相棒の力が十分発揮できず、手前の加賀温泉駅が終着地となりました。

駅に着き1545発の特急サンダーバードの時間待に駅前で冷酒を一杯!

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by y-tukide | 2019-06-17 09:00 | 街道を行く

北国街道 鯖江宿から金津宿を行く

前回、北国街道を今庄宿から湯尾峠を越えて鯖江宿まで行ったのですが、今回も相棒と引き続き北国街道を「鯖江宿」から「金津宿」までを行きました。

この日JR宇治駅を6時半の電車に乗り、京都駅から特急サンダーバードで敦賀駅に、ここで普通電車に乗り換え、鯖江駅に着いたのが843分。

さぁ~ここから相棒と北国街道を行きます。

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北国街道が走る町鯖江は、浄土真宗十本山の一つの誠照寺(じょうしょうじ)の門前町で

あるとともに、江戸時代は鯖江藩五万石の城下町でもありました。

昔からものづくりが盛んな町で、現在国内で生産されるメガネフレームの90%以上がこの地で生産されています。

福井県内最大の木造建築である誠照寺御影堂と浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の像。

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街道沿いに建つ、きれいに改修された町家と蔵。

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この日の天気は五月晴れ、空気もカラッとして風もなく、街道風情を楽しみながら相棒と気持ちよく走れます。

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このあたりの街道筋に建つ民家は「妻入り」玄関、雪国らしく骨太で屋根勾配も急で、柱・梁・貫(ぬき)を化粧にした「真壁造り」の家が多く見られます。

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途中立ち寄った「神明社」という神社の境内に建つ重要文化財の「旧瓜生家住宅」。

瓜生家は、代々神明社の宮司で、この旧住宅は現存する福井県の古民家の中で最も古いものだそうです。

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街道は、「浅水」という集落を走ります。このあたりでも立派な民家や蔵を見かけました。

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街道は、足羽川を渡ると福井市内中心部を走ります。

広大な平城であった福井城跡。

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福井市中心部をぬけ、九頭竜川を渡り、丸岡あたりの田園風景。

黄金色に輝く麦畑が広がります。

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田植を終えた田んぼにサギが!

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街道脇に歴史が感じられる頭がかけたお地蔵さん。

周りに人家もないのに花が生けられていました。

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これまでに近江路から北国街道を道中していると親鸞聖人、蓮如上人のかかわりの場所や逸話などを多く見かけます。

この石灯籠も、蓮如上人の御影像を信徒らによって毎年京都から吉崎御坊まで送られる「蓮如上人御影道中」の道筋を後世に伝えていくために、あわら市内の北国街道に建てられたものです。

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街道は、竹田川を渡りようやく「金津宿」に入ります。

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時刻は午後2時半、本日の移動距離は約40km、日はまだ高いのですが、この日の「北国街道を行く」はこれまで。

JRあわら温泉駅の「恐竜博士」のベンチ横で相棒をたたみ、輪行袋に収めました。

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電車待ち時間に駅前の食堂で、おろし蕎麦をあてに福井県勝山の地酒「一本義」を一杯いただき、いい気分で帰路につきました。

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by y-tukide | 2019-06-10 09:00 | 街道を行く

北国街道 今庄宿から鯖江宿を行く

「北国街道」は、滋賀県彦根市の鳥居本宿で中山道と別れ、米原・長浜・木之本を通り栃ノ木峠を越えて、越前・加賀へと抜ける街道です。
その「栃木峠」を越え越前に入った最初の宿場が「今庄宿」です。私はこれまでに何度かここを訪れています。
この日は、今庄から相棒のチャリと北国街道を鯖江宿へと向かうことにしました。

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今庄は、江戸時代を通じて越前で最も繁栄した宿場です。
北国街道(栃木峠越え)は、江戸参勤には最短路で、越前各藩は必ずといってよいほど今庄宿を利用しました。
今も町家が軒を連ねる街並みは、当時の面影をとどめています。

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宿場を出てしばらく行くと道は、アスファルトの舗装道から地道となり、間もなく草が生い茂った「湯尾(ゆのお)峠」の登り口が現れます。

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途中見かけた「クマ出没注意」の看板にちょっとビビリながら、こんなところでパンクしたら最悪と相棒を押しながら悪路の坂道を登ります。

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そしてようやく峠に到着。
峠には当時四軒の茶屋があったそうで、石垣はその名残か?

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人っ子一人いない静寂の中、峠には芭蕉の句碑、小さな祠そしてお地蔵さんが祀られていました。
眼下に「湯尾」の集落が!

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クマが出てこぬようにと念じながら、相棒を押しながら峠を降ります。
そして途中に見かけた、小川のほとりに咲くシャガの花。

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峠を降りるとそこは、「湯尾」の集落の入り口です。
これまではひたすら相棒を押しての峠越えでしたが、ここからは相棒が力を発揮してくれます。

集落入り口の民家の庭先に、耕運機の荷台に花が飾られていました。

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湯尾の集落をぬけると街道は、「日野川」沿いを走ります。

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そして「鯖波」集落に入ります。
街道沿いには小川が流れ、古い街並みが随所に残り、道は平たんで適度に曲がりくねり、気持ちよく走れます。

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田園地帯では、田植えが終わったばっかりの田んぼと黄金色に輝いた麦畑が混ざり合ってみられます。

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街道は「脇本」集落を過ぎ、「武生(たけふ)」の街に入ります。
武生は、奈良時代の律令制のもと越前の国の中心として国府が置かれ、また北国街道の宿場として栄えた町です。今もこの地方独特の建築様式の町家や蔵が多く残っています。
街道沿いのこの辺りには、「越前打ち刃物」も製造卸の店が並びます。

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街道は、武生を後に「鯖江」の街に入ります。ここで遅めの昼食をとることに。
福井のグルメといえば「ソースカツどん」と「おろし蕎麦」が有名ですが、商店街の「味見屋」という食堂で「醤油カツどん」と「おろし蕎麦」のセットをいただきました。

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by y-tukide | 2019-06-03 09:00 | 街道を行く

北国街道を行く 長浜から木之本へ

北近江を走る「北国街道」は、彦根市の鳥居本宿で中山道と別れ、米原・長浜・木之本を通り栃ノ木峠を越えて、越前・加賀へと抜ける街道です。

この日自宅を5時半に出、JR宇治駅から北陸本線のJR長浜駅へと向かいました。

長浜駅に着いたのが7時半、ここから「みーな」という湖北の地域情報誌の「北国街道絵図」を片手に木之本宿へと北国街道を歩きました。

早朝の長浜宿。

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黒壁スクエアは、今も昔もにぎわいの中心、さすがにこの時間には観光客はいません。

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長浜の北の玄関口にあたる「郡上町」、ここに立派な常夜灯が建っています。

この辺りで幕末の動乱期に暗殺された金沢藩家老の仇討が明治四年にあったそうで、
「日本最後の仇討の地」と石碑に記されていました。

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ここを右に折れ、すぐにここが元街道だったのかと疑うような狭い路地を通り抜け、絵図に基づき街道を行きます。

長浜の市街地を抜けると右手に田園が広がり、その先には雪を抱いた伊吹山の雄姿が望めます。

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さらに街道を進むと「曽根」という集落に入ります。

街道筋には、茅葺の古民家など昔の面影が感じられる街並みが残っています。

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浄土真宗の「長善寺」。

蓮如上人ゆかりの寺で境内には旅姿の蓮如上人の像がありました。

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街道沿いに建つアール屋根の地蔵堂の建物は、旧曽根小学校の玄関を再利用したものだそうです。

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曽根の集落を抜けると「姉川」が現れます。

戦国時代、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が壮烈な戦いをした「姉川の合戦」の舞台です。戦では多くの血が流され川の水が赤く染まったと伝えられています。

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姉川を渡り街道を進むと「唐国」という小さな集落に入ります。

集落の外れに「山内一豊 初所領之地」の石碑が建てられています。

山内一豊は江戸時代、一介の小兵から土佐の国の大名まで出世した武将です。戦国時代、織田信長の朝倉攻めに行軍し、朝倉軍きっての強弓の士と死闘を繰り広げ、顔に矢を受ける負傷を追いながら打ち取り、その武功により初めて得た知行が唐国四百石のこの地です。

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集落内にきれいな小川が流れる唐国の集落。

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集落を抜けると「高時川」を渡ります。そこからは「馬渡」集落に入ります。

馬が渡ると書いて「もうたり」と読む稀な地名です。村の入り口に建てられた名の由来が記された説明書きによると、鎌倉時代、足利尊氏が北国街道を北上した際、高時川が増水し渡れず難儀したのを村人が大勢で人馬の川渡を手助けしたことが名の由来だそうです。その呼び名が後に転化して「もうたり」となったと記されていました。

この集落内にもきれいな小川が街道沿いを流れ、ある一軒の民家には川の水を洗い物などに使う真新しい「川端(かばた)」がありました。

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馬渡集落を過ぎると「速水」集落に入ります。

速水は、長浜宿と木之本宿の「間宿(あいのしゅく)」として賑わった宿だそうです。

集落内には、立派な蔵のある民家を多く見かけました。

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速水集落を抜けると街道は、交通量が多い国道8号線を走ります。

早く8号線を抜けたいと早足で歩きますが永遠と続きます。

ようやく旧道が現れ「高月」の集落に入ります。

ここは「観音の里」。兵火の中、村人に守られた観音さんなど今も村人の手によりいくつもの観音さんが祀られています。中でも渡岸寺の国宝十一面観音立像は有名です。

私も20年程前に現在の御堂の前の質素な観音堂に祀られた立像を見たとき、その美しいプロポーション感動したものです。

高月には「高札場」があったそうで、ここでも街道沿いには立派な民家が多く見られます。

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そしてようやく「木之本宿」に入ります。

ここが「北国街道」と岐阜の関ケ原から続く「北国脇往還」との合流地点。

道端には「みぎ京いせみち」「ひだり江戸なごやみち」と記された道標が立ちます。

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木之本は、山からの水や気候に恵まれ醸造業が盛んでした。

今も「七本槍」で有名な江戸時代から続く造り酒屋や醤油さんが何軒かあります。

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またここには大名などが泊まる「本陣」が置かれていました。その本陣跡には、明治に開業した「本陣薬局」があります。ここには軒先に薬名が書かれた古風な板看板が何枚も吊られていたのですが、この日は改修工事で店が閉まっていました。

この写真は、私が16年前に撮った写真で、2004年の街道を行くシリーズの最初の年賀状に使わせていただきました。

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目の仏様で知られる木之本地蔵院の高さ6mの木之本地蔵尊。

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そしてJR木之本駅に着いたのが午後1時。

長浜駅を降りたのが7時半、ここまで5時間半かかりました。

腹はぺこぺこ。そこでこの日のもう一つの目的である敦賀の「弥助寿司」へと電車で向かうことに。

木之本駅から敦賀駅までは、たったの4駅なのですが、途中塩津駅で乗り換えに30分待ち。

そして弥助に着いたのが2時半。

ようやくこの日の目的すべて達成!

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by y-tukide | 2019-01-21 10:10 | 街道を行く